想望 - 宗太
寺を出てからは、ただひたすら働いた。
ようやく得た自分の居場所だ。家を追い出されることのないように―――養い親に好かれるように、と必死だった。
仕事の合間に同じ環境で育った子供たちと話す事もあったが、菊とだけは家が離れていることもあり、顔を見ることがなくなった。
最初のうちはそれをどうとも思わなかった。
が、一緒に育ったよしみだろうか。やがて家にも仕事にも慣れてくると「そう言えばあの間抜けな子供は無事に過ごしているのだろうか」と、少し気に掛かった。
用事のついでに―――などと自分に適当な理由をつけて様子を見に行ってみると、田植えをしていた菊が転んで尻餅をついているところに遭遇した。
引っ張り上げてやろうと手を差し出せば、呆然としながらも泥だらけの汚い顔で照れ臭そうに浮かべた微笑みに、どうしたわけか胸が高鳴った。
鈍くさいのは相変わらずだったが、美しく成長し娘らしくなった菊。
見た目は年相応なのに中身は幼いままの部分もある。それが酷く危うく思えて、自分が見守ってやらなければという気分にさせられた。
少し話をしてみれば、意外と機転の利いた会話も出来る居心地の良い相手だという事も分かった。
寺の隅で俯き膝を抱えていた童女の面影はどこにもない。
惹かれていくのをどうにも止められなかった。
少しして自分の想いを伝えたものの、色好い返事は貰えなかった。幼馴染としての親しみは感じてくれているようだったが、どこか一線を引いて壁を作っているようだった。
幼い頃は率先して虐めるような真似をしていたのだから仕方がないのかもしれない―――だから自分が十九になるまでの間に振り向かせてみせようと、仕事を早く終わらせてはさながら通い婚のように足繁く菊の元を訪れては日暮れまでを共に過ごした。
そんな関係が変化したのは、二年前だ。
その半年前から自分が菊を追いかけ回すようになり頻度は減ったものの、それでもまだ菊は森へ出掛けているようだった。
暗くなれば危険な野獣が出ることもあるというのに、一体何をしに行くのか。
聞いてもはぐらかされるだけで、そういう時だけ周囲の目を巧妙にかいくぐり出掛けてしまう。
そして帰ってきた後は山の幸を手に、決まって幸福そうな顔をしている。
それが宗太には気に入らなかった。
一体何が菊を喜ばせているのか。
自分が一番に幸せにしたいのに―――と。
だがある日、菊は瞳を真っ赤に泣きはらして森から帰宅した。
何があったのか聞いても答えはなかった。
童だったあの頃に戻ったかのように、押し黙って泣く姿をただ見ている事しか出来ないのがもどかしく、無理矢理抱きしめた。
「泣きたいだけ泣いて、楽になれば良い。
一人じゃ泣けないなら、泣かせてやるから」
強引に押し当てた自分の胸の中で、ようやく嗚咽を漏らす事の出来た菊の背を静かにさすり続けた。
そんな日々が半月程も続いた頃だろうか。
遠くに連なる山々に夕陽が沈む様を、ぼんやりと見つめていた菊が小さく呟く声を耳にした。
「もう会わない」
という一言だった。
森で誰かと会っていたのは確実になった。
その相手が果たして森の呪い婆なのかどうかは分からずじまいだったが、菊が一人で森に行くことはなくなり宗太の懸念は減った。
そして、その日から菊は、宗太に酷く甘えてくるようになった。
失った何かを埋めるように、求めるように―――。