三 参拝
小泉川と、そこから伸びる水路が、連日の雨で、あふれている。
(やれやれ)
蒸し暑い空気の中、
むう、
と、押し寄せる臭気に、閉口する。
あちこちで、赤い蚩尤旗がひるがえり、ジュウソウ(戎装)のひょうすべーー秦氏の顔をした兵士ーーーが、疫鬼を追っていた。
「病のみ抑えてものう」
「金生水の理を賦与しております。ゆるりと、浄水も進みましょう」
はためく蚩尤旗、
霊感をどよもすときの声、きらめくほこ(戟鉾)鎮圧される疫鬼・・・警察力だ。
公衆衛生ではない。
「金、露を結んで水漻れる、も、なるほど理屈ではあるが、こなたは水都」
ため息を吐く。
「利器の表面を伝う水で清められるほど、せせこましくはないわい」
「しかし、キュウキュウ(窮々)としております」
世道も、息を吐く。
「武神が水神として、水を清める無理。こなたの仕儀にこぎ着けるのが、せいぜいかと」
歪んでいる。そう思わざるを得ない。
(無理は承知)
そういう無理が、そもそも祟っている。
そうでなくとも、祟る心当たりがあるというのに。
二人は、兵主神社に向かう。
大鳥居が、に(丹)とは違う、どこか心騒がせる深い赤色で塗られている。
セイバン(旌幡)がはためき、それらの旗には、黒々と、あの、「人面獣身」の妖獣が描かれている。
蚩尤のicon その一種・・・否応なく、秦氏の破滅を象徴する、毛むくじゃらで、にへらにへら、人面にしまらぬ笑みを浮かべた、不潔な生き物を思い起こす。
落魄、
という大凶・・
思わず、渋面になってしまう。
轟、
う。
押し寄せたのは、夜の森を騒がせる嵐のごとき、energy(精気)
dynamis(力)そしてspirits(巒気、ランキ)・・presence(威圧)・・・雪崩のごとき、剣呑な気配。
「う、く」
「ぬう」
刷雄と世道が身がまえる。追越入道と見越入道、刷雄の式神どもは、
「おい(噫)」とうめいて、後じさる。
傘が落ちる。
東路はいづかたとかはおもひたつ富士の高嶺はゆきふりぬらし
不二、無双の山ーーー大地が、悠久の歳月を掛け、天工の仕事をする。
星の力が、地盤を押し上げ、隆起させ、ついに、天まで至る威容を築き上げる。
mountain
崑崙山のごとき年輪とギゼン(巍然)とした威風をたたえ、
牛頭、そして、六臂の魔神が、瓔珞を帯びて、示現する。
兵主神。
蚩尤ーーー乱と凶の将。
あ、
あ亜阿ー。
prime(原始)の心臓が脈打つーーー孫悟空の生まれた霊岩の卵さながら。
装わぬ無垢と、包まぬ傍若無人さと、慎まぬ猛威・・
太古の蛮神ここにあり。
刷雄は、雨に打たれるがまま、ゆっくりと、頭を下げる。
深々と、二回ーー虚空を、弧でなぞる。
そして、右手をずらして、拍手する。
ぱん。
般。
(何卒、宜しくお願い致しまする。武神よ)
祈り。
(御身のかたわらに、炎と死より生まれしひめかみ〈女神〉を)
また、頭を下げる。
二礼二拍手一礼ーー
刷雄も、世道も、斎戒した上で、参拝している。
sorcery(儀式)のために、二人は来た。
境内に響く二拍手は、陰陽であり、阿吽で、霊感に響く。
神社の奥から、正装した徐福と、兵主神社の神官たちが現れる。
牛頭六臂の乱神が見下ろすたもとで、両者は邂逅する。
「よう来てくれた。図書頭、図書少允」
「願ったり叶ったりというところよ」
世道は、居住まいを正し、深々と頭を下げる。
「神事の末席を汚さぬよう、相つとめさせていただきまする」
徐福が、おのれのあごひげに触れる。
「もともと、おぬしらの始めたことよ。われらこそ、陪席させていただく身ーー」
「滅相も」
「陪席も主席もあるものかい」刷雄が言う。「こうまで大きな話になれば、みながみな関係者じゃーーー犠牲者にならぬよう務めるまでよ」
長岡京の安危、この一事にあり。
さもありなん、神事である。
「ええのじゃな?」
刷雄が問うと、徐福が肯いた。
「われらの氏長者に諮った末ぞ。
秦の浮沈を、この一事に託す」
氏長者は、氏族の代表者。共有財産の管理や氏神の祭祀を担当する。
つまり、秦氏の総代だ。
徐福が奥に合図すると、神人が、なにやら、木の箱を運んできた。
うやうやしくひざまずき、蓋を開ける。
神官が、ハク(帛)に包まれた直径一尺三寸ほどの物体を、取り出した。
「む」
「どうぞ、お改めを」
と、帛ごと差し出す。
見るからに重そうだ。
世道が受け取った。
「神事の物実にございます」
(ふむ)
刷雄が、帛を取り除ける。
そこに現れたのは、息吹くingotの肉厚さだ。
金属の宿すほとぼりは、それを鋳た炉の余熱に思えた。そのもの、鋳塊ではない。かなり厚みがあるが、銅の円盤で、その表面は、本体とは相反する冷ややかな錫で鍍金され、ほれぼれするほど磨き抜かれ、刷雄の姿を写し取っている。
鏡。
銅鏡だ。
(美事)
三角縁神獣鏡だ。弥生時代から古墳時代にかけて、圧倒的な出土数を誇る鏡である。意匠は間違いなく中国から渡来したものだが、細かい特徴を照らし合わせると、中国本土では一枚も出土していない。
国産銅鏡である。
直径二十センチメートルを超える大型のものが多いのが特徴で、中国の銅鏡を一回り以上うわまわる。出土品で最大のものは、直径四十六センチを超える。
裏面の意匠は、ニュウ(乳、ドーム状突起)のふくらみ、チュウ(鈕、裏面中央の一番大きなドーム状突起)の存在感、ひしめく神仙や神獣の造形・・
呪術的な記号の数々を模倣し、国産化する冶金技術が、当時すでにあったことを物語っている。
ため息を吐き、銅鏡を帛で包み直す。
「ーーーま、ええじゃろう。見事な鏡よ。呪物としては、申し分ない」
「やらん」
徐福が言った。
「罔象女神を勧請せん」




