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最終話 さぁ、こい



「あたし、学校やめるから」

 

 ————やめる。

 

 あの日の記憶がフラッシュバックする。

 俺がいたから、俺と関わったから、誰かの道が絶たれてしまうんだ。また俺のせいで。


「田貫、あんた自分のせいなんて思ってないでしょうね」


 狼谷さんが俺を見透かしたようにしていう。


「それは……」


「その顔、図星だったんだ。田貫のことちょっとは分かるようになってきたのかも。ほんと馬鹿だなぁ」


 狼谷さんは床に視線を落とし、自嘲気味にいう。


「馬鹿、だなぁ。あたしって」


 どうして狼谷さんが悲しそうなんだろう。


 いじめがバレてしまったから?

 学校を辞めることになるから?


 俺にはそれが分からない。


「なんで狼谷さんが辞めることになるんだ」


 あの日の逆のような問いを俺は返す。


「いじめられた相手のこと気になるなんて、田貫は変わってるね」


 くすっと狼谷さんは笑う。

 悲しむ顔よりよっぽどいい。


「いじめをやめたらそれでおしまいって訳でもないし、それに、いつやめても良いって思ってたから。これでひとり立ちする良い機会なのかもね」


 高校生がひとり立ちなんて制約があって大変だ。

 そんなことを望む理由はなんだろう。


 子どもの立場は弱い、親に頼らないと生きていけない。

 俺がそうであるように。


「何があったんだ」


 またも俺はあの日狼谷さんがしてくれたように聞く。


「なんでもないよ」


 けれど、狼谷さんは答える気はないみたいだ。

 俺は話すのに値しない相手なのか。そう思うと酷く寂しくなる。

 彼女はずっと俺に対してなにかしてくれていた、世間的にはいじめになるかもしれないけど、無視したり突き放しすることはなかった。


 いまはどうだ、赤の他人で、事情を話すことが無意味のようだ。


「教えてくれないか、知りたいんだ狼谷さん。いや、凛子さん」


 すわっと狼谷さんの目が見開かれる。


「あんたそれどうして」


 動揺しているのか彼女の声が震えていた。

 話し合いの場に引きずり下ろせたぞ。俺は畳み掛ける。


「俺が渡したボールペンを狼谷さんじゃなくて凛子さんが挿してた」


 あれは珍しいものでその年の年代も書いてあって、この県内で持っている人は限られている。

 それだからバレーをしていない知り合いに簡単に渡すようなものではない。執着のない俺とかじゃなければ。


「狼谷さんが俺が駄菓子が好きなことを知っていたし」


 わさびのりを渡してきた時はいじめかと思ったけど、きっとそうじゃないのかもしれない。

 俺が気づいてないだけで他にも色々あるのかもしれない。

 それよりも決定的なのは。


「退学届みたんだ」


 机の上にあった、どうしてか分からないけどフルネームが書いてあった。城本凛子、と。

 初めは意味がわからなかったけど先生が狼谷さんと言っていたので、あれは狼谷さんのものだと気づいた。


 そこから色々と繋がっていったんだ。


「なにやってのよ、あの担任」


 狼谷さんは悪態をつく。つまり正解だ。

 俺が動かないので、狼谷さんは観念したように重い口を開く。


「つまらない話よ」


「それは俺が決める」


 狼谷さんは、はぁ、とため息をついて続ける。


「高校入学前に母親が再婚したの。それで苗字があっちの名前になった」


 そこで狼谷じゃなくて城本になったのか。

 あっち、その言い方に断絶された距離を感じた。


「ああ、別に酷いことされたとかそうじゃないの。これまで母子家庭でやってきたお母さんにパートナーが出来たことは喜ばしいことなんだけど、家族に別の人が入ってきてみたいであたしがどうにも受け入れられなくて」


 狼谷さんは肘を抱く。


「それからお母さんが妊娠して、この人たちには新しい家族が出来るんだって思ったら、あたしはここにいちゃいけないって思ったの」


「だから、ひとり立ちのためにバイトをしてたんだ」


 そう、と狼谷さんは頷いた。

 ただ逃げただけの俺と、離れるために準備をしている彼女とでは大きく違う。


「姓が変わって狼谷から城本になった」


 狼谷さんは柔和な笑みを浮かべていう。


「あなたもよく知ってる城本凛子。ね?」


 表情や声まで変わってまるで別人だ。

 特徴的な髪やピアスがなかったら気づくのは難しい。

 ふっ、と表情が抜け落ちて、いつもの気怠げな狼谷さんに戻った。


「これも私が自分を自分であると守るため。違う自分を演じていた」


 防衛本能として、働いている時は普段とは違う自分を演じていたんだ。


「知ってた? 学校って先生に相談したら前の名前で通って良いってこと」


 そんなこと知らなかった。

 そもそも考えたこともなかったのだから。

 

「卒業式でもそう呼んでくれるんだって。でもさ、卒業証書や正式な書類では戸籍の名前になるんだけど」


 そう言われて合点が行く。

 退学届には城本凛子と表記されていたんだ。


「卒業って、今のあたしにはもう関係ないんだった」


 あはは、と笑う狼谷さんの笑顔が虚しい。


「笑うところじゃないんだけど」


「笑うところでしょ、馬鹿なあたしが招いたんだから。あーあ、もっと早く気づけば良かった。あんたが好きだってこと」


 ドクンと心臓が跳ねる。


「いま、なんて?」


「二回も言わせる気? 田貫って意外と欲しがりなんだ」


 この期に及んで狼谷さんは俺を揶揄う。


「そうじゃなくて……」

 

「変なAIを間に受けたせいでこんなことになっちゃった。でもさ仕方ないよね、初めてだったんだから人を好きになるの」


 狼谷さんのいつも涼しげな目が潤んで、俺を見つめていた。


「初恋ってやつ。あたしの飼ってる猫を田貫が飛び込んで、怪我をしてまで救ってくれたあの日から気になってたんだと思う。そこからあんたの反応が楽しくて、学校も毎日来れるようになって。家でもずっと考えるようになってた」


 真正面から気持ちをぶつけられる、俺に受け止め切れるだろうか。


「でさ、気づけば取り返しがつかなくなってた」


 俺はただ、狼谷さんの言葉に耳を傾ける。


「いじめって普通にダメじゃん? それは本当にごめんなさい。今更こんな気持ちぶつけられても迷惑だよ、ね。キモい、よね」


 徐々に音量が落ちていく。

 はっきりと話す狼谷さんの声が震えていた。


「自分勝手に気持ち伝えてごめん。田貫の前から消えるから。ばいばい」


 荷物を持って彼女は教室を出ていった。

 いつもはくっつけられていた机、しかし今では離されて、中身も空っぽだった。

 それを見て、もうここに彼女は帰ってこないのだ、と悟った。


 これで良い。

 俺はなにも出来ない。彼女を決めたことだ。

 友達でもなんでもない俺にできることはない。


 

 どこか無力さを感じながら俯くと、上履きが目に入った。

 狼谷さんが描いてくれたアシックス仕様の上履き。


 それを見てるとコートを思い出す。

 俺を支えてくれたシューズ。いつも一歩踏み出す力をくれる。


「……狼谷さん!!」


 俺は振り返って、弾かれたように駆け出した。

 ぐんぐんと速度を上げる、青い襟足が見えた、あっという間に距離を詰める。


「えっ、ちょっと、なに!?」


 後ろから男が走ってきたらそりゃあ驚くだろう。

 しかし、これからもっと驚かせることになる。


「きゃあっ!」


 狼谷さんとは思えない可愛らしい声が上がった。

 そりゃあそうだろう、だって俺はいまお姫様抱っこをしているんだから。


「何やってんの田貫、下ろせー!」


 ぐーっ、と顔を押してくるが狼谷さんの命令でも降ろすわけにはいかない。


「嫌だ!」

 

 拒否して抱えて走る。

 俺は狼谷さんに言わないといけないことがある。


「狼谷さん、好きだ!」


「はぁっ!? あんたなに言ってんの?」


「二回も言わせる気か? 狼谷さんは欲しがりなんだな」


 そっくりそのまま返してやった。

 

「二回と言わず何度でも言ってやる。好きだ! 好きだ! 好きだ! 大好きだ!」

 

「っ、ばか!」


 狼谷さんが顔を赤くしながらぽこぽこと殴ってくる。全然痛くない。

 いつだって彼女の行動には悪意なんてなかった。


「狼谷さんはいじめのつもりだったかもしれないけれど、知らないことを沢山知れて楽しかったんだ。それを嫌々ぶってさ。目を背けてたんだ。いざ、居なくなることを考えたら寂しくなった。俺、狼谷さんがいないと寂しいよ!」


「そんな大きな声出さなくても聞こえてる!」


 そうかそうか、と俺は笑い飛ばす。

 気持ちを正直に伝えるってこんなにも気持ちが良いんだ。


「でもあんたが好きなのはわがままなあたしじゃなくて、品行方正な凛子さんなんでしょ?」


 狼谷さんが上目遣いでこちらを見る。

 腕に抱えた体がどこか小さく感じる。

 安心してほしくて、ぎゅっと力を込めた。


「どっちもだ!!」


「はあぁあぁ!?」


「クールでダウナーでちょっかいかけてくる狼谷さんが好きだし、お淑やかで儚い凛子さんも好きだ! 一人に二面生を抱えてさ、どっちも楽しめるなんて、そんなの男の夢だろ!」


「欲張りすぎ!」


 俺の口は、足は止まらない。


「ひとり立ちなんてやめてさ、いつか二人立ちしよう」


「あんた、それって……」


「ああ、付き合ってほしい」


 俺は狼谷さんの目を見る。

 俯いていた彼女は顔を上げて、それから、こくん、と頷いた。


「よっしゃああ! やばいスパイク取れた時よりも嬉しい!!」


「全部口に出てる!」


 狼谷さんに突っ込まれてしまう。


「狼谷さんに高校を辞めてほしくない、高校生活をエンジョイしたいよ。知らないことがまだまだあるんだ!」


「いつのまにこんなに欲望剥き出しになったんだか」


 はぁ、と狼谷さんはため息をつく。


「けど、これからどうするの。続けてほしいっていったって、あたしあんたをいじめたからもう居場所ないと思うんだけど」


「俺に考えがある」


「その目……。信じてるから」


 走り着いた先は学校門。

 生徒たちが登校し始めて、俺たちを横目に通り過ぎていた。


「聞いてください!」


 大声をあげ、みんなの足を止める。

 大倉と須山もいてこっちを見ていた!


 大きく息を吸う。


「俺たちは今日付き合いました!!」


 自分でも信じられないほど大きな声が出た。

 狼谷さんは耳に指を突っ込んでこちらをジト目で睨んでいた、ああ可愛い。


「「「「えええええ!!!!」」」」


 よし、驚いてる。驚いてる。


「これまで付き合ってなかったの?」

「え、今さら?」

「まじ?」


 なんか思ってたのと反応が違うな。

 まあ、いいや。


「みんな見てるから、……おろせー!」


 狼谷さんが俺の腕の中でジタバタともがく。

 彼女のいう通りみんなが見ている。すなわち学年主任も生徒指導主任もだ。


 ここまですれば問題ないだろう。

 別の問題は発生してしまったかも知れないけど。


 いじめは、やってる側じゃなくて、やられてる側が少しでも思えばいじめだという。

 じゃあやられてる側が少しもいじめじゃないなんて言ったらどうなるんだろうな。


「こんなことしてどうするの!?」


 普段は落ち着いてる女の子が動転しているのは、見ていて気分が良い。

 これから各所に説明しなきゃいけないよなぁ。

 しかし、これで彼女の退学の危機から救えるならそれでいい。


「ねえ、知ってる? 俺って救世主らしいよ?」


 たとえ、どんな困難があっても、俺が全て受け止めるから。安心して委ねてほしいと思う。



 ――――さぁ、こい。

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