五本爪の傷跡③
「お婆ちゃん、綺麗な一輪挿しですね」と幹江さんに声をかけると、「おうおう。和尚さんかい」と歯の無い口を開けて言った。
隈井さんは思わず自分の身なりを見直した。どう見てもお坊さんには見えない。
「法事はまだだったはずだが・・・」
「お婆ちゃん。お坊さんじゃなくて、刑事です。大分県警の警察官です。村で事件があったこと、知っていますか?」必然、大声になる。
「はあ~⁉ どちらのケイジさんですかの?」
「大分県警の刑事です」
「オオイタさんとこのケイジさんかい? そんなやつ、知らないな」
ボケが進んでいると聞かされていたが、会話がかみ合わない。困った。幹江さんは村で殺人事件が起こったことを知らないようだ。
「調子の良い時がある。その時は普通に会話が出来る」と芦刈さんは言っていた。今日は調子が悪そうだ。
「仕方ない。出直すか」隈井さんは早々に白旗を上げた。
黒枝家を退散した。
残るは恵良家だ。新参者で、最近、七軒屋に引っ越してきた。小学校に通う息子と娘がいる四人家族だ。長女の喘息の治療の為に、空気の良い七軒屋に引っ越してきたという。
診療所に近い、加志崎本家を住処として選んだ。廃屋になっていたが、診療所に近いし、家屋の傷みが少なかったからのようだ。住人がいなくても、家屋敷の手入れを怠らない芦刈さんのような人間がいるからだ。
恵良家を訪ねると、応対に出た多美子さんは、子供を迎えに麓の小学校まで行かなければならないと言う。夫の良二さんから話を聞くことになった。
多美子さんは小柄で、丸顔、体つきも丸い。目がぱっちりしている。良二さんは背が高い。細くて真っすぐな眉毛の下に、細い目がついている。二が二つ並んでいるように見えた。細身だが、おなか周りに、たっぷり肉がついている。
「お子さんたちを毎日、学校に送り迎えしているのですか?大変ですね」
応接間に通され、隈井さんの事情聴取が始まった。
「大変ですが、子供たちのためなので仕方ありません。住めば都で、山奥の田舎暮らしも悪くありませんよ。家内か私のどちらかが、朝、学校まで子供たちを送って行って、町で買い物をして帰ります。意外に不自由は感じません」
「失礼ですが、どういったお仕事をしていらっしゃるのですか?」
平日の日中、家にいる。どうやって生活の糧を得ているのだろうか。
「ウェッブ・デザイナーをしています。パソコンがあって、ネットが繋がれば、どこででも仕事が出来ます。幸い、この家は診療所から近いので、無線通信システムの通信エリア内にあって、ネットは問題なく繋がります。長女が喘息持ちですので、診療所に近いのも助かっています」
正直ウェッブ・デザイナーが、どういう仕事なのか、はっきりとは分からなかったが、パソコンを使って自宅で作業できる仕事だということは分かった。腹回りに浮き輪をつけたような肉がついている。座った仕事が多いからだ。机に座って出来る仕事なのだ。毛量が少ないのに肩まで伸びた髪がオタクを思わせた。
「服部順治さんとは親しくされていましたか?」
「服部さんや芦刈さんにはお世話になっています。畑で取れた野菜や果物を届けてくれます。本当に助かっています。村の暮らしが悪くないのは、服部さんや芦刈さんのお陰と言えます。子供たちも可愛がってもらっていました」
「なるほど。首藤医師はいかがですか?」
「良いお医者さんですよ。長女に喘息の持病があるものですから、毎週、診てもらっていました。夜中に発作が出た時も、文句ひとつ言わずに往診に来てくれました。町じゃ、往診なんて、簡単にしてもらえませんからね。助かりました。専属のお医者さんがいるみたいだなって家内と話していました。本当に首藤先生は亡くなったのでしょうか?」
「現在、検死の結果待ちです」
首藤医師と思われる遺体には首から上が無かった。遺体が首藤医師のものだと確認できた訳ではない。
「そうですか。先生がいなくなると、ここでの暮らしに影響が出てしまいます。折角、慣れてきたところなのに、また、町に戻らないとならないかもしれません」良二さんは憂鬱そうだ。
「引越しは大変ですからね。入田さんはいかがですか? 親しかったですか?」
「入田さんですか。この春に奥さんを亡くされてから、お姿を見なくなってしまいました。もともと人付き合いの良い人ではなかったので、あまり話したことがありません。そうそう、子供たちは懐いていましたよ」
「村で何かトラブルになっていたことはありませんか?」
「この村でですか!? いいえ、聞いたことがありません。ここはのどかで平和な村です」
「昨日は何をしていましたか?」
「おっ! アリバイですか~そうですか。アリバイを聞かれるんですね~ああ、大丈夫ですよ。関係者全員から聞いているのでしょう」と妙に感心した後で、「家で仕事をしていました。家内も家にいました。外出したのは、子供たちの学校の送り迎えをした時だけです。昨日は朝、家内が子供たちを学校に送って行って、僕が迎えに行きました。まあ、アリバイという点では、ないに等しいですね」
隈井さんが苦笑する。
「お忙しいところ、ご協力ありがとうございました」
収穫があるとは思っていなかったが、恵良家で有益な情報を得ることはできなかった。
「すいません、お茶も出しませんで――」
良二さんが玄関先まで見送ってくれた。お茶を出さなかったのは、長居をしてもらいたくなかったからだろう。意外に癖のある人物なのかもしれない。




