信心の対価③
「いいや。村の年寄りの言いつけに背いて一緒になろうとした二人に非がある。それに、黒枝家に攻め入ったのは貫之だ。同喜は何も悪くない。でもな、跡取り息子を討たれた田口家の無念を考えると、同喜をそのままにしておくことはできなかった」
「じゃあ、同喜はどうなったのですか?」
隈井さんが身を乗り出すと、幹江さんは嬉しそうな顔をした。話をするのが、嬉しくて仕方がないのだ。
「同喜は次男坊だった。蛍を娶れば一家を成せるという約束だったが、その約束は反故にされた。一時期、宗家に拘束された後、村を追われる形で放免になった」
「無罪放免ですか」
「まあな、同喜は村から姿を消し、諸国を放浪したという噂だ。どこぞで、のたれ死んだに違いない」
黒枝家の祖先の一人だと言うのに、冷たいものだ。
「ご主人を撃った田口さんは、貫之の末裔になるのですよね?」
「ああ。そして、旦那は同喜の子孫だ。貫之の子孫が同喜の子孫を撃ち殺して、先祖の仇をとったという訳だ。蛍姫の話は大昔の話だけども、田口かたでは黒枝のことをずっと恨みに思っていたのかもしれん。事故だと言っていたが、わざとやったと言う者もおった」
田口公正の心のうちまで、誰も分からない。
「旦那は猟が好きで、殺生を繰り返していた。だから、あんな事故に巻き込まれたんだ」
まるで他人事のようだが、その表情は寂しそうだ。
「蛍姫の怨念のなせる業だったのかもしれませんね」
僕らは丁寧に礼を告げた。幹江さんは玄関まで僕らを見送ってくれた。
玄関にある靴箱の上に一輪挿しに紫陽花が活けてあった。いや、花が活けてあるだけで、一輪挿しではない。徳利だ。徳利に花を活けてあるのだ。深みのある青が美しかった。
「お婆ちゃん、この徳利はどうしたのですか?」と隈井さんが聞くと、「お地蔵さんのものだ」と幹江さんは答えた。
村には寺がない。麓に乗兼寺があるが、車がないと通うのは大変だ。村人の信心の拠り所は村はずれのお地蔵様だと言えた。
幹江さんは猟を生業としていた裕紀さんに「山に入る前に、お地蔵さんをお参りして行け」といつも言っていたらしい。事故の日、裕紀さんは「お地蔵様にお参りをしなかったのだ」と言う。だから事故にあったのだと。
「天気が良くて、足の調子が良ければ、お地蔵様にお参りに行く」のだそうだ。
この瞬間、「ああ~」と僕らは理解した。
宗家の宝は入田家の屋敷の中に無かった。屋敷をいくら探しても宝は見つからなかったはずだ。入田家から少し登ったところにあるお地蔵様の足元にあったのだから。そしてお宝を見つけたのは信心深い黒枝幹江さんだった。お参りの時、台座の下に扉があることに気が付いた。開けてみると、桐箱があった。桐箱の中には、綺麗な徳利が入っていた。
花瓶は薄汚れてしまっていた。黒枝幹江さんは、家に持って帰って洗い、花を生け、地蔵のもとに持って来ようと思いながら、そのまま忘れてしまった。そんなところだろう。
黒枝家を辞して、診療所へ歩いて行く。
「宗家の宝のこと、どうします?」
「放っておくさ。収まるべきところに収まっただけだ。宝探しは俺たちの仕事じゃない」
「やっぱり神様は全てお見通しですね」
そう言うと、隈井さんは「天網恢恢疎にして漏らさず」と答えた。そして、「そうさ。神様はお見通しだ。やっと決心がついた。卑怯だと思いながらも結論を先延ばしにしていた。どちらも選べないのであれば、どちらも選ばない。それが最善の道だったんだ」と呟いた。
隈井はプライベートで小松奈緒さんと妹の美緒さんとの三角関係に悩んでいた。もともと、姉の奈緒さんと付き合っていたのだが、妹の美緒さんと関係を持ってしまった。姉妹のうち、どちらかを選択しなければならない状況に追い込まれていた。そして、隈井さんにはそのどちらかを選択することなどできなかった。
このままでは三人共、不幸になってしまう。僕はそう思っていた。隈井さんは、どちらも選ばない道を選択したようだ。
隈井さんの吹っ切れたような表情を見て、これで隈井さんも前に一歩、進むことが出来たのだと思った。
電話だ。父からだ。
「はい。お父さん」と電話に出る。
「捜査も大詰めを迎えているようだな。だが、大詰めを迎えている今こそ、慎重にならなくてはならない」
相変わらずだ。
「分かりました。事件について、相談したいことがあります。お父さん、どうしたら良いのか教えて下さい」
そう言うと、父は戸惑ったように「お、おう」と答えた。
「容疑者を確保し、彼は犯行を自供しています。でも、僕らは彼が犯人ではないと思っています。犯人は別にいる。彼は犯人をかばっているだけだ。そう思っているのです。僕らが怪しいと思っている人物は身を隠しています。その人物を探し出して捕まえたいのですが、どうすれば良いのでしょうか」
「ほう。難しい問題だな・・・」と父は答えると、やや間があってから言った。「詳しいことは聞けないから一般論になるぞ。いいか?」
「はい」勿論、それで十分だ。
「探し出して捕まえるには指名手配をかけるのが一番だ。そのためには、証拠が必要となる。物証だ。物証が無ければ信用のおける証言だな。誰も冤罪なんて望んではいない。証拠を見つけ出して、その人物の容疑が濃いということになれば、当然、指名手配をかけて探すことになる。そこまで持って行けなければならない。何か物証は無いのか?」
「物証ですか?」と考えてみた。僕らは一連の事件に背後に加志崎将生がいるはずだと確信していた。だが、今のところ加志崎将生が犯人であることを示す証拠は何ひとつ見つかっていない。正直にそのことを伝えると、「待て、待て。今までに見つかっている物証でも構わない。もう一度、調べなおしてみてはどうだ? その君たちが怪しいと思っている人物の指紋やDNAを調べてみたか?」と早口で言った。
そうだ。加志崎将生の指紋やDNAはまだ手に入れていない。
「いえ。まだです。そうですね。先ずはそこからですね。分かりました。お父さん、ありがとうございます。参考になりました」
嫌味ではなく、本当にありがたかった。
「私からのアドバイスだなんて言わなくて良いからな。明日、隈井君に相談してみろ」
僕の相棒が隈井さんだということも、ちゃんと知っている。僕は「はい」と元気よく返事をした。
「うん。頑張っているようだな。もう心配はいらないみたいだ。何か困ったことがあったら、何時でも電話して来て良いからな」
父の優しい言葉なんて、初めて聞いたような気がした。僕は「うん」と答えて甘えてみた。
電話を切ってから、僕は自分が泣いていることに初めて気がついた。




