彼女の好きな本
「先生、今日は家庭教師がお休みの日なのに、付き合ってくれてありがとうございます」
「いや、別にいいよ。今日は用事もなかったし」
今日はバイトも休みだったのだが、彼女からメールが来て、図書館へ一緒に行く事になった。オススメの本を選んでもらいたいらしい。
そういえば……この子の部屋、結構な量の本があったな。
しかも、僕が読むのを躊躇うような専門書もあったし……何故だろう?もしかして、すごい読書家とか?
「ちなみに、先生の好きなタイプのエッチな本を教えてくれてもいいわ」
「持ってないよ」
「ええっ!?」
亜季は驚愕という言葉がふさわしい表情を見せ、足元をふらつかせる演技を見せた。
「先生、かわいそう……その年で枯れてしまうなんて。不憫すぎます」
「枯れてないよ!?」
公衆の面前でなんて事を言ってくれるんだ。
少し離れた場所から「ママ~、あのお兄さん枯れてるの~?」「しっ、見ちゃいけません!」とかやりとりが聞こえてくるのが、なんか切ない。
しかし、亜季はそんな事お構いなしとばかりに、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「枯れてないのね。ならよかったわ」
「……この状況で果たしてよかったといえるのだろうか」
「大丈夫よ。先生が世界中の生物からドン引かれても、私は笑って傍にいますから」
「……その原因を作ってそうなのはお前なんだが」
「あっ、図書館が見えてきたわ」
彼女は僕の言う事をさらっとスルーして、図書館を指差した。
……まあここは図書館だし?しかも本を選ぶだけだから、いつものような事にはならないだろう。
しかし、そんな考えが甘い事も心のどこかで気づいていた。
*******
図書館の中は人の姿もまばらで、時折聞こえてくる子供の声がやけに大きく響いた。
……やっぱり落ち着くなぁ。
この静謐な空気や独特な匂いが、僕はたまらなく好きだ。
胸の中が弾む感覚を悟られないように抑えながら、そっと亜季を見ると、彼女もどこか楽しそうだった。
「じゃあ、読みたい本のジャンルを教えてくれたら、そこから……」
「あっ、せっかくなんで、先に先生が読みたい本を選んでいいですよ」
何がせっかくなのかはわからないが……それならそうさせてもらおう。
「それじゃあ、ちょっと選んでくるから待ってて」
「いえ、私も行くわ」
「えっ、いいの?」
「ええ、見てるから。じっくり選んでください」
どういう意図があるのかはわからないが、そういうなら先に選ばせてもらおう。
まずは歴史関連の本を手に取ってみると、亜季は棚に整然とならべられた本を見つめ、一人で頷いていた。
「ふぅん……そっか」
「どうかした?」
「いえ、この辺りから私も選ぼうと思いまして。せっかくだし」
「じゃあこれなんかどう?」
僕は好きな歴史の人物の本を一冊取ろうとした……のだが。
そう思い伸ばした手は、彼女の白い小さな手に置かれていた。
「わ、悪い……!」
いつの間に?と思いながら、慌てて手を離す。あれ?この子今めっちゃ速く動かなかった?僕の気のせい?
「先生、そんな手が触れたくらいで気が触れたような顔しなくてもいいわ」
「上手い事言ったみたいな顔するな」
「今までで一番上手い事言った気分だったんですけど」
「そ、そんなにか……まあ、別にいいけど」
「それはさておき、次は私のオススメの本を紹介するからよんでくださいよ」
「あ、ああ……」
彼女について別の本棚まで移動すると、彼女は少し背伸びをして、さっと手に取った本を僕に渡してきた。
その動作は、まるでそこにその本がある事を知っていたかのようだった。
「はい、先生。これ」
「ああ、ありがとう……」
さて、どんな内容の小説かと表紙を見てみると……
『禁断の愛』
おい、なんだこのストレートなタイトルは……しかもサブタイトルで『教師と生徒編』とか書いてるし……!
「あのー、亜季さん?これは……」
「私のオススメ小説よ」
「いや、それはわかってるんですけど……」
「その小説の作者の文章力が素晴らしくて、是非先生に読んでもらいたかったの」
「へえ……そ、そうなんだ」
「あら?もしかして先生は何か他意があると思ってるのかしら?」
「…………」
亜季は小悪魔めいた上目遣いでこちらを見てくる。
その囁くような声音も、香水の香りも、何もかもが一々心に刺さり……とにかくずるい気がした。
「あ、ありがとう、じゃあ読もうかな」
「ええ。感想、聞かせてくださいね」
まあ、そんな素敵な文章なら……ね。
*******
「あ~、楽しかった」
「それは何より」
図書館に出てからの第一声がそれか、と苦笑していると、彼女は振り返り、にっこりと笑って見せた。
「やっぱり楽しいのは先生といたから、かしらね」
「え?いや、それは……」
「あははっ、冗談よ。先生ったら顔真っ赤にしちゃって♪可愛いんだから」
「なっ……」
またそんなからかい方を……と思っていると、彼女は僕の隣に並び、体をぴったりとくっつけてきた。
ふわりと甘い香りが漂い、頭の中を揺さぶってきたが、何とか平静を保……ててるかはあまり自信がないけれど、とりあえず彼女に声をかけた。
「お、おい、ここ、外だから、なんか色々とまずいから」
「大丈夫よ。私、パッと見だと大学生に間違われる事もありますから」
「いや、そういう問題ではなくて……」
「そこまで言うなら仕方ないですね」
彼女はくっついてきた時と同じテンションで、さっと離れた。
さっきまで彼女と密着していた左腕には、生々しい温もりが残っていて、つい目を逸らしてしまう。
……別に名残惜しいとか考えてない。
「先生、明日もよろしくお願いしますね」
「……あ、ああ」
彼女のオススメ小説は、意外と面白く、その日のうちに読み終えてしまった。