第68話 殻の中でじっくりと
賑やかな冒険者ギルドのホールは、今日も人の出入りが絶えない。
冒険者だけでなく、依頼人、行商人、荷運び、職人――。
この街のあらゆる職業が、何かしらの形でこの場所に関わっている。
鍛冶屋や防具職人など、冒険者の装備を扱う者たちにとっても、ここは仕事の取引の場だった。
そんな中、食堂の隅で、ひとりの青年がテーブルに突っ伏していた。
服には煤と油の染み、両腕には細かい火傷の痕。
どう見ても、鍛冶屋の弟子である。
「あー……いつまでこんな仕事、しなきゃいけないんすかねぇ」
うなだれた声。
聞いているだけで、鉄を打つ音が遠くに消えていくようだった。
「自分以外は、もう親方から許可もらって一人立ちしてるやつもいるのに……」
どうやら、長い間修行として親方のもとで働いているらしい。
その表情には、焦りと苛立ち、そして少しの自信喪失が滲んでいた。
「はぁ~、はやく自分の店が持ちたいっす」
そのため息に混じるのは、若さゆえの苦味。
それを見かねて、厨房の奥からナカムラが声をかける。
「よう、元気なさそうだな!」
あまりに明るい調子で言われたものだから、青年も思わず苦笑する。
「どーも、元気ないっす……」
「今日も仕事帰りか?」
「そうなんすけどねぇ。いつまでたっても助手のまんまで、最近は“認められないんじゃないか”って思うようになってきて……」
「あぁ~、お前さんとこの親方、頑固そうだもんな」
ナカムラの頭に、その鍛冶屋の親方の顔が浮かぶ。
何度か世話になったことがあるが、確かに職人気質の偏屈者だった。
腕は確か、しかし言葉は足りない。
「まぁでも、あの人は見る目があると思うぜ。簡単に許可を出さないのは、ちゃんと見てるってことだ」
「そう言われると……余計ダメなやつみたいに思えちゃうんすよねぇ」
ナカムラは苦笑し、ふうと息を吐いた。
「こら重症だな。……仕方ねぇ、ちょっとこっち来な」
カウンターに座らせ、ナカムラは炭火を起こす。
赤々とした火の上に、鉄網。その上に、蟹の甲羅をひとつ置いた。
中には、濃くとろりとした蟹味噌。
「なんすかこれ?」
「まぁ見てろ。焦らせるな。沸かすな。静かに、じわりと、だ」
じゅっと音が立ち、甲羅の縁が熱を帯びる。
味噌が小さく泡立ちはじめ、香ばしい海の香りが漂う。
焦げる寸前の甘い香りが、鼻をくすぐった。
「自分で混ぜてみろ。焦らないように、ゆっくりとな」
青年は箸を取り、慎重に味噌を混ぜ始める。
とろりとした味噌が糸を引き、甲羅の底に落ちる音が、静かに響いた。
「もう食べごろじゃないですか?」
「まだだ。火が通りきる前に出すと、表は香ばしくても中は生臭い。中までしっかり煮詰めねぇと、旨みは出ねぇんだよ」
炭火の熱に耐えながら、味噌はじわりじわりと煮詰まっていく。
殻の中という狭い空間で、余分な水分が飛び、旨みが凝縮していく。
それはまるで、鍛冶場で日々繰り返される修行のようだった。
やがて、味噌の表面が薄く焼け色を帯びる。
香ばしさの奥に、苦味。そのさらに奥に、ほんのりとした甘み。
熟練の火加減が作り出す、わずかな境界。
そこにナカムラが、酒を数滴たらした。
「ジュッ」と音を立て、香りが一気に立ち上る。
青年はその香りを吸い込み、思わず喉を鳴らした。
「よし、いけるぞ。食ってみな」
青年は箸で味噌をすくい、口へ運ぶ。
濃厚な旨みが舌を覆い、香ばしさと甘みが重なり、深い余韻が広がる。
それは、時間と熱、そして“我慢”が作る味だった。
「……うまいっす」
思わず顔がほころぶ。ナカムラはニヤリと笑う。
「だろ? 狭い殻の中で煮詰める時間ってのは、無駄じゃねぇんだ。外に出たい気持ちは分かるけど、そこでじっくり旨みを出せる奴ほど、あとでいい味を出すもんだ」
「……それ、親方もそう思ってるんすかね」
「さぁな。でも、あの人の性格からして、“まだ焦げるな”って言ってるだけじゃねぇか? 腕を見てるんだよ」
青年は甲羅の中をじっと見つめる。今も小さく泡立つ味噌の中で、熱が芯へと染み込んでいく。まるで、自分自身のようだと思った。外の世界に出れば、新しい風も、違う味も知れるだろう。だが、今はまだ――煮詰まる時期なのかもしれない。
ナカムラは盃をふたつ取り出し、酒を少しずつ注いだ。
「まぁ、一番いいのは直接聞いてみることだな。もしかしたら店を任せたいのかもしれん。あの人、言葉が足りねぇからな!」
「そうなんすよ! 本当に言葉が足りなくて!」
二人の笑い声が、炭火のぱちぱちという音と混ざって響く。青年の顔には、さっきまでの陰りが消え、明るい光が宿っていた。
言葉は足りなくても、伝わるものはある。火の加減ひとつ、湯気の香りひとつで、想いは伝わる。それが料理であり、職人の心なのかもしれない。
料理を楽しんだ後に青年は新しい決意の顔で立ち去っていく。
彼の門出を祝うかのように炭火がパチっとはね、未来への拍手を送る。




