第62話 それは苦くて塩辛い
夕暮れを少し過ぎた冒険者ギルドは、いつもより静かだった。
依頼掲示板の前に立つ者は少なく、疲れた顔をして椅子に沈み込んでいる者もいる。
その中で、ひときわ重い足音が響いた。
「……まだ、やってるか」
薄汚れたコートに、傷だらけの鎧。
片目に包帯を巻いた男が、食堂の暖簾をくぐる。
その背には、大剣が一振り。
ギルドの連中が彼の姿を見るなり、息をのんだ。
「あいつ……グラントだ」
「遺跡の調査隊が行方不明になっていたらしいが……生きてたのか」
「他の仲間がいねえな……」
ざわめきを背に、男は無言でカウンターに腰を下ろした。
その視線の先、ナカムラがいつものように包丁を研いでいる。
「注文は?」
「なんでもいい......」
ナカムラは目を細め、男の顔を見た。
焦点が定まらず、目の下には深い隈。
何かを失った人間が発する重い空気が漂っている。
「……わかった、今用意するから待ってな」
そう言って、ナカムラは鉄鍋を熱し始めた。
鉄鍋に油を張り、刻んだ野草を入れる。野草の名前は苦味が特徴のヤーゴという植物だ
そこに調味料を入れてしばらく熱する。
香ばしい匂いが漂い始めると、男は不機嫌そうに眉をひそめた。
「……なんだ、それ」
「なんでもいいって言ったろ、まぁ待ってろ」
しばらくして、更に盛られた炒め物がグラントの前に出される。
「……まずそうだな」
「あぁ、きっと予想通りの味だろうな」
男は渋い顔でひと口食べる。
舌が痺れるような苦味が広がり、喉を通ってもしばらく口の中に残る。
「……くそまずい」
「そりゃそうだ。お前の心の毒が混ざってる、何を食っても今は一緒だ」
しばらく沈黙が続いた。
男はフォークを置き、ぼそりと呟いた。
「……仲間が、全員死んだ」
「そうか」
ただ静かにその言葉を聴く。
「俺だけ生き残った。俺が逃げたからだ」
「逃げたやつが悪いとは限らん」
「でも、助けられたかもしれねぇ!」
拳がテーブルを叩く。
皿が少し跳ねた。
ナカムラはゆっくりと布巾で拭う。
「お前の仲間は、お前が生き残ると怨むような連中か?」
「そんなわけ……」
「なら聞け。戦いってのはな、誰かが死んで、誰かが生き残る。だから生き残ったなら、うまく調理しろ」
「何をだ……?」
「その心の中の苦味だよ。調理すれば次の料理になる。だがそのままじゃ、毒で終わる」
男は唇を噛んだ。
再び皿に手を付ける。
苦味の奥に、ほんの少しだけ甘みがあった。
それは、炒められた野菜の自然な甘さだった。
「……少しだけ、うまい」
「苦い中にも旨味がある。お前が生き残った意味も、たぶんそこにある」
男は静かに皿が空になるまで食べ続けた。
息を吐くと、肩の力が少しだけ抜けたように見えた。
カウンターに硬貨を置くと、男は立ち上がった。
その背に、ナカムラが声をかける。
「ちょっと待ってくれ、もう一品ある」
そういって目の前に、塩漬け肉のスープを出す。
「今度は、塩辛そうだな……」
「苦味の次は塩気だ。あんたの代わりに泣いてくれる」
男は一瞬だけ笑った。
「……あんた、変な料理人だな」
「よく言われる」
スープを飲み干した後、席を立ち出口に向かっていく。扉が開き、静かな夜の明りに男は消えていく。
コリーが厨房の奥から顔を出す。
「あの人、大丈夫ですかねぇ」
ナカムラは出口を見つめながら、そっと呟く。
「……あとは本人が決めることだ」
「でも、あの人、最後に笑ってましたよ」
2人で男の居なくなったテーブルを見つめる。
「なら、なんとかするだろうさ」
食堂がそろそろ店じまいになる時間になった。
静かに片づけをしながら、つぶやいた。
「どいつもこいつも毒ばかりため込んでやがる。まるでフグのようだ……」




