第35話 緊急依頼
久方ぶりの休息で、心身を癒した2人は故郷の村を後にした。長居をすればするほど、寂しさが募ることも分かっていたからだ。
そして都に戻ると冒険者ギルドの掲示板は、いつになく人だかりでざわめいていた。
ざわめきの中心にあるのは、一枚の大きな羊皮紙。通常の依頼票の倍はあるその紙には、赤い封蝋の印が押され、太い字でこう記されていた。
『緊急依頼。密林にて人食い魔獣「メイサイドラ」の出没。討伐隊参加者募集。』
「メイサイドラ……?」
読み上げたナカムラの横で、コリーが眉をひそめた。
「聞いたことない名前だな」
「私も。けど、これだけ大きく掲示してあるってことは……相当ヤバいんですかねぇ」
二人は人だかりをかき分け、依頼票に近づく。そこには詳細な説明が書き添えられていた。
『メイサイドラ。密林に生息する魔獣。体長は推定3メートル、樹上を俊敏に移動することもある。最大の特徴は体毛による擬態能力。周囲の環境と同化し、視覚で捉えることは難しい。冒険者の失踪はここ数週間で急増。人間を捕食対象と認識した可能性が高く、討伐は急務である。』
「見えない相手……」
ナカムラは喉の奥が渇くような感覚を覚えた。
ただの大型魔獣ではない。いつ襲ってくるか不明な上に、気づいたときには手遅れとなる。説明文を読むだけで、そんな恐怖が伝わってくる。
掲示板に並ぶ冒険者達だが、受注するかは議論となっている。それだけ危険性の高い依頼という事なのだろう。
しかし、今後密林よりも危険な地域に足を踏み入れる事も検討している2人にとっては、魔獣との戦闘はいずれ避けられない事も分かっていた。
「でも……いつかは魔獣とも戦わないといけないですよね」
コリーが、わずかに震える声で言った。
「そうだな、それに誰かがやらなきゃ、もっと犠牲が増える。いい機会かもしれないな」
ナカムラはうなずく。最悪の場合に備えて、密林のサソリから抽出した毒結晶を砕いてドクウナギの粘液と混ぜた麻痺毒、故郷の村の特産であるフグから抽出した致死量の毒結晶を入れた瓶を腰に下げている。毒が効くなら殺せるはずだ。
そのとき、背後から聞き覚えのある声が響いた。
「2人、いた、お待たせ。時間、すごい、かかった。ごめん」
振り返れば、前方向に滑らかに反った全長50㎝くらいのナイフと丸盾を携え全身を皮のローブで覆った密林の部族長スンダリことリンが声をかけてくる。腰のあたりには、複数の輪にしたロープが垂れ下がっている。腰元で揺れるそれは武具というよりも、狩りの道具に見える。
コリーは目を輝かせる。
「リンちゃん!もう村は大丈夫なの!?」
リンは、静かにこたえる。
「大丈夫、私、もう、いらない」
ナカムラは、相変わらずだなぁと呆れながら
「その言い方だと心配するなぁ……」
少し日が経ったが、彼女の決意は変わらなかったようだ。ここまではシレーンに案内してもらったらしい。今後は一緒に居られるとの事で、今から緊急依頼を受ける事を伝えた。
「その魔獣、たぶん、おなじやつ。部族の民、何人か、やられた。」
魔獣の被害は、部族の村にまで及んでいたらしい。こうなってくると絶対に成功させなければならない。2人の決意が高まる。とりあえずは、冒険者登録をしなければならないことを伝えるもリン一人ではとても不安なので、コリーが同伴することになった。
一人残されたナカムラの隣に大柄の男ゴルドが現れる。背中からぶら下げた大槌が床を鳴らし、周囲の冒険者が思わず道を空ける。
「よぉ、久しぶりだな!」
「ゴルド、もしかしてこれに参加するのか?」
「報酬がいいからな!まぁ、なんとかなんだろ」
さらに、出入口付近から、もう一人の声も聞こえる。
「ねーっゴルド!さっさと行かないでよっ……ってあれ?」
短弓と携え皮鎧を身に着けたイザベラが、駆け寄ってくる。
「ナカムラさん達も、この依頼を受けるんですか?参加しようか迷っていて……」
続いて、外套を纏い、金属製の鎧と盾、よく手入れされた剣を携えたカイルと以前よりも長くなった槍を背中に差したミナが登場する。
「知り合いばっかだな」
ナカムラが苦笑する。
「オールスターズだね!」
ミナが明るい声で冗談をいう。
ほどなくして、コリーとリンが帰ってきた。経歴のみで十分に冒険者に登録する資格があるという判断だったようだ。
ギルド職員が壇上に立ち、依頼の詳細を読み上げる。
「討伐隊指揮は冒険者ギルド推薦の剣士ルマカーチが務める。各隊員は、互いの得意を活かして連携を取ること」
ギルド職員の隣に立つのは白銀の鎧をまとった妙齢の女性。背に大剣を負い、セミロングの金色の髪の毛がなびく。『庶民の生活を知りたい』という目的で冒険者になった貴族の令嬢であり、冒険者ギルドの内外に限らず自然と敵をつくるような発言をするが、ルマカーチなら仕方ないという諦めにも似た感情で、だいたいのトラブルは片付いてしまう。両手の指を飾る指輪、ブレスレット、ネックレス、髪飾りに至るまで全身に希少なマジックアイテムを身に着けており、総額は冒険者百人が生涯で稼ぐ額に相当するとも言われ、『歩く宮殿』の異名で知られる。ソロでの魔獣討伐の経験もあることから冒険者ギルド内での信頼も厚いのだろう。
「ルマカーチです。皆さんのお力をお借りしたいです、よろしくね。」
澄んだよく通る声で、そう告げた。
数日後。
討伐隊は、密林の入り口に立っていた。朝靄が濃く、湿った土の匂いが鼻を突く。鳥の鳴き声さえどこか不気味に響き、誰もが無言で武器を確かめた。
「これだけの人数で動くの、久々だな」
ナカムラがつぶやく。
「心強いけど……見えない相手なんですよねぇ」
コリーはボウガンを握る手を強めた。
「私、見えない獲物、やれる。音、よく聞こえる」
リンは、聴覚がいいらしく、音で聞き分けられるらしい。
「見えねえ敵ってのは、どうにも性に合わねえ」
ゴルドは鼻を鳴らした。
隊は縦列を組み、慎重に森へと足を踏み入れた。
密林は湿気に満ち、葉が擦れ合う音さえ異様に大きく響いた。
先頭を行く密林の知識に長けているリンが誘導、続いて隊長のルマカーチは剣の柄へ手をかけ、周囲を警戒しながら歩く。その後ろにゴルドとイザベラ、さらにナカムラとコリーが続き、殿をカイルとミナが守る形だった。
途中、鳥の群れが一斉に飛び立ち、全員の心臓が跳ね上がる。
「……ただの鳥か」
「今は何でも怖く感じるわね」
イザベラが冗談めかして言ったが、誰も笑えなかった。
数時間の調査で、いくつか不穏な痕跡が見つかった。
折れた枝、地面に残る深い爪痕、そして……血の跡。
「これは……」
あとで使うかもしれないと小枝を拾いながら歩いていたナカムラが痕跡を見つける。
乾きかけていたが、人の血に違いなかった。
ルマカーチが血の跡を見ながらつぶやく。
「ここで襲われたみたいね」
全員の緊張が増す。森の奥から、風に紛れて何かが走る音がした。
「全員、止まって!」
ルマカーチが手を上げる。
全員が耳を澄ます。ざわ……ざわ……。上か、左右か、前か――。音の方向がまったく掴めない。
「まさか、もう……」コリーが息を呑む。
次の瞬間、頭上の枝葉が揺れた。姿はまだ見えない。
リンが、声をあげ、丸盾を携えた腕を伸ばして、指さす。
「あそこ!木の上!」
ほんの一瞬、光の加減だろう、巨木に大きな獣のようなシルエットが見え隠れした。
「いたぞ!」イザベラが叫んだ。
全員が武器を構える。
だが、影はすぐに茂みに隠れるように消え、音もなくなる。
ただ、圧倒的な気配だけが周囲に残り、森の空気を張り詰めさせる。
「メイサイドラで間違いないわ、全員警戒を怠らないで!」
ルマカーチの声が、周囲に響いた。
魔獣との一戦が、今まさに始まろうとしていた。




