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蛇神の聖域【19】逆襲の孫悟空

挿絵(By みてみん)

イラスト:ハヌマン悟空の逆襲



********************************************



「すっかり夜が明けちまったな。結局今日も徹夜かよ・・・流石に3日連続はキツいぜ!」


 把倶羅は目の下に少しクマを作って、昇りはじめた太陽に向かい目を細めた。周囲に漂う焼けた樹木などの臭いがなければ少しは感動できる朝焼けではあるが、今の把倶羅にそんな余裕はない。なぜなら、横でチャチャを入れる姉貴がとにかく本当にウザいのだ。


 理由も言わずに、突然反応炉の設定を変えると言い出し、あれやこれや注文をつけて面倒くさい事をやらせた上、遅いだの早くしろだのと囃し立てる。なぜそこまで細かく拘るのか知らないが、出力を上げろだの、もう少しセンサーに余裕を持たせろだのと、めちゃめちゃに注文が細かい。


「こんないじって大丈夫なのかよ!」と言えば、当然大丈夫に決まってるわ!と自信満々に答えるので仕方なしに従ってはいるが、作動実験も無しに本番に挑まなくてはならない自分の立場を少しは考えて欲しいと真剣に思うのであった。


 そんなこんなしている間に日が昇り、10分程度で直せるはずの作業が一時間以上掛かってしまった。今から悟空を探しに行くにしても、更に時間が掛かれば奴を回復させてしまうのではないか気が気でならない。


しかし、思いの他すんなりと見つかり、フェイクや罠の仕掛けが無いことも確認して拍子抜けだった。


「見つけたぜ、孫悟空! まさかこんな近くに居るとは思わなかった。かなり限界みたいだな? それとも諦めて覚悟を決めたか?」


 思ったより修理に手間取ったので相当遠くまで逃げたと思っていたのに、歩いたとしても30分に満たない距離に居て、しかも、そこから移動した形跡もない孫悟空を、把倶羅は馬鹿にしたような目で上空から見下ろていた。


 姉の阿美羅は用心深く周りを警戒しているが、周囲に生命反応がない事は確認済みだ。悟空はこちらが接近しても目を閉じたまま動こうとしない。魂破珠の残骸を集めて首に掛け、少しうつ向き加減に下を向いて胡座をかいて座っている。傷付いた左目は治療した様子もなく、血が止まる気配もない事からかなりの深手である事は間違いなかった。


「なんだお前、傷も治せんのか?」


 把倶羅は馬鹿にしたようにケタケタと笑った。だが、悟空は座したまま動く気配はない。


―――挑発には乗って来ないな。姉貴の予知が届かぬような奴だから一応は用心したが、買いかぶり過ぎか? だが、先ほどの奴は尋常ではなかった。神としての存在力など無きに等しい状態であの動きが出来るという事は、単なる身体能力であのレベルという事だ。


 肉体的基本スペックが目茶苦茶に高いのか? 神力も無しであそこまで動けるとは考え難いが、でも実際に動いてた。奴は普通の猿神(ハヌマン)どもとは違う。この世界の基準で考えない方がいいかも知れんな・・・



「治せねぇんじゃねぇ。治さねぇんだ」


 そんなことを思って警戒心を強めた時、悟空が唐突に口を開いた。上目使いで把倶羅を睨みつけ、右の眼光が鋭く光る。


 その時、


―――な、なんだこりゃ?


 悟空の体に覇気が宿り、逃げる以前とはまるで別神のような威圧的神気が大きく膨れ上がる。


―――バカな!? この短時間でどうやってこれだけの神気を集めた!?


 悟空が腑抜けた分身を置いて逃げた時からまだ2時間と経っていない。体力の回復とは違い、神気を溜めるのにはかなりの時間が必要だ。兵糧丸のように神気に代わるモノを摂取できれば話は別だが、周囲に生命反応もない事から霊獣などを捕まえて食べたとも考え辛いし、かと言って自然に回復するには異常過ぎる早さだ。


「やっぱりとんでもないよ。神気の回復ってのは短時間で出来るようなものじゃない。全く理解不能だ」


 それでも把倶羅には遠く及ばないが、侮るつもりはなかった。この孫悟空という男は、圧倒的な力の差があったタケミカヅチから、首に下げた勾玉の首飾りを奪ってみせるという離れ業を見せている。どれほど回復しているのか分からないが、ほんの少しの油断が命取りになるかも知れないのだ。


「用心に越した事はないからな。少し遠いが、やっぱりここからやらせて貰う」


 把倶羅は予め発動させておいた小瓶の蓋を開け、その口先を悟空に向けようとした。


「やはり、そう来たな」


 座った状態で放った声が届くよりも早く、悟空は驚くべき速度で把倶羅の前に移動していた。まるで瞬間移動だ。


 移動と同時に投げた黒い物体が、本体より遅れて把倶羅の視界を塞ぐ。それを払い除けた腕の下を一閃の光が通過した。ズドン!と脇腹に強い衝撃を受けた把倶羅は、驚きながらも平然と言う。


「素晴らしい動きだが、俺に物理攻撃は通用しないぜ?」


「本当にそうか?」


 静かな、しかし凍てついた氷河の如き温かみの無い声が耳に聞こえたのと同時に、ブハッ!と勢いよく煙りのような物が把倶羅の口から飛び散った。


―――な!?


 今まで体験した事のないような強烈な脱力感が把倶羅を襲い、それが今脇腹に衝撃を与えた光る物による効果だと知るのに少し時間がかかった。何かのトラブルがあった時、自動で発動するはずの思考加速が作動しない。体の状態を正確に知らせるはずの機能が正常に動かないのだ。


―――何が起こってる!?


 把倶羅の思考よりも早く悟空が動いた。

先ほど払い退けた黒い物体が、把具羅の腕の上空でクルクルと回転していたのを素早く掴んだ悟空は、それを素速く把倶羅の頭部に叩きつけた。


 パンと乾いた音を立てて、把倶羅の頭部が風船が弾けた時のように四散した。血は出ない。はじめから中身などないのだ。辛うじて残った下顎の辺りに霞のような物体がフヨフヨと漂っていた。そして、体へと移動しようとしていたところを悟空は手にした黒いモノを横凪ぎに払い、難なく散らしてしまった。


 霞のようなものは、実はこの世界での把倶羅だった。肉体を持たない彼は、依代がなければ存在し続ける事が出来ない。大きな水槽の中に色のついた水を一滴落としてみると、あっという間に広がって消えてしまうように、個性を維持する為の入れ物が必要だった。なければ、世界の意思に溶け込んで個体としての思考ができない。それですぐ死ぬわけではないが、個別に意思が持てなければ死んだと同じである。


―――我ながらなんて散漫な動きだ! 早く動けない。それに何故だ? なぜダメージを負った?


 把倶羅は油断していた訳ではない。

存在定義を書き換え、本体を任意のモノと置き換える賢能『威摩呪視(イマジュシ)』を使い、奇襲への備えも万全だった。ただ、手にした小瓶は存在の定義を既に書き換えてあり、存在量の圧縮がしてある状態なのでそれ以上は手を加わえられない。操作する為には同じ存在定義の上に身を置く必要があり、依代の体は小瓶と同じ存在状態に固定していた。


 3分の1以下では賢能が使えないので、本体とする3分1を地面に映る影に置き、残る3分の1でデコイを多数準備して単純な命令を実行できる最低限の意思を移していた。しかし、悟空はあちこちで存在を主調するデコイには見向きもせず、一直線に依代を攻撃して来た。依代の方は幻影っぽくカモフラージュしてあったに関わらずだ。


―――まさか、小瓶の正体に気づいて?


 そうではなかった。悟空は逃げる寸前に見た把倶羅の行動から、この小瓶を使って何かをする事が、簡単に殺せるはずの自分を殺さない理由だと察したのだ。それに、この小瓶が見掛け通りのモノでない事も何となく気づいていた。質量の割に存在感がありすぎる。手に握り込めば消えてしまう程の大きさなのに、その存在感は大きな屋敷程にあったのだ。


 把倶羅はこの時、孫悟空が瓶の正体に気づいて次で狙って来ると思った。反応炉の口元にある術式は既に作動中だ。今からでは止める事は出来ない。それに、この上に何か術を乗せたら反応炉が壊れる可能性がある。


「くそ!」


 接近され過ぎたうえ、瓶を持つ腕の肘を脇に抱えられて口元を悟空に向ける事が出来ない。距離を取ろうにも脇腹に刺さったモノが把倶羅の神気を乱し、思うように術が使えないのだ。影から存在力を依代人形に移して、一気に力を開放したときの神圧で悟空を引き剥がそうとも考えたが、なぜだか存在力の移動が上手く出来ない。


 それに、この黒く細長いモノ。

どうやら鉱物のようだが、その辺に転がっていた鈍器を投げたのではない事は明白だ。それは神霊気を帯びていた。明らかに何らかの神器だ。だが、そんなモノをどこから持ち出したのか? 先程まで武器になるようなものなど携帯していなかった。


「把倶羅ぁぁ!」


 姉の阿美羅が叫ぶ。

その時、「ズカァァン!」と音を立て地面が爆裂(はぜ)た。そこは把倶羅が本体を置いた影があった場所だ。そこにその黒く細長いものが音速で投げ落とされた。


「「「ぐあぁぁ―――!!」」」


 把倶羅の存在の一部を移した幻影のデコイや、何もない気配だけの場所から一斉に声が漏れる。


―――あり得ないだろ! 何で本体の場所が分かるんだ!?


 黒く細長モノ、それは鞘だった。

そして把倶羅の脇腹に深々と刺さる光るモノの正体は、悟空が一度だけ抜いて見せた名も無き超神剣だったのだ。


 超神剣の放つ波動が把倶羅の賢能を乱し、受け流せるはずの物理ダメージはダイレクトに本体へと伝わった。鞘に籠められた神霊気が把倶羅の思想神としての体を破壊する。


「数珠を返さねぇなら、このまま殺す!」


 悟空は手に握り締めた柄に更に力を込めた。


 あの時、悟空を呼んだ不思議な気配。

 それは、この超神剣の声だったのだ!


 他の何かに力を求めた事のなかった悟空は、今まで刀の声を聞く事が出来なかった。だが、刀はずっと呼び続けていた。悟空から神霊力を与えられて進化したその剣は、武器としての役目を果たせる時が来るのをずっと待っていた。育ての親同然である悟空の手に握られ、共に闘える時をずっと待ちわびていたのだ。


 存在の力を持つ刀には意思がある。

護神刀レベルになれば尚更だ。そして、この刀はその頂点である超神剣。莫大な存在の力を持ちながら意思を持たぬなどという事は有り得なかった。


 孫悟空の求めに剣は応えた。

手にされた時、自分の能力とその使い方を伝えた。

悟空が急速に神力を回復させる事が出来たのは、この超神剣の賢能のおかげだ。


 精神を同化させ、使い手とひとつとなる事で武器は手足同然となる。使い手の意思を汲みサポートしながら、場合によっては自身の存在力を分け与える。


 タケミカヅチの持つ超神剣カヅチに賢能があるように、この名も無き超神剣にも賢能があった。それは親とした悟空の思想が大きく作用して開化した力。スタミナ強化と基礎となる肉体の全ステータスを猛烈に底上げする総合肉体強化(トータルブースト)だ。


 たとえ神気を回復したとしても、現在の悟空の状態では絶対に届くはずもない把倶羅に一手報いたその力は、超神剣の賢能を発動していたからだった。そしてこの剣の賢能には更に上の段階がある。


「んなもん返す訳ねぇだろ! その程度で勝てる気でいるとはお笑い草だぜ!」


 把倶羅は虚勢を張ってみせるが、悟空には見え見えだった。


「そうか・・・残念だ」


「俺は思想神だ! キサマなんかに殺られる訳が―――」


 把倶羅の言葉を悟空の覇気が塗り潰す。手加減はなかった。


「剣覇開放! 消えて無くなれ!」


 光に包まれる悟空と把倶羅。

超神剣は主人の命に従い、その力を開放すると77の7乗という圧倒的存在の力を破壊力に変換して把倶羅の依代を四散させ、連結する力の道筋をたどり鞘に縫い止めた本体はもちろん、デコイを含めたこの空間内に存在する全ての把倶羅を完全に消滅させてしまった。


 仕事を終えた鞘はシュルシュルと回転しながら悟空の手元に戻り、それを受け取った悟空は超神剣をゆっくりとした動作で鞘に納める。


 把倶羅の体であった依代人形は、残骸を地面に落とすとサラサラと崩れて塵となり消えて行く。目を見開き口をおさえたまま声も出せずに震える姉の阿美羅に、剣を納めた悟空はゆっくりと向き直ると冷たき刃のごとき隻眼を向けた。


「弟のようになりたくなければ数珠を返せ」


「よ、よくも把倶羅を・・・私の弟を・・・」


「お前ぇたちはやり過ぎた。この世界で勝手は許さねぇ」


「私を・・・殺すの?」


「殺りたくはねぇ。しかし、優しいだけじゃ世界は守れねぇんだ。オラは生涯この痛みと罪を背負い、役目を全うする。妻と子供たちに誓ったんだ」


 悟空はタケミカヅチによって貫かれた左目を右手で触れながら、いまだ血を流し続ける傷口をなぞった。超神剣カヅチに与えられた傷は深く、悟空の視覚神経を霊的に完全破壊している。眼球を元通り治したとしても視力が戻る事はないだろう。


「女は・・・斬らない?」


「ああ、出来ればな。オラにその選択をさせるな」


 悟空の言葉を聞くと阿美羅はクククと笑いだした。


「へぇ、そうなんだ・・・

それは私が女だから? 大した事は出来ないだろうし、いつでも殺せるからって思ってナメてるのかしら?」


 怯えた態度が一変し、大きく目を見開きながら口元をつり上げて阿美羅が笑う。右手の掌をいっぱいに拡げ、それを悟空に向けてゆっくりと上げて行く。掌の中に神力が集束され、術が発動する気配が感じられた。


「よせ。術の発動よりオラの方が速い。効果が現れる前にお前ぇは死んでいるぞ」


 何らかの攻撃術式が発動したらすぐに反応できるように、悟空は阿美羅の掌に意識を集中させた。


―――何をする気だ? 全く殺気がしねぇが・・・


 微妙な違和感を感じながら、阿美羅の動きを注視する。


「そんな甘チョロい事を言ってるから、お前は負けちまうんだぜ?」


 突然、何の気配もなかった背後に殺したはずの把倶羅の声がした。驚いて振り向いた先には、瓶を持った手首だけが浮かんでいた。その口先は既に悟空の方を向いている。


「な!?」


奈落開門(オープンアビス)


 途端、とてつもない重力変動が悟空を襲った。天と地が逆転し、無茶苦茶に回転しながら渦に巻き込まれたかのように方向感覚をかき乱す。悟空はどちらが上でどちらが下かは勿論、自分がどこを向いているのかも感知不能な状態に陥った。


―――姉もろとも吸い込む気か!?


 乱される感覚の中で、側にいたはずの把倶羅の姉の姿を探す。そして―――不規則に廻り続ける視界の中で見つけた彼女は、右手を前につき出した状態で術を発動し、冷たい笑みを浮かべ悟空を眺めていた。


―――攻撃の為の術じゃない!?


 悟空は何も出来なかった。

方向感覚だけでなく、急速に神力が奪われて行き体の自由が効かない。強烈な脱力感が襲いグルグルと回る悟空に対し、阿美羅は宙に浮かんだまま全く微動だにしていなかった。


―――道理で殺気がしねぇ訳だ・・・

全て計算ずくだとしたら、とんでもねぇ策士だぜ・・・


 その思考を最後に悟空は消えた。


 続いて現れた蓋がポンと音をたてて閉まり、重力変動が止まる。大地に刻まれた渦を巻くような深い爪痕が、その吸引力がどれほど強大であったかを物語っていた。物質として存在を残していた物のほとんどが跡形もなく消え去り、岩などはもちろん、半径1㌔四方に形あるモノの姿はどこにもなかった。


 自身を現地点に固定する為に発動した術を解除した阿美羅は、瓶を持ったまま浮かんでいる手首の所へゆっくりと移動した。


「どお? 偉大な姉の言う通りにしておいて正解だったでしょう?」


 阿美羅は瓶を回収すると、口を大きく開けてその手首をゴクンと呑み込んでしまった。


「ああ。この目で見たのに信じられないぜ。本当にこの俺が殺られちまうとは・・・これが成功して本当に良かった・・・」


 把倶羅の声が阿美羅の口から流れる。

これはいったいどういう事なのか? この空間内には阿美羅ひとりの気配しかなく、把倶羅の存在は何処にもない。


「でもナンだな? 共有ってのがこんな感じだとは知らなかった。思考が圧迫されて息苦しくて死にそうだ」


「贅沢が言える立場? 何なら今すぐ追い出してもいいんだけど?」


「いや、いや。今は勘弁してくれ。マジで死んじまう」


 まるで某大御所作品のマジ○ガーZに出て来る悪役幹部のように、ひとつの体から二種類の声を出して会話する阿美羅。その内容からは、どうやら死んだと思われた把倶羅は姉の中で生きているらしい。だが、あの瞬間にどうしてそれが出来たのだろうか?把倶羅は超神剣の覇気で賢能が使えない状態であったはずだ。



 少し時間を戻そう。


 反応炉に対象を吸引する為の術式が作動しなかった原因が分かり、プログラムの修正と一部解体してしまったハードウェアの復旧を行った把倶羅は、5分程で作業を終了させると倍の時間を掛けて入念なチェックを行った。


 実際はもっと時間が掛かっているのだが、思想神の賢能を使い時間圧縮をした結果だ。ただ、現象の書き換えがしてある反応炉に対し極度な時間圧縮を行うと新たな故障の原因に成りかねないので、時間への干渉は最低限に抑えられていた。


「直ったぜ。作動テストができないのは少し不安だが、たぶんもう大丈夫だ。設定はシュミレーターと同じだし、プログラムの方も確認したから次は当然のように当然動く」


 横に立つ姉を見上げてそう言うと、ヨッコラしょと立ち上がった把倶羅は直した反応炉をクルクルと指先で回してみせた。しかし姉の様子が変だ。いつもなら「グズね。もう少しくらい早く直せないの?」とか「口真似するな!」とか嫌味のひとつでも言いそうな姉が、全く反応しない。


「姉貴?―――おい、大丈夫か? 体調が悪いなら俺ひとりで行って来るが?」


 ぼーっとしてるから半分寝てるのかとも思ったが、夜明け前の東の空を眺めながら感傷に浸っているようにも見える。


「あ? いえ、大丈夫。私は見てただけだし疲れてないわ」


「けど、様子がおかしかったぜ? 心ここに在らずって感じだった。立ったまま寝てるのかと思ったくらいだ」


「そう・・・」


「本当にどうしたんだよ?」


「思い出してしまったの。あの日の事を」


「あの日の事?」


「兄様の研究所(ラボ)で起こった事故の前日の事。

私は久しぶりに実家に戻った兄としばらく話をした。ほとんど家に帰らず、会う機会も滅多にないほど忙しい兄様が、あの日は珍しく私をお茶に誘い近くのカフェで楽しいお喋りをしてくれた」


「ああ、覚えてる。留守のときに姉貴だけ兄貴とお茶したって聞いて俺がスネたら、次の日の午後なら遊びに来ていいって言ってくれてさ。俺は嬉しくなって部屋中を走り回り、母さんに怒られた記憶がある」


 把倶羅もその時の事を思い出し、少し遠い目をした。


「カフェで分かれた時、兄様の後ろ姿がそのまま消えてしまいそうな気がした。もう二度と兄様に逢えないような気がして、不安で涙がこぼれた。次の日に事故が起きて、兄様とは本当にそれが最後になってしまった」


「なぜ、その話を? 予知でも見えたのか?」


「いえ。太陽が昇らなくては次の『未来視』は出来ないわ。だけど嫌な予感がするの。このまま悟空を探しに行くとあなたに良くない事が起きるような気がしてならない。あの時、兄様に対し感じたのと同じものをあなたから感じるのよ」


「よしてくれ、縁起でもねぇ。姉貴は『未来視』が外れて必要以上に過敏になってるんだ。今の孫悟空が俺を殺すとでも言いたいのか? どう考えても不可能だろ? 万にひとつの可能性も無いよ。 それよりも、あまり遅くなると孫悟空の奴が『過去見』の発動領域から外れる可能性がある。何をしでかすか分からない奴だから、殺さずに封印た方がいいと言い出したのは姉貴だぜ? 忘れたのか?」


「忘れてないわよ。下手に殺して転生でもされたら厄介だからね。力を失なっている今の内に捕まえて封印しておかないと、後々の火種になるかも知れないの」


「反応炉の修理は終った。夜明けまでにはまだ20分以上ある。不安だから『未来視』の使用回数がリセットされる夜明けを待って、未来を確めてから悟空を探そうってなら賛成できないぜ? 奴なら20分もあればかなり遠くまで逃げる事が出来る。圏外に出たら捜索不可能になるかも知れないんだ」


 兄との昔ばなしを持ち出し、『未来視』が出来る時間まで捜索を引き延ばそうとする姉に把倶羅は真っ向から対立した。彼の中の孫悟空はもはや敵ではなく、無駄に時間を浪費して取り逃がす事の方がよほどリスクが高いと判断したからだ。


 孫悟空に対しては一度予知が外れている。確かに未来を確めてから行動すれば確実かも知れないが、その必要性は全く感じなかった。姉の心配性には困ったもんだと把倶羅は少し呆れた表情をする。


 しかし、計画実行の主導権は自分にあると主張する阿美羅により、結局は『未来視』が出来る朝になるのを待つ事になった。意見の違うふたりの雰囲気が悪くなったのは言うまでもない。


 20分後、東の空が明るくなり朝になった。

そして阿美羅は、孫悟空と弟がどのような闘いをするのかを予見した。そこには分岐点があり、どちらの道を選ぶかで大きく未来が変わる映像が写し出されていた。


 分岐点がある事は珍しい事ではない。大概の場合はどちらを選ぼうと大差ない未来が待っている事がほとんどだ。だが今回は違っていた。生きるか死ぬかの大きな分かれ道が示されていた。


 死ぬ方を選ぶ者など誰もいない。

運命の分岐に影響する存在が『未来視』をした本人であった為に、生きる方を選択した途端に未来が変化した。次々に現れる分岐に選択の意思をぶつけると未来が固定しはじめた。


 毎回この選択による未来の改竄(かいざん)が出来る訳ではない。それにコレには、大きなリスクと約束事があった。


 ひとつは、改竄した未来を口にしてはいけないという事。口にすれば効果がリセットされてしまう。


 そしてリスクであるが、改竄一回につき何かひとつ賢能を失なう。3日後に高熱が出て、下がった頃には賢能が消えている。どの賢能が無くなるか分からないが、どうやら古いモノから順番に消えて行く傾向にあるようだ。


 阿美羅は今回、4回の改竄を行った。

改竄の内容は口にできないので、とにかく文句言わないで言う通りにしろと強引に弟を従わせた。弟だからブツブツ文句を言いながらも従ってくれたが、タケミカヅチだったらこうは行かない。予知の対象が弟であって本当に良かったと阿美羅は思った。


 阿美羅は先ず、反応炉の設定を変えさせた。

吸引力を80%上げ、セットした対象でなくても作動するようセンサーの感度を下げた。そしてはじめて使う機能、オートタイマーを新たに設定した。何時何分何秒に何処に向け、どの角度で作動するかを把倶羅の音声付きでセットしたのだ。悟空が驚いて振り向いた時の把倶羅の声は録音された声である。


 そしてこれが一番肝心なところだが、把倶羅を五分割してコアを預かり、そのコアは思考停止して体内時間を凍結し、更に閉鎖空間にとじ込もって、この三神界とのチャンネルを完全に遮断するように言ったのだ。これには流石の把倶羅も抵抗し、理由を説明しろと食い下がった。要するに心臓を渡して冬眠しろと言われたのだ。


 自分を守れと言っておきながら、一番大切なコアは姉が体内に隠し、悟空の攻撃の対象外になるように行動すると言う。把倶羅にはそこまでする理由が分からない。普通の方法で思想神は殺せないし、どれほど予想外の事が起きても今の孫悟空に自分を殺せる手段はないと確信していたからだ。把倶羅は戦士としての自分を完全否定されたように感じ、プライドを大きく傷付けられた。


 孫悟空という未知の可能性を持つ爆弾に対し、姉はシェルターとなり身を曝し、弟の把倶羅には身を潜め隠れていろと言う。とてもじゃないが受け入れられた話ではなかった。


 当然のように把倶羅は抗議した。

馬鹿にするなと怒り、誰が言う事を聞くものか!と姉を怒鳴った。当然言い返してくると思った姉は、目を伏せ下を向き涙を落とした。


 把倶羅は驚いた。あの姉が泣いたのだ。

ポロポロと涙を流し、お願いだから従って欲しいと頭を下げた。その姉の様子に、何かとんでもない予想外の事が起き、自分に特別な不幸が起こるのだと察した把倶羅は、理由を説明しない阿美羅の指示に何も聞かずに従う事にした。


 コアを渡し、残る自分は何をしたら良いのかと訊ねると、阿美羅は弟の右手に式を仕込んだ。瓶を握る方の手だ。その式は兄が『闇の深淵』に呑まれた時に発動させ、正常な部分を汚染された体から引き離した時に使ったものと酷似していた。関連性のある存在の全てをブロックし、独立させる為の隔壁のようなモノだ。そうして、厚み1㌢程のリング状の式が手首に掛けられた。


そしてその後は、あなたの経験を生かし、孫悟空を殺すつもりで攻撃なさい。と言っただけで特別な作戦も何もなかった。


「本当に作戦はそれだけか? 特別な未来を見たんだろ? あれこれ細かい注文つけたのも全てその予知に従っているんだよな?」


 最後には緻密な作戦指示があるとばかり思っていたので、肩透かしを食らったように面食らった顔をして把倶羅は言った。


「仕込みは全て終了よ。これが最善のルートなの」


「最善のルート?」


「最初に言った通り、今回の予知についての説明は出来ない。すれば全てが水の泡になるから」


「分かった、分かった。だから偉大な姉を信用しろと言いたいんだろ? あんな涙まで見せられたら、流石に従うしかないだろう。姉貴の事は信頼してるし、計画がここまで順調に進んだのは『未来視』の賢能のおかげだ。いつもみたいな説明がなくても指示には従うよ」


「ええ、そうしてちょうだい。今から悟空を探しに行ってもそれほど時間は掛からないはずよ」


「もう何も聞かないよ。後は思いっきりやるだけだ。殺しゃしないが殺すつもりでやる」


 そうして阿美羅と把倶羅の姉弟は、悟空を探しに向かい、阿美羅の改竄した未来通りの結果を手に入れたのだった。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



時間は、悟空が小瓶に吸い込まれ消えた後に戻る。


「姉貴よう。俺の依代は無くなっちまった訳だし、コアしかないから賢能も使えない。俺はこれからどうしたらいいんだ?」


「そうねぇ。この後の事は私も考えてなかったわ。どうしようか?」


「マジか?そりゃマズイだろ! この状態じゃ、俺は長くはもたない。せいぜい6日、いや5日で姉貴と同化して消えちまう。姉貴に喰われて死にたくねぇよ!」


 把倶羅の様子を楽しむように「そうねぇ~。困ったわねぇ~」などと言っていた阿美羅だったが、流石に可哀想になってそれ以上の意地悪はやめにした。


「うそ、うそ。ちゃんと考えてあるわよ。依代となる物を今から作っていても間に合わないから、長男の阿修羅を入れ物にするといいわ。ただの傀儡人形だから不十分ではあるけど、少しの間なら使えない事もない。徐々に強化して行けば、元の依代と変わらないくらいのモノになるはずよ?」


阿修羅(アシュラ)を? じゃあ把倶羅はどうなるんだ?」


「櫛名田の把倶羅は戦死という事でいいんじゃない? 三貴神タケミカヅチを守って、突然現れた地獄門(ゲヘナゲート)を閉じる為に自らの神力を犠牲に三神界を救ったって事にすれば、その美談に皆が涙すると思うわ」


「えええっ、死んだ事にしちゃうの?」


「名誉の戦死よ。三階級特進は間違いないし、国葬で送ってくれるかも知れない。櫛名田の家名も上がるし、良いことずくめじゃないの。何か問題がある?」


「そりゃあるだろ! 俺が姉貴の子どもになっちまうじゃないか!」


「あら。今までだって子どもみたいに手が掛かる弟だったんだし、子どもになったところで私としては何も変わらないけれど?」


「ひでぇ。それはあまりにもひでぇ!流石の俺も泣きたくなるぜ!」


「それに、阿修羅となる方があなたにも得になるのよ? 三貴神の直系神として高天ヶ原の継承権を手にできるのだから。現時点ではアマテラス様や月詠には子どもが居ないから、ある意味凄いチャンスだわ。正にタナボタじゃない?」


「言われてみれば確かにそうだけどよ・・・阿修羅は今何歳って事になってるんだ?」


「今年で12よ。あと4年もしたら元服出来るわ」


「また、ガキンチョに逆戻りか。タケミカヅチを父と呼ぶのはかなり抵抗があるなぁ〜」


 そんな会話をしている間に、阿美羅は回復処置を行っているタケミカヅチのところまで来ていた。神力はフル回復し、みなぎるエネルギーの放出で周囲は光に包まれ、草木が成長速度を早めていた。回復術式を書き込んだ大地以外は成長した樹木や蔦などに覆われて、密集した深林のごとき様相になっている。


「あら、あら。凄い事になってるわね。流石は世界に愛される三貴神。その影響力は半端ないわ」


「孫悟空はどうする? 超神剣を持ったままだが放置しておいても大丈夫か?」


「設計上は大丈夫だと思うけど、心配なら反応炉を起動させてエネルギーを抽出してみるといいわ。炉の中では神気の回復が出来ないから、抽出して空にしてしまえばただの剣でしかない。恐れる必要もないでしょう」


「確かにそうだな。回復出来てもここのコンマ2%にも満たない濃度の霊気では神気を集めるのはほとんど不可能だ。超神剣としての賢能を発動させるのは無理だろうし」


「何にしても、これで私達の最大の障害となる奴を排除できたんだから一安心ね。計画を第二段階に進めましょう。タケミカヅチの事はあなたが成長して補佐できる歳になるまでは私がやる。阿修羅は無口でおとなしいってイメージがあるんだから、あまり変な事をしては駄目よ。暫くはおとなしく勉強でもしていなさい。弥來の面倒もきちんと見るようにね」


「なんだよ。今から母親気どりか? こりゃ先が思いやられるなぁ。そう言えば雪風はどうした? ここに置いてきたのかと思っていたのに姿が見えないが」


「雪風?」


「天馬だよ。姉貴にやった馬の名前だ。良血統種でかなり高額だったんだから大切にしてもらわなきゃ困る。種馬としても稼げるんだ。掛かった費用は回収しないとな」


「意外にセコイ事を考えてるのね。お金に興味があるなんて思いもしなかったわ」


「何をするにもお金が要るんだよ。研究に必要な材料を集めるのだって大変なんだぞ? 人間を雇って集めさせたり、土地神に褒美をやって都合させたりと、いろいろ苦労してやっと研究所(ラボ)の機材を揃えたんだ。姉貴は図面書くだけだからいいが、実際に造るのは簡単じゃないんだ」


「あら。それじゃ私が楽してるような言い方ね。気分が悪いわ。あの馬なら理由もなく気絶して動かなくなったからあの場に置いてきたわ。大切な馬なら探しに行けば? 高額(たか)いんでしょ?」


「無茶苦茶言うな! 今の俺に出来るわけないだろ! コアしかないんだぜ?感知すら出来ない・・・」


「仕方ないわね。タケミカヅチを宮に戻してから探しに行ってあげるわ。と言うより、どうやって運ぼうかしら。このひと重くて全く動かない」


 二種類の声を出しながらひとりで会話する、他の者から見たらかなりヤバイ女だと写るであろう阿美羅は、タケミカヅチを運ぶ為に彼の体を起こそうとしたが全く動かず途方にくれ、結局は自然に目覚めるのを待つ事にした。


 タケミカヅチの精神は『闇の深淵』との接触で肉体以上の深刻なダメージを負っており、思想樹による自然治癒で回復させる以外に方法はなかった。頭に根をはる事が出来たなら少しは早く回復出来たであろうが、心臓にある思想樹が彼の精神を癒すのにはまだ時間が必要だった。


 首に掛けられた心護の聖珠も力を発していたが、タケミカヅチにはそれほどの効果を示すものではなかったらしい。後に阿修羅(把倶羅)によりタケミカヅチ用に調整されるまで、心護の聖珠は強力な精神安定剤程度の力を与える神器に過ぎなかった。およそ三神界に現存する全ての神器の中で、最も強力なご利益のあるその数珠も、正当な持ち主である孫悟空以外には力の一割も引き出す事が出来なかったのだ。


 この神器が真の力を解放させるのは、まだまだずっと先の話になる。それは、複雑に絡み合う輪廻の導きが悟空と交わり、彼を開放したのち再び高天原に立つその時まで・・・



【ご挨拶】


 新年、明けましておめでとうございます。


 一昨年は母が倒れ、昨年は父親と不幸が身の周りで連続しました。両親ともが介護が必要な体となり、自分の生活スタイルも随分と変わってしまいました。ですが、現在このように筆活動を続けられているのは、一重に読者さまのおかげだと思います。


 三年間掲載し続け20万PVを達成した処女作が運営の都合で消され、保存データが外部になかった為に一時は完結させる事を諦めかけたこの作品も、読者さまからの好意でデータを送信して貰い復活する事ができました。


 感謝を込めて全編に渡り手を加え、処女作らしく読み難い部分を修正しながら現在更新しております。三年前に書いた部分などは誤字だらけだし、重複して説明しているところや、くどい言い回しが目立ち恥ずかしいばかり。言うほど今も成長していませんが、少しでも読みやすくなっていれば幸いだと思います。


 年はじめにつき、珍しく『あとがき』を書かせていただきましたが、これからもご愛読のほど宜しくお願い申し上げます。


 最後になりましたが、皆様にとって良き一年となりますよう願いを込めて、新年のご挨拶とさせていただきます。


      《令和二年一月一日 元旦》


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