蛇神の聖域【17】それでも前を見る
「くっそぉ、キリがねぇ!
どうなってんだ、コイツら!」
はじめこそ余裕を見せていた悟空であったが、倒しても倒しても次々と現れる闇の触手の数に次第に疲れを見せはじめ、徐々にではあるが後退をはじめていた。
「タケルを抱えたままじゃ大技も出せねぇ。かと言って離せば一瞬であいつらの餌だ。このままじゃジリ貧だ。どうする? どうしたらいいんだ!?」
そのとき、悟空の足場となっていた巨大な光龍の下腹部に触手の塊が一斉に食らいつき、光龍は咆哮をあげながら体を大きく左に捩った。片腕をタケミカヅチにふさがれた状態の悟空は、バランスを崩して攻撃の手を弛めてしまった。
そこにつけ入るように大量の触手と、それに付随して現れる闇の悪鬼のような物体が一気に弾幕の薄い箇所を狙ってなだれ込む。個々に独立した意思があるとは思えないのに、その統制のとれた攻撃は悟空をヒヤリとさせ、体勢を立て直すまでに大量の神力を消費してしまった。
腹に攻撃を食らった大きな光龍は、揉んどり打ちながら闇に呑まれ、口から巨大な光を放ったのを最後に姿を消してしまった。光龍たちの司令塔であった龍を失い、統制が乱れたのをきっかけに一気に押し寄せてくる触手の群。
悟空は気を溜め込み爆発させるように解放すると、奇声をあげながら自らが光弾となって闇の深淵たる中心部に飛び込んだ。
「だぁぁりゃぁぁ!」
中心部に達した悟空は、大の字に全身を広げ、凄い量の光の弾を全方位に向けて解き放つ。世界が光に包まれる程の凄まじい光弾が次々と触手を粉砕して消して行く。
だが、
「なかなかに苦戦しているようじゃないか?何なら手伝ってやろうか?」
声がした場所に、ニヤけた面構えをした把具羅が浮かんでいた。
「戻って来やがったか! 心にもねぇ事を言いやがって、誰が信じるか!」
背後から回り込むように襲って来た触手に、オーバーヘッドキックの要領で縦回転しながら蹴りを叩き込み、粉々に四散させた悟空はそう言って把具羅を睨んだ。
「それは心外だ。俺だって本当は心苦しいんだぜ? タケミカヅチだけでも助けたいと思って、こうして危険を省みずやって来たというのに」
「嘘つけ! 安全な場所から高見の見物を決め込み、隙あらばタケルを奪おうと狙ってた事などみえみえだ!」
その時、把倶羅の背中を巨大な触手が襲い掛かる。しかし触手は、把倶羅の体を素通りして悟空の元へと伸びて来た。触手には見えていない。はじめから悟空だけを狙ったものだ。
悟空は底掌から気を放ち、その触手ごと把倶羅が浮かんでいた場所に光の刃を突き刺した。吹き飛ぶ触手の裏手から先程と同じ位置に立つ把倶羅が姿を現す。やはり幻影だった。本当の把倶羅はここには居ないようだ。
「バレバレみたいだね。俺の賢能が全く通じない相手ってのには、分かっていても腹が立つよ」
「さっさと、どっか行きやがれ! 邪魔する気ならお前ぇから先に消してやるぞ!」
「おお、怖い。かなり余裕を無くしてるねぇ〜。でも、俺達もこの世界の他に行く場所なんてないからさ。自分達でやっておいて今さらだと思うだろうけど、そいつの倒し方を教えてあげようと思うんだ。聞く気あるかい?」
「・・・・・・・・」
悟空は鬱陶しくしゃべり続ける把倶羅に険悪な視線を向けながら、襲い来る触手に対応するのに余念がない。先ほど放った全方位攻撃は一旦は『闇の深淵』を退けたように見えたが、ゲートから流れ込んでくる闇の塊が色濃くなると、また同じように触手を生み出し攻撃が止む事はなかった。
「あれれ、無視かよ? 無視しても大丈夫なのか? 困ってるんだろ? アレと闘うのは初めてみたいだし、撃退する方法が分からないんじゃないのか? 俺たちは経験者だから分かるんだが、アレはそんな力押しの闘い方じゃいつまで経っても倒せやしないぜ? 根本的に間違ってるんだよ。気付かないのか?」
「・・・・・話せ!」
「やっと聞く気になったか? いいぜ、教えてやるよ。俺は優しいからな」
「無駄口たたいてないで話すなら早く話せ! オラが力尽きたらこの中つ国は闇に呑まれて消滅するぞ」
「そこまで分かってるなら話は早い。簡単な事さ。要するに中つ国と同じ位の存在力を闇に喰わしてやればいいのさ。そうすればコレは満足して消える」
「馬鹿かお前ぇは! そんなもんが何処にある? 不可能な事を口にするな!」
悟空は苛立ちながら叫んだ。中つ国は三神界の中で最も広大な神域である。中には大小700以上の国を持ち、そこに住まう神々を含めた生命体の数は数百億は下らない。それに見合うモノが他にある訳がない。
「いや。そうでもないぞ」
「ーーー!?」
声は悟空の腕の中から聞こえた。
「タケル、お前ぇ気がついたのか?」
「ああ。お前と把倶羅が話している最中にな。随分と遠慮のない一撃を食らわしてくれたもんだ。久し振りにお前の拳を食らったが、やはり芯にズシリと響く。いいパンチだったよ、悟空」
「お前ぇまさか?」
「正気に戻ったかと言いたいのか? 正気も何も、我ははじめから狂ってなど居らぬし、自分が何をしたのかも認識していた」
タケミカヅチは悟空の腕をそっと押し返すように体を起こし、真っ直ぐに正面から孫悟空の目を見つめながらそう言った。その瞳の中に狂喜に歪んだ濁りはなく、悟空がよく知る昔のタケルと同じ深く清んだ光が宿り、そしてその瞳からは一筋の涙が頬を伝って流れ落ちた。
「すまぬ、悟空! 我は取り返しの付かぬ事をしてしまった。お前の家族を奪い、村を焼き、お前を殺す為に剣を振るった。信じて貰えぬとは思うが、それはもう一人の我がした事だ。止めようとしたが出来なかった。操られていた訳ではない。アレも確かに我であるのだ」
「その話は後だ。そんな状態じゃねぇ事は分かるだろう? 闘えタケル。お前ぇと二人でやればきっと倒せる!」
悟空は沸き上がる喜びをおさえながらそう叫んだ。タケルが帰ってきた。理由は分からないが、悟空のよく知る彼の魂が確かにそこにあった。
互いに背中を守り、死角を庇いながら触手に立ち向かう孫悟空とタケミカヅチ。それは修行の旅の中で繰り返した、自然で乱れのない息の合った動きだった。
「駄目だ。やはりキリがない」
「諦めるなタケル。諦めたらそこで終いだ」
「諦めるものか。我とて昔とは違うぞ! だが現実を見ろ。このままではいづれ二人とも力尽きる。把倶羅が言っていた事は正しいのだ。中つ国と同じ存在の力を喰わせぬ限りコレは退かぬ」
悟空は疲れており、無尽蔵とも思えたその力もタケミカヅチを奪いながらの闘いの中でかなり消耗していた。タケミカヅチが加わり一旦は優勢を取り戻したが、回復していない孫悟空と力劣るタケミカヅチではそれは長くは続かなかった。把倶羅の姿もいつの間にか消えており、タケミカヅチに加勢する様子は全くないようだ。
光龍を出せなくなった悟空は周囲を囲まれ、ふたりの超神は窮地に立たされようとしていた。
「ならどうしろと言うんだ! 中つ国の代わりになるようなもんはここにはねぇ。オラの存在力でも足らねぇんだ」
「我がいる」
「何だと?」
「代わりになる存在力がここにあると言ったのだ」
「馬鹿な事を言ってんじゃねぇ。今のオラの方が存在力は上だ。それでも足らねぇんだから、お前ぇが犠牲になってもどうしようもねぇだろう」
「単純な存在力ならば確かにそうだ。今の我はお前の半分にすら満たない。だが我は三貴神なのだ。我には世界から贈られた特別な加護がある。高天ヶ原を姉のアマテラスが、冥界を兄の月詠が、そして大地と大海を含む葦原の中つ国はこのタケミカヅチが治めよと父であるイザナギが決め、そしてその神界からの加護をその身に受けている。我の価値は中つ国と同じであり、我に生ある限りその加護と恩恵が力を貸すのだ」
「お前ぇ、何を言って・・・?」
「孫悟空。師匠であり、友である信愛なる超神よ。我の代わりにこの中つ国を治めてくれ。我はお前の家族と同胞の命を奪い、数々の神族をこの手に掛けた。なぜ咎とされぬのか分からぬが、我は罪を重ねもはや光の道を歩むには汚れすぎた。道を示すならば孫悟空、お前こそがふさわしい。超神であるなら資格も充分だろう」
「何をする気だ! まさかお前ぇ・・・」
ドウという音と共に深々と突き刺さった拳が、悟空の体をふたつに折った。不意をつかれた悟空は腹の鳩尾を押さえ、その一瞬の間にタケミカヅチは『闇の深淵』の中心部にある深く濃い塊に向かって防御の結界も無しに突っ込んで行った。
声を上げる時すら与えず、深淵に呑まれ消えるタケミカヅチ。
「バカ野郎ォォ!!」
叫びながらタケミカヅチの消えた闇に飛び込むと、悟空は全く光のない凍てつくような空間で必死に彼の姿を追い求めた。そして見付けた先に見たものは真っ黒に変色し、耳、鼻、口というあらゆる場所から存在の力を吸い取られ生気を失っていくタケミカヅチの変わり果てた姿であった。
「しっかりしろ!死ぬんじゃねぇ!」
駆け寄り抱き起こした悟空は、闇の圧力の中で必死に光の結界を張りながら、タケミカヅチに自分の神力を与え続けた。しかし彼の体に生気が戻る様子はなく、すでに心臓は停止していて、体のあちこちが壊死をはじめていた。
「くそう、どうすりゃいいんだ! このままじゃタケルが消えちまう!」
存在の消え行く様が妻や子ども達が消えて行くあの時の姿と重なり、悟空の心は激しく揺れ動いた。そして首に掛けた心護の九聖珠をタケミカヅチの首に移させたのだ。
途端パチリと目を開けたタケミカヅチは、息を吹き返したと喜びの表情を浮かべた悟空を突き飛ばし遠ざけると、そのままの動きで手にした超神剣を悟空の左目に突き立てた。
「うぐっ、な、何を!?」
状況を把握できず、左目を押さえながらタケミカヅチを見上げる悟空に再び剣が降り下ろされた。その一撃をかろうじて躱し、自らが張った結界の外へ逃げた悟空であったが、闇の深淵から伸びた無数の触手が体に絡みつき、先程のタケミカヅチと同じ様に孫悟空の存在力を急速に奪って行った。
「気でも触れたか!?」
それを追うかのように剣を構えながら迫るタケミカヅチに、悟空は叫ぶように問いかけた。
「気など触れちゃいないさ」
タケミカヅチの声で違う調子の言葉が流れる。
「流石に驚いたろ? これが思想樹の力ってやつでさぁ、取り付いた者を操る事が出来るんだ。リスクはあるけど、かなり遠くからも遠隔操作が可能なんだぜ?」
「把倶羅か! 今までのは全て演技!? オラはまた・・・また騙されたっていうのか」
唇を噛み締める悟空にひとつ残された右目が怒りに燃え、凄まじき眼光を放った。
「いや、さっきのはアイツの本心だ。普段は封じ込めてある方のもうひとりのアイツさ。奴も言っていただろ? 自分の中にもう一人の自分がいるってな」
「くっ・・・」
痛みで顔をひきつらせながら、悟空はゆっくりと触手を振り払うように立ち上がろうとするが、奪われた神力が悟空の動きを散漫にする。
「わざわざ閉じ込めていた方を表に出したのには理由があるんだ。聞きたいか? 聞きたくなくても話しちゃうんだけど、闇の深淵に喰わせて処分する為と、ある程度を残して抵抗力を付けさせる為さ。予防接種みたいなもんだって言っても分からないよな?」
ククク、と笑うタケミカヅチの体が心護珠の霊力で徐々に浄化され元の色を取り戻して行く。
「それにしても、この珠の力は本当に凄いな。流石の俺もびっくりだぜ。何でも、自ら外さない限り外れないそうだけど、お前はその賢能を知ってたか? たぶん知らないよな? それは後からいろいろ実験した時に分かるはずの事だもんな・・・まあいいや! おしゃべりはこれくらいにしてそろそろ帰るわ。あんまし時間掛けてると姉貴にどやされるし」
踵を返し立ち去ろうとする把倶羅に悟空が叫ぶ。既に体の大半を闇に汚染されながらも、噴き出すその神気は闇の中にあってなお触手の呪縛を引き剥がし、その様子は把倶羅を大いに怯えさせた。
「返せ! それはオラ大切なもんだ。返さねば殺す!」
「おお、怖い! ヤッパお前はとんでもないよ。じゃあな!」
把倶羅が操るタケミカヅチの姿がスウッと空間に溶け込むように消えた。思想樹は思想神の賢能をも遠隔して使用できるらしい。
「許さねぇ! ぜってぇ取り返してやるからな!!」
怒りを露にするに従い、闇による汚染が加速度的に全身に拡がり、皮膚を食い破り内臓に侵入した触手が体内を駆け巡るのも構わず悟空は叫んだ。何度も叫び、声が枯れ、それでも叫び、存在の力を出し切るように声を上げた。
光無き深淵の中でただひとつ、残された悟空の眼光が燃え盛る炎の如くいつまでも光を放っていた。




