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蛇神の聖域【16】変質化

 阿美羅(アビラ)は語る。彼女が、未知の領域である『スサノオ』の力に(こだわ)る理由を。


「私たち思想神は『ナマナリ』によって多くの同胞を失なった。たとえ『サタナハ』を召喚し、恐怖の対象を駆逐したとしても失なった仲間が還る訳じゃない。兄を失なった世界は依然『闇の力』への依存を続け、微妙なバランスの上に世界再構築に挑まなくてはならない。 当然だけど、『闇の力』をエネルギーとして使う以上、第二第三の『ナマナリ』が現れない保証は何処にもないの。 私はもう何も失ないたくない。それが禁断の力であれ、全てを制御できるほどの超越した力が存在するのなら、それに期待してしまうのは必然でしょう? 『サタナハ』程度では対消滅して消えてしまう。以後の脅威には対応できないの。それにね、私はあのひとを一度限りの捨て駒のように使いたくはないの」


 把倶羅(ハグラ)は姉の瞳の中に思想神のそれとは違う光を見た。それは肉体を持つモノ特有の概念であり、こちら側では情愛と呼んでいるもののように感じられた。


「それじゃまるで、奴のことを本当に愛しているように聞こえるぜ? そんな訳ないよな? 互いに相容れぬ、交わる事のない神族だ。子を作る事も出来ず、真に理解する事も出来ない。姉貴の子だって傀儡人形だろ? 家族ごっこして遊んでる内に情が移っただけだ」


 把倶羅はハハハと声を出して笑い、大袈裟に手を振り回しハムレットよろしくポーズをとる。


「私は変質化して来ているの。ここに来て『未来視』の賢能が現れた時から少しづつだけど、この世界の神々と同化しつつある。たぶん『未来視』は、この体の持ち主であったクシナダヒメの賢能だと思う。元々巫女神の資質があり、高い能力を持っていたのでしょうね。彼女の精神が今も私の中で生きていて、影響を与え続けているのかも知れない」


「何を言いたい・・・そんな事ある訳がない」


「私はこの三神界が好きなの。とても美しい大地と清んだ優しい空気。移り変わる季節とともに容姿を変える咲き誇る花々と、樹木たちの溢れんばかりの生命の息吹き。かと思えば、生きるに厳しい冬もあり、それでさえ美しい瞬間が幾つもあって心を強く刺激する。ここはとても不思議で、とても儚く、とても愛おしく感じられる稀有なる神界。八百万の神々が造り出す、絶妙なバランスの元に成り立つ芸術的世界。孫悟空が入れ込み、護ろうとする理由が私にも理解できるのよ」


「だから、何を・・・」


「私はタケミカヅチを愛している。確かにふたり目までは傀儡(くぐつ)であり、仮染めの生命を吹き込んだ人形だけど、弥來(ミライ)は違う。あの子は本当にタケミカヅチと私との間に産まれた血肉を持った子なの。あの子を宿したとき私は感じた。私の中に思想だけではない確かなカタチがあるのを感じ、涙を流す程に感動したの」


「そんな変質はあり得ない・・・嘘だよな?」


「嘘じゃないわ。当然だけど、こんなところで嘘は言わない」


 信じられぬモノを見るような目で馬上にある姉の姿を見つめる把具羅。そう言われてから改めて見れば、確かに思想神とは違う神気を放ち、相変わらず美しくあるが、其だけではない不思議な存在感を姉の阿美羅は有していた。


「じゃあ、姉貴は戻れないのか? 『ナマナリ』を倒したとしても、元の思想神界には帰れないって言うのかよ!」


「たぶんね。少しの間ならともかく、ずっと思想神界に留まるのは無理だと思う。失なった賢能は回復できるようなものではないから」


「バカな・・・・」


 把倶羅の心は揺れた。ファミリアで戦士として鍛えられ、割り切った思考が習慣となった彼の心を動揺が走り、優しい姉や父と母、尊敬する兄と過ごした幸せな時間の記憶が鮮明に蘇る。


―――姉貴は、本当の幸せを見つける事が出来たのか・・・


「なら、俺はどうしたらいい? 今まで、この世界の存続など考えて行動して来なかった。闇の眷族サタナハを召喚した後は、奴が開いたゲートを使って思想神界に戻り、『ナマナリ』を消せば全て終わると思っていた。だけど姉貴は戻れない。この三神界が滅べば行くところがなくなるんだろ?」


「なんて顔してるの? 私の事は心配しなくていいの。あなたは今まで通りに行動すればいいのよ。当然の事だけど、その後の事もちゃんと考えてあるわ。私を誰だと思っているの?」


 優しく微笑む姉の姿を眩しく感じ、こんなにも強かったのかと改めて思い知らされた。生き別れた母を見るようなそんな気さえした。


―――そうか、姉貴は母親になったんだ・・・

一度も見てないけど、昨年産まれた赤子は本物の姪っ子だったんだ・・・ 不思議な気分だぜ。こんな気持ちは俺もはじめてだ。なぜだか急に弥來の顔が見たくなって来た。この手に抱きしめ頬ずりしたい気分だ。俺に新しい家族が出来るなんて、想像もしてなかったよ・・・


「弥來はどうしてる? 今はどこにいるんだ?」


「アマテラス様のところよ。たぶん、アマノウズメがあやしていると思うわ」


「あの踊り神か? あの女も訳が分からない神だよな? イザナギとイザナミの系列神ではないって事は、俺たちと同じ渡来神なんだろ? なんでも演楽と巫女神の祖神(はじまり)だって聞いたけど、見ため無茶苦茶に若いしさ。先帝のイザナギも若い姿のままだったけど、同じ世代の同位神なんだろうか?」


「さあね。別に脅威となる神ではないから興味もないけど、子をあやす事は得意みたい。アマテラス様がああいう方だから子守りには馴れているんでしょう」


 ふたりは孫悟空が闘っている空間に注意を戻し、会話中ゆっくり流していた時の流れを元の速度に戻した。互いの思考を同じ波長で加速すれば、彼らを取巻く外界の時は緩やかに流れる。


「やはり苦戦しているようね。無尽蔵に沸き上がる『深淵』の力を相手にするには、普通に戦うのでは無理がある」


「そうだな。『深淵』の目的は持ち帰る事だ。与えてやらねば、いつまでも同じ事の繰返しだ。勢いで押し返してはいるが、押し切るには少し足らない」


「あなたが言ったように、私達が手を貸せば押し戻せるでしょうけど、開いたゲートが閉じる事はない。あれを消す為には喰わしてやるしかないのよ。でも・・・」

「兄貴がしていたように、結晶化させて力をコントロールできれば話は別だって言いたいんだろ?」


 割り込むように言った弟に少しだが不機嫌になった阿美羅は、着物の衿を直してから口を開いた。


「出来ない事は認めるわ。でも感触は掴んだ。改良の余地はあるけど、次はもっと上手くやれる。当然だけど」


「俺は予定通りに行動してもいいのか?」


「ええ、実験場の準備もしてあるわ」


「ならばやるぞ。タケミカヅチは本当に大丈夫なんだろうな? 孫悟空は、姉貴が言った通りの行動をとるんだよな? 奴を失なえば計画そのものが振り出しに戻る。今までの努力も水の泡だ」


 把倶羅はあらかじめ姉から渡されていた小瓶を懐から取り出した。中には小さな球が浮かんでいる。小瓶の赤い蓋の部分には何やら複雑な文字と幾何学模様を組み合わしたような図形が何重にも重なって刻まれていた。


「大丈夫。私の賢能を信じなさい。当然だけど、あなたに伝えた通りに事は運ぶわ。私は産後の日達が芳しくなくてあまり無理が出来ないの。正直、天馬に腰掛けていてもかなり辛い。あなたを支援できるのも2分が限界だからしくじらないようにね」


 姉の体調の事など気づきもしなかった把倶羅は、慌てて大丈夫かと質問するが、阿美羅は笑顔で弟に応え、早く行けと促した。


 時間操作の賢能で把倶羅が姿を消すと、阿美羅はグラリとよろめき天馬にしがみついた。『闇の深淵』に対し結晶化術式を使った反動で、彼女の神力は著しく低下していたのだ。


 弟の前では弱音は吐かぬよう努めて平然としてはいたが、実のところ彼女は既にいっぱいいっぱいで余力など残していなかった。それでも気力を振り絞り、不測の事態が起きた時の為にこの場を離れず弟を支援する為の術式を準備しはじめる。


 彼女の見た未来では支援などは必要なく、孫悟空も予定通りこの世界から消えるはずだが、物事に絶対などない事はよく理解している。その為の準備を怠るような失態をする阿美羅ではなかった。彼女は多くを失い、大好きな兄を『ナマナリ』に喰われ、そして、この世界に来てまさかの子どもに恵まれて予想もしなかった女性としての幸せを手にした。


 今度こそ失敗は許されない。もう何も失ないたくない。思想樹の力は、タケミカヅチの精神を『闇の深淵』から守ってくれるはずだ。強く芽吹けば、スサノオを受け入れる為に必要な強靭な心を育てて行くことだろう。


 それによって彼の性格が変わってしまったとしても、今のままでは絶対に『スサノオ』にはなれない。暗示によりかなり闇の波動に対し抵抗力をつけたが、まだまだ全く足りていない。元々この世界の神々は闇に対しの抵抗力が薄く、簡単に言えば“いい(ひと)過ぎる”のだ。


 タケミカヅチも元来とても優しい(ひと)だった。

たとえ闇に堕ちた者であろうと情を掛け、出来るなら光へと導こうと努力するようなそんな男であった。誰もに好かれ、誰もに愛され、そして全ての民を愛するような器を持った、正に三貴神としての気質を備えた未完の大器であった。


 ひと目惚れだった。

自分の願いを叶えてくれる男は彼しかいないと思った。ただ彼は、他に類を見ない程の溢れる才能を持ちながら常に劣等感を抱き、自分の力に不満を持ち続けていた。強すぎる兄と光そのもののような眩しき存在の姉を持ち、近くには孫悟空という獣神でありながらその限界を遥かに超えた奇蹟を体現したような武神がいたからだ。


 どれ程に努力し、どんなに修行を重ねようと遂に彼は孫悟空を超えたと実感できなかった。絶対に越えられぬ壁として存在し続ける孫悟空に、いつしか尊敬とは違う気持ちが芽生えたとしても当然の事だったのかも知れない。


 阿美羅は彼の心を知り、孫悟空を遠ざけるように促した。それでも、彼の孫悟空に対する想いはただの家臣としての範疇を遥かに超え、深く深く心の奥に根を降ろしていた。まるで親友であるかの如く、何があろうと揺るがぬ信頼を寄せていたのだ。


 とても危険だと思った。

孫悟空という存在は全く得体が知れない上に、阿美羅でさえ理解の及ばぬ不思議な力を秘めていた。計画に対する最も大きな障害になると阿美羅の賢能も告げていた。孫悟空は光に属する神であり、穢れを嫌い、常に正しき道を歩こうと隣に並んで手を引いて導こうとするようなお節介な神だ。


 邪魔であった。『闇の深淵』の力を手に入れる事を使命に神界を渡った阿美羅と把倶羅にとって、最も大きな障害は孫悟空だった。


 だからタケミカヅチの心に違う神格を植えつけ、孫悟空を廃除せねばならぬという強迫観念を根付かせた。『闇』に対する抵抗力を持たせるという目的は、悟空を遠ざけた事で順調に進んでいるように見える。『スサノオ』を呼び出す作り話にも食いついて、タケミカヅチは阿美羅が促さずとも自ら進んで『闇』に染まる行為をした。


 もう少しだった。もう少しのところまで来ていた。孫悟空を躊躇なくその剣で切り裂き、死の淵に追いやる事も全て予定通りだ。


 追い込まれた悟空がゲートを呼び寄せる事も分かっていたし、自分自身が手を下し、現れたゲートを開く事も『未来視』で見て知っていた。全てが順序立てて見える訳でなく、断片的影像が頭に浮かぶだけであるが、今のところ重要な部分は全てクリアしたと言っていい。


 我ながら凄い賢能であると阿美羅は思う。

思想神界では絶対に開眼する事のなかった、この世界でも巫女神だけが持つ特別な力『未来視』。この力のおかげでここまで順調に事を運ぶことができた。クシナダヒメの持つ賢能は、超一流の近未来知覚能力と朧気なる遠縁を見る事が出来る二種類の未来視を兼ね備えた能力だったのだ。



「なるほど、孫悟空を駒に使うとは考えたな」


 突然に現れた気配に、阿美羅は仰天して声をあげた。


「だれ!? 姿を表しなさい!!」


 姿は見えず、気配はあっても発生している位置も分からない。ぼんやりと全体的で、注意を凝らせば凝らすほど見失ってしまうような不思議な感覚だけが阿美羅の賢能を支配する。


「ここには少し立ち寄っただけだ。これだけレベルを下げても姿を見る事すら出来ぬとは困ったものだな」


―――まさか!? あなた様は!?


「孫悟空、あれも特異点のひとつだ。ビシュヌのお気に入りではあるが、それも良かろう。せいぜい楽しませてくれ、未熟なる思想神の娘よ」


 気配が消えた。『時』を巻き戻して自分に起こった現象を再確認しようと賢能を使ってみたが、巻き戻した時間にその存在はなかった。巻き戻しは2分程度の短い時間で、しかも起きてしまった事に対して何の干渉も出来ない『過去見』の賢能のひとつだが、何度確認しても今の存在についての情報は得られなかった。


 阿美羅は考えた。思い当たるとしたらひとつしかない。この世界にも存在するという唯一の思想神『オモイカネ』だ。アマテラスのところにはたまに姿を現すというが、何処にでもいて何処にも居らず、全てを知り全ての思想に関わりながら不干渉である孤高の存在。嘘かまことか分からないが、現在、過去、未来とあらゆる時間軸に存在し、あらゆる神界に同時存在しているという思想神の最終進化と言われる思想神の中の超越神『オモイカネ』


 大先輩というべきか、思想神の創造神クラスというべきか分からないが、とにかく凄い存在だという事だけは確かだ。その『オモイカネ』が現れ、直接に話し掛けられた?


 少し落ち着きを取り戻した頃にその重大さに気付き、阿美羅の身体はブルブルと震えて弟の事も頭から跳んでいた。あまりにも興奮し、天馬の(たてがみ)をブチブチと引きちぎりって「キャ〜!」と叫んでバシバシと馬の頭を叩きまくった。


 超ウルトラスーパースターに街角で偶然出会い、向こうから声を掛けられた追っかけ娘と同じような心境だ。


 耐えに耐え、必死に不動を続けていた天馬も流石に限界をむかかえ声を上げようとしたその時、興奮した阿美羅が首に抱きつき、凄い力で喉を締め上げて来たからたまらない。


 どこにそんな力があるのか分からないが、気道を塞がれた天馬は、薄れる意識の中で曾ての主人である把倶羅に「コイツ、マジでどーにかしてくれぇ〜」と悲鳴にも似た怨念のこもった念を送りながら生命の危機を感じていた。








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