蛇神の聖域【4】孫悟空と超神剣
神々の聖域三神界。
その最南端の深き森の外れに、ひっそりと身を隠すように集まる小さき村ハヌマトは、突然わき起こった炎にその身を焼かれていた。
燃え盛る炎は夜の闇を照らし、巻き上がる風が周囲の木々を大きく揺らす。火の粉を空へと撒き散らした熱風が屋根伝いに炎を運び、村はさながら地獄絵図のような業火に包まれていた。
20世帯程の小さな集落は、中心に位置する広場と水場である泉を残し全てが炎に焼かれていた。その大炎の中を、家族の名を叫びながら走る男の姿がある。
名を孫悟空といい、三神界にその名を轟かせた獣神ハヌマンの大英雄である。
孫悟空は、ほとんど焼け落ちて姿を変えた建物に飛び込み、火の着いた柱を掻き分け家族の姿を必死に探した。これ程の火事だというのに村人が避難した様子はなく、子供の姿も一人として見ていない。
世帯数こそ少ないが、一世帯が抱える人数は平均で30を越している。子沢山の部族であるこの村では、祖父母はもちろん、兄弟や親戚の家族までもが一つ屋根の下で暮らす大家族制を残しており、家族の結束は非常に堅い。
強き者は弱き者を助け、村人全員でいろいろな行事に当たる習慣があり、たとえ自分の子供でなかろうと、大人達が小さき子供を残して避難する事などあり得ないのだ。
子供の泣き声すら聞こえて来ない。
この異常な事態に、悟空の心はひどく動揺していた。
柱を退けながら地下室の扉へと急ぐ。しかしそこにも家族の姿は無く、入った跡すらみられない。とって返し、村の中央広場へと走る。そこには誰の気配もない事は承知しながら、それでも確かめずにはいられなかった。
「リョイ、イルミ、キッカ――っ、返事してくれ!」
12人の子供たちの中で最も小さい三つ子の名を叫びながら、悟空は炎に包まれた村を走る。3才になったばかりの我が子の顔が脳裏に浮かび、心は張り裂けそうになりながらも冷静さを失わぬよう警戒しながら。
「遅かったな、孫悟空」
背後に突然に気配がして、声の方を振り返った。
振り向き様に衝撃波が襲い来て、ふいをつかれた悟空は、防御した体勢のまま背中から中央にある泉まで吹き飛んだ。
その尋常でない勢いに水のほとんどが空へと四散し、雨となって燃え盛る村々に降り注いでいる。泉の底で立ち上がった孫悟空の姿は、オーラを纏い、既にバトルモード状態を発動させていた。
「初撃を避けおったか? 流石だな、悟空」
「貴様がやったのか? オラの家族と村人をどこに隠した!」
誰も居なかったはずの広場には、鎧姿の神の軍勢が手に槍を持ち、ズラリと一列になって泉を囲いながら悟空を見下ろしていた。中でもひときわ豪勢できらびやかな鎧を着けた武神が、中央から進み出て孫悟空に話し掛ける。
身の丈4㍍を超える巨漢。バランスの良い鍛え込まれた肉体。キリリと長い眉毛に、光輝く黄金の瞳。通る鼻筋の下で真一文字に結ばれた太い唇。誰しもが知るその容姿は、今や天界一の闘神と吟われる武尊神王タケミカヅチだった。
そのあまりにも絶大な存在力は77の7乗。
つまり、16兆048523266853である。
神の世界において、1兆を超える存在力を持つ神を最高神と呼び、10兆を超える神を超越神と呼ぶ。
最高神は超越神となった時点で、それ以上に存在力が上がる事はないが下がる事も無い。つまり、完成神となるのだ。超越神を目指す最高神にとって、どのような形で完成神となるかは非常に重要な意味を持っていた。永遠に変わらぬその数値が、超越神としてのランクを決定着けるからだ。実際に強いか弱いかではなく、単に数値で全てが決まる。そして彼は、上から3番目の超越神だった。
トップでなかった事が彼には悔しくてならない。
ほんの少しの差で、神の掟を定める最終決定権を手にする事が出来なかった。タケミカヅチの上には兄と姉が君臨し、トップは姉の天照大神だった。
「久し振りだなタケル。また随分と大きくなったじゃねぇか?あのハナタレ小僧が、まさか超越神さまになるとは思いもしなかったぞ。今は武尊神王タケミカヅチだったか?」
「口の悪さは相変わらずだな。今の我にそのような軽口をたたくのはキサマくらいだ。恐くはないのか?」
「恐い?なぜ?
オラに恐いものなんてねぇよ。 あるとすれば、自分に負け未来を諦めてしまう事だ」
その言葉を聞き、タケミカヅチはパチパチと手を叩いてみせた。讚美したのではない。馬鹿にしたのだ。
「素晴らしい生き方だ。流石はかつて俺の従者長だっただけの事はある。お前の口の悪さや説教じみた話には辟易としたが、実力だけはピカイチだった。きさま程の豪者は後にも先にも孫悟空、お前一人だけだ。どうだ? 俺のところに戻って来る気はないか? 再び従者として取り立ててやるぞ」
「そりゃどーも。お偉い超越神さまにそこまで言われりゃ嬉しい限りだが、でもお断りだ。オラはもう誰の下にもつかねぇし、従うつもりもねぇ。あの時みたいな事は二度とゴメンだ! もうオラを利用するな!」
そう言って怒りを露にした悟空など、気にもならないという様子で軽く笑うと、武尊神王は言葉を続けた。
「ははは。あの時は確かにやり過ぎた。だがそれをきっかけに我は名声を得、今の地位を得る足掛かりとなった。お前も大活躍だったではないか?目障りな連中を始末してくれたお陰で、然したる抵抗も受けずに肥沃な神域を手に入れる事が出来た。感謝しているぞ?」
「うるせぇ!! オラを騙しやがって!
あいつらは何も悪い事しちゃいなかった! 罪もない神族をこの三神界から消し去ったんだ!オラのこの手で!」
孫悟空は怒りに震える右手をグッと握り締め、悔しさに顔を歪めながらギリギリと歯を噛みしめた。泣き出しそうにも見えるその表情の内には、深き後悔の念と、償いようのない過去への苦しみが如何に大きく彼の心にのし掛かっているかを感じさせるようだった。
「気にする事はない。弱い者が滅ぶのは世の理だ。我が滅ぼさなくとも、いづれ滅んでいただろうしな。弱いやつらが悪いのだ。素直に神域を差し出せば下僕として生かしてやったものを、大した力も無いのに対等な立場での同盟を求めるとは。あのような馬鹿どもは滅んで当然!」
「―――くっ!!」
「お前のような獣神でも罪の意識に苛まれる事があるのだな?未だにあの時の事を悔やんでいたとは驚きだ。ククク・・・ 」
馬鹿にするな!と叫んだ悟空は、タケミカヅチへと跳んだ。何の予備動作もなくいきなり飛び出した彼は、高低差のある約40㍍の距離を1秒にもみたぬ一瞬でゼロにし、神袁気を纏った必殺の拳で武尊神王の顎を下から上に打ち抜いた。
しかし、相手は天界一の武神と云われる男である。挑発しておいて攻撃を予測していない訳がない。拳を打ち抜いたかと思われた瞬間、立ち姿とは違う位置から凄まじき斬撃が悟空を襲った。
変わり身や残像ではない。
存在を違う時空にづらし躱した状態で、こちらの時空に干渉して斬撃を繰り出したのだ。あらゆる時空に同時存在し、どの時空にも自由に干渉できるというタケミカヅチの力は、まさに超越神に相応しい能力だと言えよう。
タケミカヅチの放った斬撃は、攻撃を仕掛けた悟空の体を頭上から真一文字に切り裂いたように見えた。しかし刀身が当たる寸前、悟空の姿はふっと消えて刃は虚しく空を斬る。
「む?」
タケミカヅチが背後を振り返ると、そこには孫悟空の姿があった。
「どういうカラクリだ? 刀はお前を切り裂いたはずだが、それを避けて背後にまわるとは驚きだ。お前に、我と同じように多重存在を創れる能力があるとは知らなかったぞ。神霊珠でも使ったか?」
驚いたという割りには全く動じた様子も見せず、タケミカヅチは余裕の表情のままに剣を持つ右手をだらりと下げ、孫悟空を正面から見据えている。
「背後を取られたのに、構えも取らぬとは余裕だな。ひとつ教えておいてやる。勝負の最中は最後の最後まで油断しちゃなんねぇって事をな。相手の力が分からねぇ内は尚更だ」
「またそれか?聞きあきたわ。
確かにお前は、まだ若く駆け出しの頃に武術を教えてくれた師匠だった。しかしそれも、すぐに追いついたではないか?キサマに教わる事など何も無い。いい加減その上から目線での物言いはやめて貰おうか。殺すぞ?」
「オラを追い抜いた? では聞くが、オラの今の攻撃が何であったか説明できるか? オラにオメエのような馬鹿馬鹿しい程の存在力はねぇ。しかし、こと肉弾戦においては存在力だけが強さのバロメーターではない事をお前はまだ分かっちゃいない。これが見えねぇか?」
そう言って差し出した悟空の右手に握られていた物。それはタケミカヅチが首から下げていた、勾玉の霊石を重ね合わせて作られた首飾りだった。「また何をふざけた事を」と言いかけたタケミカヅチは手に握られたそれを見て目を丸くする。
「な!? いつの間に!」
「さすがに驚いたみてぇだな?」と言って、悟空は首飾りをタケミカヅチに投げて返す。
「この意味が分からねぇ訳がねぇよな? オラは今の攻撃でオメエを倒す事が出来た。単にしなかっただけだ」
勾玉の首飾りを受け取り、孫悟空を睨んだその目には先程からの余裕が消え、警戒する気配が感じられる。
「しなかっただけだと?馬鹿馬鹿しい。
出来る訳が在るまい。我は超越神なのだ。超越神を傷付ける事が出来るのは超越神のみ。お前のその貧弱な存在力では我にカスリ傷ひとつ付ける事も叶わん」
「確かにそうだ。オラの存在力ではオメエにダメージを与えるのは不可能だ。だがな」
と言って悟空は、腰帯の後ろに挟んだ小刀をタケミカヅチに見せた。その長さ50㌢に満たない小刀には柄の部分に無造作に布が巻かれ、鞘の部分に至っては、とても鞘と呼べるような物でない程にみすぼらしくボロボロの黒揚石の筒があった。
「懐かしいだろ?」
「それは?―――――まさか!」
「そうだ。これはオメエがハナタレの頃にはじめて創った霊刀。最初に供をした、あの旅の間にこさえた身分けのひとふりだ」
「そんな出来損ないをまだ持っていたのか?捨てろと言ったはずだぞ?」
出来損ないという言葉に悟空の唇が笑みの形を作る。
「確かにな。これを創った時のオメエはてんで大したことのないヒヨッ子神だった。だからこの刀も、オメエと同じで役立たずの禍神一匹倒せねえようなナマクラだったんだ。身分けのひとふりってのは、そんなもんだろ? だかな、オメエの骨から創られたこの刀は、オメエの成長に合わせ進化を続けたのさ。――――見ろ!」
悟空は小刀を両手に持ち、左手を鞘に、右手を柄にした状態で目の前にかかげた。そしてゆっくりと刀身を引き抜いて見せた。
ゴウという風と共に空間が揺らぐ。
鞘から後光にも似た眩いばかりの虹色の光が漏れ出し、巻き起こった風は背後で燃える炎を更に大きくし、夜空を赤く照らし出した。
――――なん、だと!?
「見よ!超越神のオメエと同じこの存在力を!」
光輝く虹色の刀身が鞘から抜き放たれた。
「名も与えられず打ち捨てられたあの時の刀は神剣へと進化し、その存在力は77の7乗! 16兆を超える超神剣だ!」
「超神剣だと!? バカな! そうなるにはどれ程の神霊力が必要になるのか分かっているのか? 打ち捨てた刀が偶然に進化するレベルではない!」
光輝く超神剣が、孫悟空の手の中で圧倒的存在力を解放すると、周りを囲む軍神達が「おおっ!」と声をあげてたじろぎ、後ずさる。この中で神格の低い神兵などは、その威厳の前に膝をつき恭しく頭を下げる程だった。
「霊力はオラが与え続けた。こうなると分かっていた訳じゃねぇ。ただ、捨てろと言われてもオラはオメエとの思い出のあるこの刀を捨てる事が出来ずに、ずっと持っていたんだ」
「なんと!?―――――驚いた!!
これは本当に驚いたぞ!! まさかお前が、それほどに我が好きだったとはな」
「違う!! この成長した刀を見れば、オメエがあの頃のように慈しみを持つ優しき善神に戻ってくれるかもしんねぇと思ったからだ。オラと緒神域を廻った時のオメエはこんなんじゃなかった」
悟空は、刀身を鞘に戻してタケミカヅチを見る。
「兵役を終え従者の役目から退いた後も、オラはオメエの事が気になっていた。幾つもの神域を無慈悲に奪い圧政をひくなどの悪い噂は耳に入っていたが、それでもオラはオメエを信じたかった・・・
久し振りに声を掛けられたあの時は正直嬉しかったさ。会いに行った時も門前払いを受けたし、オラの事など忘れちまったんじゃないかと思っていたからな」
悟空は、寂しげな苦しい表情のまま話を続けた。
「だけどよぉ、オメエはオラを利用しただけだった。神域を拡大する目的の邪魔になったルオの神族を滅ぼす為に、オラに嘘の情報を与え、彼らの力の源である『要の神樹』を破壊させた。それにより力を失なったルオ神は、オメエ達軍神どもに蹂躙され一夜にして滅んじまったんだ。 神樹と知らず、巨木を破壊するのに力を使い果たして眠っちまったオラは、朝に目が覚めて驚いた。あの悲惨な光景は今でも瞼に焼き付いて離れねぇんだ!」
悟空の悲痛な叫びが、火の粉を撒き散らす風に乗って消えて行く。目の前でガラガラと音を立て焼け崩れた建物は、今朝までの悟空が家族と過ごした思い出のある我が家だ。
「それは悪い事をした。だがそれも昔の話だ。その後お前が暴れた為に、いったい何人の神兵が使い物にならなくなったか知っているか?7000名を超える被害を出しておいて、お前達ハヌマン族が領地没収だけで済んだのは誰のお陰だと思っている? 兵を誰も殺さなかったのは誉めてやるが、あれはあれで我も苦労したのだ。まあ、公には戦闘時における被害だと発表したが、まさか内輪揉めだったなどとは言えんからな」
悪いなどと全く考えてい事は悟空にも分かっていた。今さら昔の事を掘り返しても、目の前の男が反省したり後悔したりなど絶対にしない事も承知の上だ。それでも悟空は、語らずにはいられなかった。話をする中で少しでも昔の面影を感じられたのなら救いもあったろうが、タケミカヅチにその様子はなく、超神剣を見せた効果も疑わしい。
なぜなら彼は、自分が孫悟空に負けるなどとは微塵も考えてもおらず、それはまた揺るぎない事実だったからだ。
「オラの家族と村の皆を返せ! 焼いた村を元に戻せば今日の事はなかった事にしてやる」
「なかった事にしてやるだと?
何も分かっておらぬようだな、孫悟空よ」
く、く、く、と笑いながらタケミカヅチは悟空を蔑み、そして見下すような視線を送る。
彼にははじめから和解する気などない。
孫悟空を殺す為に万全の準備をし、ここに来たのだ。
「それはどういう意味だ!」パチパチと音たてて燃え上がる炎が、虚しく悟空の影を揺らした。
「貴様の運命は決まっている。お前はここで死ぬのだよ」
タケミカヅチの笑い声が炎に乗り、不気味に揺らぐ空に響いていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「とりあえずはここで終いじゃ。喉が渇いたわい」
えええ――っ、とゆかりが盛大に不満の声をあげる。婆さん話が上手いな。俺ものめり込んじまったぜ!
「お婆ちゃん!こんな所でおあずけなんてひどいよ! これからアレでしょ? 孫くんとタケミカヅチがガチでバトルするんだよね? 見たいよ!聞きたいよ!話してよぉ~!」
ヤダヤダヤダ~っとだだっ子のように地面に転がり足をドタバタさせるゆかりの姿に俺も流石に恥ずかしくなり、「ちょっと、ゆかり!バカ、やめろ!」と小声で彼女を諌めながら押さえ付けた。
確かに続きは気になるが、ここで中断したのには理由があるはずだ。この婆さんが無意味な事をするとは思えないし、話して良いなら、続きを話してくれるだろう。
「この先に話しにくい何かがあるんだな?」
俺は婆さんに聞いてみた。
「ああ、この先は少々残酷な話になるからの。
猿王にとって極めてプライベートな内容じゃし、知らなくとも差し支えのない話じゃ。それにな、影像を添えて話を続けるのは結構たいへんなんじゃぞ?老人は労わらねばいかんのではないか?」
労る必要があるほどヤワではないと思うが、本人がそう言っているのを無視する訳にもいかない。
「聞いたか、ゆかり? 大婆様はお疲れだ。茶でも出せ」
「えええっ、そんなの出せないよぉ~。魔法使いじゃないんだしさぁ」などと言うゆかりに、「よい、よい。茶はこちらで用意するから気を使うな」などと婆さんは笑いながら言っている。
「嘘つけ!さっきからバンバン使ってるじゃないか」
そう言わざるを得ない。だって事実なのだ。
「そう荒立てるな。ゆかりが言うた事は正しい。この空間にはいろいろと複雑な制約があってな。持ち込んだ質量以上の物を召喚したり作ったりは出来んのじゃよ」
「え、そうなの?ゆかりは先程から、鎧や盾とかいろんな装備を召喚してたと思うが?」
そう言うと、ゆかりと婆さんは顔を見合せてからケラケラと笑い出した。なんか気分が悪い。俺は間違った事など言ってないのに馬鹿にされた気分だ。
「ごめん、ごめん、笑ったりして本当に悪かったよ」
「なんなんだよ! 何で笑ったんだ?」
俺はスネキチ君になって口を尖らせていた。納得できる答えが聞けないなら当分の間スネてやる!と大人気なく心に誓えるほど雰囲気的に楽だったせいかも知れない。ゆかりが側にいる。それだけで無条件に安心してしまう俺だった。




