湯けむり温泉郷【10】仮想現実世界(バーチャリアル)
召喚者を自国の利益の為に私的利用するのは、魔族である無しに関わらず大罪である。人類側の召喚者は勇者と呼ばれ、召喚行事における最高権威者、聖ルリアル教会の大神官の承諾なくして勇者への依頼が受け入れられる事はない。
魔族側の召喚者は男であれば『闇のアダム』、女であれば『暗黒のイヴ』と呼ばれるが、召喚後の彼らに関しての運用は魔王達の代表である大魔王が管理する事となっていた。
召喚者を許可なく連れ出したり、ましてや拉致するなど、知れた時点で国はおろか国民全てが根絶やしにされてもおかしくはない罪となる。それを分かっていて尚、計画を実行したラヴェイドの判断は暴挙としか言いようがなかったが、はじめから拉致し、ここまでするつもりではなかった。
既に夢魔王とは交婚の義を交わし、蛇王とも約束を交わしている様子があり、猿王ですら祝宴の最中に闇のアダムを連れ出している。それらの行為に対し大魔王ゾーダは全く咎めようとする様子もなく、1日経っても放置したままだった。
ならば、我が国もアダムを唆せて娘を嫁がせ、騙してでも最強の『アダム因子』を手にいれたとして何が悪い。皆が勝手な事をしているのだ。要するに早い者勝ちだろ!というのがラヴェイドの言い分であったが、それが通るほど現実は甘くない。
出し抜く筈が出し抜かれ、長い時をかけて準備していた作戦がことごとく失敗し、気付けばもう引き返せないところまで来てしまっていた。それらの状況にラヴェイドは内心かなり動揺していたが、大魔王の側近の中に潜入させた密偵からは特に気になる報告は来ていない。
もしかして猿王たち3人の魔王は、ラヴェイドの知らぬところで事前に大魔王と約束を交わしていたのか?そうなればラヴェイドのみが勝手に禁を犯した事になり、なおさら立場は絶望的だ。
――――ここまで来たら、計画がバレる前にカタをつけてしまわなければこの国の未来はない。幸いリュオンの多重防御結界は滅多な事で破られれような代物ではないようだし、アレンがアダムの姿を手に入れた後ならなんとでも誤魔化せる!
その考えを嘲笑うかのように、完璧な筈の多重結界に穴を開けながら進む敵の襲来。その正体は蛇王と夢魔王の二人だという。夢魔王だけならまだしも、蛇王ヨムルにまで出て来られてはラヴェイドに勝機はない。同じ魔王であっても蛇王と脚王では格が違いすぎるのだ。
――――それでも最後に勝つのは我らだ。タッチの差でな!
第1妃麗々の手腕はラヴェイド本人が一番よく知っている。元紅兎衆のトップだった麗々の房中術は、現在でも国内で右に出る者なき超一級品だ。その付き人である8人もレベル的には近しいものがある。その上、極上の媚薬も大量に投与してあるからには万が一の失敗も有り得ない。
既にアダムの精神は正気を失ない、今頃は子種を絞り尽くされ廃人同様と化しているだろう。妻達と合流し、転魂の術さえ発動してしまえば勝利は確定する。
そう確信して屋敷の岩風呂に戻ったラヴェイドの目前に、予想だにしなかった信じられない光景が広がっていた。それは息子ふたりにとっても同様であり、3人は硬直したまま言葉を失い立ち尽くした。
ラヴェイド最愛の王妃麗々は、夫にすら見せたことがないような情熱的で色めいた表情を異世界人の男に向け、半裸の状態で肩に寄りかかり、上気した頬を男の胸に合わせ目を閉じている。仮にこれが演技だとしたら、間違いなくオスカー主演女優賞確定まちがいないだろう。
妻や娘達に囲まれた異世界から来た男がラヴェイドに声を掛けるが、ラヴェイドの耳には届いていない。思考が入乱れ、体は硬直したまま動けない状態だった。
そんな中、いち早く冷静さを取り戻したのはリュオンだった。彼は結界の状況把握の為に神経を集中させていたので、父と兄ほどには衝撃を受けていなかったのだ。
現状把握の為に周りを見渡したリュオンは、最も心配していたアリスの姿を少し離れた岩蔭に見付けるとほっとして息を吐き、続いてシュジュと母の姿を探した。母はアリスが居た岩蔭のむこう側に全裸で倒れている数名の妃達の中にいた。どうやらアリスは母のもとに向かっている様子だ。リュオンの視線を感じると、頷いて母の無事を伝える合図を送って来た。
シュジュはアリスと共にあるとばかり思っていたのに、予想に反して闇のアダムのすぐ近くで彼を囲むように集まった集団の中にいた。しかもこちらに気付いているはずなのに振り向こうともせず、他の女性達同様アダムを見つめている。それは明らかに異常な状況であり、敵対する者に向ける視線とはかけ離れた、優しく愛情に満ちた目をしていた。
――――これはどういう事だ!?
父上がこの場を離れてから戻るまでの間に、いったい何があったというんだ?この状態はただ事ではない!シュジュのあの眼差しには信頼と愛情さえ感じる。アダムは理性を失なうどころか、不敵な笑みを浮かべ、こちらを挑発してさえ来るではないか!?
まず疑ってみたのは魔法による魅了だった。
魔法なら反魔法によって効果を相殺できる。しかし魔法陣が展開している様子もなく、魔法探知にも反応はない。そして、まさかとは思いながら妖術による幻惑や思考操作の痕跡を探ってみた。しかし、これも反応はゼロ。術や魔法を使った形跡を示す残留魔素は全く感知されなかった。
そればかりか、この異世界人は人間でありながら強い妖気をその身に内包しているのが分かった。しかもただの妖気ではない。見ただけでは分からないが、かなりの量が今すぐにでも使えるように練成されている。
――――なんだ、これは!?
妖気を纏うだけでも異常なのに、内包した妖気を濃縮圧縮して臍の辺りに溜め込んでいるみたいだ。これは妖道器官を持たぬ人間が出来るレベルじゃない!!このアダムは異常だ・・・既に戦闘態勢を整えてる!?
リュオンはこの状況にまだ気付いていないであろう父と兄に向かって大声で叫んだ。
「父上、兄上、しっかりしてください!!呆けている場合ではありません。すぐに臨戦態勢を!!」
リュオンの声に驚いたように正気に返ると、ラヴェイドは麗々の名を声高に呼んだ。
「麗々、これはどういう事だ?説明しろ!なぜ我の命令に背いた!」
「背いた?
いったい何を言っているのですか?」
麗々は怒りを含んだ夫の声に反応するのも気だるげに、アダムの胸に寄り掛かっていた顔を上げてラヴェイドを見た。その目には以前のような情は消え、愛情が冷めている事にラヴェイドは気付かない。
「我が戻るまでにアダムの遺伝子を奪い、正気を無くさせておくよう命じたはずだ!この有り様は何だ?仲良く風呂に入っておれなどと命じた覚えはない!」
ラヴェイドの剣幕に、麗々は全く動じた様子を見せない。むしろ、これくらいで怯むようでは第1妃など勤まるまい。
「あなたにはあちらで倒れたままの妃達が目に入らないのですか?それでも私達が、何もせずに風呂に入ってただ寛いでいたと言うなのでしょうか?私達はあなたの命に従い、死力を尽くして頑張りました。私もようやく動けるようになったばかりで、気だるさと疲れで全身に力が入りません」
ラヴェイドは麗々の示した岩場に伏したまま動かぬ妃達にチラリと目を向けるが、すぐに視線を麗々に戻して冷たく言い放った。
「我の気持ちを裏切りおって!この役立たず共めが!失望したぞ!して、アダムの遺伝子は取れたのであろうな?」
役立たずと罵るラヴェイドを見る麗々の目に冷たい光が宿るのに気が付かないばかりか、首を横に降って作戦の失敗を告げた麗々を怒鳴り付けながらジャバジャバと湯の中を詰め寄り、手を高々とふり上げ殴ろうとするラヴェイド。この時アレンが止めに入らなければ、麗々を庇うように前に立ったアダムごと殴り飛ばしていたに違いない。
「邪魔をするなアレン」
「いえ、今すべき事は罰を与える事ではありません。冷静になって下さい!!」
ラヴェイドは怒りを全身で現し、体毛を逆立て荒く息を吐いた。無理もない事だろう。妻や娘達をけしかけ、その全てが無駄に終わったのだ。彼はいよいよ追い詰めらていく自分の立場と、今回の作戦の本当の目的が完全に頓挫したのを理解した。後は保身の為に、証拠となるモノを一刻も早く隠蔽するしかない。残された時間はもう僅かしかなかった。
「蘭々!」
ラヴェイドは密命を与えた娘の名を呼んだ。
「やれ!」
冷たくドス黒い視線が蘭々を射抜く。
首を横に振る娘に、ラヴェイドは同じ言葉を繰り返した。
「やるのだ!アダムを殺さねばならん!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
時は少し戻る。
ラヴェイド達が屋敷に張られた防御結界の袂まで到着する約20分前、俺はアリスとの間に『義友の契約』を結び完全なる思考リンクを形成させていた。
「聖天の巫女って何だ?」
俺は質問した。
「どころから説明したらいいのか分からないけど、今の神様とは違う神様とコンタクトできる能力を持つ女性を巫女というの。巫女の能力を持った消失血統が産まれる土地は昔はもっとあったらしいんだけど、母の故郷『ローツォ』と『アゥナラ』という人が住む土地で稀にしか現れない特別な存在と云われている。私の母さまも巫女として育てられた純血者のひとりで、厳しい修行を積んで神様の声を聞き、神の力を具現化出来たらしいわ」
「アリスも修行を?」
「いいえ。私の場合、産まれた時から能力が使えたから修行はしていないの。母さまから巫女の修行を禁じられていて、表立っては何も出来ない。正式な修行方法を教わっていたら、もっと上手くコントロール出来ると思うんだけど・・・」
「キミの母さまはなぜ修行を禁じたんだ?凄い能力なら使えた方がいいだろうに」そう言うと、アリスは悲しそうに目を伏せた。
俺はこの少女の生い立ちを知らない。
どの様な幼少期を過ごしたのか知らず、不用意な言葉で彼女を傷付けたのかもしれなかった。俺の後悔の念を感じ取ったのか、アリスは努めて明るく話しを続けた。
「重要監視対象者として、私にはほとんど自由がなかった。学校に通う以外の外出には監視者が付けられていたし、国外に出掛けるなんてもっての他。それが最上級監視対象者ともなれば、母親と引き離されて隔離されてしまうかも知れない。そうなるのを防ぐ為に、母さまは私の能力が覚醒の兆しをみせてすぐ制約の呪詛をかけ封印したの。父上の目を欺く為にね。だから修行で能力を高めるなんてとんでもない事だったのよ」
――――ラヴェイドの監視の目を誤魔化す為に真の能力を封印したって事か?なら今のアリスの能力は制限付きのリミッターがかかった状態って事だな?この状態でもある意味魔王クラスの能力だと思うが、聖天の巫女ってのは凄いもんだ。
「あなたが私の前に現れた今、もう父の目を気にする必要もなくなったから、呪詛は解いてもらうわ。アレン兄さんと闘う為にも制限付きでは困るから」
でもその前にと言いながら、アリスは指をパチンと鳴らした。すると目の前に筋骨隆々の大柄な若い兎男が現れる。身長は2㍍近く、瑠璃色の瞳をした均整の取れた顔立ちをしている。手足が長くスラリとしているのに筋肉がバランスよく鍛えられ、いかにも格闘家らしい雰囲気をかもし出していた。
見ただけで分かる。こいつはかなり強い。
「これがアレン兄さん。私が再現したモノだけど、見て分かる通り物凄く強い格闘家よ」
「ああ、いかにもって感じだな。スピード系か?」
「闘ってみれば分かるわ。
あなたは仮想現実世界に滞在出来るギリギリの時間まで、このアレン兄さんと闘って練習をするの。私が兄さんの攻撃を先読みして教えても、肝心のあなたが反応できないんじゃ全く意味がないからね。馴れてもらう意味で、まずはノーアドバイスでやってみて」
「お、おう、了解した。で、使う予定の技はここでも発動出来るのか?」
「もちろんよ。ここでは妖力の消費はないから存分に使ってみるといいわ。『時止め』は使いこなせば凄い武器になると思うけど、かなりのセンスが必要じゃない?やってみなきゃ分からないけどね」
準備ができ次第はじめるわと言うアリスに、いつでもいいぜ!と答えた俺は、仮想アレンの前に立ち、正眼に構えをとった。すると、俺とアレンとの中間に位置する上空に数字と共に『READY』を意味する文字が浮かび上がり、カウントダウンがはじまる。
なんか格闘ゲームの画面みたいだけど、アリスはどこでこんな事を知ったんだ?もしかしたら武術大会とかってこんな感じなのか?と、そんなこんな考えている間にカウントダウンは終わり、「GO!」の文字が浮かび上がると同時に仮想アレンがゆらりと動き出した。
「KO!」
即座にアナウンスが派手に響いた。
上空の数字はコンマ8秒進んだだけだ。
俺は開始直後に派手に蹴り飛ばされ、背後の神殿跡に横たわる巨大な石柱に背中から叩き付けられて気絶していた。パチンパチンと頬を叩かれて気絶から覚めると、呆れ顔のアリスが俺の顔を覗き込んでいる。
「ダメダメね。はじめてだから期待してはいなかったけど、予想以上にダメダメだわ」
「うっ・・・」
「たぶん、自分はもう少しやれるんじゃないかと思っていたと思うけど、現実はこんなモノよ。初眼も発動せずに戦闘に入るなんて、あなたバカなの?」
「うん??」
「それともアレン兄さんをナメてるの?
兄は格闘技世界一に3度もなった事がある超ベテランの戦士よ。仮想体と言っても、強さは本物と変わらないんだから真剣にやって貰わなきゃ困るわ!」
アリスはかなり御立腹だった。『初眼』とか言われてもそれが何なのか俺には分からないが、使わなかったのを俺の傲りだと思っているらしい。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。初眼って何の事か俺には分からないんだけど?」その言葉にアリスはキョトンとした表情を見せた。
「初眼は初眼よ。バトルの基本でしょう?ゆかり姉さんから右目が見えるようにして貰った時に、一緒に使えるようになってるはずだけど?その右目、見えてるよね?」
「ああ、見えてるよ。集中すれば左目より断然見える」
「集中すれば?」
「子供の頃の怪我で右目の視力をほとんど失なってしまったからさ、その霞んだ影像を無意識に遮断してしまう癖がついてるみたいなんだ。20年も片目で過ごしてきた生活習慣は簡単には抜けないよ」
「ふううん、まあ確かに、手と同じように利き目ってあるからね。あなたの場合はずっと片目で過ごしてきた癖で右目をほとんど使ってないって事ね。でもそれでは困るわ」
「困るって言われてもなあ~。無意識にしてる事だから訓練でもしないと簡単には直らないと思うぞ?」
「あなたの言う通りね。癖は簡単には抜けない。でもそれを根気よく直しているような時間はないの。すぐにでもなんとかしなきゃ」
アリスは難しい顔をしてしばらく考え込んでいたが、意を決したように頷くと俺を手招きして呼び寄せた。そして「これを見て」と言って人指し指を1本立てる。それが何の意味があるのか分からず、視線を指先に集中した隙をついて、アリスはいきなりキスをして来た。
「え!?」
驚いて目をパチクリした俺の左目に、先程立てた人指し指がぶずりと突き刺さった!
「うぎゃあああっっ!!」
絶叫を上げながらのたうち回る俺。
とにかく痛い!めちゃくちゃ痛い!俺は残された右目に涙を浮かべながら、目を押さえてアリスに猛然と抗議した。
「いきなり何してくれるんだ!めちゃ痛てぇ・・・」
「ごめんなさいね。でも対価は先にあげたでしょ?」
俺の派手に痛がる姿が面白かったのか、クスクスと苦笑しながらアリスは謝る。対価とはキスの事を言っているのだろうが、だとしても意味も分からず左目をつつかれて、おまけに笑っているのでは全く謝られた気がしない。
「安心して。現実のあなたの体にはなんの外傷もないから。でも、これであなたの意識には左目が使えないのではないかという疑念が湧いた。事実しばらくはほとんど使えないわ。この状態で仮想アレン兄さんともう一度闘ってみましょう。右目を使って相手の動きを感じるの。きっとあなたならすぐに初眼を使いこなせるわ」
けなしたり、つついたり、誉めたりと忙しい事だが、アリスが俺を無条件で信じている事だけは確かなようだ。初眼の事を知らないと言う俺を前にしても彼女の目には全くの迷いがない。
「よし、分かった。やってやるよ。その初眼ってのが使えないんじゃ話にならないんだろ?なら身に付けるしかないよな」
アリスは嬉しそうに頷くと、指を鳴らし仮想アレンを再び出現させた。そして、先程と同じようにバトルステージが起動しカウントダウンが進む。左目には激しい痛みが残り、もう右目に頼る他ない。「READY ~ GO!」 の合図と共に仮想アレンが動く。
見える!!先程は全く見えなかったアレンの動きが、かろうじて目で追う事が出来た。しかし、見えたからと言ってどうなるものでもなく、俺はガードした態勢のままふっ飛ばされて、先程と同じように派手に石柱に叩き付けられ、又も気絶した。
そしてその一方的な闘いは三時間以上も続き、立ってはブっ飛ばされ気絶するをひたすら繰り返した。気絶だけならまだマシだった。少し馴れて抵抗できるようになったと思った矢先、俺は仮想アレンの回し蹴りをまともに食らい、内臓破裂を起こして絶命していた。




