湯けむり温泉郷【11】修行
ドウッ!
右から放たれたアレンの回し蹴りが唸りをあげる。
ガードした腕がビシリッと音を立て砕けると同時に、返しのストレートが顔面を襲った。
俺は奥歯を噛み締め『時止め』を発動すると、間一髪で直撃だけは躱して、自ら首をひねってパンチの衝撃を後方へ受け流し、相手の体勢が戻らぬうちにパンチの引き手を掴んで、手首の逆関節を極めようと体重を前に移動し距離を詰めた。
逆関節が極まると思われた瞬間、詰めた距離に膝が跳ね上がり、防御できずに膝蹴りが俺の急所を深々と突き刺した。動きが止まったところに、続いて放たれた踵落としがクリーンヒット。頭蓋が割れる音と共に視界が真っ赤に染まり、俺はそのまま絶命した。
「くッそ〜う!やっと掴めたと思ったのに、全く半端ない強さだぜ!」
「いつまで死んでるの! さあ、次に行くわよ」
アリスの声を聞きながら起き上がると、次のラウンド開始までのカウントダウンが既に始まっていた。先程のダメージはリセット済みで、肉体的な外傷はどこにもない。感覚的な痛みは記憶の中にだけ残り、同じ痛みを再び味わいたくないという気持ちが俺の精神に喝を入れる。
「なあ、ちょっとスパルタ過ぎやしないか?」
いったいどれくらいの時が過ぎたのだろう?俺はアリスが作った仮想現実の精神世界で、彼女の異母兄妹である長兄アレンの仮想体と闘い続けていた。
「何を言ってるの?やっと少しまともになって来たところじゃない。今の動きはなかなか良かったから、感覚を忘れない内にもう一度やらなきゃ」
有無を言わさず開始のゴングが鳴り、仮想アレンの容赦のない攻撃が再び俺を襲う。既に初眼は完全に体に馴染み、アレンの動きはしっかりと見えているが、速い上にとにかく重いアレンの一撃は、少しでもまともに食らえば容赦なく俺の体を破壊した。
ガードしてもその腕ごとへし折られ、防御すらまともにさせて貰えない。全ての攻撃を芯をずらして受け流し、衝撃を逃がさなければこちらから反撃するなど不可能だ。
俺の体重はアレンの半分にも届いてない。小手先の技など全く通用しないし、こちらの攻撃でダメージを与えるには相手の力を利用する戦法しかなかった。だが、簡単には懐に入れさせてはくれないし、必ず何かしらのショートレンジ攻撃で詰め寄る俺を止めにかかり、動きが止まれば一撃必殺の蹴りが襲ってくる。
「KO!」
三連脚から続く必中必殺のコンボ技が俺の顎を見事に砕き、トドメの咽への手刀が俺の首をハネ跳ばした。ちぎれて転がる首を拾い上げ、俺の体に戻すアリス。首と胴はすぐにくっつき、傷も消えて元通りになった。
「集中力がなくなって来たわね。少し休憩する?」
倒れたまま起き上がらない俺の髪を優しく撫でながらアリスは言った。琥珀色の瞳に俺の姿が映っている。彼女に心配を掛ける情けない男の姿が今の俺だ。
この仮想現実の精神世界は彼女の力で維持されている。仮想アレンもそうだ。俺が致命傷をおって絶命する度に回復させ、再びバトルステージを立ち上げる時もそう。
この作業がどれ程の負荷を彼女の精神に負わせているのか素人の俺には分からないが、生半可な作業でない事だけは確信できる。彼女も一緒に闘い続けているのだ。俺の生存確率を上げる為に、持てる知識を総動員してアレン対策を指導してくれている・・・
「いや、もう少し頑張るよ。タイミングはかなり掴めて来たと思う。今のラウンドはダメダメだったが、次はもう少しまともに闘ってみせるさ」
俺はそう言って起き上がると、アリスの頭をポンとひとつ撫で再びステージの中央へと歩き出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「でりゃあああぁぁ!」
下段から上段に変化し、俺の顔面を狙って襲いかかるアレンの蹴り足を躱しながら掴み、体を捻って膝の逆関節を極めながら投げを打った。
完璧なタイミングで放たれた投げ技はアレンの巨体を完全に宙に浮かせ、後頭部からほぼ垂直に地面へと落とす。この絶妙なタイミングでもアレンは反応して体をひねり、左手を地面へ伸ばして受身をとろうとした。
「させるかよ!」
伸ばしたアレンの左手を左足で払いのけ、更に極めた関節を公式試合では使用してはいけない角度まで捻る。これは試合ではないし、俺の世界のルールに従う理由もない。禁じ手を容赦なく使い、膝関節が致命傷を負う角度を維持したまま後頭部を地面に叩きつけるようにして落とした。
「これで決まりだ!」
腱が切れる嫌な音と共に、地面に叩きつけられた首をあり得ない角度に折り曲げ、仮想アレンは動きを止めた。だが「KO!」の文字は浮かび上がらない。即座にその場から距離をとるべくバックステップすると、俺が居た空間を横殴りにアレンの裏拳が通り過ぎる。
ゆらりと立ち上がる仮想アレン。
先程のラウンドは、この裏拳に顎を砕かれて絶命している。アレンの最も優れた能力は攻撃技ではなく、この異常なまでのタフネスなのだ。普通なら確実に回復不可能なダメージを食らっても、彼の体は壊れない。
今の"髄落とし"にしてもそうだ。
普通なら受身なしにあの勢いで地面に叩きつけられたら、絶命とまではいかなくとも致命傷は免れない。膝関節は、腱が切れる感触がしたからもう使えないだろうが、あの体勢からすぐに反撃するなど俺の常識では考えられない事だった。
ここが異世界であり、相手にしているのが魔族の戦闘種だという事をなかなか受け入れる事が出来なかった俺は、技を極めながら詰めがあまく、何度も返し技で致命傷を負う失敗をしている。
「まじハンパねぇな!どうすりゃ倒せるんだ?」
視界を遮っていた土煙りが収まると、首に耳を巻き付けた状態のアレンが片足を引きずったまま前進して来た。
俺の『髄落とし』を耐えた理由がこの耳だ。
彼は首に致命傷を負うと判断した瞬間、長い耳を首に巻いてダメージを殺したのだ。本来は弱点である耳をこの様に使うなど普通では考えられない。
だが、ダメージは深刻な様子。
軸足の腱を切られ、最大の武器である脚技を封じられた状態で出せる攻撃は限られてくる。カポエラのように腕を地に着けて脚技で来るか、接近して拳打に頼るかしかない。だが、脚王の息子であるアレンは、あくまでも脚技にこだわるだろう。
カポエラのように、腕を足代わりに逆立ちした状態での脚技による攻撃は、一見して近寄るのが難しく攻めにくいように思うだろうが実は違う。相手はこちらを追う為に足がしている事を腕を使ってせねば成らず、腕の筋肉は瞬発力には優れていても持久力は脚の筋肉に遠く及ばない為、こちらが逃げに徹した場合は絶対に追い付けないのだ。
そして、腕が疲れて回転力が落ちたところを、体重を支える為に伸びきった肘の裏関節に攻撃を入れれば、自らの体重プラス衝撃に耐えきれずに簡単に破壊されてしまう。普通なら不可能な攻撃のタイミングも『時止め』が可能にしてくれる。それに、逆立ちした状態からの回転蹴りがアレンの持ち技にある事を俺は既に体験して知っていた。予測できるならトリッキーな動きにも充分対応する事が出来た。
「やはりそう来たか!」
読みは適中した。
アレンが選択した攻撃は、俺の格好の餌食となるだろう。
しばらく攻撃させるに任せ防御に徹した後、動きに精細さを欠いた頃を見計らってスライディングをする要領で飛び込むと、体を切り返して腕一本で全体重を支える状態になったアレンの右腕をヘッドロックをするように逆関節を極めながら抱え込み、即座に折った。
支えを失いガクンと落ちる首に先に滑り込ませた足を絡め、そのまま腰をひねりながら内側に巻き込む。この状態で耳を首に巻き着けダメージを殺すのは不可能だ。アレンの巨体が地面に落ちれば、ひねりを加えた頸椎にその全体重がかかり、ほぼ確実に首の骨が砕けて奴は絶命する。
――――終わりだ、アレン!
残った左腕で体を支えようとするが間に合わない。というより、間に合わせたりはしない。あり得ない角度に捻られたアレンの首が、ブチブチと腱が切れる嫌な音を立てながら更にねじ曲がる。
と、いきなり停止画面のように世界が止まった。
「そこまでよ!」
アリスの声が頭の中で響き、同時にアレンの姿が消える。
「なぜ止める?今ので倒せるところだったのに!」
俺は、初勝利の瞬間を止められ不満を洩らした。
現時点での俺は、アリスとリンクした状態での戦闘訓練に入っている。今のラウンドにしても、アリスのサポートなしではあのように見事に技が決まるなどあり得ない。
なんと言っても、相手は武術世界大会で三度も優勝した事がある程の男なのだ。もちろん魔王達は参加していないので魔王を除いてではあるが、10本の指には必ず数えられる程にこの世界では強い。
本来なら今の俺では逆立ちしても勝てる相手ではないが、アリスの予知能力が不可能を可能にしてくれていた。これから起こる攻撃の三手先までが分かるのだ。俺が油断していたり、集中力を欠いていなければ、クリーンヒットを受ける事はまず無かった。まさにアリス様様といったところだが、バトルステージを中断した彼女は俺以上に不機嫌だった。
「今、何をしようとしたのかしら?」
「―――――?」
「腕を折ったまではいいわ。その対処法はあの場面では最適でしょう。問題はその後に連続して仕掛けた技よ。あのまま地面に落ちていれば、確実にアレン兄さんは死んでいた。首を取ったのならそのまま絞め落とす事も出来たはずなのに、あなたは気絶させるのではなく殺す技を選んだ」
アリスの語る口調に怒りと共に悲しみが混ざる。
「兄さんを殺すつもりなら私は協力しないわ。今のあなたがどんな顔をしているのか見せてあげる」
そうしてアリスは仮想アレンを出現させた時のように、俺の姿をしたひとりの男を目の前に出現させた。悪鬼のごとく殺気を放ち、口元を歪めた表情を見て冷たいものが走った。
――――これが俺だって?
「この姿を見たら、ゆかり姉さんは何て思うかしら?私はあなたに協力すると言った。あなたを勝たせるとも言った。でも、それはあなたを殺人者にする為ではないの」
俺はアリスの言葉に己を振り返り、そして理解した。何度となく仮想アレンとの闘いの中で命を落とし、その度にゲームのように当然と復活する事に馴れすぎた俺は、命の価値を完全に取り違えて軽んじたのだ。
先程のラウンドも、優勢になってからというものアレンを如何に倒すかではなく、どう殺すかという事ばかりに気を取られていたように思う。殺気にまみれ、対する敵を殺す事だけに執着した俺の姿は、まさに修羅のごときモノだった。
「あなたは、どんな状況にあろと相手の事を思うことができる優しい人よ。本来の自分を見失ってしまったあなたを見たくないの。それが仮想現実での事だとしても」そう言ったアリスの目に涙が浮かんだ。
「すまない。キミの言う通りどうかしてたよ。闘いの中で何度となく死んではいるけれど、それは俺の体がアレンに比べ圧倒的に脆いからだ。彼の攻撃に殺気を感じた事は一度としてなかった。結果として死んでしまうのを、殺されたように思うのは俺の被害妄想だよな」
俺の体が魔族に比べ比較にならない程に脆く、簡単に破壊されてしまうのには理由がある。ただ異世界人というだけでなく、俺の中にある『賢者の心臓』のカケラが『存在力』を奪うからだとアリスから聞いた。
アリスは『賢者の心臓』の事を詳しくは知らなかったけれど、リンクした状態で俺の体を隅々まで調べた結果わかった事だ。彼女が言うには、その状態はあり得ない程に深刻で、今こうして存在を保ちながら生命活動を続けていること自体奇跡に近いという事だ。
俺にはその実感はないが、脆いのは確かな事で、それは戦闘においてとてつもないハンデだった。本当ならゆかりが用意した様々なチートスキルによりハンデは帳消しになる筈であったろうが、今はそのスキルが発揮されていない。
渡された右目にしてもそうだ。
アリスが言うには、俺の右目は既に第6段階の状態にある筈で、上級スキルの千里眼も開眼しているという。だが、現実の俺はやっと第2段階の『透視眼』と、第3段階の『動遅眼』を使えるようになった程度だ。透視眼にもいろいろあって、第2段階では手に触れた薄い遮蔽物の向こう側を透かして見る程度。使い方としては、盾を構えた内側からでも敵を確認出来るというスキルだ。第3段階の動遅眼は高速に動く物を捕らえる力で、動体視力を強化したといった感じだ。
いずれにしても第3段階のサードレイでは、俺の戦闘力が劇的に上がるという事はなかった。それもその筈で、サードまでなら魔王軍の兵士が普通に持っていてもおかしくないレベルなのだ。
そのサードレイも持たぬ状態でアレンに挑むなど、無謀にも程があるようなものだったが、何とかギリギリ間に合ったというところだった。
アリスは俺の心の闇が消え行くのを笑顔で眺め、手を伸ばして握手を求めた。その手を握りながら立ち上がると、二人は最終段階へと駒を進めるべく、アレン攻略の仕上げへと入って行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ラヴェイドの無機質で情のカケラも感じさせぬ言葉が、実の娘であり最愛の第一妃麗々との子である蘭々に向かって放たれる。その命令が意味するのは死だ。
ラヴェイドはここにいる複数の妻や娘達を犠牲にし、自らの保身を図ろうと『魂爆丸』の発動を命じた。悲痛な表情で首を横に降る蘭々に対し、ラヴェイドは再び同じ命令を繰り返す。
「やれ、蘭々。何度も言わせるな!」
「やめなさい。蘭々!」
麗々が声をあげ、蘭々の前に立ち塞がったが、ラヴェイドはそれをはね除け、突き放しながら麗々に言った。
「麗々、お前達はここを離れよ。急げ!」
「あなた、おやめください!それだけは!!」
突き放された勢いで湯の中に没した麗々を引き起こし、俺は笑顔を見せながら麗々を含めた湯場にいる皆に向けて言った。
「安心しろ。誰も死んだりしない。後の事は任せてくれて大丈夫だ。麗々さんも先程の手はず通りに皆を誘導してくれ」
その言葉に目を潤ませ頷く麗々。
「分かりました。誘導はお任せ下さい。でも、くれぐれもご無理はなさいますように」
麗々の合図にお付きの8人が即座に動きだすと、皆を誘導しながら岩陰へと避難を始めた。その様子を訝しげに眺めるラヴェイドだったが、彼が命じた事柄と結果としては同じ行動に口元を歪め、覚悟しろと言わんばかりに俺を見る。蘭々は俺の横に立ったまま動いていない。
「どうやったかは知らんが、随分と上手く妻達を手懐けたようだな?だが残念な事にお前はここで死ぬのだ」
「手懐けたとは人聞きが悪い。俺は誠意を持ってあんたの妻や娘さん達にお願いしただけだ。それにな、俺は簡単には殺せないと思うぞ?」
怒りと殺気で鬼のように目をつり上げたラヴェイドに、全く悪ぶる様子もなくそう答えてやる。俺は嘘は言っていない。アリスとのリンクを一旦解除した後、皆を集めてこれから起こる事を説明し、闘いに巻き込まれぬよう指示しただけだ。
リンクを解除した時に、現実世界では5分も経過していなかった事にはさすがに驚いたが、ある種の能力では魔王すら凌ぐ『聖天の巫女』の力が如何に貴重で、重要監視対象として隔離保護されるに価するものなのかをそのとき強く実感した。
仮想現実の世界では何週間も経っていたと思うのに、現実にはたったの5分しか過ぎておらず、俺をその5分間でアレンと闘える程にレベルアップさせてしまった事になるのだ。こんな能力はチートにも程があるというものだろう。もし逆の立場で、5分後には別人のように強くなる敵と闘う事になれば、俺なら裁判所に異議申し立てするのは間違いない。
例えるならバトル前まで圧倒的に有利だった悪役が、時間を超越した空間で修行していきなり強くなった主人公に敗れてしまうようなものだ。バトル漫画では王道ではあるが、実際にやられた側はたまったものではない。しかも俺の場合、予知能力者がマンツーマンでサポートしてくれている。強気にならない方がおかしいだろう。
「我がここを離れた時とは雰囲気が違うな。その余裕がどこから来るかは知らんが、お前は終わりだ」
ラヴェイドは蘭々に視線を向け合図を送るが、うつ向いたままに動こうとしない娘に忍耐の限が訪れたのか、起爆の呪文を自ら唱えはじめる。が、その呪文にいち早く反応したのはリュオンだった。
「父上!? その呪文で、いったい何をしようというのですか!」
近寄ろうとするアレンとリュオンを手のひらで制し、ラヴェイドはリュオンに念話を飛ばす。口元は呪文を唱え続けて動いていた。呪文と念話を同時にこなせるのは魔王だからか?えらく器用なヤツだ。
―――リュオン。お前は精神障壁を展開してアレンを守れ。何の呪文であるかくらい分かるであろうが!
―――父上!まさか魂爆丸を蘭々殿に!?
正気とは思えない!ここにいる全員が発狂して死にますよ!
―――だから精神障壁を張れと言っているのだ!急げ!!
通常なら、念話は対象となる相手以外には聞こえないものだ。だが、今の俺には二人が交わした念話の内容は筒抜けだった。
これを『共振術』という。
巫女であるアリスの超感覚を、今の俺は共有した状態にあるのだ。
――――やめといた方がいいぞラヴェイド。
俺にサイコボムの類いは何の効果もない。蘭々の影の中に潜ませている紅兎衆にも気付いている。抱き付いて8個全て同時に起爆させたとしても俺はノーダメージだ。
―――!?
―――なんだと!?
念話に割り込まれたラヴェイドとリュオンが驚いて俺を凝視する。俺は二人に笑顔を返し、軽く手を振ってみせた。
多忙が続き、更新が遅れている事をお詫び申し上げます。もう少しでこの状態から脱すると思いますので、精を出して更新して行きます。これからも宜しくお願い致します。




