湯けむり温泉郷【6】運命の娘
麗々は語る。
その表情は苦しく悲しげであった。
「紅兎衆は皆、最後の手段として『魂爆丸(サイコボ厶)』を服用しています。解術薬を飲まねば吐き出す事は出来ず、それを持っているのは夫のラヴェイドだけです」
「魂爆丸?」
「魂を贄にして狂気を増幅させ、あらゆる生命体の精神の部分のみを破壊するよう調製された特殊な自爆薬の事です」
「なん・・だって!?」
「過去の大戦時に開発された忌まわしき兵器であり、条約により使用を禁じらている呪式爆弾です。ラヴェイドは今回の作戦にそれを持ち出し、最後の保険としました。一度発動すれば止める手段はなく、服用者の周囲20㍍以内の生き物は精神を焼き切られて死亡します」
「ラヴェイドの奴、そんな危険な物をあんた達に飲ませたのか!?」
「はじめから使うつもりで飲ませたとは思えませんが、戻って今の状況を見れば起爆させる可能性はかなり大きいと思います。万が一そうなった時、あの人を思い留ませる為に私も魂爆丸を服用したのですが・・・たぶん無駄でしょう」
「俺ひとりを倒すのに、あんたら妻や娘達まで殺すというのか?それがこの世界のやり方なのか!そんな事が赦されていいのかよ!」
ラヴェイドの野郎・・・いくら何でもヤり過ぎだ!!
「もちろん赦される訳がありません。そもそも魂爆丸を持ち出す事すら禁忌に触れます。ましてや、それを娘達に飲ませるなど普通では考えられない事です」
俺は心の底から腹が立ち、怒りが吹き上るのを感じた。ラヴェイドはサイコ野郎なんて生易しいもんじゃない。完全に狂っている。自らの欲望の為には家族の者ですら犠牲にして何とも思わない、狂気に取り付かれた危険な独裁者だ。
事を穏便に済ませ、何も無かった事にしてやろうと思っていたが、もうヤメだ!魔王という存在に対して今の俺がどれだけ闘えるか分からないが、勝てるかどうかなんて関係ない。奴のネジ曲がった根性を叩きのめしてやらねば気が収まらない。一発キツいのをお見舞いして奴の目を覚まさせてやる!
それでも何ともならないようなら、魔王の実権を剥奪し反省するまで牢にでもぶち込んでやるしかない。
怒りが全身を駆け巡って体温を上昇させた。同時に吸収した妖気が体内で爆発的に膨れ上がり、気道を巡って下腹に集まって来るのが分かる。俺の記憶するところの臍下三寸、下丹田と呼ばれるチャクラの位置だ。
気功術についての知識は、それに精通した変わり者と知り合いになって興味本意で少し習っっただけなので、内丹法という呼吸法が完ぺきに身に付いている訳ではない。しかし、不思議な事に当たり前のように『気』が練れる。この身体には元々そういう機能があるのだろうか?
「俺は今、猛烈に腹が立っている。
ラヴェイドはやってはいけない事をした!
奴だけは・・・絶対に赦さん!」
下丹田に集まった気がぐんぐんと凝縮され、濃度を増して行く。それに合わせ筋肉を巡る血管が膨張し、体中にエネルギーを送り出す。
俺の体は、膨れあがった筋肉のせいでひとまわりは大きく見えるようになった。ラヴェイドに盛られた薬の成分のせいだとは思うが、下半身で存在を主張し続けていたアレも血流の増加にあわせ反りくり返り、下腹部に激しくめり込んでいた。
後になって思い出すとかなり赤面モノの姿だが、怒りで頭がいっぱいだった俺は素っ裸である事を気にもせず、拳を振り上げ仁王立ちになって叫んでいた。
「あ、あのう・・、ひとつお聞きしたいのですが、いいでしょうか?」
恥ずかしそうに顔を赤らめながら、シュジュが俺に話し掛けて来た。脱ぎ捨てた襦袢を拾って身につけてはいるが、先程まで湯につかっていた物だから当然ずぶ濡れだ。薄い生地が体にぴたりと張り付き、裸でいた時よりもかえってエロチックに見えた。
ふと周りを見渡すと、脱ぎ捨てて沈んでしまった襦袢を湯の中から探し出し身に纏おうとしている女性の姿がちらほら見える。
「あ、ああ。いいけど、何?」
怒りに任せて叫んだものの、シュジュの恥ずかしそうにしている態度を見たら俺にも恥ずかしさが伝染して来た。振り上げた拳を戻して彼女の顔を見ると、やはりアレの事が気になるみたいで、チラ見してはオーの形に口を開いて頬を染めるを繰り返している。
「騙された事や、無理やり子種を奪おうとされた事にはほとんど怒りの表情をお見せになりませんでしたのに、何故、今それ程までに怒っておいでなのですか?」
「何故って?そんなこと聞くまでもないだろう」
「聞くまでもない?」
「ラヴェイドがあんたらに非道な命令をし、命を危険に晒らしたからに決まっているじゃないか!国の事情だか私情だか知らんが、こんな事が赦されていい訳がない!」
「では、父上が私達にした事に対して怒っているのですか?魂爆丸によって殺されるかもしれないという事よりも?」
「当たり前の事を聞くな!」
「ではどうするのですか?どうしたいというのです」
「もちろん、ぶん殴る!!」
「ぶん殴る?」
「ぶん殴って、あの野郎の腐った根性を叩き直してやる。二度と馬鹿な考えを起こさないようコテンパンにしてな!もうしませんと誓わせるまでは赦してやらねぇ」
「父上は魔王です。貴方さまが考えているより、ずっとずっと強いですよ?」
「そんな事は言われなくても分かってる」
「それでも闘うのですか? なんの為に?」
「決まってる。それは正す為だ!
物事には、やっていい事と絶対にしてはならない事がある。ラヴェイドはその一線を越えた。奴がどれだけ強かろうが、だから何をしても赦されると思っているのなら大きな間違いだ。勝算なんて関係ない!奴の行いを正す為に俺は闘う!」
「あの人を殺すのですか?」
麗々が割って入る。後ろの女性から濡れた襦袢を受け取ってはいたが、まだ着てはおらず手に抱えたままだ。
「殺す?そんなつもりはない」
「でもあの人は貴方を殺すつもりで戻って来ますよ?それも息子のアレンを連れて」
「アレンという奴は強いのか?」
「息子が強いかと私に聞くのですか?」
フッと鼻で笑うような仕草の後、麗々は子を自慢する親ばかよろしく熱の籠った口調で話し出した。
「自慢する訳ではありませんが、アレンは非常に優秀な男児です。格闘術だけをとれば、魔王であるあの人と何ら引け劣りません。全国統一武術大会において、武の部門で3年連続覇者になった事もあるこの国一番の強者です。
ここ数年の成績は芳しくありませんが、それでもベスト8に残らなかった事はない名の知れた武道家。もちろん魔王は参加しませんので、それ以下でという事になりますが、その強さは折り紙つきです。14年前のエルド領奪還作戦においてはそれはもう伝説と吟われる程の大活躍。殿を勤めた息子の部隊は、勇者を含む人類軍最強の白鳳隊を足止めし、大敗濃厚なところを被害を最小限に・・etc. 」
自慢しないと言っておきながら、たっぷり自慢話をする麗々。まあ、どこの世界でも親が子に期待するのは変わらないという事なのだろう。ほっておくといつまでも自慢話を続けそうなのを制して、俺は本題に移った。
「アレンがとんでもなく強い事は理解した。
では聞くが、あんたの息子は母親や妹が自爆薬を飲んでいる事を知ってなお、父親のラヴェイドに従っているのか?禁術で俺の精神を乗っ取り、体を奪うような事を言っていたが、それも含めて今回の作戦に全面的に賛成しているのか?」
「アレンは・・・」
さすがにそこまでの情報を敵に教えていいものかと躊躇いを見せる麗々だったが、深く呼吸をした後にコクリと頷くと意を決したように話し出した。
「息子は曲がった事が嫌いな正義感の強い子です。自分を犠牲にする事になんの躊躇いもなく、部下を救う為に死地に飛び込むのも厭わない。―――そんな男です。
アレンは当初、母親や妹達を巻き込む作戦には反対していました。ですが、王が決めた事に逆らうなど例え息子であろうとこの国では許されないのです。結局はあの人の思い通りに事は運ばれ、準備は調えられました。息子は自爆薬の事は知らないと私は思います。知っていたら、どんな事になろうと止めようとして父親と衝突していた事でしょう。しかしその様子もなかった・・・」
「なるほど、それはいい情報だ」
大方の予想通り、今回の作戦はラヴェイドの独断によるごり押しであり、息子にしても妻や娘達にしても、心底同意して従っている訳ではなさそうだ。ならば奴さえ何とかすれば、この場を切り抜ける事が出来るかも知れない。
怒りに任せて闘うと豪言したものの、少し冷静になって考えてみれば、如何に不利な状況で戦おうとしているかは一目瞭然だった。多少は強くなってるかもしれないが、所詮は人間。試してみたのは動かない岩をひとつ蹴飛ばしたくらいで、天歩を使って超高速戦闘が出来る相手に一撃を加えるなど不可能に思える。いや、実際に無理だろう。
「ラヴェイドが後どれくらいで戻って来るか分かる人はいないか?」
俺の質問に答えたのはアリスだった。
「後20分は掛かりません。もう城を出るところです」
「何かの感知能力か?それとも予知?」
「ただの千里眼です。貴方と同じ」
貴方と同じ?
俺はアリスが見上げた方向と同じ夜空に目を凝らしてみたが、それらしき影が見えて来る事はなかった。しかし、今はそんな事はどうでもいい。この娘には不思議な力があるらしいから、残り時間が20分を切っている事は信用しても良いだろう。
時間はあまりない。
俺は「少しひとりで考えたいから」と言って、皆が集まっていた場所から離れ、石の上に腰掛けて現実的に可能な手を必死に模索した。
俺は弱い。街道で野盗どもに絡まれた時の事を少し思い出せば分かる事だ。あの時の俺は猪野郎にたった一発殴られただけで、頬骨と歯が砕け血へどを吐いた。肉体的な耐久力は一般人と大差ない。もし反対側の頬を殴られていたら、奥歯に仕込んだメリーサに貰った術式まで失うところだった。
ん?待てよ・・・
そう言えばメリーサから貰ったあの術は、詠唱も何も要らない即時発動型の戦闘系スキルだったな?発動には妖力が必要だと言っていたが、理由は分からないが今の俺は妖気を纏っている。ならあの術が使えるかもしれない。
その時、ひとつの案が頭に浮かんだ。
だが、それを実行するには俺の戦闘経験はあまりにも乏しい。師範を取得しているとはいえ、少年時代に数年と社会人になって再開した3年間、合気の道場に通ったくらいでラヴェイドと闘うなど自殺に等しい行為だ。師匠から習った猿王拳は基本の型を軽く流して少し組手をしただけだし、実戦など一度もしていない。
頭に浮かんだ事。それはカウンターだった。
メリーサからのプレゼントは、1秒に届くか届かないかの短い時間だが時を止める事ができる。それを使えばカウンターが狙える。
合気道は相手の呼吸に合わせて技を出す事に長けている武術だ。基本的には後手からのイナシ、体を崩しての投げや関節技を主流とする。達人レベルになると、技をくり出そうとした予備動作にタイミングを合わせ、瞬時に投げたり関節を極めたりする後先が可能になる。
俺が習った道場では、これを初動を読むというのだが、実際には異種格闘戦でこのレベルに達するのはまず無理だ。何をして来るか分からない相手を、予備動作のみで技を極めるなど神憑り的な直感と反射神経、それに膨大な量の実戦経験が必要になる。
だが、時を止める事が出来るならどうだ?
先を取らずとも、同時に技を出せば必ずこちらの方が先に当たるし、攻手して来た方の腕や足をとる事も充分可能だ。もちろんそれは人間同士ならの話だが・・・
相手は戦闘系種族。どれ程の身体能力があるのか、全くの未知数だ。俺の合気の技など全く通用しないかも知れない。
―――何かないか?
他に闘いに使える何かが・・・
俺は考え、目を閉じてラヴェイドの動きをイメージした。
「ああ、ダメだ!何もイメージでき〜ん!」
当たり前だ。俺はラヴェイドの戦闘スタイルを知らない。空中を走る姿しか見たことないのに、何かをイメージできる方がおかしい。俺は頭を抱えて悩みに悩んだ。
「私の力が必要じゃない?」
頭を上げると、目の前にアリスが立っていた。皆と同じように襦袢を這おっているが、なぜかこの娘の着物は全く濡れていない。手にした布を「はい、これ。」と俺の方に差し出して来た。
「これは?・・・襦袢?」
「ここでは湯着って呼んでるわ。母のだけど、まだ当分は目が覚めそうもないから使っていいよ」
「まあ、有り難いけど・・・お母さん、あのままで風邪ひかない?かなりの時間が経ってるし、冷えるんじゃないか?」
俺がそう言って布を受け取るのを渋っていると、クスクス笑いながらアリスは俺の股間を指差した。
「母の心配は要らないわ。私達は寒さに強い種族なの。湯が近くにあるこんな暖かな場所で風邪ひくなんてあり得ないから。それより、その状態では落ちつかないでしょう?腰に何か巻いた方が落ち着いて考えも纏まると思うわ」
皆と一緒にいた時の彼女と印象がかなり違う。言葉は丁寧だが、敬語を使うでもないし普通に普通だった。
「力を貸せるような口振りだったが、今の俺の状況が分って言ってるのか?」
「そんなの当たり前よ。今日この場所にこうして私がここに居るのは、まさにこの為なんだから」
「この為・・?」
「なんか不思議な感じ。10年近く前から何度も会ってるのに、こうして会話するのは今日が初めてだなんて」
―――――???
「詳しい事は後でゆっくり話すけど、今はあまり時間がないわ。手短に言うからしっかり聞いてね」
「言ってる意味が良く解らんが、取り合えず聞こう」
「あなたは父と闘ってはダメ。確実に死ぬわ。魔王は誓約に縛られて直接アダムに手が出せないから、ここの状況を見れば必ず魂爆丸を使おうとするでしょう。そうなれば最悪よ。あなたが出来る事は、アレン兄さんを挑発し一騎打ちに持ち込んで時間を稼ぐ事。10分間持ち堪えてくれたら後はなんとかなるわ」
「後はなんとかなるってどういう事だ?それに時間を稼ぐって簡単に言うけど、それすらかなり難しい相手だと思うぞ。アレンって、体術だけならラヴェイドに匹敵する強さなんだろ?この世界でも名の知れた武道家らしいじゃないか」
誓約に縛られているという言葉も気になるが、今は時間稼ぎの方法の話が先だ。どう考えても無理がある。
「その通りよ。アレン兄さんは強いわ。
でも父を相手にするよりはかなり楽よ。父のように暗器を使ったり、幻術と体術を併用して撹乱して来たりはしないし、どんな相手にも真っ向勝負で力と力のぶつかり合いを好むの。その愚直なまでの戦闘スタイルは男らしいと人気はあるんだけど、武術大会で毎回ベスト8止まりの原因にもなっている。でも、あなたの相手としては相性は悪くないはずよ」
「話を聞く限り確かにそうだけど、ラヴェイドはもちろんだが、アレンの戦闘スタイルも全く知らないんだ。初見でなんとか出来る程の技量は俺にはないんだよ」
「バカね。その為に私がいるんでしょ?
私が力を貸せば、アレン兄さんになら100%勝てるわ。秘策があるの」
「秘策?」
「でもね。勝てるからって簡単に勝ってはダメよ。
時間稼ぎが必要だって言ったでしょ?あなたは私が合図を送るまでアレン兄さんと死闘を演じて時間を稼ぐの。そうすれば誰も死なずに事は解決するわ」
「信じていいのか?」
「愚問ね」
「わかった。俺はキミを信じる」
俺の言葉にニコリと笑って返すアリス。
「今から秘策を授けるわ。目を瞑って頭を空にして」
俺はアリスに言われた通り目を閉じて、頭を空にするよう努力した。




