湯けむり温泉郷【7】ロストブラッド
「気を楽にしてリラックスするのよ」
アリスに言われるまま、頭を空にして何も考えないよう心掛ける。しかし、これが意外と難しい。ラヴェイドが戻るまでの時間は10分を切っているし、信じるとは言ったものの褪せる気持ちをゼロには出来ない。
アリスが俺の膝の上に手を掛けた。
アレン攻略の秘策を伝授すると言うのだが、今までが今までだけに、何をするのか気になってしまう。エッチな事をして来るようなタイプには見えないが、非常識な事ばかりが続いているので、自然にそちらの方面の事に思いが偏りがちになる。
あれこれ考えていると、「頭を空にしてって言ったでしょ!」と怒られてしまった。
時間稼ぎをしていれば助けが来ると言うなら、師匠かメリーサかヨムルのいずれかだろうが、もし単独だった場合、メリーサには来て欲しくないと思った。妊娠中の彼女には怪我させたくないし、ラヴェイドとの実力差が圧倒的でもない限り戦うのは危険すぎる。理想を言えば師匠に来て貰うのが一番だが、その場合その後の修行が半端なく厳しくなりそうだ。
「あんなヘッポコに勝てねぇようじゃあ話になんねぇ!」などと言われ、猛烈シゴキ教室なんか始まったら体が幾つあっても足りやしない。
残るはヨムルだが・・・
魔王の中でもかなり強いそうなので、ラヴェイドにも負けやしないだろう。でもヨムルに助けて貰うのにはちょっと抵抗がある。『血の契約』の意味を知らずに約束をしてしまった件を含め、メリーサから暗黒面の話を聞いてしまってからは何となく抵抗があった。彼女との事は先伸ばしには出来ないが、今は・・・
俺は、夏休みの宿題を貯めに貯めてしまい、最終日間近に追い込まれた学生のような気分を俺は味わっていた。
「もう!何も考えないようにって言ってるのに、ドンドン酷くなっていく一方。頭の中がいろんな事でいっぱいだよ!これじゃ私の力が使えないじゃない!」
アリスは俺の膝に両手を置いて身を乗りだし、額と額をくっつけようとしていたのを途中で止め、ぷくっと頬を脹らませ怒り出した。その仕草は何となくゆかりに似ている。
「ゴメンよ。何も考えまいとすると、余計にいろんな心配事が頭に浮かんじゃってさ。わざとじゃないんだ」
仕方ないわね、もうホントに時間がないのに!とブツブツ言いながらも、アリスはもう一度術式を組み直しながら今度は俺の膝の上に乗っかり、両手で頭を固定した。
「時間がないから強制接続するわ。とにかく何があっても目を開けたり動いたりしない事!いい?約束できる?」
「あ、ああ。約束する」
「薄目を開けるのもダメ。どうしても何か考えちゃうなら頭の中で数字を数えて。14732からの続きがいいわ」
「なぜ14732からなのか解らんが、分かった」
「じゃあ始めるから目を閉じて。」
言われた通り目を閉じて、14732からの続きを数え出した。アリスは俺の頭を両手で挟んだまま、複数の神の名前を含んだ呪文のような言葉の羅列を小さな声で早口で唱え続けている。
14765.14766.14767.14768.14769・・・
14793まで数えた辺りから急に頭が重くなる。
と、いきなり唇に柔らかなものが押し付けられた感触がしたのに驚いて、反射的に目を開けそうになったのを鋭い声が制止した。
「動かないで!やっと繋がったんだから!」
「!?」
声は、鼓膜を通さず頭の中に直接響いて来た。
「異世界人とのリンクがこれほど難しいとは正直思ってもみなかった。未来の私はあんなに簡単にやってたのに」
「未来の私?」
「いえ、こちらの話だから気にしないでいいの。
どう?苦しかったり、圧迫感を感じたりはしてない?」
「ああ、大丈夫。これはテレパシー?」
「少し違うわ。思考リンクよ。経験あるでしょ?」
この娘は何をどこまで知っているのだろうか?
俺と思考リンクできる相手と言えばゆかりしかいない。経験があると言うなら、ゆかりの事も知っているという事か?先程から意味の解らない事を時々口にするのも、予知で俺の未来を知っているからだと思うが、ならばゆかりとのリンクが切れているこの状態がいつ回復するのかも分かるのだろうか?
俺がその事を聞こうとする前に、アリスの思考が伝わって来る。
「いろんな疑問や聞きたい事があるのも分かるわ。でもそれは後にして欲しい。今はあなたの生命線となる情報を少しでも多く伝達しなければならない。私が知る限りのアレン兄さんの戦闘データと攻略法や、父の能力と思考パターンをあなたの脳に直接送り込むわ。私があなたの思考に割り込んだ時と同様に、軽い目眩や思考が重くなる感覚があると思うけど驚かないでね」
そう言って一呼吸あけてから、アリスは作業を開始する。
データが流込んでくるこの感覚は、肉体の再構成が行われた夜にも体験しているが、正直あまり気持ちがいいものではない。と、いきなり軽い目眩とかそんな生易しいものではない程の凄い圧迫感が俺を襲い、危うく意識を失なう寸手のところでデータの流入は終了した。
「おい、マジで今のはキツかったぞ。軽い目眩程度のもんじゃなかった」
「・・・・・・・・」
「ん?――――アリス?
あれれ?リンクが切れちまったか?」
「ごめんなさい。大丈夫、リンクは切れてないわ。
ただ、予想外の事態に驚いてしまったの。いったいこれはどういう事なのか教えてくれる?」
「――――? 言ってる意味が解らないんだが?」
「あなたの中には既にものすごい量のデータが送り込まれてて、完全にオーバーブロー状態よ。演算処理が全く追い付いてない。このままでは私のデータも活用出来そうにないわ」
「説明してもいいけど、時間がないんじゃないか?ラヴェイドが到着してしまうぞ?」
「大丈夫。思考は加速出来る。会話だけなら50倍にしても負担は少ないと思うわ。詳しく説明してくれないと、これからどうして良いか判断出来ないの」
「分かった。説明はするけど、その前にキミに聞きたい事があるんだ。キミはゆかりの事を知っているのか?」
「知っている。ただし、未来のゆかり姉さんの事だけどね」
「未来のゆかり姉さん?なぜ姉さんなんだ?」
「一緒に暮らしているからよ。家族なんだから歳上の姉さんを姉さんと呼ぶのは普通でしょう?」
「未来ではゆかりは生き返っているのか!?」
「不思議な事を聞くのね。
それを目標にして頑張ってるんでしょ?」
「じゃあ、未来の俺は目的を達成したのか!たいしたもんじゃないか!」
俺は高らかに笑い、拳を突き上げてガッツポーズを決めたが、それは思考の世界での事だ。現実の俺は岩に腰掛け、アリスを膝に乗せたたまま微動だにしていない。しかも、たぶんキスをしている状態だ。リンクが進むにつれて体の感覚が消失し、感触は感じ取れないがまず間違いはない。
「テンションが上がったわね。いい傾向だけど、それ以上興奮しないでね。リンクが切れてしまう。まだ馴れていないから、極度に感情が高ぶったり、外界からの干渉があると状態を維持できないの」
「お、おう。分かった。気を付けるよ」
「早速だけど、この膨大な量のデータの出どころと、分かるならその内容が知りたいわ。演算処理は現在も進行中だけど、このスピードだと少なくとも後2600時間はかかりそうなの。そんなの待ってられないから、今すぐに必要なデータでないなら一旦作業を中断させて、最新データの処理を優先したいのよ」
「なるほど。データの出どころはキミが言うところの「ゆかり姉さん」だ。たぶん内容はこの世界で活動するのに必要な一般知識と、ゆかりに近しい人達の事や魔王達の能力やらの情報だと思う」
「いいえ。そんな普通の情報ではないわ。
演算処理が追い付かないって事は、たぶん魔法に関する知識か、超高度な呪法や術式が含まれているハズ。でも腑に落ちないの。姉さんがこんな初歩的なミスを犯すとは考えられない。召喚されて間もないあなたに、こんな高密度データを送っても処理出来ない事くらい予想できたでしょうに。何か理由があるハズだと思うけど、思い当たる事はない?」
思い当たる事はある。
たぶん『賢者の心臓』に関係している何かだ。
師匠が言うには賢者の心臓はただ持っているだけで相当な負担を宿主に強いるらしい。その負担を軽減するようなプログラムが存在するなら、それを一番先に送っていてもおかしくはなかった。ゆかりの性格からして、異世界に召喚された俺を最弱な状態で放置するなど考えられないからだ。
それに処理出来ない理由は明らかだった。リンクを途中で切った為に、必要なプロセスを踏まずに終了してしまったせいだろう。ゆかりは自分の事をコンピューターに例え、OSプログラムのような物だと言っていた。PC だっていきなりコンセントを抜いて電源を落とせば不具合が発生し、破損したデータを復旧しないと正常に動かなくなる事がある。こうなった原因は俺にある。
しかし、『賢者の心臓』の事をこの娘に話してもいいものだろうか?俺はかなり迷ったすえ『賢者の心臓』の事と、ゆかりとのリンクが回復しない事も含めて知っている事のほとんどをアリスに話す事にした。いろいろと面倒事が増える可能性はあるが、今はとにかく前に進まなくてはならないのだ。
「そんな事になっていたなんて・・・」
アリスは俺の話を聞き終えて、かなり困った様子でいる。ゆかりとのリンク状態とは違って、映像はないので姿が見える訳ではないが、口調や感情の波からアリスの困惑がかなりのものだと分かる。
「本当に困ったわ。どうして良いか分からない。演算処理を強制的に中断させた為に、何らかの異変が起こったとしても今の私には対処できないわ。『賢者の心臓』の存在について噂には聞いていたけど、それがどんな物かは知らないの。あなたの予想通りなら、負担軽減プログラムはとてつもない高度な術式でしょう。それに姉さんとのリンク復旧プログラムが含まれていた場合、破損したら取り返しがつかない」
アリスは尚も考え込んでいる様子だ。
予知が出来ると聞いていたから、何でも知っているように思ってしまいがちだが、そんな全知全能的な都合の良い能力は存在しないのだと分かる。彼女が今回の事で事前に知り得た情報は、予知夢によって断片的な場面をいくつか見た程度で、実のところ流動的な未来を完全に知る事など誰にも不可能なのだと全てが終わった後で彼女から知らされた。
「では、打つ手なしという事か?それならそれで仕方ないけどな。せっかくデータを送ってくれたのに活用できなくて申し訳ないが、自力で何とか頑張ってみるよ」
「自力で何とか出来るレベルじゃないから私が手伝ってるのに何を呑気な事を言ってるのかしら?少々確実性に欠ける方法ではあるけど、アレン兄さんに対向する手段は他にもあるわ」
「あるのか!? ならそれで行こう!」
「まだ何も話してないでしょう。
あなたって本当に困った人ね。未来でもその調子なんだから」
クスクスと笑うアリスの様子が伝わって来る。
未来でも俺はこの娘と接点があるらしい。ゆかりと同居しているそうだから、当たり前と言えば当たり前なんだが、それがどれくらい未来の話なのかこの一件が解決したら聞いてみよう。
「何とかしてこのリンクを維持するわ。
攻略データは私の知識の中から直接、その時の状況に合わせて送ります。タイムラグが発生するのは避けられないけど、何のサポートもなく闘うよりはずっとマシよ」
「挙げ足をとる訳じゃないけどさ、少しでも動いたり外界からの刺激で簡単にリンクが切れてしまうような事を言っていたと思うが?」
「その通りよ。異世界から来たあなたと、この世界で生きる私達との間にはあまりにも接点が少な過ぎてリンクを結ぶ為の足掛かりがほとんど無いの。今は無理やり接続してる状態だけど、凄く不安定なのはその為よ。これを安定させる事が出来ればリンクしたままの戦闘も可能だと思う。けど・・・」
「けど?」
「リンクを安定させるには、あなたとの間に絆が必要なの。絆が強ければ強いほどリンクは安定するわ」
「絆って言ってもなぁ。要するに契約って事になるんだろ?結婚してくれとか血の契約をとか言われても正直困るぞ?」
周囲の環境がこれ以上ややこしくなるのは心底避けたいところだ。ゆかりとのリンクが回復してから、それこそとんでもない事になってしまう。しかし、アリスからの提案は俺の予想とは違っていた。
「私はそんな図々しい女じゃないわ。血の契約は生存中ただひとりとしか出来ない最上位の契約よ。それはゆかり姉さんとして下さい。たぶん姉さんの復活にも必要になると思うし。私が提案する絆は『義友の契約』、これも充分な効果が望めるわ」
「義友の契約ってのは、要するに友達になるって事?」
「そうね。付け加えるなら義を尽くす間柄の友。場合によっては親兄弟より優先させる間柄の友という意味。私の言いたい事・・・分かる?」
にぶい俺にも流石に分る。今ここで『義友の契約』を結ぶという事は、俺に加勢することを誓うと言っているのだ。兄のアレンより、父のラヴェイドよりも俺を優先すると。
しかし、なぜ彼女はそこまでしてくれるのだろうか?一方的に俺が得になるような契約を、この場面で提案する彼女の意図が分からない。彼女は俺に何の見返りも求めてないのだ。
「どうしてキミは俺にそこまでしてくれるんだ?友の契約というからには対等であるのが普通だと思うが、キミが背負うリスクの方が俺よりも遥かに大きい。俺は、キミの家族とこれから闘う事になる男だぞ?」
「それは、あなたが私にとってもこの世界にとっても必要な特別な存在だからよ。言わなかった?私は今この時の為にここに居ると」
「確かに言ってたが・・・」
「あなたが今回の事で私に負い目を感じる必要は全くないんだけど、それでもあなたの気が済まないというのなら、この一件が無事に終わったら私を食事に誘ってよ。それでチャラにしといてあげる」
「そんな事でいいのかよ!安過ぎるだろ!」
「あら?そうでもないわよ。私はかなりのグルメだから、私の舌を満足させるのはたいへんな事だと思うけど?」
アリスの明るく笑う気配が感じられる。
アレン攻略データが使えないと分かって一時は不安な雰囲気に包まれたのを一掃し、お釣りが来る程にふたりは平静さを取り戻していた。
アリスは予知など特殊な感知能力に優れてはいるが、見たところ戦闘とはかけ離れた普通の女の子だ。その子が何の見返りも求めず、俺の為に一生懸命になってくれている。未来の俺とどんな関係にある娘なのかとても気になるところだが、彼女の行動がただの友情から来るものでない事くらい俺にでも分かる。
ゆかりの事を家族と呼び、姉と呼ぶ少女。
彼女もまた、俺のファミリーなのかもしれない。
「その契約の件、こちらからもお願いするよ。アリス、俺を助けてくれ。この恩は必ず返す!」
「やっと素直になったわね。じゃあ契約は成立でいい?」
「ああ、俺はキミと『義友の契約』を結ぶ」
アリスの頷く気配。そしてこの世界で最も純粋な契約が祝詞と共に結ばれた。
契約の言葉が終わるとほぼ同時に、視界が圧倒的な光陵に包まれたように輝いた。そして光がおさまると、目の前にはアリスの姿があった。襦袢姿ではなく、空色のワンピに大きなつば広の帽子をかぶり、淡いオレンジ色とピンクの花びらが風に舞う、高原のような場所の花畑の中に彼女は立ち、優しく優しく微笑んでいる。
「おめでとう。これで契約は結ばれた。完全なリンク状態になったわ」
「この情景は?ここはキミの精神世界なのかい?」
「私のではなく私達の、ね。
今は私が主導権を握ってリンクを形成しているから私寄りの世界観が優先されているけれど、いつも必ずこうとは決まってないわ。二人の力が増せば、もっと広大で現実とほぼ変わらない世界が形成できる。仮想世界だけど、現実と同等の情報量を持っているの」
俺はあらためて周りの景色に目を向けた。
清み渡る空はどこまでも青いのに星が輝いて見える。緑の山々が地平線の彼方まで永遠に連なり、爽やかな風が頬に優しく触れている。時折強く吹く暖かな春の香りを乗せた風が、草原に咲き乱れる花とアリスの純白のドレスの裾を揺らし、彼女の鮮やかな白金髪の長い髪を靡かせた。
まるで映画のワンシーンのようなその情景に、俺の心は安らぎと高揚感を同時に感じていた。凄い世界だった。自分もアリスも、実際の肉体を持ってそこに立っているかのように何も違和感を感じないのだ。
「この景色はね。私の母の故郷ローツォの神殿があった丘の頂上から見た風景なの。今は神殿は破壊され瓦礫が残されるだけの何もない土地になってしまったけど、いつか行ってみたいと思ってるわ。もしもこの国から出れたらの事だけどね」
「出れたら?今まで国の外に出た事はないのか?」
「ないわ。私はこの国の重要監視対象だから、出して貰えないの。行動もかなり制限されている」
「――――なぜだ?
なぜキミは監視されているんだ?」
琥珀色に輝くアリスの瞳がまっすぐに俺を見つめた。
「それは私が消失血統『聖天の巫女』だからよ」




