選議員制度
突然ですが、
以前裁判員制度のように、
政治家を国民から適当に選べばいいと書きました。
政治員制度と勝手に名づけましたが、
次に提唱するのは選議員制度です。
国民に政治家を選んでもらいます。
選んでもらうとは言いますが、
選挙などに出馬する人間ではなく、
本当になってほしい国民から人間を選びます。
現在の日本では政治家なんて、
どこのだれがなっても同じと言う意見が出ていますし、
本当になってほしい個人を選べる方がいいと思いませんか?
選挙には数多くの人間が出ていて、
一部の人間が出てきて、彼らも一応は相応の人間といえますが、
普通の人間は知らない人間ばかりです。
一般人としてのかなり失礼な目線ですが、
どこの馬の骨とも知れない人間に政治家と言う、
国家を管理する人間にはなってほしくないです。
↑個人的に選挙の投票に行きたくない1番の理由です。
現在の選挙法の話しですが、選挙に立候補するには信用として、
高い料金を払い、それを信用として出馬し、
選挙が始まるわけで、これだけが国民への信用になるでしょうか?
2世、3世議員、一部の資本家、著名人など、
一部の人間だけが出馬するだけで、
結果としては同じ人間が出ているだけだとも思います。
選挙の資金問題や実行されない公約と言う名の低い信用性、
だれがなっても同じと言う意見ならば問いかけたいのですが
本当になってほしい人間を選ぶべきだと思いませんか?
選挙と言うのは民主主義を強く浸透させるための、
政治手段として始まりましたが、現在では法律上の、
形式だけの仕組みと化していると思います。
一方で本当になってほしい人間を選ぶとあれば、
普通の人間は責任感を持って本当に責任をとれる人間を選ぶと思います。
無論日本の選挙の有権者が適当な人間に投票することで、
投票率以前に、集計したとしての普通の選挙のように、
当選人数に足りないと言う可能性も存在すると思います。
足りない可能性も存在しますが、逆にすべての国民が選挙の投票者であり、
出馬する国民となるわけで、国民は政治に強い関心を向けると思います。
うまくいけば自分がなってほしい人が政治家に当選したり、
普通の一般人こと、自分が政治家に当選したりするなど、
普通の選挙では選ばれないような人間が選ばれるかもしれません。
一部の人間こと、資本の多い人間が大規模な広報活動をしたり、
献金などの不正、間接的圧力で票を獲得することもありえますが、
稼げる投票数も一部で逆に少ないと言えるのです。
↑国民全員を懐柔させることなど不可能であると言えば、
わかってもらえると思います。
当選後政治家たちも選ばれたと言う責任感を強く持つと思いますし、
だれがなって同じと言うような政治は絶対にしないと言う思考も生まれ、
投票者の期待を裏切らないように活動すると思います。
投票者も投票者で、投票以前から強い責任感も生まれると思いますし、
だれがなっても同じと言うような適当な投票もしないと思いますし、
選挙後の政治活動にも強い関心を向けると思います。
人間1人1人の質の向上にもなると思います。