日本のサブカルチャーやオタク文化を批難するのは戦後文化批難である。 2
突然ですが、
聖地、国歌、嫁と言う言葉に聞き覚えがありますか?
聖地と言えば一般的に言うと世界3大宗教に見られるような、
宗教発祥の地などを意味する言葉です。
国歌と言えば国が持っている国の象徴としての歌で、
日本では言うまでもなく君が代です。
嫁とは言うまでもなく夫婦で女性を意味する言語で、
法的には配偶者など、時には言葉では言い表せない、
大切な人間を意味する可能性も存在します。
一般論としては簡単に言うとここまでですが、
現在この3つが日本で別の意味を持ち始めています。
最初に聖地で、アニメやゲームと言った、
エンターテインメントの舞台、背景、
原形になったと思われる場所です。
本来はアニメやゲームで背景を製作する時実際の光景などを使うのは、
メーカーのスタッフの創造では手間もかかることが多く、
経費削減や時間節約、手間を省略するための手法だと言われています。
悪く言うと手抜きとも言われると思いますが、
発祥の地と言うべきか、舞台となった光景を、少し不謹慎とも言えますが、
宗教同様の聖地と見立てたと言えると思います。
↑手間を省略するとは言え建物などの一部が、
版権許可が取れない場合が存在し見栄えなども考慮し、
デザインなどを変えることがあるそうです。
↑マニアックですがガメラ3のビルの一部がそれらしく、
よくみるとデザインが現実と違う物が存在するらしいです。
現在聖地の作品として有名なのは発端とも言われているらき☆すた、
劇場版も公開されたけいおん! など、
他にも有名アニメやゲームにも多くの聖地が存在しています。
劇中では都市名が変化していますが、
新劇場版も制作されたエヴァンゲリヲンも、
聖地と呼ばれる場所が存在するそうです。
聖地となった場所は知名度が向上し、
観光地としての高い経済効果も発生し、
異なる視野からそのアニメに興味を持つ人間も増えるそうです。
続いて国歌ですが、これは「こっか」と読むのではなく、
「くにうた」と読むそうで正確には別の曲を意味しています。
正確な曲名は『鳥の詩』、アーティストはLiaで、
PCゲームソフト『AIR』の主題歌だそうで、
AIRはアニメ化もされている人気作品だそうです。
個人的な意見ですが、非常に言い歌だと思いますし、
ある意味酷く関係ない話かもしれませんが、
集録CDアルバムを購入してしまいました。
↓証拠写真
個人的なおすすめはLight colorで、
この曲聞いてアルバム買う決意ができました。
音楽の話は始めるとトランスフォーマーと言い長くなり、
本題にも関係するので一度飛ばしますが、
最後の嫁と言う言葉に入ります。
一部の人間には不気味な言葉と言えると思いますし、
聞いたことがある人の中には悪寒やジンマシン、
最悪悲鳴を上げている人間も存在すると思います。
知っている方もいると思いますが、
お気に入りや、好み、気に入ったアニメキャラクターなどを、
嫁などと言っているんです。
何人も存在していたり、幼い子どもだったり、
年配だったり同性など、嫁も非常に幅広い枠を持っています。
一部の人間から見れば宗教批難や国家に対する侮辱、
一部の特異な嗜好性を持つ人間の末路とも考えていると思いますが、
個人的にこれを生み出した存在こそ、現在の日本だと思うのです。
質問に入りますが日本の聖地と呼ばれる場所はどこでしょうか?
質問をしても普通の多くの人間が頭を抱えて答えられないと思います。
無論日本神話や歴史などを調べ探せば、
そう呼べるものが多く存在することも事実ですが、
発祥や要点、言わば本家大本はどこでしょうか?
戦後の話をしていますし、ある意味不謹慎ですが靖国神社が一番でしょうか?
恐れ多いとも思いますが国の象徴として存在する天皇でしょうか?
戦争の歴史を踏まえると、多くの日本人は一応はそうだが、
言うほどのことでは、よくも知らないしと答えると思います。
一部の特異と言うか、偏見的、
懐古的な思考とも考える人間も存在すると思います。
第一深く教えられていないと言うことも現実です。
本題ですが日本では一部の教育機関などの例外は存在しますが、
政教分離と言う仕組みが存在し、その関係上、
宗教関係の教育を、特に国教の教育を禁止しています。
戦前の日本では実は普通に教育されていたそうで、
天皇崇拝の精神が強く根付き、戦前の問題を多く作り出したと言われ、
特攻、玉砕、軍国主義の原因になったと言われています。
他にも派生して共産主義者弾圧、検閲、
戦争反対する主義の批難など、過剰解釈的罰則も起きていました。
非国民と言う言葉が戦前に存在しますが、
当時は国民1人1人天皇に使える臣民であると言う、
意志教育がよく言えば徹底されていたと言えます。
反面特攻などと言った世界各国に衝撃を与えた行為も存在し、
日本には宗教と国家を結び付ける行為の危険性を、
時代遅れながらに確実に証明したと言えます。
時代遅れと言うのも政教分離の思考は本来中世のEU圏で広まった思想で、
キリスト教司祭と言った僧階級から勝手に選出された支配者こと、
貴族階級の横暴な政治体制を与えないための制度であったからです。
9割以上が市民層であり、高い税率に厳しい法律、
戦前の日本も適合しますが国家権力の横暴こと、
戦争に強引に参加させられるなどがあったための対処です。
無論戦後の日本ではその事実を踏まえて教育しないのは当然の結果で、
義務教育などで習ったと思いますが、教科書の一部を墨で塗りつぶすなど、
ある意味徹底した戦前を批判する教育が始まりました。
話しが飛んでいるように思われますが、
国教の教えや価値観、文化などを教えられず、
現在の日本人は多くの日本のことを知らないまま成長します。
成長こそしますが、人間は周辺の情報に多大な影響を受けますが、
戦前以上に自由で、制限を受けず、多角的な文化や価値観、
教育が存在し、海外からの情報もあふれるほどに存在しています。
道徳と言った教育などは無論存在していますが、
混合した特異な文化が生まれても異常ではないのです。
アニメやゲームと言った架空の物語に現実の一部が使われ、
その地を宗教の発祥の地のように、
聖地と呼ぶこともその結果と言えると思います。
一種の宗教批難行為だと言う人間も存在すると思いますが、
考えても見て欲しいのが国歌のこともです。
日本人ならばだれもが知っている君が代ですが、
時折出てくるのが国歌斉唱などの問題です。
教員などの一部が君が代を時折歌うな起立するな、
最悪裁判沙汰になるなどの問題を起こしています。
少し調べたのですが、天皇や戦争、軍国主義などを、
崇拝、助長、そして敬愛する歌だと主張しているためだそうです。
日本人の多くに質問したいのですが、
日本の国歌にそう言った傾向は見られますか?
一部の教員をはじめとして、一部の人間や、
歴史背景などを細かく理解し理由を知る人間ならば、
膨大な資料を出すと思いますが多くはそう考えないと思います。
多少興味を持って調べたとしても、
個人的な意見も混合させてもらいますが、
過去の歴史やら価値観やら、文化に振り回されるのはごめんです。
海外と比較したりするとすれば余計に収集ができなくもなります。
くにうたと呼び始めた人間たちが。
どのような思考を持っていたかは、深く理解することできませんが、
同じような意見を持っていると思います。
問題放棄の本末転倒、馬耳東風ともとられると思われますが、
国家権力や法律、歴史と言った強い力に振り回されない自由な歌を求め、
敬愛を込めた名称をつけるのは当然の心理だと思います。
いい歌があるから知って聞いて理解してほしいと言う、
少し遠まわしな意志の表れだとも思いますが、考えて欲しいです。
聖地もふくまれますが、国家権力や法律、
歴史と言った強い力に振り回されると言った問題もなく、
単純に好きな歌を愛せることが大切なことと言えませんか?
確かに聖地やくにうたと呼ぶことは大げさかもしれませんが、
国家権力や法律、歴史と言った強い力に振り回される歌こと、
国歌を愛せる人間が存在するでしょうか?
無論、1つの歌なので非難や中傷、個人の好き嫌いはあると思いますが、
聖地もですが、宗教の聖地や、国家のように、
問題を起こすことがあると思いますか?
嫁も同一で、確かに他人から見れば一種の異常心理ですが、
好きなものを好きだと言え、反国家権力的だとして横暴も受けず、
一種の特異な嗜好性も満たせていると思います。
関係して同性愛、両性愛、SMなどほかにも多く存在しますが、
特異で偏見的だと思われ差別を受ける人間たちの受け皿ともなり、
特異な性の解放の場も大きく開かれたと言えます。
法と言った束縛を受けない利点も存在し、
一夫多妻や逆の多夫一妻も可能と言えます。
推測ですが、いずれ嫁だけではなく、婿も登場すると思います。
非現実的で現実逃避だと言う意見も存在すると思いますが、
現実の人間と言う生き物は、
円満な関係を築くことは非常にむずかしいことです。
特異な嗜好性を持った人間が犯罪に手を出す事実も存在していますが、
根本の問題は彼らを理解すると言うことが必要だと言うことです。
嫌悪感が湧き上がる人間も存在することも事実ですが、
批難する資格があるのか人間として考えて欲しいです。
戦前はすべて国家と言う怪物に、
育てられた人間に束縛されていたとしたら?
仮に考えた過剰解釈ですが、
非難する方は戦前の悪しき文化を引き継ごうとしている、
時代遅れな人間ではないでしょうか?
一般常識の継承と言う言葉も存在すると思いますが、
歴史の中には常識が非常識に、
非常識が常識に移り変わる場合も存在しています。
一般常識と言うよりも、
固定化した概念の押しつけの間違いではないでしょうか?
犯罪に手を出すと書きましたが、染めると書かなかったのは、
理解されず、対処としての手こと、手段が存在せず、
身も心までも犯罪に染まっているとは思えない場合も存在するからです。
戦後日本は自由な思想や価値観、宗教が認められる中で一部の人間が、
国家や文化、宗教、法、それに一部の偏見的思考を持つ人間に、
束縛されることのない、聖地や国歌、嫁を求めたのだと思います。
聖地やくにうたと言う表現がされていますが、
本格的に言えば戦後に生み出された新しい文化や価値観、
思考であり、該当する文字を配当しただけとも言えると思います。
宗教批難や国家への侮辱、異常性癖とも非難されると思われますが、
現実としては理解を求め親交を深め、
異なる価値観を浸透させるための呼称だとも言えます。
理解せず拒絶し嫌悪することが必然な場合も存在しますが、
理解せず拒絶し嫌悪する思想の根源は、国家や文化、宗教、法、
それに一部の偏見的思考に束縛された心理ではないでしょうか?
戦前で言うと非国民的思考とも考えられると思います。
考えられますが戦前のような国家や国歌、法、
宗教、一部の偏見的思考、歴史、価値観に、
振り回されるのは嫌でめんどうで御免だと考えると思います。
人類や世界、国家の負の遺産の歴史や事実、
それに過去を忘れるなと言う意見もあると思いますが、
大切なのは自由な未来です。
必要なのは、戦前の二の舞を歴史は踏まないことと、
国家や文化、宗教、法、それに一部の偏見的思考を持つ人間に、
束縛されることのない信じられる存在です。
↑繰り返させてもらいました。
敗戦と言う大きな裏切りを見せた国家に、
国民として誇りを持つ意味はないと思いますし、
聖地や国歌、嫁の方が強い信頼も持てます。
過去を忘れるわけではないのですが、
嫁と一緒に国歌を聞きながら聖地を巡ることが、
多くの人間が幸せだと言う時代が到来すると思います。