日本のサブカルチャーやオタク文化を批難するのは戦後文化批難である。
突然ですが、
政教分離を知っていますか?
政教の政は政府や政治を意味し、教は宗教の教を意味し、
政府と宗教を一体化させていないことを意味しています。
小中学校のなどの義務教育で覚えている方もいると思いますが、
第二次大戦敗退後に日本で本格的に提唱され、
日本国憲法では政教分離が徹底された近代憲法とも言われています。
日本国憲法としては正確に書くのは長いので省略しますが、
第3章の、18条から23条がこの規定とも言えます。
現在の日本人とって、
政治と宗教を一体化させるとは意味不明だと思われます。
接点と言うものをかけらも感じられないと思うが、
実は反対の政教一致は、
ほかの国では結構一般的なものなんです。
中国では儒教の教えや西洋圏ではキリスト教、
中東ではイスラム教など、
神の教えは法に結構に根付いています。
神話の多くが作り話だと言えばそこまでですが、
宗教神話の中味には人道的配慮や哲学、倫理など
人の生きる道が多角的に示されています。
人生や人間の生きる道のお手本や基盤、
応用書としても活用できる部分も存在し、
これが憲法などにも活用されているわけです。
活用されているとは言いますが、
日本で政教分離が出されるように、
政治と宗教の結びつきは本格的に分離傾向にあります。
代表格が移民大国とも言えるアメリカで、
あの国には国籍、人種、宗教と、何から何まで違う人間がいて、
全ての宗教を受け入れることはできません。
一部の宗教を優遇することや、ほかの宗教や、
一部の宗教を迫害することは決して許されないことです。
宗教的論争や、政教分離や一致は海外でも問題になりますが、
本題は海外ではなく日本の問題です。
日本では差別を含め、
こう言った論争があまり起きてないことに、
疑問が持てませんか?
よく考えたらと言うべきだと思いますし、
島国と言うこともあるが、日本人にとって政治と宗教が一体化するとは、
意味不明な事態だと思います。
何か怪しい宗教の人間が政治家になって、
日本制服を目論んでいるのかと思う人もいると思いますが、
これは日本の政教分離教育が徹底しているためです。
発端は時を戻して1945年、日本は第二次大戦に負けましたが、
戦勝国や占領軍こと、GHQは戦前をふくめ日本軍人に対し、
ある脅威を感じていました。
敗戦国の何を脅威に感じるんだとも思われますが、
日本軍人の多くが死を恐れなかったことです。
第二次大戦が終結し、半世紀以上の時が経過しますが、
神風特攻隊や総員玉砕、集団自決など、
日本人には死を恐れない逸話は現在でも語り継がれています。
これは日本が最終的に敗戦必然と言う恐慌状態に陥った結果でもあると言えますが、
背景には過分に政教一致していた日本の政治や、
軍事や政教一致的な教育、個人の心理の伝染が原因とも言われています。
現在の日本人の観点から見れば繰り返すように意味不明ですが、
国と言うか、天皇のために戦い死ぬと言うか、
敵を殺すことが名誉だと言われ、これを過重に信じ込まされていた結果です。
個人の心理の伝染と書いましたが、
本来は国に残した大切な人間たちを守ることが、
国を守ることと一致した結果とも言えます。
現在の日本では日本人に国のために戦えなんて言われても、
常識を通り越した冗談とも言えます。
沖縄や北方領土の方には失礼ですが、
本土決戦や占領が本当にあるのかと疑うほどでもあり、
勝ち負けもどうでもいいと思うのが日本人の現実だと思います。
領土問題も個人的意見だが、
日本人の7割以上がどこの国の物でもいいと考えているとも思います。
個人的な意見ですが、憲法が改正され戦争するならば、
他国への亡命も考える人間もいると思います。
世に言う愛国心、と言うものが存在しないと思われますが、
この背景にはこの政教分離が関わっていると思います。
憲法をはじめとして戦後本格的な政教分離の体制が始まる中で、
日本は本格的政治と宗教と言うものが分離されました。
教科書を墨で塗りつぶすなど、
徹底した教育体制で戦争も終わり、半世紀以上が経過しました。
政治と宗教の関係性を理解できないと書きましたが、
多くの日本人が考える通り、政教分離は成功したと言えますが、
日本人は政教分離の多大な影響をうけました。
道徳的な思考と政治が結びつかないために、
愛国心を失っているのです。
愛国心と言うものなんて日本人にとって、
死後も同然であり、
特定の思想集団的言語で時代遅れです。
生まれた国こと母国と言うものを大事に思わないし、
深い事情への立ち入らないことや、
個人の自立や独立した傾向が強いと言えます。
むずかしい話は無視して、
簡単に言うと日本人は国の動向に関して無関心や、
他人事のようであると言えます。
第二次大戦に敗戦したと言うことを口にしましたが、
多くの日本人がそれがどうした、
負けたら何か問題かという反応だと思います。
悪いことしてたんだし負けたよかったんだろと言う人もいると思います。
国のことなんてどうしようもならないし、
放って置けと言う考えもあると思います。
個人の自立や独立した傾向が強いと言えると書きましたが、
政教分離と言うものが起きる中で、
国家と言うものへの忠誠心のような物が消えたのです。
GHQは国のために死を恐れないと言う、
日本人の恐ろしい思想の廃絶に成功したと言えます。
成功こそしたが、GHQは反対に反証として、
生まれた国のために生きない人間を、
本当の独立した個人を造りだしてしまったと言えるのです。
第2次大戦前であれば、
非国民と呼ばれる人間を大量量産することになったのです。
本題は何かというと、
日本人と言うか、日本国民は命を賭けるほどの、
大切な何かをなくしたのです。
政教一致の中で偉大だった神道の存在の確実性を否定された日本人は、
神道とは異なる別の命を賭けるに値する大切なものを探し始めたのです。
政教分離を本格化し他国などの異なる宗教も受け入れられ、
異なる国の文化も伝えられ日本は独自の文化の形成を始めました。
本来が島国であり、独自の文化体型を持っているが、
第2次大戦後の改正後思想自由化がもたらされ、
この文化体型の変化は一層と激しさを増しました。
神道は無論教義と言う意味では失われず模範として使われ、
社会規範となったことは事実ですが、
ほかのものを求める人間たちが存在したのです。
ほかのものが半世紀以上の時を経て独自に進化し、
世界に絶賛されるサブカルチャーの過激化こと、
オタク系文化の発展の温床になったとも考えられるのです。
国や宗教、他国の文化と言う束縛が一切存在せず、
時には本格的過激派集団も登場しましたが、
国とは異なる大切な偶像を求め、創造し与えられたと言えるのです。
仏像や鏡が美少女フィギュアやおもちゃだが魔法の杖に代わり、
戦車や銃が架空の兵器や武器に、
神話や軍国主義の教えが漫画や小説などに変化したとも言えるのです。
悪評的物言いですが偶像崇拝の延長戦上の、
国家や神話、
それに道徳とは異なる新しい理想像を創造の中で造りだしたのです。
創造された無尽蔵に増産された理想像が他人へと求められ、
数多くの偶像をなくした人間に高い支持を獲得した結果こそ、
現在の日本の真の姿と言えるのです。
日本国憲法下の元自由自在に製作され、
言葉通りに現在では国を超え世界にとびだし、
国境や言語、文化の壁をも超えてしまいました。
意味がわかりにくい話になっていますが、
日本がオタク文化全盛になったのは政教分離や、
敗戦のおかげとも言えるのです。
よく言えば半世紀と言う時を経て、
全盛期へと突入したオタク文化は、
戦後日本の発展文化の真の象徴とも言えるのです。
確かに国の未来と言う観点で言うと、
国のことを決して考えない人間が多く
国家の崩壊などの大きな危険が迫っていることは事実です。
政治に無関心な人間が増えたとも言うが、
守るに値する価値を持たず、精神を与えられていないからです。
人間に一番大切なのは精神の安定であり、
本格的に不確かな政治よりも精神安定に向くのは眼の前の現実や、
サブカルチャーと言う答えは当然の事態です。
大切なのは国家のために生きるのではなく、
独立した個人として生きることで、
家族ででもだが、人生を楽しむことです。
この国がもう一度戦争をすれば二度と再生しないとも思いますし、
米国などが裏切り他国が侵略すれば本当に最後ですが、
サブカルチャーは決して滅びないのです。
第二次大戦前に国外の芸術品が展示されていると言う理由で、
空襲を免れた場所があると言う話があるように、
精神的に真に守るべきは守るべき価値が値するかです。
日本のサブカルチャーこと、オタク文化を批難する方は、
日本の真の何を守るべきか考えていますか?
国民を守ることが、
国を守ることに他ならないと思いませんか?
酷い話だと思いますが、
日本は侵略されたとしてもサブカルチャーは生き残りますよ?
この国を現在の状態にしたのは、
紛れもない現在の日本と言う国の国家体制だと思いますが?
細かいことは無視して、
責任を取るべきはだれでもなく国にあるのですが、
期待するだけむだです。
必要なのは個人で自立して個人としての価値を十二分に持つことです。
国家に帰属し国の部品として生きることではないが、
政教分離した国家体制と言い、日本はほかに国民を先導できる手段の無い、
国家個体の自立力のない国と言えるのです。
サブカルチャー全盛期と書きましたが、
個人的にはこれは侵略期とも言えると思います。
サブカルチャーが正式な文化へと変わり、
日本は国家として意味や価値、境界線をいずれなくすと思われます。
侵略と書いたが、これは国家への侵略や崩壊ではなく、
これからの時代の的確な進化の道やいずれの模範とも言えますし、
後はサブカルチャーがより激化する揮発剤が起爆するだけです。
導火線への着火やカウントダウン、安全装置の解除と言うものは、
すでに始まっていると思われます。
最後に、日本のサブカルチャーをほめた海外の言葉で終わります。
「Otaku is Beautiful」
「MOE」
「BANZAI」