買い物していて銃で撃たれた気分だと思うんですが?
突然ですが、
捕鯨を野蛮だと思いますか?
捕鯨とは捕まえるクジラと書いて捕鯨で、
言うまでもなくクジラを捕まえる事です。
捕まえて肉を食料にすることや、
骨などを道具にすることができます。
これは世代的な話ですが食肉として一般的な時代もあり、
学校給食として出た時もあったそうです。
↑一度食べてみたことありますが、
絞った豚肉レバーみたいな味であんまりおいしくないです。
道具への活用ももっとも有名なのがひげの部分で、
高級なヴァイオリンの弦にも使われていました。
↑結構いい音が出るそうですで、
現在でも求める人はいるそうです。
使われていたと書きましたが、
捕鯨は現在減少傾向で、弦は合成繊維などが一般化しています。
日本では古くからクジラ漁がおこなわれ、
伝統的な漁としても有名です。
ここでこの話をするにおいて欠かせないのが、
シーシェパードなどの反捕鯨団体です。
日本などの捕鯨国を捕鯨を批難し、
捕鯨をおこなう場合には阻止するため、
武力行使などをすることもあります。
近くで船を出して大規模なデモをするなど、
最悪捕鯨専用の船を攻撃することもないわけではありません。
批難するのはよくないし悪意的な表現になるかもしれませんが、
批難はされたくありませんが表現として使いますが、
一種のエコテロリストとも言えます。
捕鯨を野蛮かと聞きましたが、
反捕鯨団体は捕鯨を非常に野蛮な行為だと考えていますが、
日本人の方はどう考えるでしょうか?
無論日本人の中で捕鯨に反対する人間もいると思いますが、
多くが野蛮だと考えていないと思います。
反捕鯨団体の行動を逆に異常だと考えるし、
漁の一種だし食べるんだし、道具とかも作るなら、
問題ないのではないかと言う答えも出ると思います。
一度食べたことがあると書きましたが、
現在でも不定期ですが供給は存在し、
世代的にですが一部に需要が存在しているとも推測されます。
ここまで聞くと一部の人間には日本には資源もないし、
大きくて使えるし逆に必要なのではないかと言う考えも出ると思いますが、
ここで国際的問題と言うか、制限が起きます。
絶滅危惧種指定です。
絶滅危惧種とは絶滅の可能性の存在する生物で、
現在数多くの種類が存在し、有名な種として以外にもトラと言った、
有名な動物も指定されています。
クジラも特定の種類が指定されています。
絶滅危惧種の中には人間の密猟や乱獲により、
生態系を狂わされた種も存在し、絶滅危惧種指定されたクジラも該当し、
現在は国際的保護に置かれています。
それだと捕鯨は国際問題に発展すると判断されますが、
日本の捕鯨は絶滅危惧種指定されていないクジラを捕獲し、
現在は食用ではなく調査目的が主目的となっています。
事実捕鯨は絶頂期頃と比較し食用肉などの流通を踏まえると、
一般流通は後少しで完全になくなると言う領域です。
絶滅危惧種の仲間を捕まえ絶滅危惧種などの調査に役立て、
国際社会に貢献しているとも言え、
日本の捕鯨は非常に国際的価値を持っているとも言えます。
付け足しになりますが日本は鯨を捕鯨後、
部品をすべて捨てることなく使用し、非常にエコロジーとも言えます。
絶滅危惧種指定や国際的吹聴などによって捕鯨は激減し、
現在は日本をふくめ2、3国が調査捕鯨などで継続しています。
ここで特に日本人に聞きたいのですが、
捕鯨の説明で何処か野蛮な部分は見られたでしょうか?
これは一個人からの観点からの話で、
日本人の総意の意志ではないかもしれませんが、
野蛮とは程遠いです。
日本人がこう言った世相に無頓着な部分もありますが放置して、
逆に野蛮なのは調査捕鯨団体を攻撃する反捕鯨団体とさえも思えます。
この国際的に見られて野蛮だとみられるには、
実は精神的と言うか、国家文化的と言うか、
宗教的な問題が関わってきます。
捕鯨に賛成するわけではありませんが、
食料や資源、伝統としての価値を持つ捕鯨をなくすのは、
惜しいと思うと言うのが個人の見解です。
国際的規約も守り漁もしているし、
資源を無駄遣いしていないとも言えます。
これは日本人的と言うか個人の思考で、これは放置して、
反捕鯨団体の捕鯨反対理由の多くは、実は人道的配慮です。
どういう意味かと言うと、
鯨を生き物として保護しようと言う考えなのです。
世に言う動物愛護の精神です。
一部の人間は知っていると思いますが、
海外では日本よりも動物愛護の精神が強く、
飼っている動物に人間同様の法的権利を与える国も存在します。
日本のペットショップなど動物が人間に見られてストレスを抱え、
動物虐待に相当するとして非難もされています。
↑海外ではブリーダーからの購入が一般的です。
鯨に動物愛護の精神と言われても日本人は混乱すると思いますが、
反捕鯨団体の鯨の愛護の精神には筋が通っているものが存在することも事実です。
鯨は人間と同様の哺乳類であり知能も高く子育てをする文化的生き物で、
殺して食べるのは人間同士戦争することや、
食べるのよりもたちが悪いと言う考えです。
たとえが悪いと思いますが、
反捕鯨団体は捕鯨を、ある家で飼っていたペットを他人が殺して、
食べると言うように考えていると思います。
たとえ話が非常識とも思いますが、これが一番いいたとえ話になると思いました。
精神的、国家文化的、宗教的と書きましたが、
日本人で捕鯨をここまでひどく考える人はいないと思います。
反捕鯨団体などの言い分を聞き、
確かに言い分は通っている気もするが結局は別の生き物だし、
反対だからと言って行動が過激すぎると判断すると思います。
野蛮と思われますが日本神道的と言うべきか、
仏教的と言うべきか日本には一応と言うべきか、
確かに生き物を大切にすると言う観点は存在します。
肝心なのは日本人が鯨に対して、
動物愛護の精神を向けられるかです。
動物を飼って家族同様に扱っている人間もいると思いますが、
どこかの大海原で泳いでいる鯨に同じ精神を向けられますか?
反捕鯨団体は数多く存在し高い評価を得ている場合もありますが、
捕鯨国家の捕鯨を野蛮でないと考える文化を先に理解すべきです。
反捕鯨団体が捕鯨の映像などを集めたドキュメンタリー映画を製作し、
世界各国から見ると捕鯨の残虐性を訴える傑作となりますが、
捕鯨国家の人間では別の答えが返ってきます。
「こうやって捕まえるんだ。」
「これ手間がかからないか?」
「これよりも便利な専用の装置を造ったらどうだろうか?」
↑これはたとえです。
捕鯨はクジラにモリを刺し、
電気を流したりして捕まえるなど結構残酷に見えますが、
一般や日常化しているために次の段階に移る思考が起きます。
野蛮だとしてもここまでして捕まえておいて、
食べないと言うのは逆に命をムダ使いに、
もったいないと言う考えも起きます。
殺して食べると言うのは命をいただくものであり、
日本人は命をうやまう精神を持ち、
非常に文明的とも言えます。
食べておいてあんまりおいしくないと書きましたが、
食べたい人間の下へも届くべきだとも考えています。
一種の動物への愛護精神とも言えますし、
いただきますの意味を捕鯨団体は知っていますか?
反捕鯨団体は批難する前に、
捕鯨されたクジラを一度でも食べてみるべきだとも思います。
野蛮だと言い捕鯨を止めさせ、
捨てさせるのは文明発展の極みで逆に野蛮と言うものです。
日常の風景と化した状態の中で、
同じ人間であるが異国で言語も文化も違う人間に、
日常の風景を野蛮と言われても意味が解らないのです。
反捕鯨団体の行動を日本人の日常に例えると、
刺身を買おうとする中で不意に他国の人間に野蛮と言われ、
買うなと脅されて銃で撃たれたと言う話になると思います。
↑寿司や刺身は現在でこそ世界各国で絶賛されているが、
過去には生で食すため食中毒や寄生虫と言った衛生面が問われ、
火を使うことこそ文化的と言う西洋の思考上野蛮と言われていました。
↑痛まない内に食べると言う考えもあり、
生きたまさばくと言うか切るのが現在でも野蛮ともされ、
海外では生魚などを仮死状態にしてさばくマニュアルも存在する。
たとえ話を2つほどしましたが、
他人の家の動物を殺して食べようとするのと、
刺身を買おうとしたら銃で撃たれるのはどちらが野蛮だと思いますか?
どちらとも言えないし言い争うのは非常識で不毛ですが、
結果として最後に武力行使に出る側こと、
反捕鯨団体側が野蛮だと思われます。
これは個人の目線であり、
裏にはほかにも見えない事情もあると思いますが、
ある意味日本人の捕鯨への心理とも言えます。
反捕鯨団体は、
こう言った思考の持ち主たちに、
捕鯨の野蛮性を教えることができると思えますか?
思考転換は不可能です。
推進や保存をするわけではありませんが、
捕鯨は日本の一種の文化とも言えると思います。
お互いの文化を尊重し認め合うことこそ、
野蛮ではないし文化的だと言えませんか?
手を取り合い話し合えとは言いませんが、
たとえ話の続きですが、
買い物に来た人間に野蛮とか言って銃を向けないでくれませんか?
飼われている動物の中には意外に思われますが、
本来食肉用のものも結構ありますし、
結構おいしいので食べてみませんか?
↑代表例としてネコ、イヌ、ウサギ、ネズミ
日本ではウマも食用の場所が存在します。
関係ない話だと思いますが、
人間はヘビやカエル、ムシだって食べられますよ?
最後に、自分で言うのなんですが、一番野蛮で非常識だと思うのは、
この文章を書いた人間です。