最終話 色づいた世界で今日も先輩を餌付けする
いつもは賑やかな商店街もやけに静かに感じる。
人通りがないわけでもないのに、朝陽先輩の声だけがはっきりと聞こえた。
「……何をですか?」
朝陽先輩は少しだけ視線を逸らした。
いつもは笑っていることが多いのに、今は僕だけを真剣に見つめている。
「初めてコロッケを買いに来た時覚えてる?」
「あまりにもお腹が空きすぎて、僕の手から食べた時ですよね」
「そう……。びっくりさせたよね」
朝陽先輩は少し恥ずかしそうにこめかみを掻きながら笑った。
コロッケを僕の手から食べた時は驚きもあったけど、朝陽先輩がどこか可愛い人に見えたっけ。
「あれから毎日来てましたね」
それが今となっては当たり前になっている。
朝陽先輩が初めてお店に来たのが、二ヶ月前ぐらいだから、ずいぶんと前に感じる。
それだけ一緒にいた時間が楽しかったのだろう。
「でも、気づいたらコロッケじゃなくて直に会いに来てたんだ」
朝陽先輩の言葉に胸が大きく跳ねる。
何を言われるのか、心臓がバクバクとして息苦しい。
だけど、僕は自然と体を傾けて朝陽先輩へ近づく。
「毎日直と話すのが楽しくて。直が作ってくれる料理が嬉しくて」
朝陽先輩は小さく笑う。
「いつのまにか直がいるのが当たり前になっていた」
「僕も朝陽先輩と同じですよ」
試合で負けてからの数日、朝陽先輩に会えないだけで毎日に色が欠けたような気がした。
朝陽先輩と出会う前と変わらないのに、まるでモノクロの世界に来たような気分だ。
「たぶん……俺にとって直が特別だからなんだと思う」
店内には僕たち二人の声しか聞こえない。
だけど、鼓動がうるさくてまるで街中にいるみたいだ。
「直」
朝陽先輩に名前を呼ばれただけなのに、僕は嬉しくてたまらなかった。
自然と頬が緩む。
「俺、直のことが好き」
「朝陽先輩……」
朝陽先輩の言葉を聞き、僕の心の底にあった感情が顔を出した。
「……ごめん。もっと格好よく言うつもりだったんだけど……。でも、これだけはちゃんと伝えたかったから」
「朝陽先輩、僕からも一言いいですか?」
朝陽先輩は僕の顔を見つめて、その場で頷く。
「僕もきっと朝陽先輩のことが好きです」
「きっと……?」
「はい。今まで初恋とかもないので、この気持ちが何かわからなくて」
今まで誰かを好きになったことはなかった。
ずっと一緒にいたいと思ったこともないし、離れて寂しいと感じたことも初めてだ。
だから、僕はずっとこの気持ちが何かはわからなかった。
だけど、朝陽先輩の気持ちが聞けて、自然とその言葉が受け入れられた。
「朝陽先輩と会えないのは寂しいです。一緒にずっといたい……」
「俺も直に毎日会いたい! ご飯関係なく、直の顔が見たいんだ!」
朝陽先輩の顔を見ると、真剣な眼差しが僕を見ていた。
僕の視線に気づくと、朝陽先輩はニコリと微笑んだ。
ああ、やっぱり僕は朝陽先輩のことが好きだ。
目が合うたびに微笑む朝陽先輩のことが好きなんだ。
「直、付き合ってください」
「朝陽先輩、付き合ってください」
お互いの声が重なり、しばらく沈黙が続く。
だけど、不思議と気まずさはなかった。
今まで言えなかった気持ちが届いた安心感で胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……同じこと言うんだね」
朝陽先輩が小さく笑う。
「僕も驚きました」
「でも嬉しい」
そう言った朝陽先輩の笑顔は、今まで見たどんな笑顔よりも嬉しそうだった。
学校ではいつもたくさんの人に囲まれている朝陽先輩。
誰から見ても完璧で王子様みたい。
だけど、僕の前にいる朝陽先輩は、素直でご飯が大好きな普通の高校生だ。
「……直」
「はい」
「これからも美味しいご飯を作ってくれるかな?」
突然の言葉に僕は思わず笑ってしまう。
やっぱりこの人は王子様より食いしん坊って言葉が似合うね。
「もちろんです」
「よかった」
朝陽先輩は安心したように息を吐く。
「いや、違う。そうじゃなくて……」
「そうじゃなくて?」
「直と一緒にいれるならそれでいいや」
また胸がドキドキと熱くなる。
何度言われても、朝陽先輩の言葉は僕を簡単に驚かせる。
食いしん坊だと思っていたけど、実は僕と会う口実だったのかな?
今となってはそう感じる。
「僕も一緒にいたいです」
そう答えると、朝陽先輩は嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ……」
朝陽先輩は僕の手元を見る。
「コロッケ……」
「へっ……?」
「一つください」
うん、やっぱり食いしん坊なのは変わりなかった。
でも今日は意味が違う。
「はい」
僕がコロッケを渡そうとすると、朝陽先輩は少しだけ笑う。
「手から食べてもいいですか?」
「えっ……」
今まで言われたことなかったのに、急に確認されると僕もびっくりしてしまう。
あの時は驚いて、どう反応していいかわからなかった。
だけど今は違う。
「ゆっくり食べてくださいね」
僕が差し出したコロッケを、朝陽先輩が嬉しそうに口にする。
お互いの気持ちを知って、初めて僕の手から食べる一口。
「美味しい」
「いつものコロッケですよ」
「違うよ」
朝陽先輩は首を横に振った。
「直がくれるからもっと美味しい」
顔がさらに熱くなる。
きっとこれからもこの人には敵わないだろう。
僕だけに見せる素直な姿に僕は何度も胸の鼓動が早くなるだろう。
「朝陽先輩」
「ん?」
「明日のお弁当は何が食べたいですか?」
そう聞くと、朝陽先輩は一瞬驚いた顔をした。
そしていつものように笑う。
「直の作ったものなら何でも」
「それは困ります」
「じゃあ……唐揚げと卵焼き」
「やっぱり」
僕たちは静かにクスクスと笑う。
店の外はいつもの商店街。
変わらない景色だけど、僕の毎日はもう昨日までとは違っていた。
明日も朝陽先輩と会える。
そう思えるだけで、世界は少しだけ色づいて見えるような気がした。
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