表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
277/1009

受け継がれる掟

宇都宮尚綱の追記を読み終えた修復室は、しばらく静寂に包まれていた。

治彦は評定録をゆっくりと閉じる。

「尚綱さんは、あなたの考えを一番理解していたんですね。」

氏治は小さく頷いた。

「尚綱は武人であったが、それ以上に民を思う男だった。」

「だからこそ、会津を任せられた。」

その時、修復担当の学芸員が戸棚の奥から、一つの桐箱を運んできた。

「館長。」

「評定録と同じ棚に保管されていました。」

「目録には『歴代当主相伝』とだけ記されています。」

桐箱の蓋には、黒漆で力強く記されていた。

『坂東藤原掟条 相伝本』

氏治は目を見開いた。

「……相伝本か。」

治彦は首を傾げる。

「普通の掟条とは違うんですか。」

「違う。」

氏治は静かに答えた。

「民へ示す掟ではない。」

「歴代当主だけが受け継ぐための掟だ。」

蓋を開けると、一冊の厚い和綴じ本が現れた。

治彦は慎重に最初の頁を開く。

そこに記されていた筆跡は、これまで見慣れた氏治のものではない。

力強く、それでいて古風な文字。

頁の最後には署名があった。

『八田知家』

「八田公……。」

治彦は思わず息をのむ。

氏治は静かに微笑んだ。

「これが始まりだ。」

本文にはこう書かれていた。

『坂東は一人のために在らず。』

『子孫、よくこれを守れ。』

次の頁には、別の筆跡が現れる。

『八田朝久 追記』

そこには享徳の乱を経た教訓が記されていた。

『法は変えてよい。』

『志は変えるな。』

氏治は懐かしそうにその文字を見つめる。

「父祖は、時代が変われば法も変わることを知っていた。」

「だからこそ、掟条は完成させて終わりではなかった。」

治彦は静かに頁をめくる。

やがて見慣れた筆跡が現れる。

『小田氏治 追記』

そこには兵学館を開いた頃に加えられた条文が並んでいた。

『学は国を富ませる。』

『されど思想は国を分かつ。』

さらに。

『故に学を閉ざすな。』

『疑う者を罰するな。』

治彦は思わず顔を上げた。

「卒業式で話した言葉の原形……。」

氏治は照れくさそうに笑う。

「何度も書き直したものだ。」

「掟条へ加える前に、兵学館で学生へ語っておった。」

しかし、その次の頁を開いた瞬間、二人は言葉を失った。

氏治の追記はそこで終わっていなかった。

余白に、小さく後世の筆跡が書き添えられていたのである。

『宇都宮尚綱 補記』

そこには、わずか二行だけ記されていた。

『氏治公逝去の後も、この条は削らず残す。』

『次代は、さらに時代に応じて書き加えよ。』

治彦は静かに本を閉じた。

「つまり……。」

「掟条は法典ではなく。」

氏治がその言葉を継ぐ。

「歴代当主の対話なのだ。」

「八田公から始まり。」

「朝久が継ぎ。」

「私が継ぎ。」

「そして、後の当主たちがまた書き加える。」

修復室の窓から、夕陽が差し込む。

古びた和紙は黄金色に輝き、幾百年にわたる筆跡が一本の歴史として浮かび上がっていた。

治彦は静かに呟く。

「これが……。」

「坂東が四百年続いた理由。」

氏治は穏やかな表情で頷く。

「法を守ったからではない。」

「法を育て続けたからだ。」

その時、冊子の最後の見返しから、一枚の小さな紙片が滑り落ちた。

誰にも見せるつもりのなかった覚え書きなのか、表にはただ一行だけ記されている。

『次に加えるべき条――国は、民より学び続けよ。』

氏治はその文字を見ると、目を細めて静かに笑った。

「……結局、この一条だけは書き加える暇がなかったようだ。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ