北へ吹く風、西より届く盟
相馬の港には、春の穏やかな潮風が吹いていた。
那珂湊から到着した船団は、静かに岸へ横付けされる。
船から降りてきたのは、戦で捕らえられた相馬兵たちだった。
傷は手当てされ、痩せてはいるものの、その誰もが自らの足で故郷の土を踏んでいた。
その後ろから運び出された荷に、港の人々はどよめく。
米。
塩。
薬。
布。
農具。
鍬。
種籾。
種芋。
戦で荒れた領地を立て直すには十分すぎるほどの物資であった。
「……ここまで送るのか。」
相馬家の重臣は思わず呟いた。
敵であった小田から届いたとは、とても信じられなかった。
やがて城で評定が開かれる。
氏治からの書状には、臣従を求める言葉は一つもなかった。
『互いに争うより、海を開き、商いを興そう。』
『困窮する者は助け合うべし。』
『坂東藤原流掟条に応じる者には、支援を惜しまぬ。』
相馬当主は静かに書状を閉じた。
「これほどの恩を受けながら、再び小田へ兵を向けられるか。」
誰も答えなかった。
佐竹の命に従えば、小田と戦うことになる。
小田と結べば、蘆名や佐竹との関係が揺らぐ。
相馬は今、戦よりも難しい選択を迫られていた。
「まずは礼を尽くそう。」
「交易について話し合う。」
「それ以上は急がぬ。」
重臣たちは静かに頷いた。
まず国を立て直す。
それが何より先であった。
その頃、会津・黒川城。
蘆名家には南から次々と報が届いていた。
「相馬、小田へ返書。」
「岩城、小田の使者を受け入れる。」
「白河結城も返答。」
「石川、二階堂も敵対の意思なし。」
広間には重い沈黙が流れる。
佐竹義重は静かに地図を見つめていた。
「氏治は兵を送っておりませぬ。」
「それでも国々は心を動かされております。」
蘆名当主も頷く。
「戦ではなく商い。」
「刀ではなく恩義。」
「このままでは南奥州は、知らぬ間に小田の経済圏へ組み込まれてしまう。」
そこへ、一人の使者が駆け込んできた。
「ご注進!」
「越後より急使!」
広間の空気が変わる。
書状を開いた重臣が息を呑んだ。
「これは……。」
蘆名当主が受け取り、ゆっくりと目を通す。
そこに記されていたのは、武田の西上に備えた新たな盟約であった。
上杉。
北条。
そして小田。
三者は互いの勢力圏を認め合い、武田に対して協力することを誓ったという。
館林は小田が守り、西方防衛の要となる。
北条と小田は婚姻によって縁を結び、北条は史実どおり上杉へ人質を送り、盟約を固めた。
一方で上杉と小田は婚姻ではなく、越後と那珂湊を結ぶ交易路の整備と、相互援助を柱とする経済同盟を結んだ。
蘆名当主は静かに書状を畳んだ。
「……終わったな。」
誰も口を開かなかった。
義重が低い声で言う。
「西では上杉と北条が争いを収めた。」
「しかも、その間に小田が入った。」
「これより関東は一枚岩となりましょう。」
蘆名の重臣が地図を見つめる。
西には、上杉・北条・小田。
南では、相馬や岩城が小田へ近づき始めている。
「我らは……。」
蘆名当主はゆっくりと立ち上がった。
「もはや静観はできぬ。」
「氏治は戦場だけではない。」
「商いでも、人でも、関東を一つにまとめようとしている。」
義重も深く頷いた。
「次に動く時は、小田との戦を覚悟せねばなりませぬ。」
春の終わり。
那珂湊では新たな商船が北へ帆を上げる。
一方その頃、会津では兵が集められ始めていた。
刀と船。
軍勢と商人。
関東と南奥州。
それぞれの思惑は、静かに、しかし確実にぶつかり合おうとしていた。
新たな時代の対立は、もはや避けられなかった。




