忍び文字の答書
大食堂の賑わいも一段落した頃、氏治は朝基の方を向いた。
「そういえば朝基。」
「一つ、聞き忘れていた。」
朝基は湯飲みを置き、首をかしげる。
「何でしょう。」
「盾だ。」
「あの無記名の答書。」
「白虎ではないと言っていた。」
「青龍でもない。」
「では誰が書いた。」
一瞬だけ静寂が流れた。
次の瞬間。
「ああ、それは私です。」
朝基はあまりにもあっさりと言った。
氏治は思わず固まる。
「……お前だったのか。」
「はい。」
あまりに潔い返事に、大食堂中から笑いが漏れる。
氏治は苦笑した。
「なぜ最初から名乗らなかった。」
朝基は悪びれる様子もなく答える。
「名前を書かなければ、殿が気になると思ったんです。」
「気になれば兵学館へ来てくださる。」
「皆にも会っていただける。」
「そう思いました。」
赤井は横で肩を震わせる。
「実に朝基らしい理由です。」
朝基も笑う。
「結果として、殿は本当に来てくださいました。」
「玄武も見ていただけました。」
「だから、もう隠す必要はありません。」
氏治は呆れ半分、感心半分で笑った。
「最初から私を誘うための策だったのか。」
「はい。」
「期待どおりでした。」
大食堂は再び笑いに包まれる。
すると朝基は、ふと思い出したように言った。
「もっとも。」
「名前は書いてありますよ。」
「……何?」
氏治は目を丸くした。
「書いてないではないか。」
朝基はにこりと笑う。
「火で炙ってみてください。」
「え?」
「答書をお返しする時、果物の汁で名前を書いておきました。」
「炙れば文字が浮かびます。」
氏治は思わず吹き出した。
「まさか。」
朝基はいたずらっぽく笑う。
「忍び豚飯があるなら。」
「こちらは忍び文字です。」
「見えないだけで、ちゃんと署名はあります。」
赤井は額に手を当てながら笑った。
「だから朝基の話は最後まで聞かないと分からないんです。」
氏治は笑いながら首を振る。
「まったく。」
「お前という男は。」
「最後の最後まで人を驚かせる。」
朝基は静かに頭を下げた。
「でも、おかげで殿は兵学館へ来てくださいました。」
「私としては、それだけで十分でした。」
氏治は炙れば現れるという答書を見つめ、穏やかに微笑む。
「……してやられたな。」
その一言に、大食堂はこの日一番の笑い声に包まれた。




