天正四年二月――氏政亡き相模
天正四年二月――氏政亡き相模
天正四年、一五七六年二月。
箱根の戦が終わり、東国にはようやく兵を休ませる時間が訪れていた。
甲斐は織田。
駿河は徳川。
そして箱根を境として、それより東へ織田・徳川は侵さず、小田・北条もまた西へ兵を進めない。
鶴岡八幡宮の神前で交わされた誓いによって、長く続いた戦はひとまず終わった。
その直後から動き始めたのが徳川家康だった。
家康は氏治へ使者を送り、
――我らと小田が争う理由は、もはやない。
そう伝えてきた。
軍事同盟を結ぼうというのではない。
互いの領国を侵さず、そのうえで商人を往来させ、経済的な結びつきを強めたいという申し出だった。
氏治にとって、それは決して悪い話ではなかった。
むしろ歓迎すべきことだった。
「天下不求を掲げておるのだからな」
氏治は家臣たちを前に言った。
「天下を取らぬというのは、隣国と付き合わぬという意味ではない」
戦わずに済むなら戦わない。
領土を奪わずに豊かになれるなら、その方がよい。
それこそ氏治が目指してきたものだった。
つい二月ほど前まで箱根では互いに槍を向けていた。
だが家康自身が、
――もはや二月も前のこと。
――誼を結ぶならば早い方が徳である。
そう笑っている。
ならば氏治の側だけが戦の恨みを抱えて門を閉ざしている必要もなかった。
「返礼の使者を送ろう」
氏治は決めた。
徳川から正式に使者が来た以上、小田からも返す。
それが礼というものだった。
問題は誰を送るかである。
氏治は少し考えた末、一人の男を呼んだ。
鹿島正道だった。
---
「正道」
「は」
氏治は正道を座らせると、いきなり尋ねた。
「三河や遠江から来る物について、どのくらい分かる」
正道は一瞬だけ考えた。
「おおよそでよろしければ」
「それでよい」
もともと小田と徳川の間に交流がまったくなかったわけではない。
大きな政治的結びつきこそなかったが、商人は国境だけを見て生きているわけではない。
品は人から人へ渡る。
市から市へ流れる。
三河や遠江の物が坂東へ入ることもあれば、坂東の産物が西へ流れることも以前からあった。
だから氏治も、
「徳川領には何があるのだ」
などと一から調べさせるつもりはなかった。
正道が知っているものを確認すれば、おおよその姿は分かる。
「駿河が徳川領になったことで、以前とは流れも少し変わるだろうな」
「それはあるかと存じます」
正道は頷いた。
三河。
遠江。
そして新たに加わった駿河。
徳川領は東海道に沿って長く伸びることになった。
そこを通じて西国の品が東へ流れてくる可能性もある。
反対に坂東の産物を東海道へ乗せ、西へ送り出す道にもなる。
「港も使える」
氏治が言った。
「はい」
「街道もある」
「ございます」
「ならば、そこを整えればよい」
戦のためではない。
商いのためだった。
箱根の道を整える。
宿を整える。
荷を扱う場所を決める。
駿河から相模へ入る商人が、どこで何を示せばよいのかを定める。
海路についても、伊豆と駿河の間でどの港を使うのがよいか徳川側と話し合う。
戦の間には敵の補給を止めるために見ていた道と港を、今度は人と物を流すために見る。
「どうだ」
氏治が聞いた。
「商いになるか」
正道は笑った。
「なると思います」
「ならばよい」
氏治の決断は早かった。
「お前が行け」
「……私が、でございますか」
「うむ」
氏治は当然のように言った。
「徳川への返礼使だ。お前を大使とする」
正道は姿勢を正した。
「承知いたしました」
「三河守殿へ礼を申せ。徳川より誼を求められたこと、小田としても喜ばしく思うとな」
「は」
「商人の往来も認める。街道も港も、必要ならば双方で話し合って整えていこう」
ただし、と氏治は続けた。
「戦が終わったばかりだ。兵と商人を間違えられて騒ぎになっても困る。最初は互いに分かるようにしておけ」
「証文などを用意いたしましょう」
「それがよい」
だが氏治は、交易そのものについて細かな指示を並べなかった。
鹿島正道なら分かっている。
徳川側と実際に話をさせ、商人にも聞けばよい。
むしろ氏治が知りたかったのは、これからだった。
駿河を加えた徳川領から、どんな品が坂東へ流れ込むようになるのか。
逆に、徳川の商人が坂東の何を欲しがるのか。
交易量が増えれば、市も変わる。
港も変わる。
街道沿いの宿も変わる。
それを見ながら必要なところへ手を入れていけばよい。
「正道」
「は」
「向こうをよく見てこい」
正道は氏治を見る。
「商いだけではない。道も港も、人の流れもだ。ただし間者の真似をする必要はないぞ」
「心得ております」
「徳川とは、これから争わぬために付き合うのだからな」
氏治は笑った。
「戦をしないための使者だ。堂々と見てくればよい」
正道も笑って頭を下げた。
こうして鹿島正道を大使とする返礼使節が整えられることになった。
徳川から使者が来た。
だから小田からも使者を返す。
その往復そのものが、箱根を挟んだ新しい関係の始まりだった。
ところが――
鹿島正道との話が終わるころには、氏治の心はすでに別の場所へ向かっていた。
正道が退出すると、氏治は近くに置かれていた地図を引き寄せた。
東海道ではない。
三河でもない。
駿河でもない。
相模だった。
氏治の指が、小田原の上で止まった。
「……氏政殿が、おらぬ」
誰に聞かせるともなく呟いた。
それこそが、今回の戦が残した最大の問題だった。
---
北条氏政は死んだ。
病でも寿命でもない。
戦の中で死んだ。
北条が正面突破を図った、その戦いの中で討死した。
だから北条にとって今回の戦争は、単に甲斐と駿河を失ったという話では終わらなかった。
当主を失ったのである。
北条氏康も、すでに何年も前に病で世を去っている。
そして今、その後を継いで北条を率いてきた氏政までいなくなった。
氏治は地図を見つめた。
氏邦がいる。
戦の最後には氏邦が北条勢をまとめた。
小田原にも戻った。
鶴岡八幡宮での誓約にも加わった。
だから北条家そのものがなくなったわけではない。
だが――
「以前と同じではないな」
それだけは明らかだった。
今回の戦で北条は大きな損害を受けている。
兵を失った。
将を失った。
そして当主を失った。
何より氏治が気になっていたのは、氏邦自身の態度だった。
鶴岡八幡宮。
信長。
家康。
氏治。
三者が神前で戦を終える誓いを立てたとき、氏邦は氏治の後ろへ控えた。
あれは単なる立ち位置ではなかった。
氏治にはそう見えた。
北条は小田と長く同盟してきた。
対等な同盟者だった。
ともに戦った。
互いの軍制にも触れた。
危急の際には兵を出した。
氏治自身、そのつもりで北条を救援した。
北条を家臣にするためではない。
同盟者だから助けたのである。
ところが氏政を失った氏邦は、小田を頼る姿勢を急速に強めていた。
そこには早川殿の存在もある。
氏治と北条を結ぶ血縁。
そして藤と桐。
氏邦は、その二人まで意識していた。
北条の先を小田との血縁へ託すような気配すらある。
氏治には、それが重かった。
「困ったものだ」
地図を見ながら呟いた。
北条が弱った。
ならば小田が相模を取ればよい。
そんな話にはしたくなかった。
それでは何のための天下不求なのか。
領土を欲して戦ってきたのではない。
ましてや、助けを求めてきた同盟者が弱った途端にその領国を奪うなど、氏治には到底受け入れられない。
だが――
だからといって、すべて氏邦に任せて小田が手を引けばよいというほど簡単でもなかった。
氏治は小田原へ指を置いた。
戦の最中、小田はここに軍司令部を置いた。
箱根を守るためだった。
真壁幹久。
笠間幹永。
宍戸。
下総衆。
南常陸衆。
さらに小山、新田、結城。
陸と海から大量の戦力を動かした。
大掾幹康の海軍も伊豆へ集めた。
その巨大な力によって、北条は最後のところで踏みとどまった。
だからこそ戦が終わった今、
その力をいつ引くのか。
これも決めなければならなかった。
いつまでも小田軍を相模に置けば、北条は事実上、小田の支配下にあるように見える。
かといって一斉に引き揚げれば、氏政を失ったばかりの北条が混乱したときに対応できない。
北条家中にも考えがあるだろう。
氏邦を中心にまとまろうとする者。
別の形を求める者。
小田との関係を強めようとする者。
反対に、小田へ呑み込まれることを恐れる者。
戦が終わったからといって、それらが消えるわけではない。
むしろ戦後だからこそ表へ出てくる。
氏治は腕を組んだ。
「徳川との方が、よほど簡単だな」
思わず苦笑した。
徳川なら敵だった。
箱根で線を引いた。
戦わないと決めた。
ならば商人を通せばよい。
鹿島正道を送ればよい。
道を整え、港を開き、互いに利益が出るようにすればよい。
だが北条は違う。
味方だから難しい。
北条を助けたい。
しかし支配したくはない。
氏邦を支えたい。
しかし小田の家臣にはしたくない。
相模を安定させたい。
しかし小田領にするつもりもない。
そして何より、北条自身が小田の下へ入ろうとした場合――
氏治は、それをどう扱えばよいのか。
鶴岡八幡宮で氏邦が自分の後ろに控えた光景が、どうしても頭から離れなかった。
氏治は地図から手を離した。
「まず氏邦殿と話すしかないか」
北条の未来を、小田だけで決めることはできない。
決めるべきでもない。
まず北条自身が何を望んでいるのかを聞かなければならない。
氏政亡きあと、誰を中心として家をまとめるのか。
小田との関係をどうするのか。
小田原をどう守るのか。
相模をどう治めるのか。
そして――
小田に何を求めているのか。
氏治は近習を呼んだ。
「鹿島正道の一行は予定通り西へ出せ」
「は」
「徳川との話は正道に任せる」
「承知いたしました」
氏治はもう一度、小田原を見た。
西では、昨日までの敵であった徳川家康が手を差し出している。
その手を取ることに、氏治は迷わなかった。
天下不求。
戦わずに済む相手とは、商いをすればよい。
問題は東だった。
助けたはずの同盟者が、戦の中で当主を失った。
そして生き残った者たちが、小田を頼ろうとしている。
氏治にとって、こちらの方がはるかに難しかった。
領土を奪う戦ならば、勝敗で終わる。
しかし――
領土を奪わずに、弱った同盟者をどう支えるのか。
その答えは、戦場のどこにも落ちていなかった。
天正四年二月。
鹿島正道が返礼使として徳川領へ向かう準備を始める一方、小田氏治の目は相模へ向いていた。
戦は終わった。
だが氏治にとって、本当の意味での戦後はこれからだった。
氏政亡き北条を、北条のまま残せるのか。
それが次に氏治が向き合わなければならない問いとなっていた。




