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第4話 どちらも、本物。

「なんや、その顔。知っとったんか?」


 玲奈の声に、美咲は画面から顔を上げた。


「いや、知ってるっていうか……本当なんですか?」


 隣の楓へ目を向ける。


「はい。本当ですよ。私も最初は驚きました」


 その横で、玲奈がわずかに目を細めた。


「なんで楓に確認とんねん」


「他意はないですよ!」


 美咲は慌てて両手を振った。


 玲奈がテーブルへ置いたスマートフォンを、もう一度覗き込む。


 そこには、確かにモデルの神城刹那が写っていた。


 夢でも、見間違いでもない。


 この人と、これから会うのだ。


 そう分かった途端、胃がきりきりと痛み始めた。


 帰りたい。


 その気持ちを押し込むように、美咲はみぞおちをさすった。


「さて、お二人がいらっしゃる前に、準備をしておきましょうか」


 時計へ目を向けた楓が、椅子から立ち上がる。


 玲奈は、座ったままスマートフォンを手に取った。


 その後ろで、楓の足が止まる。


「……ん? なんや」


 玲奈は背もたれに頭を預け、後ろに立つ楓を見上げた。


「変な声を出していないで、玲奈さんも手伝ってください」


「嫌や~」


 楓は返事をせず、玲奈の腕を取った。


「ちょっ、待ってや。自分で歩くから」


 引き立てられるように、玲奈が厨房へ消えていく。


 美咲は口を開きかけ、閉じた。


 行かないでほしい。


 どちらか一人でも、ここにいてくれたら。


 一人にされたら、緊張で倒れてしまうかもしれない。


 腕時計に目を向ける。


 約束の時間まで、あと一時間ほどあった。


 美咲はテーブルに置かれたメニューを手に取り、開いた。


 とりあえず、何を頼むか考えよう。


 文字を目で追い、ページをめくる。厨房からは、食器の触れ合う音と、二人の声が時折聞こえていた。


 それから、何分経っただろうか。


 今なら、メニューを見なくても注文ができる気がする。


 何度も時計を確かめ、そのたびにメニューへ視線を戻した。


 また最初のページに戻ったところで、入口の扉が開いた。


 冷たい空気が店内に舞い込む。


 美咲はとっさに、メニューで顔を隠した。


「おー、アリスやん。いつぶりやっけ?」


 カウンターの方から、玲奈の声がする。


「最後に会ったのは、貴女達が店舗の下見に来たときね。もう半年以上前になるわ」


 メニュー越しに聞こえる、透き通った声。


 美咲の肩が跳ねた。


「背ぇ伸びたんちゃう?」


「……今日は貸切と聞いていたけど、まだ早かったわね」


 こちらに、視線が向いた気がした。


 姿が見たい。


 そう思えば思うほど、メニューを握る手に力がこもる。


「あー、あのお姉さんな。そろそろ時間なんやけど……一向に出る気配がないんや。ちょっと聞いてきてくれへん?」


 アリスの返事はなかった。


「そんな目で見んといてや……ほら、いつもみたいに、びしっと言うたり」


「貴女の仕事でしょう? それと、私を何だと思っているの?」


「冷徹お姫様」


「……聞いた私が間違っていたわ」


 足音が、近づいてくる。


 それに合わせて、鼓動が大きくなった。


 美咲はまぶたを強く閉じ、息を整えた。


 足音が、すぐそばで止まる。


「失礼。少しいいかしら?」


「ひゃい!」


 返事が裏返った。


 美咲は次の言葉を待ったが、アリスは一向に喋らなかった。


 そっと、メニューから顔を上げる。


 正面に立つ少女の姿に、美咲は息をのんだ。


 白いワンピースの上に、紺色のコート。


 絹のようになめらかな肌に、碧い瞳。


 人形のように整った顔からは、感情が読み取れない。


 長い銀髪が店内の灯りを受け、わずかに青みがかっていた。


 アバターのアリスが、目の前にいる。


 アリスはわずかに目を細め、美咲を見つめていた。


「……失礼だけど、お名前を伺ってもいいかしら」


「あっ……美咲、です」


 碧い瞳が、一度瞬いた。


 アリスはカウンターへ顔を向ける。


「玲奈。どういうこと?」


「どういうことも何も、美咲やん。なんや、忘れたんか? 薄情なやっちゃなー」


 近づいてきた玲奈へ、アリスは目を向けた。


「面白くない冗談は嫌いよ」


「冗談やないわ」


「……楓はいるわね。呼んできて」


「お前もかーい!」


「早く」


「はい……」


 玲奈は肩を落とし、厨房へ消えていった。


 美咲は、俯きがちにアリスを見上げた。


 現実のアリスは、少しだけ大人びて見えた。


 どこの国の子なのだろう。


 海外にはあまり縁がなく、見た目からは想像もつかない。


 けれど、やっぱり、あの時の子に間違いなかった。


 忘れもしない。


 あの日、美咲が見惚れた少女が、アリスだった。


「はいはい。どうかしましたか?」


 割烹着姿の楓が、布巾で手を拭きながら現れた。


 アリスの視線が、こちらへ向く。


「あの方は?」


「美咲さんですよ」


 美咲も、小さく頷いた。


「……はい。美咲さんです」


 アリスは、片手で額を押さえた。


────────


 向かいに座ったアリスは、説明を聞き終えても、しばらく額を押さえたまま動かなかった。


 やがて、長い息を吐く。


「事情は分かったわ」


 美咲は膝の上で指を握り、次の言葉を待った。


「……顔を上げて。そのままでは話しづらいわ」


「す、すみません」


 慌てて顔を上げると、碧い瞳と目が合った。


「何を謝っているの?」


「えっと……子供だと、思わせてしまっていたので」


「私がそう思っていただけでしょう」


 アリスは、テーブルへ手を下ろした。


「驚きはしたわ。でも、貴女に謝られることではないもの」


 そして、こちらへ片手を差し出す。


「アリス・フォン・クロイツフェルトよ」


 アリスのフルネーム。


 心の中で、何度もその名前を繰り返した。


 美咲は、差し出された手を見つめた。


 細い、綺麗な手。


 そっと両手で包む。


「ひ、柊美咲です!」


 その手は、少しだけ冷たかった。


 手を離してからも、アリスは美咲を見ていた。


 美咲は落ち着かず、膝の上で手を重ねる。


「そんなにまじまじ見られると、なんか恥ずかしいですね」


「ごめんなさい。失礼だったわね」


「いえいえ! 失礼だなんて」


 慌てて首を横に振る。


 アリスは一度目を伏せ、再びこちらを見た。


「……本当に美咲なのね」


 小さな呟きの後、彼女は姿勢を正した。


「ひとつ聞きたいのだけれど、いいかしら?」


「何でしょう」


「ゲーム中、何か違和感はないかしら? 視界が歪む、気分が悪くなる……些細なことでも構わないわ」


 美咲は、普段の自分を思い返した。


 歩く時も、走る時も。食事をする時も、戦っている時も。


 今まで、それが普通だと思っていた。


 体が思うように動かないと感じたことも、特にはない。


「んー……ないですね。そもそも、何が違和感なのかもさっぱりで」


「そう。なら、一度運営に問い合わせた方がいいかもしれないわね。問題なく動けている理由は、私には分からないもの」


「やっぱり、そうですよね」


 美咲は、重ねた手へ視線を落とした。


 確かめた方がいい。


 昨夜から、そう思ってはいた。


 けれど、問い合わせた結果、不正な利用だと判断されたら。


 もう、ゲームができなくなってしまったら。


「何か、気になることでも?」


 アリスの声に、美咲は唇を結んだ。


「もし、問い合わせて……不正利用で、ゲームができなくなったらって」


 アリスは、わずかに眉を寄せた。


「貴女は真っ当にプレイしていたのでしょう? なら、後ろめたい事は無いはずよ」


 美咲は、小さく頷いた。


「それよりも、分からない状態で続けて、貴女に何かが起きる方が、よぽど問題だわ」


 美咲は顔を上げた。


 アリスは、まっすぐこちらを見ていた。


「無理強いはしないわ。けれど、このまま放置することも勧めない」


「……はい。分かりました。明日にでも、問い合わせてみます」


「そうしなさい」


 その返事に、美咲の口元が緩んだ。


 ゲームの中でも、こうして話をしていた。


 困ったことを相談して、はっきりと答えが返ってきて。


 気づけば、同じように頷いている。


「何を笑っているの?」


「いえ。目の前に、本物のアリスさんがいるんだなぁって思ったら、不思議で」


 アリスは、小さく顔を傾けた。


「ゲーム内の私も、今ここにいる私も、どちらも本物よ。少し、見た目が違うだけ」


 どちらも、本物。


 美咲はその言葉を、胸の内で繰り返した。


 膝の上で重ねていた手から、少し力が抜ける。


 アリスが、腕時計へ目を落とした。


 美咲もつられて、自分の腕時計を見る。


 十五時を、少し過ぎていた。


「誘った本人が遅刻。あの子は、何をしているのかしら」


 美咲は、つい声を漏らして笑った。


 アリスが顔を上げ、こちらを見る。


 鋭い視線まで、いつもと同じだった。


 それでも今度は、笑みが引っ込まなかった。


 その時、入口の扉が開いた。


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