カレン・フォン・シュタインの誤算
「……緊急事態です!
リィンさん、王都の中央商店街が、パニックを通り越して『未曾有の特需』で崩壊しかけています!」
カイトが事務所に飛び込んできたのは、魔物たちに初めての「週給」が振り込まれた日の夕方だった。
わが社が設立した『魔界・ラストリゾート信用金庫』から発行された魔導キャッシュカードを手に、仕事を終えた魔物たちが一斉に王都の街へと繰り出したのだ。
「判定:経済学における『限界消費性向』の理論通りの結果です」
そして。
「……カイト君、具体的に何が起きているか報告を」
さらに。
「ルルさん、王都全域の魔導防犯カメラ映像を解析、暴動の兆候がないか確認してください」
「……了解……。……現在……商店街の……人口密度……通常の300%に上昇……。ただし……暴力沙汰……0件……。……魔物たちは……皆……『行列』を守っています……」
ホログラムに映し出されたのは、異様な、しかしどこか微笑ましい光景だった。
身長三メートルのオークが、人間の子供に混じって「高級パテ」の屋台に並び、スケルトンたちが「骨董品店」で自分たちのスペアパーツ(骨)を真剣に吟味している。
毒竜の末裔にいたっては、ドラッグストアで「喉飴」を箱買いし、あまりの嬉しさに店主に握手を求め、
店主が泡を吹いて気絶するという、ささやかな(?)事故が起きている程度だった。
「……何よこれ……。こんなのありえないわ!」
カレンがモニターを凝視しながら叫んだ。
彼女の想定では、給料を手にした魔物たちは酒場で暴れ、王都を恐怖に陥れ、それによって『魔物雇用禁止命令』が下されるはずだったのだ。
「なぜ……なぜ彼らは暴れないの!?
欲望の塊である魔物が、人間の中でこんなに理性的でいられるはずがないわ!」
「カレン監査官。理由は単純です。彼らには『失うもの』ができたからです。
ルルさん、彼らの『個人信用スコア』を表示して」
「……表示中……。……大倉さん(オーク)……スコアA。……ローンを組んで……自分専用の……調理器具を……購入希望……」
さらには。
「……骨川さん(スケルトン)……スコアA+。……実家の……墓石のリフォーム費用を……貯蓄中……」
画面には、魔物たちの「生活の夢」がデータとして並んでいた。
「……自分自身の口座、自分自身の名前、そして自分自身の『夢』」
「夢ですって!?」
「……これらを持つ者が、たかが酒場の喧嘩でそれらを失うリスク(解雇および資産凍結)を冒すと思いますか?」
「そんな……」
「 ……彼らは今、この王都で最も『真面目な消費者』に変貌したのです」
だが、
事態はそれだけでは終わらなかった。
この「魔物マネー」の流入により、王都の商店主たちの態度が劇的に変わり始めたのだ。
昨日まで魔物を忌み嫌っていた商人たちが、今や「オーク様向け・超大盛り弁当」や「死霊向け・無臭防腐香水」といった新商品を次々と開発し、もみ手で彼らを歓迎している。
「……見なさい、カレン様。……経済という名の『欲望の連鎖』は、種族の壁よりも遥かに高い」
一拍。
「……エデンが『恐怖』で繋ぎ止めていた、この街の秩序は、今やわが社の『賃金』によって、より強固なものへ書き換えられました」
しかし、その平和な光景に、冷や水を浴びせる影が動いた。
中央広場に設置されたエデンの巨大モニターに、突然、血の繋がらない「偽の労働者」を名乗る魔物たちが映し出されたのだ。
彼らは
「リィンに騙されて強制労働させられた!」
と嘘の告発を始めた。
「……ククク。……甘いわよ、リィン」
カレンが歪んだ笑みを浮かべる。
「……魔物たちの理性が保たれているなら、その『情報』の方を汚してあげればいいだけのこと」
さらに。
「……偽の被害者を仕立て上げるなんて、帝国の情報操作術の基本中の基本よ!」
街のあちこちで、魔物たちを見る人間の目に再び疑念の火が灯り始めた。
「判定:……。フェイクニュース(情報の捏造)ですか。……非常に古典的、かつ『精算』が容易な攻撃ですね」
私は、眼鏡を中指で静かにクイと押し上げた。
ピートが私の肩で
「ニャッ(返り討ちにしておしまい)」
と短く鳴く。
事務官リィン。
私は、この不当な世論操作に対し、
法の網ではなく「圧倒的な透明性」という名の劇薬を投下しようとしていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
サクッと読めるスナック感覚の作品ではありませんが、楽しんでいただければ、嬉しいです。
リィンの次なる仕掛けとは?来週の土日に続きます。
気になる方はブクマと星一つでもいいので評価をお願いします。




