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「……ただいま」
家の中から、おかえりの返事はなかった。そっと扉を閉じて、靴を脱いで、中へと進む。中は薄暗くて、透が最後に家を出たときのまま残っていて。深く息を吐いて、その場にずるずると座り込む。
お父さん、帰ってきてないな。
透には、母がいなかった。幼いころに透は何度か母について尋ねたことはあるが、いつも父は悲しげな顔をして、お前のお母さんはお空に行ってしまったんだよ、と言うのだった。だけど、寂しくはなかった。いつも透の近くには、優しく自分のことを見守ってくれる父親の存在があったからだ。
ひとり親というのもあってか、経済状況はあまり良くなく、父はよく職を転々としていた。そんな父について行って、透も学校を転校してばかりだった。だから今までに特別仲の良い友達というのはいなかったし、1人で過ごすことが多かった透にとって、変わらず傍にいてくれる父は、透にとって唯一の親族で、心のよりどころだったのだ。
父だって大変なのに、透のことを大学に通わせてくれて、誰よりも透のことを考えてくれていて。
そんな父が、ある日を境に家に帰ってこなくなったのだ。
初めは、仕事が長引いているのかな、と思っているだけだった。どんなに忙しくても、ちゃんと連絡をくれる父のことだ、帰れなくなっているのなら、何かしらの連絡をくれるだろう。そう思っていた。だが、父からの連絡は無かった。帰ってこなかった。
おかしいと思ってから、すぐに警察に駆け込んだ。行方不明届を出して、早く見つかって、と願う日々。
それからは、何もなかった。
それでも生きていくためには、日々の営みを絶やしてはならない。1人ぼっちでご飯を食べることが当たり前になっても、家からだんだん父の気配が消えて行って、胸がきゅっと苦しくなっても。
輝夜は、今住んでいる家から完全に引っ越すのではなく、一時的な下宿のようなものだと言っていた。こういった生活を続けていた透にとって、この家を離れて輝夜の下で暮らすというのは、ある意味心の整理をつけるという意味でも良いタイミングなのかもしれない。というか、これ以上この寂しさを感じながら生活を続けていくと、透自身が完全に参ってしまいそうであった。目を背けているだけなのかもしれないが、透はこの選択が最善策であると思ったのだ。
「……よし」
透はすっと立ち上がって、頬をぺちぺちと叩く。とりあえず、家を離れてみることにしたのだ。やっぱり辞めますとかは言えない。そう腹をくくって、透は不在の間にたまった汚れを取り払うために、家の掃除に取り掛かることにした。
***
バイト先に電話をかけると、もう話が伝わっていたようで、辞める話もすぐに通った。怪我で復帰が難しいから、と説明されていたらしい。本当に、どこまで根回しがされているのだろうか。大学にも話は伝わっていたようだった。学生課に向かうと、名前を言っただけであ、入院していた学生さんね、と言われ、公欠がすんなりと受理された。
こうして家に帰ってから日常に戻っていく中で、保護されていた期間のことを思い出すと、改めてその異常性が浮き彫りになる。普通はあんなにひどい怪我を負っているのならば絶対に病院に連れていかれるだろうし、バイト先や大学への連絡だってしてくれない。手厚いんだか怪しいんだか何だかよくわからない出来事の連続の先にあるのは、宝石人間という言葉。自分がそうであるという事実や、目の前で見た真琴の能力。
正直夢であってほしいと願うばかりであったが、机の上に置いてある大量の資料がそれを許さない。最後に輝夜から持たされたそれは、宝石人間に関する説明や受けることのできる支援などが書かれている重要な資料らしく、次に迎えに行くまでに全部目を通しておいてね!と言われたものである。宝石人間の話は普通の人間には話してはならず、国を挙げての秘密事項となっている。このスケールの大きさに、透は自身が抱えきれるのかと不安になるのだった。
もう1つ、透の生活の中で無視できないことがある。そう、友人の夕貴についてだ。夕貴は透の父の事情を知っている唯一の友人である。日に日に元気がなくなっていく透の話を聞いてくれたり、気分転換に連れ出してくれたりと面倒見がよく、透の心の支えになってくれている友人なのだ。
夕貴には大学復帰前に軽く連絡を入れたのだが、既読が付いた瞬間に電話がかかってきて、それはもうすごい勢いであった。終始透に対する心配や連絡が一切なかったことに対する怒りなどでいっぱいで、透は申し訳なさを感じた。まあ、生きていて良かった、と涙交じりの声が電話の向こうから聞こえてきて、透の目にもじんわりと涙が浮かぶ。自分のことを心配してくれる友達がすぐそこにいて、安心したのだ。
「ほんっっっとうにびっくりしたんだから、全く……」
「えっと、ごめんね……?」
昼休みに大学の空き教室で二人、並んで昼食をとる。学生課に向かってから講義向かい、開始直前の到着であったため、透は夕貴と離れた扉の近くに座っていたのだが、講義後教室を出ようと立ち上がった瞬間に近くまで移動してきた夕貴に腕を掴まれ、今日はここでご飯食べるよ、話も聞くからね、と怖い顔をして再度座らされて、今に至る。
「もう謝らなくていいよ、てか透が謝る理由なんて1つも無いし。こうなるまでの話聞いたらさ、こっちが怒っちゃったのが申し訳ないくらいだし」
でもやっぱり、透は夕貴には本当に申し訳ないことをしたなと思う。友人が2週間も連絡が取れずにいて、大学にも来ていないとして。透が夕貴の立場であったなら、不安で夜も眠れなくなるのではとさえ思うのだ。全部話してしまいたくなったが、宝石人間うんぬんかんぬんのことは全部省かねばならなかったため、苦労した。一応入院していたという扱いになっているらしいので、そのていで。
「最近の透って大変なことばかりだったし、元気なかったじゃん。だから連絡取れなくなった時、本気で焦ったの。透、死んでないよね?って。実際ガチでやばかったけど、でも、透が無事で、こうやってまた一緒にご飯が食べられるようになって、めっちゃ安心したんだ」
「夕貴……」
そう言って、夕貴は透の方を見ながら照れくさそうに、でも優しく笑う。その顔を見ていると、散々泣いたはずなのにまた目にじんわりと涙が浮かんできて。そんな透のことを見て、焦ったようにハンカチを差し出す夕貴の目も、涙が滲んでいたのだった。




