プロローグ
きらきらとしたシャンデリアに、汚れ一つないテーブルとふかふかの椅子。そしておもてなしをしてくれるのは、見目麗しいメイドさんと執事さん。
真霞透、20歳。彼女は、初めて訪れるコンセプトカフェに、緊張を隠せずにいた。
事の発端は、彼女の友人である、金子夕貴にある。なんとも最近、とある全席予約制のコンセプトカフェが少しずつ知名度を上げているらしい。聞けば店内は撮影禁止で、コンカフェによくあるチェキ撮影などのオプションが無いのにも関わらず、コンセプト良し、料理良し、キャストの質良し、ととても好評らしく、そういった類の界隈で推し活なるものをしている夕貴の耳にもその評判が入ってきたようだ。コンセプトとしては、宝石の妖精たちがメイド・執事として働いているだとかなんだとか、そういういかにもなものであると聞いている。
透はそう言った遊びには一切興味が無く、今までも一度もついて行ったことが無いのだが、このコンセプトなら透も行きやすいだろうと誘われて、まあ、一回だけならとのこのこついてきたというわけだ。だが右も左も何の作法も知らない透にとってこの場所は眩しくて、異世界過ぎて、今すぐにでも帰ってしまいたいという気持ちであった。
「おかえりなさいませ、お嬢様方!」
そう言って、赤髪の可愛らしい少女が透達の座っているテーブルにやってくる。きゅるきゅるとした愛らしい顔に、大きなツインテール。可愛らしい鈴のなるような声ときらびやかな制服が、この場所がそういうお店であるという事を透に知らしめてくる。
「お嬢様方は、久しぶりのご帰宅でいらっしゃいますよね?私、とーっても長い間、お嬢様方のことを、お待ちしておりました!」
そう言いながら手際よくコースターを用意し、お冷を置いていく姿はメイドさんそのものであった。
「とっても久しぶりのご帰宅のお嬢様方は、私のこと、覚えていらっしゃらないと思うので、改めて自己紹介させていただきますね!」
胸元に着いている名札に手を添えて、見せてくれる。
「私はペリドットの妖精で、メイド長のるなと申します。改めて、よろしくお願い致します!」
完璧な笑顔に、胸元できらりと輝く緑色の宝石。なるほど、このお店のコンセプトを少し理解してきたような気がする。透はおずおずと頭を下げて礼をした。
「もうっ、そんなに緊張なさらなくてもいいのですよ、お嬢様。」
楽しそうな友人に比べて表情の硬い透の様子を見て、輝夜は悲しいですといった表情を浮かべる。
「ごめんなさいるなさん、この子、緊張しやすい子なんですよ。」
そう茶化すように言う夕貴の言葉に、いつもなら一言訂正を入れたくなるものだが、今の透にはそこまでの余裕はなかった。
「そうなのですね、お嬢様方は久しぶりのご帰宅ですものね。でも大丈夫、ここでは肩の力を抜いて、リラックスしてもらって構いませんよ。」
だって、お嬢様方のお屋敷ですから!
そう言って笑うるなの顔は、とても優しくて。透も大丈夫かも、と肩の力を抜くのだった。
るなさんのおすすめのミルクティーとケーキを注文した二人は、改めて店の中をぐるりと見渡す。
「ね、ここのキャストさん、みんなめっちゃ顔良いよね。」
控えめに夕貴に言われて、透もキャストのことをさりげなく観察する。店内にいるキャストは、るなを含めて5人。皆事前に聞いていた評判通りの顔の良さである。夕貴はキャストを見るだけでも十分楽しめているようだ。
「私はあの男の子がタイプだな~、アイドル顔じゃない?」
夕貴の視線の方に透も視線を移す。すらりとした体形に、少し長い髪の毛を耳の近くで一房軽く縛っている、やんちゃそうな男の子。なるほど、夕貴の好きそうなタイプではある。
「あとその横でお話し中の女の子もめっちゃ可愛いんだけどさ、すごいね、お客さんの方も顔が良い。」
キャストの顔が良かったら、自然と顔のいい客が集まってくるものなのかな、と呟く夕貴を見て、どこから他のお客さんまで見られるような余裕が生まれるのか知りたくなる。透は、控えめにキャストを見るだけでいっぱいであった。
「それにしても、宝石コンセプトっていう普通の設定で、ここまで世界観作り込めているのってすごくない?今までに行ったどのコンカフェよりもしっかりしているかも」
「……確かに、そうかも?」
宝石。それは、透や夕貴たちの生きているこの世の中では、常に人間の隣にある物質である。宝石にはエネルギーが内包されており、人間はそのエネルギーを利用して日常生活を送っている。それは掃除機や洗濯機といった、毎日使うような家電であったり、電車や飛行機といった交通機関であったり。宝石は様々な機械の部品の一部として使われている。
その一方で、宝石の中でもエネルギーを内包していなかったり、微々たるものであったりするものは装飾品に回され、その輝きで人々を魅了してきた。透だっていくつか宝石のアクセサリーを持っているし、目の前にいる夕貴なんかは今日も、お気に入りだという小さなダイヤモンドのピアスを身に着けており、自身の耳元で控えめに、けれども上品な輝きを放っている。
そんなこんなで透たちの日常に溶け込んでいる宝石は、普遍的で、なんてことない物質なのだ。それ故に、宝石をコンセプトにしている物語や作品などは珍しいものではなく、だからこそこうして世界観を作りこんで、他のものと差別化されているというのが素晴らしいのだ、と夕貴は語っていたのだが、そういったものに詳しくない透は話があんまり理解できず、聞き流すような形になってしまった。
「お待たせしました!」
ひそひそと話す2人のテーブルに、ガラガラとワゴンを押してるながやってきた。ワゴンの上には上品なカップとソーサー、紅茶が入っているであろうポット、そしておすすめされたタルト・タタンが乗っている。
「こちらがミルクティーと季節のケーキ、タルト・タタンでございます。」
ミルクティーとケーキについての軽い説明を聞きながら、テーブルに並べられていく者たちを見る。タルト・タタンはつやつやで、シナモンのいい香りがする。るながカップに入れてくれた紅茶も鮮やかで、おいしそう。まだ暑いのにホットを頼んでしまったことに若干後悔していたが、そんなものはすぐにどこかへ飛んで行った。
さあどうぞ、と言われて2人はさっそくフォークを手に取る。タルト・タタンは口に入れた瞬間、甘酸っぱいリンゴの味と、香ばしい香りが口いっぱいに広がる。こういったお菓子にはミルクティーがよく合うんですよ、と教えてもらったことを思い出し、カップを手にしようとするが、ミルクティーからはまだ湯気が立ちあがっている。眼鏡が曇ることを考えて、外してテーブルの隅っこに置いた。ミルクティーを口にする。なるほど、このまろやかさはタルト・タタンにぴったりだ。
ふいに、違和感。何やら沢山の視線が集まっているような、少し居心地の悪いような。少し顔を顰めた透を見て、輝夜が心配そうな声で聞いてくる。
「……お嬢様、どうかされましたか?」
「いっ、いえ!大丈夫です。」
るなの問いかけに慌てて返事をする。気が付けば、居心地の悪さはもう消えていた。きっと気のせい。大丈夫。それよりも今はおいしいケーキに集中したいな。そう自分に言い聞かせながら談笑していると、いつのまにか違和感があったことも忘れていった。
***
「この間一緒に行ったとこ、良かったよね。料理もおいしくて、みんな顔が良くて。」
まだ蒸し暑い九月の半ば。透と夕貴は、並んで大学までの道のりを歩いていた。長かった夏休みも終わり、後期の授業が始まる。だるい体に鞭をうち、単位の為だと体に言い聞かせて歩く。
楽しそうに話す夕貴に相槌を打ちながら、透もぼんやりと先日のことを思い出していた。二人が訪れたコンセプトカフェLustaは、きらびやかなで、夢のようで、透にはちょっぴり背伸びした世界で。だけどどこかアットホームな、歓迎してくれているという感覚が心地よい、不思議な空間であった。楽しかったけど、もう一回行くのには勇気が要るかな。そう思いながら歩いていると、やばい!と焦ったような子どもの声が。
「透、危ない!」
え?と驚いたのもつかの間、がん、とおでこに衝撃が走る。
目元から眼鏡がずり落ちて、地面へと吸い込まれる。地面とぶつかると同時に、カランと音が聞こえた。視界が急に広くなる。
「こら!どこ狙って投げてんの!」
夕貴の怒る声、ごめんなさい、と謝る子どもの声。どうやら子どもの投げたボールが、透のおでこに直撃してしまったらしい。幸い、ボールは柔らかいもので、透自身に痛みや怪我は全くなかったように思えた。怒ってくれている夕貴を見ていると、どこか他人事のように思えた。
「大丈夫だよ、怪我してないし。」
「でも透、こいつら……!」
「本当に大丈夫なの、痛くもないし。」
だから、気にしないでね。
そういって子どもの頭を撫でてやれば、泣きそうな顔から少し落ち着いた顔に変わる。もう一人の子が眼鏡を拾っておいてくれたようで、申し訳なさそうにこちらに手を伸ばす。
「……あ。」
子どもが拾い上げてくれた眼鏡を確認すると、鼻パッドの部分のねじが壊れ、取れてしまっていた。しかも、眼鏡が落ちると同時に部品がどこかへ飛んでしまったらしく、見当たらない。根元の方からぽっきり折れてしまっているため、透の力だけでは修理することはできなさそうだ。
「あちゃー、壊れちゃってんじゃん。」
「……大丈夫だよ、修理に出せばいいし。ちゃんと元通りになるよ。」
子どもたちを安心させるために口にした言葉だったが、その声はどこか寂しそうなものであった。ぎこちない笑顔を浮かべて、何度も大丈夫だと言い、半ば無理やりに子どもたちを公園に帰す。二人はまた、大学までの道のりを歩きだした。何度も気にしていない、大丈夫だとは言ったものの、その言葉を繰り返すことによって、少しずつ、悲しさが透の心を蝕んでくる。
今まで壊したことなんて、一度もなかったのにな。そう思いながら眼鏡を手にもったまま、大学までの道をとぼとぼ歩く。
「やっぱり、あの子たちに弁償させた方が良かったんじゃないの、それ。」
「うーん、でもこの部分だけだし。あんなに泣きそうな顔してるの見ちゃったら、もういいかなって。」
「……でもそれ、透がずっと大事にしていた眼鏡でしょう。お父さんからもらった、て言って。」
そう、これは透が父からもらった大切な眼鏡で、ずっと透と一緒の、お守りみたいなものだった。
透の父は、何の仕事をしている人なのかわからない人であった。だが、物作りにはとても長けているらしく、この眼鏡も父が透の成長に合わせて何回も作り直してくれた、世界に一つだけの眼鏡なのであった。
「それにしても、透って別に視力が弱いわけではないんでしょ、なのにずっと眼鏡して。邪魔じゃないの?」
「うん、小さいころに視力の矯正でかけるようになって、今はもう大丈夫なんだけど、やっぱり眼鏡がないと落ち着かなくて。」
「ふーん、そういうものなのかな。」
夕貴はそう物珍しそうにつぶやいたと思えば、ぐいっと透の顔を覗き込み、真剣な顔をした。
「……やっぱさあ、透って眼鏡しない方がいいよ。壊れたのはもちろん良くないけど、今の方が可愛い顔がよく見えるし、キラキラしてるもん。」
「うーん、そうかな。」
キラキラしてる。それは、透が幼少期からよく言われる言葉であった。そして、透が眼鏡をかけ続ける理由の一つでもあった。
透は、幼いころからよく目立つ子供であった。何もしていないのに、周りの視線を集める。キラキラしているね、と言われ、まじまじと顔を見られる。その時に生まれるチクチクとした感覚は、透に居心地の悪さを覚えさせた。
だが、眼鏡をかけているときは、そのチクチクとした居心地の悪さを感じることは無かった。眼鏡という硝子のベールが、透のことを守ってくれる。眼鏡をかけ続けるというのは、透の安寧を保つための手段であった。
父に修理してもらうのが一番だが、最近の家の事情だとそう簡単にはいかない。透の家は、ちょっと複雑なのだ。仕方がないが、しばらくは眼鏡なしで過ごすしかない。そう腹をくくって、透はそっと、宝物をしまうように、鞄の中に眼鏡を入れたのだった。
そして、眼鏡無しの生活を始めてから、早三日目。透と夕貴は、大学の隅っこで縮こまりながら昼食をとっていた。
「まさか、あんたの顔にあそこまでのポテンシャルがあるとは思ってもみなかったわ……」
そう呆れたように言いつつも、透のことを見捨てないでいてくれた夕貴には感謝しかない。
眼鏡をかけずに大学に行った透は、それはもう目立った。席につけば、あんなかわいい子いたっけ?と囁かれ、休み時間や移動中には何度も声を掛けられ。眼鏡一つでここまで変わるのかと驚くと同時に、眼鏡には何らかの力があって、本当に透のお守りになってくれていたのではないかと思うほどであった。
初めは面白そうにしていた夕貴も、流石にこれはまずいと思ったのか、授業終わりに囲まれそうになる透の手を掴み、逃げるように移動することが最近の流れとなっていた。
「最初は楽しかったんだけど、なんか無理やりにでも連絡先交換しようとする人とか、明らかにやばくない?て人とかも近づいてくるようになったもんだから、もう疲れてきた……あの眼鏡、ほんとに何か魔除けみたいなのついてるでしょ。透、眼鏡早く元に戻んないの?」
「私も早く修理したいんだけど、時間が合わなくて……」
透の眼鏡を作ってくれたのは、透の父である。だから修理も父に頼むつもりでいたのだが、事情があってそれは叶わない。
「もうお父さんのこと待たなくていい。眼鏡の鼻のとこくらいなら、ここら辺の眼鏡屋さんでも対応してくれるでしょ。」
行ってきな。今日中に。
そう鬼のような顔をして言う夕貴の気迫に押されて、透は小さくはい、と返事を返すことしかできなかった。
本日の講義もすべて終わり、1人とぼとぼと帰路に就く。夕貴はバイトに向かうため、大学前で別れた。帰り際にもう一度、絶対に修理に出しなさいよ!と指をさされながら言われ、透自身も絶対に修理に出そうと決めていたので、スマホで近くの眼鏡屋さんを調べながら歩いていく。今日の透にはバイトの予定も、遊びの予定も入っていなかったため、このまま眼鏡屋さんに直行することができる。
時刻は18時を少し回ったところ。今から駆け込んでも間に合うかな、今日中に修理は終わるのかな、そう頭の中で考えながら歩いていくと、いつの間にかあたりは真っ暗になっていた。この時間帯になると、ここら辺を歩くのは大学終わりの学生のみ。道には透しかおらず、なんだか少し、怖くなった。まるでこの世界に透しかいないような、そんな孤独感があった。
早く眼鏡屋さんまで行って、最悪眼鏡だけ預けて、明日受け取りに行こう。そう思って歩く速さを上げた瞬間。
ちらちらと、空から何かが降ってくる。
「……あれ、雨?」
それにしては、ふんわりしているような。手に振ってくるものを受け止めて、確認してみる。それは、手に落ちてきた瞬間にじわっととけて、水滴になる。雪だ。
「9月に、雪?」
違和感はそれだけではない。手に落ちてきたときの冷たさや感覚。それはまさに雪としか例えようのないものであったが、その雪には色がついていた。赤い雪だったのだ。何かがおかしい。得体のしれない恐怖に身を強張らせる。その時。
シュッと静かに音を立てて、顔の横を、何か鋭いものが通り過ぎて行って、勢いよく地面に刺さった。
「……え?」
近づいて確認してみると、それは刃物のように鋭く、それでいて包丁やナイフなどとはまた違った形をしていた。例えるならば、そう__苦無のような。
頭の理解が追い付かないまま、また透のすぐ近くに苦無のようなものが刺さる。
「ひっ……!」
勢いよく後ろを振り向くと、人影が2つ。どちらも全身黒ずくめで、顔が見えない。その手には、あの苦無が握られていた。
狙われている。
なぜこんな状況になっているのか、自分は何か巻き込まれるようなことをしたのか、一切見当もつかない。だが今この瞬間、自分の命が狙われているという事は分かる。
逃げなければならない。とにかくそれだけ理解した透は、震える脚を無理やり動かして駆け出した。暗い夜道は見通しが悪く、どこへ行けば安全かもわからない。誰か助けてほしい。混乱している透はとにかく走ることしかできなかった。角を曲がって、がむしゃらに走って、どこか遠くへ、安全なところへ。
脚に、衝撃が走る。そしてすぐに、尋常じゃない痛みが透を襲う。衝撃のせいで足がもつれ、前の方に倒れる。咄嗟のことだったので受身が取れず、頭を強く地面に打ってしまった。くらくらする。何とか足元を確認すると、ふくらはぎのあたりに大きな切り傷があった。正常に動かない頭でも、結構深い傷であることは理解できた。もっと後ろの方から、ゆらゆらと人影が近づいてくるのが見える。逃げなくては。でも、もう体が動かない。
もう、だめかもしれない。瞼が重くなる。誰か、誰か。
「前方に2人、隠れているのが3人。うん、これくらいなら余裕……かな」
__不意に、声が聞こえた。その声からは敵意は感じられなくて。
「もう、大丈夫だよ。よく頑張ったね」
また、違う声が聞こえてくる。その声の持ち主は、優しく透の頭をなでてきた。重たい瞼を開け、声のする方向を確認する。よく見えないが、白くて、天使のよう。あれ、私に、もうお迎えが来たのかな。その天使をぼんやりと見つめていると、目が合ったような気がした。
「ゆっくり、お休み。後は僕たちに任せて」
そう言いながら、手で目元を覆ってくる。何も見えなくなって、でも安心できるような暗闇で、すべての音が遠くなってきて、それから。
__透の意識は、そこで途切れた。




