578.上陸前
レオポルドの特訓が終わり、情けないことにソファーで伸びてしまったわたしを、ユーリはあきれたようすで見下ろした。
「まったく……ふたりして長時間部屋にこもって何してるかと思えば……もうすぐサルジアの港に着きますよ」
「ふぁ〜いぃ、ユーリ。何か変わったことは?」
ぐでっと伸びたまま、王子様を見上げるわたし。ただ動けないだけなのだけど、すごく偉そう。
「スムーズに上陸できればいいんですが、港を統括している呪術師が、『今日は日が悪い』と言っているとか。海上で待たされることも覚悟しないといけません」
「呪術師って、そんなことも決めるの?」
「そんなことって……この国は政治も医療も、だいたいは呪術師頼みですよ。僕らからしたら非効率ですけどね」
「マジか……それで生活が回るんだ」
ひとびとの生活に根差した文化とか習慣は、そうかんたんには変わらない。それにもともとは、何かしら意味があったのかも。
「ねぇ、テルジオ。サルジアにハチミツはあるの?」
わたしの秘書をやってもらっている、リリエラが気にしているのはそこである。補佐官のテルジオも慣れたもので、ハキハキと答えた。
「ありますよ。花の都と呼ばれるぐらい、大地の力にあふれた土地ですからね。百花蜜やネリモラ蜜もあります。ハチミツ専門店にご案内しましょうか?」
「それって……デート?」
「違いますよっ、ただの視察です」
ムキになって言い返すテルジオをちろんと眺め、リリエラは小さくあくびをした。
「ふぅん、ネリアが行くなら行く。あたし、秘書だもん」
「ネリアさん、どうします?」
ええと……。
「そうだねぇ、動けるようになって上陸できて、時間に余裕があれば……」
今はもう緻密な魔法陣を必死こいて構築したせいで、肩こりと眼精疲労がひどい。目を開けているのもだるい……というか動けない。
「じゃあ、店の場所とか調べておきますよ。ネリアさんは錬金術師団長ですから、魔術の特訓はほどほどでいいのでは?」
テルジオの言葉にレオは首を横に振る。
「もう少し効率的な使いかたを覚えたほうがいい。いくら魔力があっても、魔法陣を描くたびに伸びていては話にならん」
あのね……わたしは異世界で「サーデ」と唱えたり、浄化の魔法やエルサの秘法が使えたら満足なんだってば!
魔術師団長にとっては魔力の無駄使いなのかもしれないけど。
「言っておくが、イルミエンツの魔法陣はもっと複雑だぞ」
ぐぅ。覚えたいと言ったのはわたしだから、言い返せない。
「そうなんだ……だから、〝ロウソクの炎で遊んでみよう〟の最終ページで、ちょこっとふれてあるだけなんだね」
「そうだ」
リリエラは二番街のミネルバ書房で高額をだして購入した、フォトがいっぱいのサルジアガイドブックをペラペラめくって、濃い青の瞳を輝かせた。
「ねぇねぇ、この黒蜜ってのもハチミツ?」
わたしの秘書をやってもらっている、リリエラが気にしているのは、やっぱりそこなんだ。
まぁ、推定年齢が三百歳以上らしい、人魚の魔女を秘書にしているのだから、何を言ってもムダな感じはする。
「ええと、黒蜜はハチミツとは違ってて、植物から採れる汁を煮詰めたものだよ」
「ふぅん。あたし、この『黒蜜きのこ』っての食べたい」
とろーりと黒い蜜がかかったキノコを想像して、わたしは何か違うことに気がついた。
「きのこじゃなくてきなこね、『黒蜜きなこ』。わたしも食べたいなぁ」
わらび餅とかそっち系。抹茶とかあってもよさそう。
テルベリーのタルトやボッチャプリンもおいしいけれど、優しい和の味も捨てがたい。ガイドブックをパタンと閉じて、リリエラはテルジオに顔を向ける。
「だってさ、テルジオ」
「あのですね、リリエラさん。そういうのを調べるのも、師団長秘書であるあなたの仕事ですよ」
「だって、地上のことはよくわかんないんだもの。まだ勉強中だし」
テルジオはキッと目をつりあげて、わたしに文句を言った。
「もっと優秀で使い勝手のいい人材が、王城にはいくらでもいます。なんでこんな人、秘書に雇ったんですか。ネリアさん!」
「な、なりゆきで……」
「でも、食べ物のこと考えてるときは、ふたりして幸せそうな顔してるし、なんだかんだでウマが合うんじゃないですか?」
ユーリが助け舟にもならないことを言う。リリエラはふふっと笑って、脚をヒレのようにパタパタさせた。
「まぁね。女同士仲よくやっていくコツは、男の好みがかぶらないことだね」
レオを横目で見ながら言うリリエラって……。彼に凍りつくような眼差しを向けられても平気そうだ。でも彼のその目つき、わたしも王都にきたばかりのときに経験あるなぁ。
「レオににらまれてもひるまないところも、上司とそっくりですね」
「やっかいなのが、ふたりに増えただけだ」
「増殖ですか⁉」
レオのため息にユーリが眉を上げるけれど、いっしょにしないでほしい。するとリリエラも唇をとがらせる。
「いっしょにしないどくれ」
こういうところが似てるのかしら……気をつけよう。
「それでユーリ、港の状況はわかりそうなの?」
「呪術師からの連絡待ちです。許可なく上陸するわけにはいきませんからね」
「そっか……リリエラ、頼んでいい?」
「まぁ、黒蜜きのこが食べられるんなら」
退屈していたのだろう、しなやかな肢体を持つ妖艶な美女がすっくと立ち上がる。
「きなこだってば。豆を挽いた粉だよ」
「豆を挽いた粉……」
彼女の顔に、盛大な『?』が浮かんだ。
「タクラで飲んだコーヒーみたいなやつじゃないだろうね。あれは苦すぎて死ぬかと思った」
「苦くはないよ。それだけだと甘くないから、砂糖を足したりするけど」
「いいねぇ。黒い蜜に砂糖を足した豆の粉かぁ……」
妖艶な魔女は肉感的な赤い唇をペロリとなめる。いや、黒蜜きなこのときは、砂糖は足さないんだけど……。
「ネリアさん、まさか……」
わたしが彼女を雇っている理由がこれだ。どちらにしろ彼女は〝海の精霊〟にすべてを伝えるための端末だ。
それがどんな結果になるにせよ、できるだけ多くのことを見させて、経験させないといけない。
「リリエラは溶けこめるから。またしばらく別行動になっちゃうけど……」
「いいよ。あたしにとってはエクグラシアもサルジアも、なじみのない土地ってとこは変わらない」
「待ってください、リリエラさん。何の準備もなしで行くのは危険すぎますよ」
さすがに心配そうなテルジオを、くるっと振り向いて彼女は念を押した。
「テルジオ、帰ってきたらふたりで黒蜜きのこデート。いいわね?」
「リリエラさん……」
そのまま風のように船室をでて、リリエラは姿を消した。あとにテルジオの小さなつぶやきを残して。
「だから、あの……きなこですってば……」











