575.クラーケン焼き
なんと錬金術師ヴェリガン・ネグスコはバハムートの人たちに大人気となった。市場で配ったコールドプレスジュースが効いたらしい。
「彼がいれば、野菜不足にはなりませんね」
ヌーメリアもにこにこしていたし、風土病に悩まされていたバハムートの人たちの健康状態も、これでだんだんよくなっていくだろう。
なぜか比較的頑丈で、すぐに再建できたグストー邸の中庭が家庭菜園の場所に選ばれ、踊るヴェリガンをみんなで鑑賞するのがバハムートの人たちの娯楽になった。
「ヒィック⁉️」
本人は緊張のあまりしゃっくりが止まらないけれど、彼が踊ると新鮮野菜や果物が手に入るので、おかみさんや子どもたちの目の輝きが違う。
グストーは毎朝、新鮮フルーツが食卓に上るのがうれしいと大喜びだ。
「いや、もうこの館はやるからよ、ネグスコさんが領主でいいわ。錬金術師を派遣するって……こんなありがたいことだとは思わんかった。このミッラ、かあちゃんに食わせてやりたかったぜ……」
いや、わたしも予想外だったんだけど……バハムートの人たちに効いたのは、魔石でも新型の魔道具でもなく、新鮮な野菜と果物だった。
飲んで歌えば意気投合できる。音楽を楽しむ彼らは人魚たちともウマが合い、厳しい気候に体調を崩した者はカナイニラウに送り療養させてもらえることになった。
エクグラシア本土との交流よりもこっちのほうが盛んになりそうだ。
そんなわけでバハムートの人たちに別れを告げ、外洋を進むハルモニア号は海流に乗って順調に航海を続けている。
竜騎士レオの魔獣掃討も慣れたもので、最近は師匠のサポートもないから、遠慮なく氷だけでなく炎魔法もぶっ放している。
それはそれでいいのかしら……と思うけど、クラーケンの姿焼きとかあまり地上では食べられない食材を使った料理も楽しめて、豪華な船旅となっている。
今日もハルモニア号の甲板で、クラーケンの残骸処理を兼ねた食事会を開きつつ、ユーリが気味の悪いものを見るような目つきで、わたしの皿をのぞきこむ。
「なんですか、ネリア。その黒い液体は……まさかイカスミ?」
「ちがうもん。わさび醤油だもん」
実はバハムートの植生調査をしていたヴェリガンが、ひび割れた甲羅から噴きだす水源のそばで、ワサビっぽい植物を発見したのだ。
「毒ではないけど薬にはなるかな……ネリアに見てもらおうと思って」
「ワサビ!」
香りといい、鼻の奥につーんとくる辛味といい、水の綺麗な清流にしか育たないワサビにとてもよく似ていた。
わたしはべつにそこまでワサビが好きだったわけじゃない。
けれど獲りたてのお魚に、すり下ろしたワサビをちょんと載せ、バハムートで手に入った魚醤にくぐらせて口に運ぶと、口の中に広がる甘みとさわやかな香りのハーモニーに悶絶しそうになった。
さっそくヴェリガンに栽培を命じて増えたワサビモドキを、きちんと状態保存の術式が働く保管庫に入れ、航海のおともにしたのである。
ヴェリガンが踊ってくれるだけでワサビが収穫できる!
深海生物であるクラーケンは、ふつうのイカより臭みがある。
焼いてしまえば気にならなくなるけれど、あえて生で切り身にしてもらい、すり下ろしたワサビモドキを添えてもらう。
「んーっ、なんかクセになる味なんだよねぇ!」
スルメをいつまでもしゃぶってしまうようなものだ。残念なことに、エクグラシア人にはこの味覚まではわからないようだ。ゲソをかじりながら、ユーリの視線が冷たい。
「クラーケンの切り身を焼かずに食べるって……ネリア、ときどき変なことしてますよね」
「ほっといて。でもご飯がほしくなるから困っちゃう」
すぐに焼こうとしたレオを止めて、クラーケンの塩辛を作ったら、乗組員のみんなが恐怖におののいていた。
「クラーケンの内臓を漬けて食す……だと?」
「さすがは錬金術師……」
おかしい。わたしはちゃんと錬金術師のイメージアップや地位向上に貢献したはずだ。
イカの塩辛ごときでそれが揺らぐなど……解せぬ。
ここにホカホカご飯さえあれば、みんなきっと涙を流して喜んで食べるのに!
錬金術師のイメージアップにひと役買っているはずのユーリも、わからない顔をしながら教えてくれた。
「船に積んだカレンデュラ米は食べきっちゃいましたし、つぎに食べるとしたら、サルジア米ですね」
「おおーっ、楽しみだね。バハムートで手に入れた塩で、塩むすび作りたいなぁ」
ユーリはあきれたように口をとがらせた。
「ネリアって……ホント食べることばっかですよね」
「塩も味が変わるんだよ。海の塩と岩塩とは違うんだから!」
「はいはい」
「…………」
静かに話を聞いていたレオに、わたしは恐る恐るイカ刺の皿を差しだした。
「あの、レオも食べてみる?」
すると彼はわたしに視線を合わせ、ふっと笑った。
「私が食べたがらないとでも思っているのか?」
「や、でもほら、みんな気味悪がっているし……」
「それでもきみは『食べたい』という気持ちが勝つのだろう?」
「うん……」
慣れもあるから、味覚はどうしようもない。毒じゃないけど知らない人には、ただの刺激臭と痺れを感じる食材だろう。
「いただこう」
すっと私の手から皿を取り上げ、器用にハシでクラーケンの刺身をつまみ、彼は口に入れるとしばらく無言でかんでいた。
「うわ、よく食べられますね」
ユーリには答えず、彼は首をかしげただけだった。
「美味……とは言いがたいが珍味ではある。味もしっかりしているし、酒のツマミにはなるだろう。前菜として食すなら、発泡酒よりは温めた酒が合うかもしれない」
そういえば出されたものは何でも顔色ひとつ変えずに食べる人だった!
しかも決して「まずい」とは言わず、食通っぽい見解を口にする。
「レオってやっぱすごい……」
「なにを今さら」
すると今度は、レオのほうが串に刺したクラーケン焼きを差しだす。
「こっちも食べてみてくれ」
「レオが焼いたの?」
ホカホカと湯気の上がる串焼きに、ふうふうしてからかぶりつく。焼いた身はふっくらと柔らかく、それでいて歯でサクッとかみきれる。しかも甘辛のタレが塗ってあった。
「んーっ、おいひい!」
無表情な彼の瞳が得意そうに輝く。
「人魚たちにタレを譲ってもらった」
「えええ、しかもバッチリな焼き加減じゃん!」
さっきまで食べていたクラーケン刺しが吹き飛ぶほどのおいしさで、わたしはあわてて次のひと口にかじりつく。
「うわー、ネリアが釣れてる。なんかひとつだけ時間かけて焼いてると思ったらこれかぁ。僕のぶんはないですよね?」
「……焼いてほしいのか?」
ただ聞かれただけなのに、ユーリはみるみる真っ赤になった。言いにくそうにモジモジしてから、一気にまくしたてた。
「そ、そりゃあ僕だって、目の前でこんなにおいしそうに食べられたら気になりますよ!」
「ぜったい食べたほうがいいよ。クラーケンの身は焼くと硬くなっちゃうのに、すっごくやわらかいもん。タレも最っ高!」
「なら、少し待て」
レオは串を二本取りだして、無造作にクラーケンの切り身を刺すと、加熱の魔法陣を展開する。ご丁寧に遠赤外線の術式まで組んである。
「うわ、うれしいけど高等魔術のムダ使いですね。でもなんで二本?」
レオは魔法陣から目を離さず、ユーリの問いに淡々と答える。
「そろそろ『おかわり』がくるだろう」
「えっ、それじゃまるでわたしが食いしん坊みたいじゃん」
「なにを今さら」
ユーリのツッコミはともかく、彼は魔法陣をあやつる手を止めた。
「いらないのか?」
「……いります」
ここは素直になるしかない。しばらくして彼から二本目の串が渡される。
「きみの皿は私が食べよう」
そのままふたりとも黙ってモグモグ食べていると、わたしたちを見比べて目を丸くしていたユーリが、最後のひと口を飲みこんでから口を開いた。
「ごちそうさまでした」
「ユーリはおかわりいいの?」
おいしかったはずなのに、ユーリは浮かない顔でため息をついて首を横に振る。
「なんかもう、お腹いっぱいです。早くサルジア着かないかな」
「そうだね。そしたら塩むすび作ろうね!」
「はいはい、そしたらその横でレオはタレを塗って、焼きむすびを作るんでしょうね」
「そうだな」
あっさりうなずくレオに、ユーリはぶうぶう文句を言った。
「毎っ回、ふたりで何かしら食べさせ合ってるじゃないですか。どれもおいしいですけど、見てるだけでお腹いっぱいになるんですよ!」
ユーリには申しわけないけれど、おいしい習慣だけは変えられそうになかった。
そのとき、ユーリの前に何かが飛んできて、彼はすかさずそれをキャッチする。刻まれた術式を読んだ彼の顔色が変わる。
「カーター副団長から通信用魔道具が送られてきました!」










