197.命の水
5章は202話で完結です。
海が好きすぎて、海の話だけになってしまい、すみません。
オドゥが持っていた鍵で魔法陣を発動させると、わたしたちはふたたび深海にいた。肌に貼りついていたドレスが脚を覆い、ヒレに変わると水中にゆったりと広がっていく。
「オドゥ、ここ……カナイニラウじゃないね?」
魔法陣がゆっくりと光を失うと、あたりは暗闇に変わる。わたしにとっては、はじめての場所だ。
「ここで海王の本体が眠っていた。海の精霊がいるところに直接跳べるよう、魔法陣を調整したのさ。〝命の水〟はこの近くらしいしさ」
「ちょいとあんた、ここにきたってことは精霊にも会ったんだろう?あんたはなんともなかったのかい」
リリエラに聞かれたオドゥは、困ったように眉をさげた。
「会ったよ。だけどリリエラと違って、相手にはされなかった」
「それは……幸運だよ。あたしはね、ここで恋人を亡くした。無茶だってのはわかっていたさ。けれど人魚のあたしと人間がずっと一緒にいるために、〝命の水〟がほしかったんだ」
「もしかしてレイクラを助けたのはそれで?」
藍色の髪と瞳を持つリリエラは、かすかに笑っているようにも泣いているようにも見えて、そのまま儚く海に溶けてしまいそうだ。
「まぁね……あたしはここで死のうとしたんだよ。けれど海の精霊はそれを許さなかった。精霊のカケラを与えられ、あたしは海の精霊の一部となった。その力はあたしの体でも負担が大きくて……半狂乱になったあたしは、海王に捕まって牢獄に閉じこめられた」
「海の精霊はここにいるの?どこに?」
そうたずねたけれど、リリエラはほほえむだけだ。
「ネリアには見えないみたいだね。精霊はあんたのこと、おもしろいと思っているみたいだよ」
「ええ?全然見えないよ!オドゥは会ったんでしょう?」
一生懸命、瞳を凝らすけれど、わたしにはなにも見えない。オドゥに聞いても、困ったように頭のうしろを掻くだけだ。
「会ったっていうか……精霊は実体がないからねぇ。僕はやりすぎたから騒がしかったと思うけど」
ここで眠る海王を起こすために、オドゥは爆撃具を使ったけれど、精霊は反応しなかったらしい。
起こされて激怒した海王に追われて、必死に逃げだしたという。
「なんで爆撃具なんか」
「ネリアを助けるのになにが必要かわからなかったし、それにレイクラを連れてくるよりも、海王を起こしたほうが早いと思ったんだよ。〝命の水〟もほしかったし」
「オドゥは〝命の水〟がほしいの?」
「そう。グレンは三十年前の魔導列車開通時と、王都からデーダス荒野にひきこもったばかりの四年前の二回、カナイニラウを訪れている。そのとき〝命の水〟を手にいれていた」
「それならこっちだよ。〝命の水〟はさらにこの下だ」
リリエラについていこうとして、わたしはうしろを振り返る。
目には見えないけれど、なにも感じないわけじゃない。なにかとてつもない気配、それがわたしたちを見守っている。
「ネリア?」
「あっ、今いくね!」
オドゥに呼ばれて、わたしは慌ててふたりを追った。
それから彼女に案内されて、わたしたちは〝命の水〟が湧く場所にやってきた。
オドゥが水中に光球を放つと、まるで太陽が出現したみたいに海底が照らされる。
想像していた場所は、死の世界みたいに静かなところではなく、貝類がびっしりついた円柱が何本もそびえていた。
チューブワームがその体をゆらめかせ、エビがせわしなく動いている。円柱の先端からは色のついた水が勢いよく、煙のように噴きだしている。
「へぇ……本当に生き物がいる。こんなににぎやかな生態系があるなんて、さすが〝命の水〟だね」
「オドゥ、ダメだよ!」
近づこうとするオドゥを慌てて止めると、彼は不満そうにわたしを振り返る。
「ネリア、邪魔しないでよ。グレンも手にいれた素材なんだ」
「そうじゃないの!ここは深海だもの。高圧下で湧く〝命の水〟は地上で沸騰する水よりも温度が高いわ。人間には近づけない……炎に手を突っこむのと同じだよ!」
オドゥがいぶかしげに眉を上げた。
「ネリアはあれがなんだか知ってるの?」
「あれはチムニー……熱水噴出孔といって不用意に近づいちゃいけない。わたしが行く!そのためにわたしをここに連れてきたんでしょう?」
オドゥは目をみはった。彼はきっと先にひとりでここまできたんだ。けれどこの過酷な環境を見て、自分で〝命の水〟を汲むことはあきらめた。
わたしを連れてきて、この水を汲ませるために転移陣だけ設置して、海王を起こして地上に戻ったのだろう。
「さぁ、水を汲む容器はどこ?」
手を差しだすとオドゥは少しためらったけれど、わたしに変わった形の小さな魔道具を渡した。
「これだ……〝クラインの壺〟だ。近づいたら栓をはずしてこれに水を汲む」
それを受け取って、わたしは慎重に泳いでチムニーへと近づく。光球のおかげで照らされたチムニーに、なにか光を反射するものが引っかかっている。
びっしりと石灰のようなものがこびりついているけれど、よく見ると人間が細工した金の鎖のようだ。わたしは手を伸ばしてそれをつかむ。
それから成分分析の魔法陣を展開して、水の組成を読みとった。
(わたし……この水を知っている)
有毒な重金属も含まれているため、このままでは使えないけれど、確かにこれは命の源流とも言える水だ。
〝命の水〟にふれて〝クラインの壺〟の栓を抜くと、水流を起こして壺に水が吸いこまれていく。
やがてその勢いが治まったところで、ふたたび栓をしたわたしはドレスのヒレに魔力をこめ、熱水をくぐり抜けてふたりのところに戻る。
「リリエラ、金の鎖が落ちてた」
「……あの人のだ」
拾った鎖を受け取って、彼女はその場で祈りはじめた。わたしはオドゥにも壺を渡す。
「はい、どうぞ」
「……ありがとう」
光球に照らされた世界は、まさしく魔界とも地獄とも言われる異世界だった。熱水を勢いよく噴きだす円柱のまわりに、その熱を頼りに生きるものたちがいる。彼らは光を知らず、酸素さえ必要としない。
それはまさしく。
―――人が触れることあたわず―――
ここは星の実験場だ。命を創りだすために、星が試行錯誤をした場所……。
「この水は確かに命の源流……生命の起源とも言えるわね。いろいろな成分を含み、さまざまな過程を経て原始生命体が生まれた。グレンはここの水を手に入れて加工し、水槽を満たしたんだね」
渡された壺をしまったオドゥは、わたしを探るように見つめ返した。
「わたしの命が助かったのは、きっと偶然じゃない。彼は何年もかけて、さまざまな素材を集めていた。わたしが助けられたときには素材はすべてそろい、あらゆる準備が終わっていた」
「ネリア……きみはどこまで……」
「わたしね、オドゥの使い魔のカラス、見たことがあるよ。不思議だったの……なんにもないデーダス荒野のあばら屋に、ときどきカラスだけ飛んできて、グレンとお話してたから」
わたしはオドゥの深緑の瞳を見つめた。
「最初、グレンにはカラスの友達がいるんだと思ってたけど、あれはオドゥだったんだね。もしかして、わたしがグレンに助けられたときも、すぐそばにいた?」
オドゥの顔色が変わった。光球に照らされた血の気のない顔色で、眼鏡をかけていない彼は鋭い眼差しをこちらに向けている。
いつもカーター副団長のうしろにひっそりと控える、目立たない特徴のない男とは別人のようだ。
「まさかネリア、それ……覚えてるの?」
「あのね、もしそうだったら聞きたいことがあるんだけど」
オドゥの表情を見逃したくなくて、わたしは彼を真剣にみつめた。
「わたし、瀕死の状態だったと思うんだけど……そのときのわたしって……」
聞くのが怖い。
でも、聞かなきゃ。
「わたし、ちゃんと、生きてた?それとも……」
オドゥはわたしの瞳をのぞきこむように身をかがめて、やわらかくほほえんだ。
「ネリアはなんにも心配しなくていいよ」
「えっ」
「だいじょうぶ、グレンがいなくなっても僕が……きみを守るよ。すべてからね……」
「ちがう、そうじゃなくて!わたしが聞きたいのは!」
そのとき、オドゥが静かにささやくように歌いだした。彼の唇から紡がれるメロディーは、以前も聞いたことがある。
わたしのまぶたは重く、腕も体も鉛のようになり、そのまま意識は闇にのまれた。
わたし、ちゃんと、生きてた?
それとも……。
熱水噴出孔は深海にあって、溶けている成分によって水の色は黒や白や青なんかがあります。
そんな所に生身で行くなんて、ネリアもだけど、オドゥも相当頑張ってるよね!
というか海底洞窟とか色々書きたかったけど、それやるといつまでも海の世界から帰ってこれなくなる。そろそろライアスやレオポルドにも会いたい!
グレンは海底2万マイルのネモ船長とレオナルド・ダヴィンチを足して2で割ったようなイメージです。











