195.『海王』と『竜王の契約者』
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わたしとライガの直撃を受けたリリエラは、近くにいたシードラゴンを巻きこむようにして転がり、砂浜に二体の巨大生物が、ズシィン……ズゥウウン……と、重い音を響かせて落ちた。
「ネリア!」
ようやくユーリの呼びかけに反応する余裕ができたわたしは、彼にむかって元気よく手をふる。
「ユーリ⁉よかった、オドゥも戻れたんだね!あっ、レインさん……それにロビンス先生まで!」
「やぁ、ネリア嬢……無事、みたいだな……」
「お元気そうでなによりです」
ライガで近くに寄れば、レインさんが軽く手をあげ、ロビンス先生が帽子のつばに手をかけて挨拶を返してくれた。
砂地におりたわたしにあわせて、着地したユーリが駆けてくる。オドゥはその場に置きざりだ。
「ネリア!……これはいったい……」
「わたし攻撃魔法も使えないし、腕力だってないから……魔獣化したリリエラとわたしじゃ、重さがぜんぜん違うし、体重の軽いわたしがぶち当たってリリエラをぶっ飛ばすとしたら、速度をつけるしかないって思ったの!」
「あぁ……それでライガで加速を……リリエラって、これですか?」
納得したようなしてないような顔をして、リリエラを見おろすユーリはほうっておいて、わたしは必死になってリリエラに話しかけた。
「リリエラ、しっかりして!」
やがてリリエラの大きくふくらんだ体が縮み、身の丈を覆うほどの長さの髪がゆるゆるとこぼれ、もとの白く美しい顔があらわれる。
「……ネリア?」
傷だらけで全身から血を流し、それでも美しい魔女リリエラが、わたしの目をその藍色の瞳で、驚いたようにみつめていた。
ああ、この瞳だ。時にわたしを見つめてほほえみ、時に哀しみをたたえて潤んでいたのは、この吸いこまれそうに深い紺碧の海そのもののような瞳だ。
「リリエラ……よかった、もとにもどった!」
リリエラに抱きつくと、彼女は呆然としたまま、とまどうような声をだす。
「ネリア……あんた……あたしを正気に戻したのかい?」
ようやく追いついたカイも、海から砂地にあがってきた。あたりをぐるりと見回して、リリエラは力なくつぶやいた。
「怒りにまかせて血に飢えた魔獣になってでも、すべてを壊したかったのに、倒せたのは海王の影だけか……あんたみたいなちっぽけな娘に邪魔されるなんてね」
「何度でも邪魔するよ。だってリリエラが本当にしたいことは、こんなことじゃないでしょう!」
ぎゅうぎゅうに抱きついたまま離れない娘の頭を、リリエラはそっと手を伸ばして、困ったようになでる。
ずっと恐れられ牢に閉じこめられて遠巻きにされてきた。こんなふうに飛びこんできて、抱きついてくる娘などはじめてだ。リリエラは抱きしめられながら、二百年ぶりに人の体の温かさを感じていた。
レインの手を借りてレイクラは白竜アマリリスから降りる。おそるおそる近寄ると、ゆっくりとシードラゴンが頭をもたげた。
(レイクラ……レイクラか?)
「海王様……あたしですよ」
(見ないでくれ……吾はもうこんな姿で……お前の好きになってくれた男ではない)
「海王様も、あたしとおなじこと考えてたんですねぇ……あたしもこんなしわくちゃになって、海王様に会わせる顔がないと思ってました」
レイクラはそっと、シードラゴンの首をなでた。
(レイクラは……レイクラだ……こうやって会えただけでも吾はうれしい……もう二度と会えないかと)
「黙ってでてきてしまったけれど、おかげであたしは父も母も見送ることができました。むりに連れ戻そうとしなかったのは、海王様の優しさだったんですね。あたしは海王様に謝りにきたんです。許してくれとは言えません……どうかあたしに償わせてください」
(レイクラ……それなら、これからはずっと一緒にいてくれるか?)
「それじゃ、罰になりませんよ……強くて優しくて大きくて……あなたは今もあたしの大好きな海王様ですよ」
(レイクラ……)
「ずっと一緒にいます。あなたがどんな姿でも、あたしが愛したあなたであることに変わりません。あたしの命はもうそう長くないかもしれないけれど、最後まであなたのおそばにいさせてください」
レイクラが涙を流しながらシードラゴンの首を抱きしめると、その様子をじっと見ていたリリエラが声をかけた。
「ねぇあんた、海王とずっと一緒にいたいのなら、あたしと精霊契約をするかい?海王とおなじだけの寿命をくれてやろうか」
「精霊契約を?」
顔をあげたレイクラがしげしげと、リリエラの顔を見る。
「リリエラ……海の魔女……精霊のカケラを与えられたのに、生きることを拒絶し自ら死のうとしたため、魔力を封じ海の牢獄に閉じこめられたと聞きました」
「あの人のいない世界などに興味はなかったからね……精霊がきまぐれによこした、このいまいましい力のおかげで、簡単に死ぬこともできない……海王ならひき裂いてくれるだろうと思ったのにさ」
レイクラは海王をかばうように腕をひろげた。
「海王様は……この人は本当に優しい人です。そんなことさせないでください」
「そうみたいだね……で、どうする?」
「リリエラ、あなたの精霊契約を受けましょう……あたしは命あるかぎり、海王様のそばにいたい。けれどなにを対価に差しだせば……?」
「あんたに支払えるものだよ……さあ、精霊契約だ!」
リリエラはにんまりと笑うと、青い魔法陣をレイクラの周囲に展開した。
(レイクラ……待て。カケラとはいえ、リリエラは精霊と同等……それと精霊契約をすれば一生縛られるぞ!)
海王はとめたけれど、レイクラはほほえんだ。
「あたしは……もう誓ったんです。ずっと海王様のそばにいると!」
レイクラが自分の指にキズをつけると、その手をリリエラに差しだした。リリエラは震えるレイクラの手をつかむと口に含み、滴る血を舐めとると艶然と笑った。
そのとたん魔法陣が青く光り、それに包まれたレイクラの体がどんどん若返っていく。しわだらけだった手は白く滑らかに。頬がこけ、落ちくぼんでいた目元は、ふっくらとハリのある肌に。つやを失い白くなっていた髪は、鮮やかな緑色に。
「これは……⁉どうして……⁉」
自分に起こった変化が信じられなくて、レイクラは目を見開いた。これではまるで、海王に嫁いだばかりのころの自分のようではないか。
「あんたの〝時〟をもらった」
「あたしの?でもこれでは……あたしばかりが得をしてます!」
「カケラとはいえ精霊の力だ……どう使おうかと思っていたんだけどね。それにあんたばかりが得したわけじゃない。これで〝海王妃〟はあたしの手の内ってことさ。いいね海王、あたしはもう牢には戻らない」
(……もう死のうとはせぬか?)
「ああ、〝海の精霊〟が望んだように生きてやるよ。海王妃レイクラに海王とおなじだけの寿命を。そのかわりにあたしは自由だ!」
海の魔女はそう宣言した。
「リリエラ……もしかしてレイクラを助けてくれた?彼女が海王と幸せに暮らせるように」
「まったく……願いをかなえるなんてあたしのガラじゃないんだけど。ネリアがあたしを正気に戻したからね……あの二人が仲直りするのがあんたの願いだったろう?」
「うん、本当にうれしいよ。ありがとうリリエラ!」
「……海王に負ける気はしないけど、あんたには負けたよネリア。あんたの叫びといい頭突きといい、本当に頭に響いたからね」
「あっ、ごめん!無我夢中で……つい」
あわてて謝るわたしに、リリエラはふっと笑った。
「さあて……海王にガツンとやるのは気がすんだから、次は『あの人が亡くなった場所に行って、ちゃんと弔ってやりたい』かね」
「〝命の水〟が湧く場所だね!一緒にいこう!」
それを倒れこんだまま聞いていたオドゥが、むくりと身を起こした。
「やれやれ……ネリアも少しは僕を休ませてくれればいいのにさ」
オドゥは胸にさげたままの、転移陣の鍵をかざした。
「〝命の水〟が湧くところにいくんだろう?こっちの件は片づきそうだからね。あとはたのんだよ、ユーリ」
「あっ、ちょっと待って!」
わたしはユーリのそばに駆け寄った。
「あのねユーリ、心配かけてごめんね……探しにきてくれてありがとう。わたしね、海を見て故郷に帰りたくなって、ちょっとホームシックになってた。……けれど海の中で過ごしたとき、ちゃんとみんなのところに戻ろうって思えたの。王都の師団長室に……戻ろうって思えた!」
「ネリア……」
「だから心配かけちゃうけど……ちゃんと戻ってくるから。オドゥも一緒だから、リリエラといってくるね!」
必死な顔でわたしがそういうのを、しばらくだまって聞いていたユーリは、いつもの優しげなほほえみを浮かべた。
「……はい。いってらっしゃい、ネリア」
そういいながらもユーリはぐっとオドゥの腕をつかみ、彼の瞳をのぞきこんだ。
ルルゥの瞳は深緑色から黒にもどっている……彼はユーリたちがくることを知っていたのだろうか、と思いながらユーリは彼にささやいた。
「あとでちゃんと話を聞かせてください。いいですねオドゥ」
「……了解」
オドゥがうなずいたのを確認して、ユーリは海王のほうにむきなおった。
「カナイニラウの海王……僕はユーティリス・エクグラシア、〝竜王の契約者〟にしてエクグラシアの〝統治者〟であるひとりです。今回の件で話があります」
ありがとうございました!












