第八十五話 エルフの里、襲撃されました。その二
間に合った……。
時は少し遡る。おおよそドラゴンが襲撃してくる十分前。イリスは解呪の魔法に関して助言をもらうため、エルフの里の大爺、大長老のもとへ向かっていた。どうにもインスピレーションが沸かず、作業が詰まってしまいどうしようもなくなったがゆえに彼女は大爺のもとへ向かっていた。
エルフの里の現最年長で過去にエルフの里を背負い、さらには原初の魔法使いが活躍していたころから生きているという、まさに亀の甲より年の劫、さらに実力もあるという彼に聞けば何か思いつくんじゃないかという藁にも縋る思いで歩みを進めていた。
彼の過ごす小屋にたどり着いたイリスは形式的に扉を叩く。しかし、その向こうから返答が返ってくることはない。そんなことは里で暮らしている人間であれば理解していることだ。あくまで形式的、最低限のマナーとして扉を叩く。
ノックを終え一拍空けたイリスはそのまま扉を開け、中に入っていく。そこにいたのは安楽椅子に腰かけその上でユラユラと揺られている年老いた老人だった。彼女は恐る恐る大長老に近づいていくと恐る恐るといった様子で声をかける。
「大爺、……大爺、起きてる?」
彼女がそう声をかけると大長老はゆっくりと瞼を開き彼女のほうへと顔を向けた。
「おお、その声はイリスか。ずいぶんと大きくなったの」
「一か月前と何も変わってないよ。それよりも聞いてほしいことがあるの」
「ふむ、ワシでよければ話し相手になろう」
「今解呪の魔法を作ってるんだけど、ちょっと詰まっちゃって。どんなふうにしたらいいかな」
「ふむ」
イリスがそう告げると大爺は考えこむように瞳を閉じ、唸り声を上げ始める。それと同時に彼の身体から光の粒子が放出されていき、部屋の中を満たしていく。その暖かな感触を体で感じながらイリスは彼の口から助言が発せられるのを待ち続ける。重苦しい表情で待ち続けるイリス。そんな彼女を開放するかのように大爺の瞳がゆっくりと開かれ、発する言葉をまとめるように口をパクパクと動かしたかと思うと彼は、彼女に対して助言を告げ始めた。
「ふむ、ワシから言えることは、……今は待て、来るべき時は必ず来る、ということだけじゃ」
しかし、彼の口から告げられた言葉はイリスには全く理解できなかった。魔法に対して助言を頼んだにもかかわらずそれとはまったく関係のないことを話したこともそうであるが、それ以上に言っていることが分からないというのが問題だった。いつもであれば少しはとっかかりとなる部分があり、そこから読み解いていくことが可能だ。しかし、今回はひとっつもわからない。彼女は地味に苦しみ続けているユウキのためにいち早く解呪を行わなければならない。しかし、もらえた助言では何も身にならない。このままではここに来た意味がなくなってしまう。
イリスはさらなる助言を引き出そうと攻め立てるようにして口を開く。
「ねえ大爺、もう少し詳しく教えて」
「フフ、せっかちな子だ。気にせずともよい。私が教えずともそのうちわかるさ」
「ごまかさないで。わかってるなら素直に教えて頂戴」
イリスは眉根に皺を寄せ、少しだけ語気を高めて問いかける。その問いかけに目じりを下げながら対応する大爺。
「うーん、そうはいってものう。言葉の通りじゃから、それ以上に言うこともないからのう。まあ、そこまで教えてほしいというならば説明してみようかの」
「お願い!」
大爺の言葉に大きく反応するイリス。その反応でびくりと体を震わせた大爺が口を開こうとしたその時、二人の居る民家、エルフの里が爆音とともに大きく揺れた。
エルフの里から一度も出たことのない箱入り娘であるイリス。このような事態は全く経験がないため、いったい何が起こっているのかの予想すらつかず、思考が恐怖で溢れる。突然の事態に動揺した彼女は未経験の恐怖で思考が停止し、すがるように大爺の身体にしがみつく。
「落ち着きなさいイリス。冷静さを欠いては魔法もうまく使えない。自分の身を守ることもできなくなる。深呼吸して肩を力を抜きなさい」
しかし、経験豊富な大爺は動揺してもすぐに冷静さを取り戻す。イリスの震える手を優しく握りながら彼女の恐怖を取り除くかのように諭していく。包まれるような彼の声を耳で受け取ったイリスは言われたとおりに深く息を吸い込み吐き出す。その過程で冷静さを取り戻し、思考できるようになったイリスは縋り付いていたそっと離し体を起こし立ち上がる。
その直後、彼らのもとに一人のエルフが現れる。
「大爺様、ご報告です!エルフの里にドラゴンが現れ、暴れまわっています!現在、ディンスル様が応戦しておりますのですぐに避難をお願いいたします!」
それを聞いたイリスの頭の中は恐怖八割、興味二割で占められた。生まれてこの型一度も里を出たことがないイリスはその手のことにめっぽう弱く興味を抱いてしまう。そのためユウキの話に人一倍食いつき、本の虫となっている。すぐにでも駆け出して見に行きたいと反射的に考えるが、いま彼女のもとには大爺がいる。彼の避難を優先させることのほうを優先させなければならない。
「大爺、行こう」
「わかった。できれば手を貸してもらえるかの」
「わかった。手伝ってちょうだい」
「かしこまりました」
大爺の手を引き立ち上がらせたイリスは報告に来た兵士とともに彼の腕を肩にかけ歩き始める。ゆっくりとした足取りで歩き家から出たイリスの目に飛び込んできたのは激変したエルフの里だった。ブレスが降り注いだ場所は燃え盛り、あったはずの民家は見る影もなくなっている。その余波で傷ついたエルフは倒れ伏し、兵士たちが必死になって彼らを救助している。その光景を見て絶句するイリス。思考が再び停止し、身体が動かなくなってしまう。ここが地獄か、外の経験がない彼女にはそう思えてしまっても無理はない。しかし、肩を叩かれる感覚で彼女は復活する。
安全な場所目指して歩き続けるイリス一行。半分を越えたところで兵士が倒れているほかのエルフを助けに行くという事態はあったものの、無事に安全地帯に到着する。
「大爺様!」
安全地帯に到着するなり、彼女たちを先に到着していた者たちが取り囲み、誘導していく。その途中で大爺を取り上げられてしまったイリスであったが、正直かえって好都合であった。そっと気配を消し、その場から離れるとドラゴンの姿を一目見ようと駆け出した。時間がたって恐怖が多少緩和された今でも正直恐怖のほうが強い。しかし、身体と思考はそれには従わず興味を優先してしまったのだ。本を読んでドラゴンの特性を知っているイリスは遠くのほうから見ている分にはこっちに火花が飛んでくることはないだろうと憶測を立て、このような行動に至った。それは事実間違っていることではない。陰から見ている分には全く問題ないのだ。
里を駆けまわり、やっとドラゴンが見えて逃げ出しやすい場所を見つけたイリスは建物の陰から顔を出し、そっとドラゴンのことを視認する。次の瞬間、彼女の瞳に映ったのは月の光を浴びながら夜空を羽ばたいているドラゴンとそれに勇敢に立ち向かう兄の姿だった。跳び上がりドラゴンをブレイドで斬りつける兄とそれを受けてなおビクともしないドラゴン。一連の流れを見てイリスは思う。なんと美しい光景であろうかと。
ドラゴンが降り注ぐ月光を浴びながら空中を羽ばたく姿は得も言われぬ美しさを放っておりまるで絵画を見ているかのように引き込まれていく。その美しさに思考はそれ一つで埋め尽くされ、エルフの里を破壊した張本人であるにもかかわらず恨む気持ちを忘れてしまった。初めてドラゴンを見たイリスにはそう思えてしまったのだ。
視界の端にチラチラ映る建物や落ち葉などの不純物を取り除き、もっと克明にその姿を捕らえたい。そう考えたイリスは軽率にも体を乗り出し、その姿を晒しながらドラゴンの様子を見続ける。この軽率な行動がこの後彼女の身に危険を及ぼすなど、彼女は考えることすらなかった。
月の明かりの下でドラゴンを見つめるイリス。目にゴミが入ったように感じ瞳をこする。そしてその手を顔から離したその時、ドラゴンと一瞬目が合ってしまう。まだ、目が合っただけ。もう少しだけ見ていようと考えたイリスは本能的にすこし後退り、ドラゴンを観察し続ける。地面に降りた兄二人にブレスを浴びせようと口の中に炎を溜めるドラゴン。何回か見た光景、意識はまだ彼らに向いていると彼女は思っていた。
しかし、ドラゴンがブレスを吐き出した次の瞬間、ドラゴンはその巨体を翻し一直線に彼女に向かって跳び始めたのだ。睨みつけながらまっすぐに向かってくるドラゴンを認識したイリスは次の瞬間、忘れていたはずの恐怖を思い出し震えが止まらなくなる。体が思うように動かせなくなり、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまう。唯一自由に動かせる瞳は、自分に向かって飛翔するドラゴンとそれを止めようと必死で追いすがる兄を捕らえていた。しかし、それを認識していても体は動かない。逃げようと思っても足は震えを止めず魔法で迎撃しようと思っても震える舌では詠唱どころかまともにしゃべることすらできない。それでも何とかしようと思考を働かせようとするが、混乱した脳は正常に機能しない。
そうこうしているうちにドラゴンはすぐ目の前まで近づいてきている。もう回避など不能なところまで来ていた。そこまで来てイリスはやっと直感的に死を理解する。後悔する暇もなく目の前で開かれていくドラゴンの顎を瞳で捕らえながら、いずれ来る激痛に備え、本能的に体を強張らせた。
牢から脱走したユウキは階段を駆け上がり、エルフの里に飛び出した。燃え盛るエルフの里を捕らえたユウキは地下にいて強い光が懐かしかったことと、今が夜であり目がそのような形になっていなかったことで、眩しさから顔を手で覆い隠す。
「何があったんだわさ」
一言呟いたユウキはその場を離れ近くにあった階段を駆け上がり始める。
「なるほど。エルフの里ってこうなってんのか。ダルクレイみたいだな」
こういう状況になんとなく慣れてしまっているユウキは、呑気にエルフの里を駆けながら初めて見るエルフの里の地形と構造を把握していく。エルフの里は中央にそびえ立つ大樹にツリーハウスのようにして民家が立っており、さらにその周りに生えている大木にも同じようなものが張り付いている。それらは木の板と縄で作られた橋でつながれており、上下の移動には階段やはしごを使うような構造になっている。ダルクレイも縦穴に対して民家が張り付くような形で作られ、それらをはしごなどで移動する構造になっているため、似ているとユウキは言ったのだ。
燃え盛るエルフの里を眼下に見ながら大木に向かって走るユウキ。その道中、ユウキは爆音を耳で捕らえ、音の発生源が確認できる場所に移動するため、速度を上げる。そして、さらに二階層ほど上がったところでその姿を視認する。
「ドラゴン、しかもブレスを吐いて飛行するタイプか」
宙を舞い里に向かってブレスを吐くドラゴンを見てユウキは呟く。
「しっかし、あいつら対抗できんのか?」
さらに加えて思ったことを独り言として吐き出す。エルフの里ということは彼らは魔法を使って戦うのだろう。ということはあのドラゴンに対しての対抗策として非常に弱いということだ。今跳び上がって斬りつけたものも五度は斬りつけたというのに遠目で確認できるほどにダメージを与えられていない。つまり彼らだけでは決め手に欠けるということだ。
「加勢にでも行くかぁ?」
彼らが魔法主体で致命傷を与えられないのであれば、物理攻撃のできる武器を持っているユウキが必要となるだろう。もし長期戦になるのであれば、ユウキの手助けは必要となる。だったら彼は援護に回る必要がある。が、そのためには解決しなければならない問題がある。大剣、もといリベリオンの回収を行わなければならない。ディンスル曰く里の入り口に刺さったままになっているとのことらしく、まずはそれを取りにいかなければならない。しかし、今の今まで牢に入れられていたユウキに里の入り口など分かろうはずがない。誰かに案内を頼まなければその問題も解決できないということにユウキは気づいた。
この里の案内が出来るエルフはいないかと探し始めたユウキは頭上に一人のエルフを捉える。とりあえずその人物に案内してもらおうとそのエルフに向かって走り始める。はしごや階段を上りその人物の顔が確認できるほどまで近づいたユウキはやっとその人物がイリスであることを理解する。この里に二人しかいない親しい人物であることに気づいた彼は彼女の経つ場所と同じ高さの木の板に立つと親しげに声を開けながら近づいていく。しかし、彼女は反応を見せない。それどころか一点を見つめながらがくがくと震えている。いったい何を見ている?何の気なしにそう考えたユウキは彼女の視線の先に自らの視線を滑らせる。そして彼女が一体なぜ震えているのかを理解し、反射的に走り始める。
(クッソ気づかなかった!間に合えよ!)
襲い来るドラゴンの魔の手から彼女を救うために全力で駆けるユウキ。ドラゴンの後ろからはディンスルが追ってきてはいるが、距離と速度の関係上追いつくことは不可能。いま、彼女を救えることが出来るのはユウキのみ。
走るユウキは一瞬ではあるが、ドラゴンより早くイリスに到達できる。そう直感的に理解したユウキはドラゴンの意識を自分に向けさせなおかつ攻撃を加えるための準備に入る。
そして軽く跳び上がりながら今にもイリスに食らいつきそうなドラゴンと彼女の間に割ってはいった。




