#114 更なる試練へ (カグヤ視点)
「──カグヤ殿、どうかあなたの御力で『リュミスの咢』を鎮め、この巨大ドラゴンをも討伐しては頂けないでしょうか?」
ヴェセルのその依頼に、すかさず反応を示した者が一人。
「待てヴェセル、ドラゴンの討伐はカグヤの務めからは外れる。彼女の務めは瘴気を吸収して『邪神の息吹』を鎮めること。魔物退治はそこに含まれない」
厳しい口調で却下するダスクだが、ヴェセルは食い下がる。
「今までの源泉でも、強力な魔物を多数討伐していたはずですが?」
「それは瘴気吸収を完遂する上で避けては通れない障害だったからだ。討伐自体を目的にしていた訳じゃない。『リュミスの咢』にしても、他の源泉が全て鎮められた以上、シュナイン領の『邪神の息吹』は終息したと言っていいはずだ。領主の息子として領民を救うための依頼だということは分かるが、調子に乗って無理難題を吹っ掛けるのはやめてくれ」
「ではせめて、そのドラゴンの正体だけでも突き止めるというのは? 場所が場所故にこれまで誰も調査できなかった訳ですが、カグヤ殿ならば可能なはず」
「同じことだ。遭遇してしまえば調査だけで終わるはずが無い。交戦は避けられないだろう」
この中で最も魔物との戦闘経験が豊富なダスクが、こうも強く反対することからも、件のドラゴンが今までの魔物の比ではないことが素人の私にも感じ取れる。
「私もダスクと同意見だ。それに『リュミスの咢』があるアンディアラ荒野はシュナイン領の外れにあるため、瘴気の量が多くとも人界へ及ぼす影響はこれまでの源泉のそれと大差無い。それでもノトスなど周辺地域に深刻な被害を及ぼしていることには変わり無いが……」
「お察し下さい、オズガルド様。『リュミスの咢』は初代『聖女』様でも手出しできなかった地。カグヤ殿に動いて頂くより他に手立てが無いのです」
初代『聖女』が近付くことさえできなかったのなら、二代目『聖女』テルサにも不可能と思われ、何よりシュナイン家は反教団派であるため、彼女がこの地を訪れる見込みすら無いのだ。
「なあ、随分と『リュミスの咢』に固執してるみたいだがよ、何か理由があるのか?」
「……『邪神の息吹』のせいで領内は荒廃、シュナイン領も御多分に漏れず財政が逼迫しています。かの地に眠る希少鉱石を掘り起こせば、復興の資金になるでしょう。そのためには、カグヤ殿に瘴気を吸い尽くして頂き、ドラゴンを討伐しなくてはなりません」
もっともな答を述べるヴェセルだが、尋ねたベリオは疑わし気な視線を向け、
「本当にそれだけか?」
「他に何があると?」
尚も納得していない様子のベリオに、ヴェセルが強い視線で返す。
「ヴェセル君、ひょっとしてイーグ家のことを考えているのかな?」
ジェフが口にしたその家名に、ヴェセルがハッと反応した。
「イーグ家、って何だ?」
「彼のお母上はノトスの名家イーグの出。彼の祖父母や従兄弟、他の親族もノトスに住んでいるんですよ」
「成程、母方の実家を救いたいってことか。距離があるとは言え、ノトスは『リュミスの咢』から溢れる瘴気の影響を少なからず受けているし、件のドラゴンが街を襲おうものならイーグ家は即滅亡だからな」
「……その通りです」
私情が混じっているとは言え、決して不純な動機ではなく、領民を救おうとする意思は領主の息子として何ら間違ったものではない。
「されど、やはり相手が『リュミスの咢』と巨大ドラゴンとなっては軽々にカグヤを派遣する訳には参らぬであろう。ダスクが申した通り、シュナイン領の『邪神の息吹』は終わったも同然である以上、緊急性、危険性、重要性の観点から儂も賛同はできぬ。酷な言い方になるが、カグヤ一人の命は幾万の民のそれよりも重い」
抵抗組織『黄昏の牙』のリーダーとして、常に敵味方の命の取捨選択を迫られる立場だからこそ、クレオーズの言葉には重みがある。
「そうですね。もしもこれでカグヤが命を落としでもしたら、この国は栄耀教会に完全に吞み込まれてしまいます。唯一の希望が失われれば、後に残るのは絶望のみ」
今までの源泉吸収でも決して命を懸けていなかった訳ではないが、ダスクたちが護ってくれていたこともあり、大きな危険を感じたことは無かった。
「あなたはどう考えますか、カグヤ? 『リュミスの咢』も鎮めるべきと思いますか?」
エレノアが私の意思を問うが、私を思い留まらせようとしているのは明らか。
だが──
「思います。そして向かいます。『リュミスの咢』へ」
思ったほど迷わず、発したその声にも震えは無かった。
「……本気かね? 皆が言うように『リュミスの咢』は相当に危険な場所だ。否、危険という以外、一切が不明の未知の領域だ。こればかりは君とて無事では済まないかも知れん。一体何故そう思うのだね?」
『リュミスの咢』へ挑戦する、という行為の危険度は、北極や南極、深海、砂漠、火山、或いは宇宙へ行く、というようなものなのかも知れない。
用意万端整えても、それでも死の危険と隣り合わせの極限環境なのだから、周りが制止するのは当然のこと。
「……ダスクさんは先程、私の務めは瘴気を吸収して『邪神の息吹』を鎮めることであり、魔物討伐はそのための過程に過ぎないと仰いました。ですが、より正確に言うのであれば、私の務めは苦しむ人々を救うこと。その過程として瘴気の吸収や魔物討伐があるのです。私以外にドラゴンを倒して『リュミスの咢』を鎮められる可能性を持つ者が居ないのであれば、やるしか無いでしょう」
私が動かなければ『リュミスの咢』の攻略は永久に誰にも不可能、未来永劫見放された土地となる。
「待て待て。やるにしても、別に今すぐにやる必要は無いんじゃねえか? 『リュミスの咢』は逃げも隠れもしねえ。他の源泉全てを鎮めたその後でもやれるはずだ」
ウルヴァルゼ帝国全土の『邪神の息吹』を終息させた後ならば、私の価値は大きく下がり、例え失敗して死んだとしても痛恨の事態にはならないため、ベリオの意見は理に適っている。
「『リュミスの咢』に関してはそうでしょうが、ドラゴンは生物である以上、その場所は一定ではありませんし、今後どう動くか予測が付きません。今は『リュミスの咢』近辺に居るとしても、将来的に別の場所へ移り、今度こそ人里に深刻な被害を及ぼすかも知れない。位置が特定できている今の内に対処すべきではないでしょうか」
ドラゴンの飛行能力は精密性と持続力を併せ持つため、その気になればどこへでも短時間で行けてしまい、一度住処を移されては見つけ出すだけでも困難を極める。
「それに実を言えば、今までの源泉の吸収では大きな困難も無く終わってしまって、少々物足りなく思っていた所です」
「これまで多くの者が望み、挑み、そして失敗してきた最も困難な企てを『物足りない』とはな」
クレオーズが苦笑する。
「『望月』の真価を引き出すため、そして私自身が成長するためには、より難度の高い試練が必要だと感じていました。『リュミスの咢』と巨大ドラゴンならば、その試練として不足は無いのではないでしょうか」
ここに居る人々も勿論信頼しているが、どんなに周囲の支えに恵まれたとしても、結局最後に頼りになるのは自分の力だけだ。
『望月』だけが私の取り柄なのだから、如何なる困難も乗り越えられるよう、機会がある内に可能な限り磨き上げて更なる輝きを身に付けておきたい。
それに、こうして私が『リュミスの咢』を領するシュナイン領を訪れたことも、偶然ではないのかも知れない。
運命や引力といった、見えざる大きな力が働いて私を試練に導き、それを成し遂げよと暗に告げているように思えてならない、というのもある。
「一理あるとは思いますが、やはりリスクが大き過ぎます」
エレノアが尚も反対するが、
「勿論、本当に危険と思えば退きます。私の命は、私一人だけのものではないのですから」
かつて私の命は、あの悪徳教団の所有物だった。
しかし今は、私に希望を見出している人々のためにこそ、私の命と力はある。
私の死は、彼らにとっての絶望だ。
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