#113 巨龍棲まう魔境 (カグヤ視点)
「栄耀教会の行いに危機感と憤りと感じているのは私も同じですが……私には教団を滅ぼそうという気は無いのです」
「えっ、そうなの?」
ジェフが素っ頓狂な声を上げる。
「『招聖の儀』は『邪神の息吹』を鎮める者を召喚するためのものであって、悪人を裁く者を求めた訳ではありませんから。それに異なる世界から来た私が、この世界の善悪を決め付けて成敗したり、政情に進んで干渉しようとするのは筋が通らない気がします」
例え人々の暮らしの改善が期待できるとしても、無縁の地から来た者がしゃしゃり出ることに納得できない者、問題視する者は必ず現れる。
「私の務めは栄耀教会に鉄槌を下すことではなく、あくまでも『邪神の息吹』を終わらせて人々を救うこと。……勿論、その務めが悪徳教団の妨害や破滅に繋がったとしても、一向に構わない訳ですが」
「未必の故意って奴かな? 栄耀教会への被害を予測し期待していても、積極的にそれを引き起こそうとはしない」
栄耀教会に審判が下るのだとすれば、それは私の意思ではなく、帝国社会とそこに暮らす人々の意思によるものでなくてはならない。
「だが、こうしてフェンデリン家やシュナイン家といった栄耀教会に反発する貴族の領地を救って回っている以上、奴らからすれば立派な妨害者だがな」
「まあ、カグヤの言う通りかもな。奴らをぶっ潰すのは俺たち『黄昏の牙』の役割だ。なあ大将?」
「然様。それに関してまで手を煩わせてはならん」
話も休憩も済み、皆で立ち上がる。
「ヴェセルさん、次の源泉はどこでしょうか?」
「次、と言いますか、カグヤ殿がハイペースで進めて下さったお陰で、我が領の源泉で残るのはあと一ヶ所だけなのですが……」
「そうでしたか。では早く行って終わらせてしまいましょう」
私が意欲を示すものの、ヴェセルの表情がどこか険しい。
するとオズガルドが何か察したように顔を曇らせて、
「ああ、成程。そうだったな、最後の源泉は『アレ』か」
「あの源泉は、カグヤと言えども容易く鎮めることはできないのではないでしょうか」
「うむ……」
どうやらオズガルド、エレノア、クレオーズの三人は何か知っているようだ。
「その源泉は、今までのものとは違うのですか?」
訊ねると、ヴェセルが神妙な面持ちで頷き、
「三百年前に召喚された初代『聖女』様が、当時のウルヴァルゼ王国内に点在する魔素の源泉に赴き、瘴気を浄化されたことはご存知ですね?」
「はい。その源泉の周囲に『六結聖柱』を建てて瘴気を封じたと」
初代『聖女』の力が込められた六結聖柱は長きに亘って、排出される瘴気を食い止めて『邪神の息吹』の再来を防ぎ続けてきたものの、その効力は年月を経る毎に衰えていき、五十年前に今の『邪神の息吹』が始まった後、魔物たちによって破壊されて完全に稼働停止してしまったとエレノアから教わった。
誤解する者も多いそうだが、六結聖柱は瘴気の浄化ではなく、源泉の外に出て来ないように抑え込むための物、臭い物に対する「蓋」でしかない。
柱の効力と持続力が限界を迎え、それまで抑え込まれてきた分の瘴気も纏めて一気に放出されてしまったことが、今回の『邪神の息吹』の被害の大きさの要因の一つとなっている。
「しかし、全ての源泉が『聖女』様の浄化を受けられた訳ではないのです。中には浄化が不可能と判断され、六結聖柱も建てられないまま、今日まで放置され続けてきた場所もあるのです。その一つがアンディアラ荒野にある最も深い場所──通称を『リュミスの咢』という源泉です」
「ああ、それならカルディス殿下から聞いたことがあるな。確か荒野のど真ん中にある巨大な裂け目で、規模は他の源泉の十倍以上とも言われる、西大陸最大級の源泉だとか……」
ほとんどの源泉は『聖女』によって浄化された後、栄耀教会によって六結聖柱が築かれたため、その後二百五十年間は瘴気が封印されてきた。
しかし、『聖女』が訪れず六結聖柱が築かれたことも無いということは、その『リュミスの咢』とやらは初代『聖女』の後の時代でも『邪神の息吹』の時期が訪れる度、相も変わらず瘴気を吐き出し続け、生者を苦しめ不死者を育んでてきたことになる。
「ええ。ですが単に規模故に浄化が困難という訳ではないのです。厄介なのはその場所でして、今ダスク殿が言ったように、まるで大地がばっくりと口を開いたかのような暗い裂け目の底にあり、その深さは七百メートルにも及ぶとか……」
「七百メートル……」
日本一高い建造物として知られる東京スカイツリーの高さが、確か六三四メートルだったと記憶しているから、それが見事に収まってしまうほどの溝。
ただ下っていくだけでも相当な危険と労力が予想される上、他の源泉と同じくアンデッドや変異魔物の妨害もある訳だから、当時の『聖女』と栄耀教会が浄化を諦めるのも無理からぬことだ。
「『聖女』様と栄耀教会も、本当は彼の地を浄化したかったのだと思います。世間ではあまり知られていない事ですが、実は『リュミスの咢』や付近の山々には、魔素宝石のアメジスト、竜眼石、鷲妃石の鉱床が眠っているのです」
「『魔素宝石』……確か魔素を多く含有した宝石、だったでしょうか?」
私の答に、ジェフとエレノアも頷いて補足する。
「その通り。通常の同種宝石よりも美しい輝きと高い魔力伝導率を持つから、宝飾品としても魔導具の素材としても人気が高く、市場では高額で取引されている。魔素宝石のアメジストは闇属性を帯びているから、リッツカート工房に注文したカグヤの魔導衣にも使われるんじゃないかな」
「竜眼石と鷲妃石も、高性能の魔導具の素材に用いられる希少鉱石です。ウルヴァルゼ帝国では少量しか採掘されないため、多くは東大陸との交易で仕入れていたのですが、その東大陸も『邪神の息吹』に見舞われてしまって、現在の輸入量は更に減ってしまっています」
大陸最大の源泉に眠る、希少な宝の山。
栄耀教会としては初代『聖女』に『リュミスの咢』を浄化させ、掘り起こした鉱石の利益を独占したかったのだろうが、近付くことさえできない地の底の源泉には誰も手出しできなかった。
「『邪神の息吹』が無い時代なら採掘できるんじゃねえか?」
「何度か試みが為されたとは聞く。しかし厄災が無い時代でも『リュミスの咢』は闇属性に偏った大量の魔素を放出しており、一帯は常にアンデッドで溢れ返っておる。加えて、人里から離れた荒野や七百メートルの深さといった問題もあるため、採算が合わぬとして放置されてきたのじゃ」
「莫大な予算と時間を投じて場を整えたとしても、結局また訪れる『邪神の息吹』で全て放棄せざるを得なくなって、振り出しに戻ってしまう訳だからな」
全ての者に見放された魔境──それが『リュミスの咢』という訳だ。
「もう一つ。これは最近の話なのですが、最寄りのノトスという街の住民から、山のように巨大なドラゴンがアンディアラ荒野と行き来する姿が度々目撃されているのです」
ドラゴン──それは美しくも強靭な巨躯、暴風を巻き起こす翼、大樹の如き四肢、岩以上に堅牢強固な外殻、凶悪な爪牙、高い知能、寿命と生命力にも恵まれた、数ある魔物の中でも最強種族と畏れられる生物だ。
これまで訪れた源泉でも、ドラゴンの変異個体やアンデッドと何度か遭遇、討伐または撃退してきたが、あれらは体長二、三十メートル程度の比較的弱いドラゴンと聞いた。
「山のように巨大……具体的な体長はどのくらいなんだ?」
「信じられないでしょうが、七十メートル級と言われています」
ヴェセルのその答に、この場の全員が絶句した。
「おいおい、そりゃ見間違いじゃねえか……? これまでに確認された最大級のドラゴンでも、確か四十メートル級のはずだ。七十メートル級なんて聞いたこと無いぜ」
ベリオの懐疑的な言葉に全員が頷くが、
「私も最初はそう思っていました。しかし先日、父の代理でノトスへ赴いた折、まさにそれを目撃したのです。闇夜を飛行するあの異様な巨体を。あれは四十メートルなんてものじゃない。付近でも、それらしきドラゴンの足跡や糞、捕食痕のある魔物の死骸が多数見つかっており、それらからも七十メートルというサイズが推定されています」
最大と言われるドラゴンをも遥かに凌ぐ大きさとなれば、強さもそれに見合ったものに違い無い。
「そう言えば、宮廷魔術団の方でもそんな話を聞いた気がするな」
「ええ。七十メートルという大きさは初耳ですが」
オズガルドとエレノアは噂話として知っていたようだ。
「まだ被害が出た訳ではなく、市民の間でも疑う者が多いせいで、遠い帝都には浸透していないのでしょう。しかし、いずれ街を襲うのではないかと人々は不安を感じ、ノトスへ近付かない者、避難する者が少しずつ現れています。例え直接的な襲撃が無くとも、そいつが今後も現れ続ければ、そうした動きも加速し、住民の生活はより厳しいものとなっていくでしょう」
ドラゴンは好んで人間を襲うような生物ではない──と言うより、生態系の頂点に君臨する絶対強者の眼中にはちっぽけな人間など入っておらず、外敵や捕食対象とは見做していないため、その生活圏にわざわざ赴いたりはしない。
しかし私の『望月』のように、強大な力は当人の意思とは関係無く周囲に影響を及ぼしてしまう訳だから、ヴェセルの言うように、そのドラゴンを放置することでやがて深刻な事態を招く可能性は否定できない。
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