#103 絶望を祓う月 その7 (カグヤ視点)
「一度だけ警告しましょう。奪った物を返し、武器を捨て、きちんと謝罪しなさい。それは人の道に反する行いです」
聞き分けの無い子供を叱る母親のように、静かな厳しさを込めて言い放ったが、
「ああん? おい女、テメー何様のつもりだァ!?」
「偉そうな説教垂れてんじゃねえぞゴラァ! ブッ殺すぞ!」
「何だ? それともお嬢さんが代わりに遊び相手になってくれんのか? なら考えてもいいぜェ。結構綺麗な顔してるしよォ」
案の定、彼らは聞く耳を持たず、罪悪感すら抱いていない様子だった。
目の前の彼らも勿論悪いが、彼らに悪事を働く余地を与えてしまった栄耀教会にも責任はある。
どんな人間の心の中にも、程度の差こそあれど悪魔は宿っており、普段は法律や秩序、宗教が押さえ付ける枷の役割を果たしていた。
その枷を壊し、堕落の道へ誘うきっかけを作ったのは、言うまでも無く栄耀教会が起こした反乱のせいだ。
迷える者を正しき道へ導くはずの聖職者によって、内なる悪魔の誘惑に負けた者たちが罪悪感を忘れて非道を働き、いずれ罰を受ける運命を負わされることになるとは、何と言う皮肉だろうか。
「──そうですか。では……『無明の極致』」
口で言っても大人しくできないのであれば、実力行使に出るより他に無い。
城へ攻め寄せた反徒たちと同じ目に遭って貰う。
「え──」
眩暈にでも襲われたかのように、途端に暴徒たちの体から力が抜け、バタバタと音を立てて倒れ込んだ。
武器や略奪品も彼らの手を離れ、地面に転がる。
「騎士団が迎えに来てくれるまで、良い子にしていましょうね」
あらゆる感覚を封じて全身を無に陥れてしまえば、如何なる者とて赤子も同然、武器を持つどころか立ち上がることさえできなくなる。
「な、何が起きたんだァ~……!? 何なんだよこれはよォ~~……ッ!」
「ま、真っ暗で何にも見えねえ! 音も全然聞こえねえ! ここは、ここはどこなんだァ~……ッ! みんなどこ行っちまったんだよォ~~……ッ!」
「だ、誰か……誰か居ないのか!? 俺、一体どうなっちまったんだァ~? 助けてくれェエエ~~……ッ!」
暴力の快感に酔い痴れ、驕り高ぶっていた者たちは一転、恐怖に怯え、駄々っ子のように手足をバタつかせて泣き喚くことしかできない弱者へ成り下がった。
「チ、チクショウが……ッ」
倒れていた男の体から魔力の波動が発散される。
『無明の極致』も他の魔法と同じく、相手の魔力の属性や度合いによって効力が低下しまう場合がある上、あくまでも感覚を遮断するだけで、魔力や動作そのものに影響は無い。
何の魔法を使う気かは知らないが、これ以上の被害を出さないために大人しくしていて貰わなくてはならない。
「『生命を喰らう紫黒の荊棘』」
私の腕から、紫色の荊が触手の如く伸び上がり、男の身に巻き付く。
同じく巻き付くタイプの『蛇行する輝鎖』と違って拘束力や耐久力は低めなので、人間相手ならともかく、それなりの力を持った魔物相手には容易く引き千切られてしまう。
この魔法の真価は束縛による行動阻害ではなく、魔力の吸収にある。
『生命を喰らう紫黒の荊棘』は魔力伝導率が非常に高いため、巻き付けられた生物が魔力を練って魔法を発動しようとしても、荊へ魔力が流れてしまって叶わなくなる、言うなれば電気のアースと似たような働きをするのだ。
「うぐ……ぐ、うぅ~……」
魔力を一気に減らされて魔力欠乏症に陥った男は、最早塩を掛けられたナメクジも同然。
「大丈夫ですか?」
無力化を確認してから『生命を喰らう紫黒の荊棘』を解除、被害に遭った者たちの様子を窺う。
「あ、ああ、体の怪我は大したことじゃないし、家族も商品も無事だが……店が……」
店を包み込む紅蓮の炎は未だ勢いを失う様子は無く、消し止められたとしても全ての物は真っ黒な炭素の塊に成り果ててしまっている。
「ここは服飾のお店ですか?」
地面に落としたビスケットのように、真っ二つに割られた看板には【リッツカート魔導衣工房】と書かれており、暴徒たちから取り戻した商品も全て衣類だ。
「え、ええ……魔導衣職人のアンドレ・リッツカートと申します」
魔導衣とは魔導具の一種で、魔法が込められた衣服のことだ。
着心地や質感は一般の服と大差無いにも関わらず、火を付けても焦げ跡一つ付かない物、自己修復や自動洗浄機能が備わっている物もあれば、城砦の如き防御効果を発揮したり、着用者の身体機能や魔力を強化する効果を持つ物など、その種類や性能は千差万別だ。
「領主様一族からも御用達の店として、何世代にも亘ってお納めして来たのですが……」
オズガルドたちが普段着ている魔導衣も、ひょっとしたら目の前のリッツカート一家が仕立てた物なのかも知れないと想像する。
高名な魔術師の血統であるフェンデリン一族から認められるのだから、その腕前は一級に違い無い。
長く昵懇の間柄だったため今回の反乱には加わらず、貴重な魔導衣や財産を蓄えていたことで暴徒に狙われてしまったのだろう。
「まさか、このようなことになるとは……道具も設備も財産も、先祖代々受け継いできた家宝の魔導衣や布まで……全て……全て燃えてしまいました……」
「母さん……」
「どうして、どうしてこんなことに……私たちが何したって言うのよ……」
顔を覆った夫人が嗚咽、若き兄妹も眼に涙を浮かべていた。
「……皆が無事だったのだ、今はそれを喜ぼう」
一家の長であるアンドレだけは気丈に振る舞っているが、彼とてショックを隠し切れていないのは明らかだ。
先祖から受け継ぎ、地道に技術を磨き上げ、時代の荒波の中でも苦労して守り抜いてきた店を、一夜にして理不尽に燃やされるこの仕打ちは、誇りと愛着を持って家業に勤しんできた者たちにとって、腕をもがれるくらいに辛いことではないだろうか。
悲嘆に暮れる一家だが、しかし彼らは幸運である。
今宵の月は、その絶望の闇を祓う。
「『原点へ立ち返る期』」
現在進行形で炎上する建物だろうと、時を戻せば関係無い。
無情なる火炎は収まり、焼け崩れた柱や壁に至るまで、店の状態は破壊される前まで遡る。
「──これでまたお仕事ができますね」
ほんの十数秒前まで、激しく燃え上がっていた場所とは誰も思うまい。
元の小綺麗な姿を取り戻した魔導衣工房が、月の光を浴びて堂々と佇んでいた。
これに対してリッツカート一家が見せた反応は、ポカーン、という何とも間抜けなものだった。
燃え尽き、永遠に失われたと諦めていたものが、瞬く間に何事も無かったかのように元通りになったのだから、呆然とするなと言う方が無理だろう。
「では……」
体の負傷は大したものではなさそうなので、もうこの場に留まる意味は無い。
「お、お待ち下さい……!」
背を向けて歩き出した私を見て、我に返ったアンドレが呼び止める。
「何でしょう?」
「その、少なくて申し訳無いのですが……」
差し出された革袋の中で、ジャランと貨幣の音がした。
「ありがとうございます。ですが、そのお気持ちだけで結構です」
恩には返礼を以て報いる、という誠実な姿勢は商売人らしくて好感が持てるが、店が元通りになったとは言え、街がこの有様では当面の商売にも支障が出るのは間違い無く、『邪神の息吹』のことも考えると、彼らとて経済的に余裕があるとは言えないだろう。
「しかし、何のお礼もしないと言うのも……」
「でしたら、そのお礼はフェンデリン家へお願いします。私をこのルーンベイルへ招いて下さったのは彼らですから」
ジェフから、ルーンベイルで栄耀教会が不穏な動きを見せているとは聞かされたが、訪れたまさにその夜にこのような事態が起きていたとは、全く思いもしなかった。
あと一日どころか一時間でも来るのが遅かったならば、あの城は陥落してフェンデリン一族は滅亡、ルーンベイルは栄耀教会の事実上の支配下に置かれていたに違い無い。
これが奇跡、或いは運命なのだろうか。
「で、ではせめてお名前だけでも……」
何度も断ってしまって胸が痛むが、
「……申し訳ありませんが、私は訳あって名乗ることを許されない身。まだ為すべきことがありますので、これにて失礼します」
破壊された建物、損害を被った人々はまだまだ居る。
絶望の闇に見舞われた者たちに、希望を取り戻させる。
そのためにこそ、我が『望月』の輝きはあるのだから。
毎度ご愛読ありがとうございます。お楽しみ頂けたのなら、評価や感想、ブックマーク、レビューして頂けると創作の励みになります。