#102 絶望を祓う月 その6 (カグヤ視点)
間違えて#103を投稿していました。8/30に修正。
「なあ、あんた……そこのお姉さん」
呼び声に振り返ると、そこには先程の少女よりも幼い年頃の、少女を抱えた男性が立っていた。
「何でしょう?」
怪我をした子供を抱えている親というだけで、用件は察しが付く。
「ウチの子も治してやってくれないか。脚が折れちまったんだ」
普段であれば迷わず引き受ける所だが、今は事情が違う。
「脚の骨折、それだけでしょうか?」
「あ、ああ……」
「それならお城へ向かわれると良いでしょう。あちらには領主様配下の快癒術師が大勢居ます」
平時であれば病院か、優れた快癒術師を多く抱える栄耀教会を頼るべきだろうが、今はどちらも大忙しだ。
オズガルドとエレノアも高度な治癒魔法を体得しており、城の快癒術師たちが魔力切れに陥らないよう帝都から、魔力回復魔導薬や治癒魔導薬、その他の医療品も数多く運んで来た。
「あんたは治してくれないのか?」
脚が折れてしまった子供の顔は、当然ながら苦痛で歪んでいたが、
「そうしたいのは山々ですが、私は私にしかできない務めを果たさなくてはなりません。そのためにはできる限り、魔力を温存しておかなくてはならないのです。……どうしてもと仰るのなら、治療費として百万マドルを頂きますが、それでも宜しいでしょうか?」
当たり前のことだが、時間回帰対象が多いほど『原点へ立ち返る期』で消費する魔力は増える。
先程の女性のように、一刻を争う容体や治癒魔法でも手に負えない傷という訳でもなければ、他を頼って欲しい。
「だが、俺たちは、その……」
彼が何を言いたいのかは察している。
反徒として領主モルジェオに敵対した自分たちでは、のこのこ城に行っても治療どころか、反逆罪で捕まって処罰されるのではないかと不安なのだ。
「心配は要りません。一般市民に関しては罪には問わず、負傷者は無償で治療すると領主様は仰っていました。武器を持ち込んだり、騒ぎを起こすようなことさえ無ければ身の安全は保証されます」
「そ、そうなのか……?」
と言うのも、今回の反乱に参加した者は膨大な数に上り、その全員をいちいち詮議していては時間と労力がどれだけあっても足りない。
まして処罰して労働力を大きく減らせば社会機能が麻痺しかねないのだから、ヌンヴィス司教のような戦犯か、看過できない被害をもたらした者でもなければ不問にせざるを得ないのだ。
「い、いや、でも、俺も脚に矢を受けちまったから、城まで歩くのは……」
「大丈夫です。動けない方を搬送するために、領主様が手配した荷馬車があちらに居ます」
脚の矢傷も重傷ではなさそうなので、馬車まで歩くくらいの努力はして欲しい。
と、そこへ轟く爆音。
鮮やかな炎の光と漂う焦げた臭いが、只ならぬ事態の発生を私に告げる。
「……先を急ぐので失礼します」
その場を離れて向かっている間、更なる爆音が複数回上がった。
火薬か、でなければ爆発の魔法──私の勘では恐らく後者。
まだ誰かが暴れているのだ。
誰かが命を落とさない内に、私が事態を収束させなくてはならない。
爆発が起きた地点から、禍々しくも派手な火の手が上がっていた。
火の粉が雨霰と降り注ぎ、焦げ臭い香りが鼻孔を不快に刺激する。
そして現場に到着すると──
「やめてくれ! それは家宝の魔導衣なんだ……!」
大切な物を奪われる悲しみ。
「うるせェぞ。欲しけりゃ自分の力で取り返してみろ──よッ!」
「ぐわっ……!」
身に浴びせられる苦痛。
「やめて! お父さんに酷いことしないで……!」
「ああいいぜ、お嬢ちゃんが一緒に遊んでくれるんならな。ほら来いよ、朝まで楽しもうぜ……!」
「誰か、誰か助けてェーッ……!」
下賤な欲望に迫られる恐怖。
「この外道共がァーッ! 汚い手で妹に触れるんじゃない……ッ!」
家族を傷付けられる怒り。
「威勢が良いな、兄ちゃん。だが所詮は服職人、針仕事しかできない手で殴られたって効かねえ──よッ!」
「ほらほらどうした、一発でノックアウトかよ。根性見せろよお兄ちゃん、妹ちゃんがピンチだ──ぜッ!」
暴力への陶酔、歪んだ優越感。
「う……ぐ……畜生、が……ッ」
悔しさ、そして無力感。
人の世に満ちる悪意と理不尽の縮図とも言うべき、そんな光景だった。
その只中へと、私は歩を進める。
「──そのくらいにしてはどうですか?」
男性を踏み付ける大男の背中に声を掛けた。
「アァん? 何だお前? 関係無ェ奴はすっこんでろよ」
不快そうな声と共に、大男が振り返る。
声の主が華奢な女だと知るや、その濁った瞳に侮りと、そして卑しい欲望の色が浮かんだのを私は見逃さなかった。
「そう言われてすごすご引き下がるようなら、最初から割って入りはしません」
改めて、この惨状を見渡す。
「……暴力を振るって商品を奪い取り、魔法でお店を燃やしたのですか? おまけに大人数で女性を襲うなど……そうした恥ずべき行為を禁ずるという、ヌンヴィス司教の呼び掛けが聞こえなかったはずは無いのですが」
野蛮で卑劣な行為への憤りと嫌悪を抑え、務めて穏やかな声で遠回しに非難したが、
「ハッ、知ったことかよそんなモン」
「大体よォ、司教様は『戦闘や破壊は許可しない』とは言ったが 物を盗んだり、女を襲っちゃならないなんて言ってなかったぜ。なあ?」
「そうそう。それにこいつらは司教様の言うことを聞かず、領主モルジェオに立ち向かわなかった。つまりは神様に逆らったんだ。そんな奴らに罰を与えて何が悪いってんだ? 当然の仕打ちだろうがよォ~」
ギャハハハハ、と下卑た笑い声が起きる。
『邪神の息吹』による貧窮、領主モルジェオへの不満、サウル教徒としての信仰心をヌンヴィス司教ら栄耀教会に付け込まれ、『聖女』を呼ぶため、死後に天国に行くためという大義名分を与えられ、民衆が立ち上がったのが今回の反乱だ。
故に司教が発した突然の停戦命令にも、反徒たちは戸惑いを覚えながらも忠実に従って武器を捨てた訳だが、そうではない者も中には居る。
「……どうやらあなた方も、政治への不満やサウル神への信仰心を動機にした『反徒』ではなく、反乱に乗して勝手に暴れていただけの、只の『暴徒』なのですね」
同様の狼藉者を何人も見かけた。
先程の母娘を襲った建物の倒壊も、恐らく彼らの魔法が原因だろう。
街全体が秩序を失っている状況下なら騎士団に見咎められるリスクを負うことも無く、殺人も略奪も破壊も婦女暴行も好き放題行えてしまい、騒ぎが収まる頃には暴徒たちは逃げ果せてしまって、被害者は泣き寝入りだ。
このように極めて個人的な欲求や衝動が動機のため、ヌンヴィス司教の命令が通用しないのだ。
毎度ご愛読ありがとうございます。お楽しみ頂けたのなら、評価や感想、ブックマーク、レビューして頂けると創作の励みになります。