#99 絶望を祓う月 その3 (ベリオ視点)
「掛かれェ!」
全方位から一斉に聖騎士が押し寄せる。
その一瞬にどう対処するか、頭をフルに回転させながら身構え、覚悟を決めたその瞬間、
「ぐッ!? ……あっ、ぐあああああッ、な、何だ、これ、は……ッ!?」
手が届く距離まで差し迫っていた聖騎士が、突如として体をビクビク震わせて攻撃を止めた。
「あぎゃあああああああッ、い、痛いィイ……ッ!?」
そのまま倒れ込んだ彼は悶絶、ゴロゴロと地面でのたうち回り始めた。
「いぎいいいいいいッ、ど、どうなっているんだァ……!?」
「無数の針で全身を刺されているような、こ、この痛みは一体……ッ!?」
彼だけでなく、周りに居た他の聖騎士たちにも同様の現象が起こって次々に倒れ、まるで毒にでも冒されたかのように苦しみ始めた。
「か、甲冑の中に何か入り込んでいるのか……!? 何なんだ、これはッ!?」
痛みに耐え兼ねた聖騎士が、俺が目の前に居ることも忘れて聖水甲冑を脱ぎ捨てた途端、まるで黒い砂のような物体がドザッと流れ落ちた。
「何だこりゃあ……!?」
砂粒よりは大きい、しかし一センチにも満たない程度には細かく、おまけに何やらモゾモゾと動いていた。
恐る恐る指先で一部を掬い取って、その正体を確かめてみると──
「あ、蟻だ……! スゲー数の黒蟻が聖騎士の服や鎧の隙間から中に入り、全身の皮膚を齧ってやがるのか……!」
本で読んだことがあるが、遠く離れた南大陸の熱帯雨林では、獰猛な軍隊蟻が最強の生物として君臨しており、その大群に襲われたが最後、人間など為す術無く全身を喰い尽くされて骨にされてしまうそうだ。
聖騎士たちを襲っているこの蟻は西大陸のどこにでも棲息している単なる黒蟻で、軍隊蟻のような殺傷力や凶暴性は無さそうだが、それでもこの数に全身を齧られて痛みを感じないはずが無い。
石畳が見えなくなるほどに地面を埋め尽くした蟻の群れが、浜辺に打ち寄せる波の如く聖騎士へ殺到、その肌に小さな牙を突き立てていく。
「うおごぇえええええええええええええ……ッ!! だ、誰か、誰か助けてくれぇ……!」
四つん這いになった聖騎士が、蟻の塊を嘔吐する。
「ひぃええッ、こ、この虫ケラ共め、離れろォ……ッ!」
「お、おい馬鹿、やめろ! 剣を振り回すんじゃ──ぬわああッ!」
眼や耳、鼻から体内に入られてしまった者も数多く、苦痛のあまり無我夢中で放った攻撃が味方に当たって同士討ちを招いてしまうような二次被害も引き起こしていた。
お得意の治癒魔法を掛けたとしても、体に蟻が纏わり付いている限り、苦しみはいつまでも続く。
「訳が分からねえが、偶然の出来事じゃなさそうだな……」
黒蟻がここまでの大群を形成することなどまず有り得ないし、何より聖騎士たちへは容赦無く攻撃していながら、俺に対しては只の一匹たりとも噛み付いてこない。
だとすればこの蟻の大群は、調教術師によって使役されたものと見て間違い無い。
そしてこのような芸当ができる者に、俺は心当たりがあった。
「お久し振りですね、ベリオさん」
その考えの正しさを証明するかのように、真っ先に思い浮かべた人物の声がすぐ近くから掛けられた。
「ジェフ……!」
ルーンベイル領主モルジェオの三男、ジェフ・デルク・フェンデリン。
帝都エルザンパールにて妹サリーを匿ってくれている内の一人。
「やっぱりこの蟻はお前の仕業だったか……! だがよ、帝都に居るはずのお前が何でここに……!?」
窮地に陥った実家の救援に来たのだとは分かるが、しかし今日始まった反乱を聞き付けて遠い帝都から駆け付けるなど、例え空を飛んだとしても物理的に不可能なはず。
「後で話します。それよりも……」
ジェフの視線がヌンヴィス司教に移る。
「どうも、ヌンヴィス司教。相変わらず蟻みたいにこじんまりとした姿ですね。兵隊蟻を大勢引き連れてパレードを楽しんでたみたいだけど、残念ながら害虫駆除の時間が来てしまったよ」
「モルジェオの三男か。帝都からここまでどうやって来たのかは知らぬが、貴様の虫ケラ如きで我らの歩みを止められるとでも思うたか」
蟻の噛み付きが与えるのは苦痛だけ、命を奪うほどの傷は負わせられない。
何人かの聖騎士は痛みを堪えたり、或いは火や水の魔法を使って蟻を追い払い、武器を手に再び立ち上がりにじり寄って来た。
「お前なら知ってるだろうが、司教が乗ってるあの輿は只の輿じゃねえ。球形の魔法の障壁でガッチリ防御されていて、俺の魔法でも突破できなかった」
堅牢強固な魔法障壁を突破しない限り、ヌンヴィス司教には蟻一匹とて触れることは叶わない。
フェンデリン一族だけあってジェフも優れた魔術師ではあるが、彼の真骨頂はあくまで使役生物を活かした攪乱や偵察であり、あの輿の魔法障壁を突破するほどの破壊力は持ち合わせていない。
「でしょうね。だからこそ頼もしい助っ人を連れて来ました──」
応じるように、物凄い速さで何かが俺とジェフの真横を駆け抜けた。
突風か、或いは砲弾か魔法の類かと思われたそれは──何と人間だった。
その人物がギラリと閃く刃を振るう動きを、辛うじて視界に捉えた時には、全ては終わっていた。
「な……ッ」
周りに居た聖騎士たちが血を噴き上げ、声も上げられないままバタバタと倒れて動かなくなる。
一瞬で彼らを斬り倒したのは、夜の闇に溶け込むような黒いマントと鎧を着込み、頭部にも黒布を巻いて目元以外を覆い隠した謎の剣士。
「……久し振りに、懐かしの故郷ルーンベイルに帰って来てみれば──」
謎の剣士が、剣に付着した血を払う。
「──相も変わらず徳の無い連中が幅を利かせ、愚かな争いを引き起こしているとはな。亡き殿下がこの光景を見たら、果たして何と言っただろうか……」
嘆きと憤りが同居した呟き。
「悪魔め、地獄に堕ちろッ!」
そんな彼の背後を狙って、辛うじて致命傷を免れた聖騎士が挑み掛かる。
深手を負っていながらも、繰り出されたその横薙ぎの斬撃は秀逸。
しかし、謎の剣士はお見通しとばかりに、振り向きもせず伏せて易々と回避。
「──火葬場はそこだ」
反撃の後ろ蹴りを叩き込まれた聖騎士は燃える家屋の中に突っ込んで行き、二度と出ては来なかった。
「何なんだ、こいつ……」
それなりに場数を踏んできたからこそ、謎の剣士の技量がどの程度か、見ただけで感覚的に分かる。
ジェフが連れて来たと思われるこの剣士は、俺を遥かに上回る手練れ──それも俺が今まで出会った中で間違い無く最強と言っていい人物だ。
「これで聖騎士は全滅、後はお前たちだけだ。どうする? 無駄を承知で挑んで来るか、それとも……」
最早残っているのはヌンヴィス司教と取り巻きの聖職者たち、いずれも武力を持たない者ばかり。
「お、おのれェ……ッ」
聖職者たちを置き去りにして、ヌンヴィス司教が輿を反転、馬の如き速度で一気に飛ばして去った。
「あの野郎……自分だけ聖堂に逃げ込んで、残っていた聖騎士と共に籠城する気か……!」
「帝都の教皇が助けてくれるまでの時間を稼ごうって魂胆なのかな? 無駄な足掻きだけど」
俺とジェフだけが相手ならば恐らく逃げ切れただろうが、しかし相手が悪かった。
司教の行動を読んでいたのだろう、些かの逡巡も動揺も無く、謎の剣士が地を蹴り、駆け付けた時と同じく風の如き速度を出す。
「──責任から逃げるのか」
追い付くどころか、一瞬で司教を追い抜いた彼が回し蹴りを放つ。
まるで安物のガラス窓か何かのように、輿を覆っていた魔法障壁が断末魔の叫びを上げた。
「うおおッ、一撃で……!」
時間さえ掛ければ俺でも破壊できないことは無いが、それでも頑強故に数分は掛かるだろう。
だと言うのに、あの謎の剣士は剣も魔法も使わず、単なる蹴り一発で見事に叩き壊して輿ごと障壁を破壊、ヌンヴィス司教に地べたを舐めさせてしまった。
「どうした、虫ケラみたく這いずっていないで立てよ」
「ひぃいいいいいいいいいいッ……!」
尚も逃げようとする司教の髪を鷲掴みにして、謎の剣士が無理矢理立ち上がらせる。
「わ、我ら栄耀教会に楯突くことがどういうことか、理解しているのか……! 貴様のような不届き者は間違い無く──」
「地獄に堕ちる、か? いつの時代も、神の従僕の脅し文句は変わらないな。『天罰が下る』だの『地獄に堕ちる』だのと威圧して、弱者の生き血を啜って肥えていく。お前たちのような連中を三百年以上ものさばらせていたんだ、俺如きのやることなど神は気にも留めないだろうよ」
信心それ自体は否定されるべきものではないが、それが他人に苦痛や悲劇を強要する動機になってしまってはならない。
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