[物上代位]法理編 栞とお勉強
夕方の事務所で、私はノートの真ん中に家の絵を描きました。
家。
その横に炎。
さらに矢印。
最後に大きな丸を書いて、
「保険金」
と書く。
「……我ながら、小学生の社会科みたいだな」
「何やってるんだ?」
背後から声がして、私は肩を跳ねさせました。
「真壁さん。だから後ろから覗くのやめてください」
「何だ、その燃えてる家」
「今日の復習です」
「縁起悪い復習だな」
「物上代位を絵にすると、どうしてもこうなるんです」
私はノートを真壁さんのほうへ向けました。
今日、小野寺さんのアパートは火災で焼失していた。
でも、その建物には火災保険が掛けられていた。
そして建物には、銀行の抵当権が設定されていた。
「まず、ここです」
私は鉛筆で建物を丸く囲みました。
「銀行は、この建物に抵当権を持っていました」
「うん」
「ところが燃えた」
「うん」
「建物そのものはなくなった」
「うん」
「じゃあ抵当権者は、『燃えちゃったから終わりです』で泣き寝入りするのか」
「しないんだろ?」
「その通りです」
私は矢印を指しました。
「建物が燃えた代わりに、火災保険金請求権が発生した」
「建物が金に変わったようなもんか」
「そう考えると分かりやすいです」
私はノートに大きく書きました。
――物上代位。
「これが今日の主役です」
「名前が分かりにくい」
「激しく同意します」
「もっと普通の名前にできなかったのか」
「『担保の変身先まで追いかける権利』とか」
「長い」
「では『追っかけ担保』」
「軽い」
「注文が多いですね」
私はため息をつきながら、説明を続けました。
物上代位。
簡単に言えば、
担保の目的物が、売却・賃貸・滅失・損傷などによって別の金銭や債権などに姿を変えた場合に、その変わった価値にも担保権の効力を及ぼす仕組み。
今日の事件なら、
建物
↓
火災で焼失
↓
火災保険金請求権
という流れです。
「つまり」
真壁さんが言いました。
「建物そのものを追いかけるんじゃなくて、建物の価値がどこへ行ったかを見るわけだ」
「そうです」
「所長が言ってたやつだな」
「はい」
私は赤鉛筆で囲みました。
物上代位
=目的物の「価値の変形物」を追いかける。
「ここまでなら、そんなに難しくないですね」
「珍しくな」
「“珍しく”はいりません」
問題は、その次です。
宅建試験は、受験生が「分かった!」と思った瞬間を狙って、床にバナナの皮を置いてきます。
私はノートに大きく書きました。
超重要。
――払渡しまたは引渡しの前に差し押さえる。
「今日も言ってたな」
「ここ、ものすごく重要です」
「保険金が小野寺さんの口座に入ったあとでは遅い?」
「原則として、物上代位のための差押えは、その金銭などが払い渡される前にしておく必要があります」
「なんで?」
「価値の変身先を特定して、その価値を確保するためです」
私は図を書き足しました。
建物
↓
火災
↓
保険金請求権
↓
【ここで差押え】
↓
保険金支払い
「つまり、物上代位には二つセットで覚えればいいです」
「二つ?」
「一つ目」
指を一本立てる。
「担保物が別の価値に変わっても、その価値を追いかけられる」
二本目。
「でも、払い渡される前に差し押さえる」
「なるほど」
真壁さんが頷きました。
「『追いかけられる。ただし先回りしろ』だな」
「……それ、いいですね」
「俺のほうが説明うまいじゃねえか」
「調子に乗らないでください」
私は悔しいので、その言葉をノートの端に小さく書きました。
追いかけられる。
ただし、先回りして差し押さえる。
……覚えやすい。
腹立つ。
*
「じゃあさ」
真壁さんが椅子を引いて座りました。
「火災保険なら、何でも取れるのか?」
「取れません」
「即答だな」
「ここも試験で狙われます」
私は新しい図を書きます。
A――土地の所有者。
B――抵当権者。
甲土地――Bの抵当権あり。
甲土地の上の乙建物――抵当権なし。
「たとえばBさんが、甲土地にだけ抵当権を持っていたとします」
「うん」
「その土地の上に建っている乙建物が燃えました」
「火災保険が出る」
「はい。じゃあBさんは、その建物の火災保険金に物上代位できるでしょうか」
「……できそうだけど」
「できません」
「なんで?」
「Bさんの抵当権は、そもそも建物についてないからです」
「ああ」
真壁さんが手を打った。
「追いかける元が違うのか」
「そう!」
私は思わず声を大きくしました。
「そこです」
物上代位というのは、魔法の集金装置ではない。
あくまで、
「担保権の効力が及んでいた目的物の価値」
が別の形に変わった場合に、その変形した価値を追いかける制度です。
だから、
土地だけに抵当権
↓
建物が焼失
↓
建物の火災保険金
という場合、
土地の抵当権を理由に建物の保険金まで取ることはできない。
「今日、小野寺さんに最初に聞いたでしょう?」
「『建物にも抵当権が付いてますか』ってやつか」
「はい」
「あれ、ちゃんと意味があったんだな」
「今まで意味がないと思ってたんですか」
「十八歳の見習いが妙なこと聞くなとは思ってた」
「失礼ですね!」
でも試験では、本当にここが危ない。
問題文に、
「土地に抵当権」
と書いてあるのか。
「建物に抵当権」
と書いてあるのか。
たった数文字で結論が変わる。
私はノートに書きました。
【要注意】
物上代位するときは、
「何に担保権が設定されているか」
を最初に確認する。
*
「ところで栞」
「はい?」
「物上代位って、抵当権だけなのか?」
「いい質問です」
「お」
「三点」
「満点いくつだよ」
「百点」
「低っ」
私はノートに四つ並べました。
留置権。
先取特権。
質権。
抵当権。
「担保物権の四兄弟です」
「留置権が長男っぽいな」
「何の話ですか」
「並び順」
「どうでもいいです」
そして、留置権だけに大きなバツを書きました。
留置権 ×
先取特権 ○
質権 ○
抵当権 ○
「留置権だけ駄目なのか」
「はい。宅建ではこれ、かなり覚えやすいポイントです」
留置権には、物上代位性がない。
一方、
先取特権。
質権。
抵当権。
には、物上代位が認められる。
「なんで留置権だけ仲間外れなんだ?」
「権利の性質が違うからです」
私は時計の絵を描きました。
「たとえば真壁さんが時計を修理屋さんに出したとします」
「うん」
「修理代五万円」
「高い時計だな」
「例です」
「はいはい」
「修理が終わった。でも真壁さんが言います」
私は声を低くしました。
「『金は来月払う。時計だけ先に返せ』」
「俺を悪役にするな」
「似合うので」
「おい」
「その場合、修理屋さんは修理代を払ってもらうまで時計を返さず留置できます」
「それが留置権」
「はい」
でも。
留置権は、
「この時計の価値から優先的に五万円を取ろう」
という権利ではありません。
時計を手元に置いて、
「払ってくれないなら返しませんよ」
と相手に履行を促す権利です。
「だから時計が別の金銭に姿を変えたとしても」
「その金まで追いかける権利じゃない」
「正解です」
「おお」
「十点」
「さっきより上がった」
私は大きく書きました。
留置権
=物を留め置くことで履行を促す。
価値そのものを優先的に把握する権利ではない。
だから、
物上代位性なし。
「ここは理屈まで分かると忘れにくいです」
「丸暗記するなら?」
「留置権だけ物上代位できない」
「短いな」
「試験直前は短いほうが正義です」
*
「火事以外にもあるのか?」
「あります」
私は家の絵をもう一軒描きました。
「今度は燃やさないでくれよ」
「燃やしません」
「安心した」
「貸します」
「お前のノートの中、不動産が酷使されてるな」
所有者A。
抵当権者B。
賃借人C。
Aの建物にBの抵当権が設定されている。
その建物をAがCへ賃貸している。
するとAは、Cに対して賃料債権を持ちます。
「一定の場合には、この賃料債権にも抵当権による物上代位が問題になります」
「家賃まで?」
「はい」
「建物は燃えてないぞ」
「物上代位は、滅失した時だけじゃないんです」
ここは重要。
物上代位というと、
建物が燃える
→保険金
という例が有名です。
でも、それだけではありません。
目的物を賃貸したことによって発生する賃料も、物上代位の対象になり得ます。
ただし抵当権について賃料などの果実に効力を及ぼす場面では、債務不履行後という点も重要です。
「つまり」
私は図を指しました。
AがBから借りたお金をちゃんと返している間から、Bが突然、
『今日から家賃は俺に払え』
という話ではありません。
「それは怖いな」
「怖いでしょう?」
「大家より怖い銀行が来る」
「新ジャンルですね」
債務不履行が生じた後、抵当権者が賃料債権について物上代位し、必要な差押えをする。
そういう流れです。
私はまとめました。
建物
↓
貸す
↓
賃料債権
↓
抵当権者が物上代位
「火災保険金と同じで、“建物が生み出した経済的価値”を見る感じだな」
「そう考えるとイメージしやすいですね」
*
「じゃあ」
真壁さんが身を乗り出しました。
「AがCに貸して、CがさらにDに又貸ししたら?」
「おお」
「そのDが払う転貸料も取れるのか?」
「原則として、そこまでは行けません」
「なんで?」
私は人物関係を書きました。
B 抵当権者
↓
A 所有者・賃貸人
↓賃貸
C 賃借人・転貸人
↓転貸
D 転借人
AがCから受け取る賃料。
これはAの債権です。
一方、
CがDから受け取る転貸賃料。
これはCの債権です。
「抵当権者Bが担保を取った相手は、所有者Aです」
「うん」
「なのに、Aの借金が返せないからといって、何の関係もないCがDから受け取る転貸料まで当然に取り上げられたら?」
「Cがかわいそうだな」
「そういうことです」
原則として抵当権者は、抵当不動産の賃借人が取得する転貸賃料債権にまで当然に物上代位することはできません。
私は赤鉛筆で、
Aの賃料 ○
Cの転貸賃料 原則×
と書きました。
「ただし」
私は小さく付け加えます。
「賃借人を所有者と同視するのが相当な特殊事情がある場合などは、別の問題になります」
「また例外か」
「法律ですから」
「それ言えば何でも許されると思ってるだろ」
「だいたい許されます」
でも宅建でまず押さえるなら、
抵当権設定者が取得する賃料債権には物上代位できる。
しかし、
賃借人が取得する転貸賃料債権には、原則として当然には物上代位できない。
ここです。
*
「じゃあ、抵当権を実行して競売を始めたら?」
真壁さんがまた聞きます。
「もう賃料への物上代位はできなくなる?」
「いいえ」
「できるのか」
「抵当権が消滅するまでは、物上代位もできます」
「競売と家賃の差押えを一緒に進められる?」
「そういうことです」
抵当権を実行して担保不動産の競売手続が進んでいたとしても、
それだけで抵当権が直ちに消えるわけではありません。
抵当権が存続している間は、賃料債権への物上代位も問題になり得ます。
「一個の権利を使ったら、もう一個は使えないってわけじゃないんだな」
「はい」
私は書きました。
抵当権実行中
+
賃料への物上代位
→併存し得る。
「試験はこういうところを、“どちらか一方しかできない”って書いてきそうですね」
「嫌な奴だな、試験作る奴」
「前世で何度そう思ったか」
「前世?」
「こっちの話です」
*
そこへ所長が奥から出てきました。
「ずいぶん進んだな」
「物上代位をまとめてました」
「どこまでやった」
「火災保険金、差押え、留置権、賃料、転貸賃料、競売との関係です」
「欲張ったな」
「試験範囲が欲張りなんです」
所長がノートを見る。
「じゃあ栞。一番大事なところを三つに絞れ」
「三つ?」
「試験会場で全部忘れたとしても、最後まで残しておく三つだ」
私は少し考えました。
そして、一つ目を書きます。
① 何が、何に変わったのかを見る。
建物が焼失
→火災保険金請求権。
不動産を賃貸
→賃料債権。
「いい」
所長が頷く。
二つ目。
② 払渡し・引渡しの前に差押え。
「これを落とすな」
「はい」
そして三つ目。
私は少し迷ってから書きました。
③ 留置権だけ、物上代位なし。
所長が笑った。
「分かりやすいな」
「宅建向けなら強いと思います」
真壁さんが横から言います。
「じゃあ俺でも覚えられる」
「真壁さん基準で作ったわけじゃありません」
「いいじゃねえか」
「さらに余裕があれば」
私はその下に書き足しました。
抵当権の目的物そのものを確認。
土地だけに抵当権
→建物の保険金までは追えない。
賃料
→物上代位の対象になり得る。
転貸賃料
→原則として当然には物上代位できない。
抵当権実行中
→抵当権が消滅するまでは賃料への物上代位も可能。
「……多いな」
真壁さんが言いました。
「だから最初に三つに絞ったんです」
「なるほど」
私は最後に、大きな図を書きました。
【抵当権】
↓
担保不動産の価値
↓
姿が変わったら?
↓
その価値を追いかける
↓
【物上代位】
↓
ただし払渡し等の前に
【差押え】
「……これなら覚えられそうだな」
真壁さんが言いました。
「でしょう?」
「燃えた家の絵がちょっと怖いけど」
「そこは我慢してください」
所長が私のノートを見ながら言いました。
「栞」
「はい?」
「物上代位の問題で迷ったら、言葉から考えるな」
「と言いますと?」
「金の流れを書け」
所長がペンを取りました。
A――所有者。
B――抵当権者。
C――保険会社。
そして矢印を書く。
「誰が誰に、何を払うのか」
「……あ」
「賃料なら、誰が誰に家賃を払うのか」
「はい」
「転貸なら、誰の債権なのか」
「なるほど」
「それから、抵当権が何に付いているのかを見る」
私は頷きました。
確かにそうだ。
物上代位という四文字だけを眺めると難しい。
でも、人間関係とお金の流れに直してしまえばいい。
建物を持っている人。
その建物に抵当権を持っている人。
保険金を払う人。
家賃を払う人。
転貸料を払う人。
誰の権利が、
どの価値を、
どこまで追いかけられるのか。
それだけだ。
私はノートの一番下に書きました。
――物上代位は、「物」ではなく「価値の行方」を追う。
「よし」
所長が言いました。
「それで覚えておけ」
「はい」
私はページを閉じようとして、ふと思い出しました。
「あ」
「どうした」
「昨日のどら焼き」
真壁さんが目を逸らしました。
「なんだ」
「私のどら焼きが、真壁さんの胃の中で別の価値に変わった件です」
「まだ言ってんのか」
「物上代位できませんか」
「もう払い渡し済みだ」
「……!」
私は思わず所長を見ました。
所長が真顔で頷きました。
「差押えが遅かったな」
「所長まで乗らないでください!」
真壁さんが腹を抱えて笑っています。
私はため息をついて、ノートの最後にもう一行だけ付け足しました。
【最重要】
物上代位は、スピードも大事。
払い渡されてからでは遅い。
火災保険金でも。
賃料でも。
そしてどうやら――。
どら焼きでも。
昭和六十三年。
今日もまた、難しそうな法律用語が一つ、人の顔を持った知識に変わった。
物上代位。
担保物が消えたら、そこで終わりではない。
その価値が何に姿を変えたのかを見る。
そして。
追いかけるなら、払い渡される前に差し押さえる。
私は赤鉛筆で最後の二文字を囲みました。
「先回り」
たぶん私はもう、
物上代位を忘れない。
少なくとも――。
次にどら焼きが出た時だけは、絶対に先回りしようと思いました。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




