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宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜  作者: 条文小説
〈権利関係 配点14点/50点〉 保証、連帯債務

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131/309

[連帯債務]現場編 あいつに言ったから、お前にも言った

挿絵(By みてみん)

 人間関係には、連帯してほしいものと、連帯してほしくないものがあります。


 喜び。


 悲しみ。


 責任。


 そして――借金。


 特に最後のやつは、友情に混ぜるとだいたい腐ります。


「三人で買ったんだから、三人で三分の一ずつ払えばいいだろ!」


 朝九時十三分。


 大槻不動産の応接机を、男の拳が叩きました。


 湯飲みの茶が跳ねました。


 やめてください。


 机に罪はありません。


 男の名は、川島武夫さん。三十代後半。


 数年前、幼なじみ二人と一緒に、駅から少し離れた場所にある店舗付き住宅を買ったそうです。


 三人で商売を始めるつもりだった。


 総額三千万円。


 ところが商売は二年で頓挫。


 一人は町を離れ、一人は別の仕事へ移り、川島さんだけが店舗に残った。


 そして今日。


 売主だった田所さんから、


 ――残代金を全部払ってくれ。


 そう請求されたのだという。


「残りは九百万円です」


 川島さんは言いました。


「だったら俺の分は三百万でしょう?」


「契約書を見せてもらえますか」


 所長が静かに言いました。


 私は横から書類を受け取る。


 三人の買主。


 川島武夫。


 西村浩二。


 佐伯正志。


 そして、その下に――。


 買主三名は、本契約に基づく代金債務につき、連帯して履行の責を負う。


 あ。


 出ました。


 法律の世界で「連帯」という二文字は、運動会の二人三脚とは意味が違います。


 転んだら一緒。


 ではありません。


 もっと怖い。


 一人を捕まえて、全部払えと言えるやつです。


「川島さん」


 私は契約書を置きました。


「これ、三分の一ずつの借金じゃありません」


「は?」


「少なくとも売主さんとの関係では、川島さん一人に残額九百万円全部を請求できます」


「いやいやいや!」


 川島さんが身を乗り出す。


「三人で買ったんですよ!?」


「はい」


「三千万円を!」


「はい」


「なら一人一千万円だろ!?」


「お気持ちはものすごく分かります」


 本当に分かる。


 普通の感覚ならそうです。


 三人でラーメン三杯食べたら、一人一杯。


 真壁さんが三杯食べても、私に三杯分請求してくる店はありません。


「誰が三杯食うんだ」


 真壁さんが横から言った。


「心を読まないでください」


「顔に出てんだよ」


 怖い。


 所長が契約書を指先で叩きました。


「連帯債務というのはな、債権者から見れば、債務者一人一人が全部について責任を負う形だ」


「じゃ、じゃあ田所さんは、俺だけに九百万払えって言えるんですか?」


「言える」


「そんな無茶な!」


「ただし」


 所長は続けた。


「お前さんが全部払えば、それで田所さんに対する九百万の債務は消える」


「……そりゃそうでしょう」


 川島さんは不機嫌そうに言った。


 私はそこで、少し引っかかりました。


「川島さん」


「なんです」


「田所さんから、これまで誰に請求が来ていました?」


「西村です」


「西村さん?」


「ええ。何度も請求書を送ってたって」


「川島さんには?」


「来てません」


「佐伯さんにも?」


「たぶん来てないです」


 私は視線を上げました。


「いつ頃ですか」


「もう何年も前からですよ」


「最後に西村さんへ請求したのは?」


「ええと……」


 川島さんが鞄をごそごそ探る。


 一枚のコピーを出した。


 売主・田所さんから西村さんへの督促状だった。


 私は日付を見る。


 ――古い。


 かなり古い。


「所長」


「ああ」


 所長の声が一段低くなった。


 真壁さんも気づいたらしい。


「栞。何考えてる」


「時効です」


 川島さんがきょとんとした。


「時効?」


「はい」


 私はもう一度、督促状を見ました。


「田所さんは、西村さんに請求していた。それで、川島さんや佐伯さんについても同じように時効が止まっていると思ってるんじゃないですか?」


「……違うんですか?」


「そこが問題です」


 私は胸の奥で、前世の宅建テキストを開きました。


 連帯債務。


 絶対効。


 相対効。


 嫌な単語です。


 初見だと必殺技の属性みたいです。


 絶対効。


 強そう。


 相対効。


 ちょっと地味。


 しかし試験では、この地味なほうが人を殺しに来ます。


「連帯債務って」


 私はゆっくり言いました。


「何でもかんでも三人まとめて効果が生じるわけじゃないんです」


「……どういう意味です?」


「ある人に起きたことが、他の連帯債務者にも影響する場合と――」


 私は人差し指を立てた。


「その人だけで終わる場合があります」


 二本目を立てる。


「その人だけ?」


「はい」


 真壁さんが壁にもたれて言った。


「つまり西村に請求したからって、その効果が何でも川島さんまで飛んでくるとは限らねえ、と」


「そういうことです」


「借金は連帯してるのに?」


「借金そのものと、途中で起きる法律上の出来事は別です」


 川島さんが眉間に皺を寄せました。


 いい顔です。


 宅建受験生が「なんで?」とテキストを殴りたくなる時の顔。


 私は紙を一枚取った。


    川島さん


    西村さん


    佐伯さん


 三人の名前を書く。


 上に田所さん。


「たとえば三人のうち一人が九百万円全部払ったら?」


「借金はなくなるでしょう」


「はい。その人だけじゃなく、三人とも田所さんには払わなくてよくなる」


「当たり前じゃないですか」


「そう。だからこれは、他の連帯債務者にも影響するタイプです」


 私は横に大きく書いた。


  みんなに効く。


「逆に――」


 私は西村さんの名前だけ丸で囲んだ。


「田所さんが西村さんに請求した」


「はい」


「だからといって、その効果が自動的に川島さんや佐伯さんにまで及ぶとは限りません」


「え?」


「むしろ原則は――及びません」


 応接室が静かになりました。


 川島さんが、ゆっくり聞いた。


「じゃあ……田所さんがずっと西村だけ追いかけてた間に……」


「川島さんについては、別に時効が進んでいた可能性があります」


「……」


「佐伯さんもです」


 川島さんの顔色が変わった。


 その時。


 入口の戸が開きました。


「失礼するよ」


 五十代半ばの男が入ってきた。


 灰色の背広。


 角張った鞄。


 後ろには、売主の田所さんらしい老人がいる。


「川島君。ここにいたのか」


 田所さんが言った。


 川島さんが立ち上がった。


「田所さん」


「ちょうどいい。話を終わらせよう」


 背広の男が書類を机へ置いた。


「田所さんから債権回収を任されています、宮坂です」


 名刺には債権管理会社ではなく、田所さんの事業を手伝っている者らしい肩書き。


 宮坂さんは私たちを一瞥し、言いました。


「残額九百万円。川島さんに全額お支払いいただきます」


「……」


「連帯債務ですから。問題ありませんよね?」


 それは正しい。


 そこだけなら。


「それと」


 宮坂さんは続けた。


「時効などという話が出ているそうですが、無駄ですよ」


 私の耳がぴくりと動いた。


 聞き捨てならない。


「田所さんは何年も西村さんに請求を続けています」


 宮坂さんは得意そうに書類を叩いた。


「ですから時効は止まっています」


「誰のですか?」


 私が聞いた。


「何?」


「誰の時効が止まっているんです?」


「三人全員に決まっているだろう」


「どうしてです?」


「連帯債務だからだ!」


 来ました。


 法律問題で最も危険な接続詞。


 ――だって連帯だから。


 いや。


 そこを仕分けるのが法律なんです。


「宮坂さん」


 私は言いました。


「連帯債務だからといって、一人に対する請求の効果が、当然に他の連帯債務者へ及ぶわけではありません」


「何を馬鹿な」


「馬鹿じゃありません」


 私は即答しました。


「そこを混ぜると、連帯債務は全部同じ効力になってしまいます」


「三人で同じ債務を負っているんだぞ!」


「債務を負うことと、一人に生じた事由が他の人にも効くことは別です」


 宮坂さんの眉が動いた。


 所長は何も言わない。


 真壁さんも黙っている。


 二人とも、私に続けろと言っている。


「田所さんが西村さんに請求した」


「そうだ」


「それは西村さんとの関係では意味があります」


「当然だ」


「でも――」


 私は川島さんを指した。


「川島さんについてまで、当然に同じ効果が出るわけではありません」


 次に佐伯さんの名前を指す。


「佐伯さんについてもです」


「……根拠は?」


「連帯債務では、一人について生じた事由は、原則として他の連帯債務者に影響しないからです」


 宮坂さんの顔から、少しずつ余裕が消えていった。


「原則……?」


「はい」


「なら例外があるだろう」


「あります」


 私は頷いた。


「だからこそ、今のお話では駄目なんです」


 私は紙に二つの箱を書きました。


  みんなに効くもの。


  その人だけのもの。


「一人が実際に弁済すれば、債務そのものがその分なくなります」


 上の箱。


「相殺など、他の連帯債務者にも影響するものもある」


「……」


「でも、請求は別です」


 下の箱。


「一人に請求しただけで、他の人まで全部同じ扱いにはなりません」


 川島さんが、ぽつりと言った。


「じゃあ……」


「はい」


「俺について時効が完成してたら?」


 私はすぐには答えませんでした。


 時効は、起算点や中断・更新・完成猶予など、事実確認が必要です。


 ここで「完成してます」と断言するのは雑です。


 法律小説だからって、主人公が条文を唱えれば世界が爆発して解決するわけではありません。


「まず期間と、川島さん自身について何があったか確認します」


「俺自身?」


「請求されたか。裁判を起こされたか。債務を認めたことがあるか。支払いをしたか」


「……ないです」


「書類も?」


「ない」


「電話は?」


「ないです」


「一円でも払った?」


「払ってません」


 所長が初めて口を開いた。


「田所さん」


「……なんです」


「川島さん本人に対して、この数年間に何かしたか?」


 田所さんは宮坂さんを見る。


 宮坂さんは答えなかった。


「西村さんが代表みたいなものだと思ってまして……」


 田所さんが小さく言った。


「全部、西村君に」


 所長はゆっくり頷いた。


「なら、そこから調べ直しだ」


 宮坂さんが苛立った声を上げる。


「そんな馬鹿な話があるか! 一人に請求していたんだぞ!」


 私はその言葉を聞いて、妙に腹が立ちました。


 一人に言った。


 だから、お前にも言ったことになる。


 学校でも。


 会社でも。


 家庭でも。


 それで済ませようとする人はいる。


 でも法律は、そこまで横着ではありません。


「宮坂さん」


 私は言いました。


「一人に言ったから、全員に言ったことになる――では困るんです」


「……何?」


「連帯債務者は、一人一人が独立した債務者です」


「だから全額請求できる!」


「そうです」


 私は頷いた。


「そこは債権者に強い権利がある」


 宮坂さんがわずかに胸を張った。


「でも」


 私は続けた。


「強い権利を持っていることと、一人にしたことを全員に使い回せることは別です」


「……」


「全額請求したいなら、一人に全額請求できる。それが連帯債務」


 私は紙を指で叩いた。


「でも、誰か一人にだけ請求したなら、その行為は原則、その人との関係だけ」


 宮坂さんの口が閉じた。


「都合のいいところだけ“全員一緒”にはできません」


 応接室が、しん、とした。


 真壁さんが横で小さく言った。


「……お前、たまに怖えな」


「真壁さんにだけは言われたくありません」


「俺は顔だけだ」


「自覚あったんですね」


 所長が咳払いした。


 笑うところではないらしい。


 すみません。


 宮坂さんは書類をまとめ直した。


「……今日は持ち帰ります」


「そうしてください」


 所長が答えた。


「時効の成否は事実関係を確認する。完成しているなら援用の問題もある。していないなら、その残額について改めて話をする」


「……分かりました」


 田所さんが、小さな声で言った。


 意外だった。


 もっと怒ると思っていた。


 でも帰り際。


 田所さんは川島さんを見た。


「川島君」


「はい」


「私は……君たち三人に店を続けてもらいたかったんだ」


 川島さんは黙った。


「最初の頃は、よく顔を出したな。三人で夜中まで内装やって」


「……はい」


「だから西村君が窓口になった時も、三人はまだ一緒なんだと思ってた」


 川島さんの顔が、少し歪んだ。


「とっくに、バラバラですよ」


「そうか」


「西村も、佐伯も」


「……そうか」


 それだけ言って、田所さんは帰っていった。


 戸が閉まる。


 川島さんが椅子に腰を落とした。


「なんか……勝った感じ、しませんね」


「まだ勝ってませんから」


 私は言った。


「時効の確認が残ってます」


「そこじゃなくて」


 川島さんは苦笑した。


「昔のこと思い出しちまって」


 三人で買った店。


 三人で始めた商売。


 三人で負った借金。


 法律上は連帯していた。


 でも人間のほうは、いつの間にか連帯をやめていた。


「栞」


 真壁さんが言った。


「ちょっと来い」


「はい?」


 事務所の奥に連れていかれた。


「何ですか」


「お前、さっき時効って言ったろ」


「言いました」


「もし川島さんの時効が完成してたら、それで終わりなのか?」


「川島さんについては、援用できれば免れる可能性があります」


「じゃあ残り二人は?」


「……そこが連帯債務の怖いところです」


「どうなる」


「川島さん一人に時効が完成しても、それだけで残りの二人の債務まで減るわけじゃありません」


「九百万のまま?」


「原則としては」


「うわ」


 真壁さんが顔をしかめた。


「えげつねえな」


「昔は扱いが違った部分もあるんですけど」


「昔?」


「いえ」


 しまった。


 私は昭和六十三年の人間でした。


「夢で見ました」


「お前の夢、民法出すぎだろ」


「悪夢なんです」


「資格試験かよ」


「だいたい合ってます」


 数日後。


 調査の結果、川島さん本人については、長期間、請求も承認も支払いもなかったことが分かった。


 最終的には専門家にも確認を取り、川島さんは時効を援用する方向で手続きを進めることになった。


 その話を聞いた時。


 川島さんは喜ぶより先に、こう言った。


「佐伯はどうなるんです?」


 私は少し驚いた。


「佐伯さん?」


「あいつ、今、子ども二人いるんです」


「……」


「西村はもう連絡も取れない。でも佐伯は、この前たまたま会って」


 川島さんは頭を掻いた。


「自分だけ逃げるみたいで、なんか嫌だな」


 真壁さんが呆れた。


「おいおい。九百万請求されてた奴が、他人の心配か」


「だって一緒に始めた店ですから」


「とっくにバラバラなんだろ」


「そうですけど」


「なら」


 真壁さんが言った。


「法律上の話と、お前が何をしたいかは分けろ」


「え?」


「時効を使えるなら、それはお前の権利だ」


「……」


「その上で佐伯と話したいなら、話しゃいい」


「真壁さん……」


「九百万払えって意味じゃねえぞ」


「分かってます」


「絶対勘違いすんなよ」


「二回言います?」


「お前、人が良さそうだからな」


「それ褒めてます?」


「半分だけ」


 私は思わず笑った。


 所長が奥の机から言った。


「連帯債務ってのは、仲良し制度じゃない」


「所長」


「債権者が回収しやすくするための制度だ」


 川島さんが頷く。


「……はい」


「だから法律は、全員を一つの人間みたいには扱わん」


 所長は新聞を畳んだ。


「一人が払えば、債務はその分なくなる。それは他の者にも関係する」


「はい」


「だが、一人に請求したとか、一人が債務を認めたとか、一人について時効がどうなったとか――何でも他人にまで広げたらおかしくなる」


「……」


「借金は連帯する」


 所長は言った。


「だが、人間まで一人にはならん」


 私は、その言葉が妙に好きでした。


 借金は連帯する。


 でも、人間は別々だ。


 一見、冷たい。


 けれど逆かもしれません。


 一人に何かあったから、他の人も全部同じ。


 一人が認めたから、お前も認めた。


 一人に請求したから、お前にも請求した。


 そんな乱暴なまとめ方をしないための「相対効」なのだ。


 夕方。


 川島さんが帰ったあと、私はノートを開いた。


 連帯債務。


 原則――相対効。


 一人に起きたことは、その人だけ。


 例外――他の債務者にも影響するものがある。


 弁済。


 相殺。


 更改。


 混同。


 詳しい整理は、あとでする。


 今日はまだ、物語のほうが頭に残っていた。


「栞」


「はい?」


「何書いてんだ」


 真壁さんがのぞき込んできた。


「今日の教訓です」


「なんて?」


 私はノートを隠しました。


「見せません」


「いいじゃねえか」


「嫌です」


「ケチ」


「相対効です」


「は?」


「私のノートは私にしか効きません」


「意味分かんねえよ」


「真壁さんがコーヒーを奢ってくれたら、絶対効になるかもしれません」


「どんな民法だ」


 五分後。


 机の上に缶コーヒーが置かれました。


「……絶対効ですね」


「うるせえ」


 私は缶を両手で包んだ。


 昭和六十三年。


 三人で負った一つの借金を、一人の人間が背負わされそうになった日。


 私は初めて知った。


 連帯という言葉は、


 すべてを一緒にする言葉ではない。


 一緒に扱うべきもの。


 別々に扱うべきもの。


 法律は、その境目を決めている。


 たぶん人間関係も、同じなのだろう。


 助け合うところは、助け合う。


 でも。


 誰か一人の返事を、


 勝手に全員の返事にしてはいけない。


 誰か一人の人生を、


 勝手に全員の人生にしてはいけない。


 私は缶コーヒーを一口飲んだ。


 甘い。


 今日くらいは、それでいい。


 そしてノートの最後に、一行だけ書き足した。


 ――連帯しているのは債務であって、人間そのものではない。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。



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