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18.泣きっ面に、トドメ

 目を覚ますとそこは真っ白な部屋であった。


 知らない天井だ、とベタなことを言うつもりはない。無言のまま、ズキズキと痛む頭を撫でながら俺は起き上がった。


「おや、お目覚めですか」

「寝起き早々お前かよ」

「面白いくらいに嫌な顔しますねぇ、貴方」

 ベッドの上で右を向くと、丸椅子の上で何故か壁の方を向いてリンゴを頬張っている探偵がケラケラと笑った。


 しかしそれもつかの間、彼は、一転して真面目な表情になる。


「驚きましたよ。いつまで経っても帰ってこないから、てっきり逃げてしまったのかと慌てて自販機へ向かったら貴方が倒れていて……で? 何したのです貴方」

「何もしてねぇよ、ただ殴られた」

 何された、ではなく何した、と尋ねるあたり探偵らしい。仮にこの怪我が転んだものによるものであったなら、今頃室内にはジブリ作品みたいな笑い声が響いていたことだろう。そして探偵はそれを期待していたに違いない。


「いきなり名前を呼ばれてよ。振り向いたらスパナでガツンだ。いってぇのなんの」

「なるほどなるほど。一応、医者によれば打撃の衝撃で皮膚が切れただけで、流血は酷いものの骨や脳に異常は見られないそうです。石頭で良かったですねぇ」

「医者……ってことはよ、やっぱりここ病院か」

「えぇ」

 遅れてようやく俺は把握する。もっとも、ここまで真っ白い部屋など病院以外には中々存在しないだろうから、薄々察してはいたが。

 携帯を開くと、時刻は午後四時を指していた。日付は変わっていない。どうやらそこまで大きなタイムロスにはなってないらしかった。


「それで。殴ってきた人間は誰なんです」

「わからん」

「何もですか?」

「何もわからん」

 (いさぎよ)く俺は首を振る。その度にまた頭がちくりと痛み、思わず顔をしかめた。


「フードを目深に被ってたから、顔は見えなかったんだよ」

「しかし声は? 貴方、先程名を呼ばれたと言いましたが……男か、女かとかは」

「正直記憶が曖昧(あいまい)でな。男だった気もすれば、女だった気もする」

「それは残念」

 セリフとは裏腹に、さして肩を落とした様子もなく探偵はまたリンゴをかじる。きっと普段の捜査でも、この手の目撃証言はアテにならないことが多いのだろう。


「……ただ、警告って言われた」

「ほう」

「なぁ、これ天海館の人間の仕業じゃねぇのか。あいつら昼は何やってたんだ」

「一応、貴方が寝ている間に既に彼らへ連絡を入れて、調べておきましたよ」

 ヤケにドヤ顔で、探偵は丸椅子の上で回転しながら俺の方を向く。何やら革表紙のメモ帳を見せられたが、ミミズの組体操みたいな悪筆では何が書いてあるのかさっぱり理解出来なかった。


「結論から言えば、その時アリバイが無かったのは田辺慎一郎氏と森本美樹氏のみ。二人はそれぞれ仕事の都合ということで、十一時頃に別々のタイミングで葬儀場を離れたそうです」

「ふぅん。田辺と森本ねぇ」

 首肯し、それから思考する。

 強盗事件と俺への襲撃、両方にアリバイが無かったのは田辺のみである。他の天海館メンバーには全員どちらかにアリバイがあるし、櫻木も今留置所にいる以上強盗はともかく俺への襲撃は不可能である。


 無論他の人間によるアリバイトリックの可能性は残る。しかし、それを踏まえても田辺を犯人候補と絞って良いのでは無いのだろうか。


「……や、ダメだな」

「何がですか」

「何でもねぇよ」

 苛立ちから、思わず強気の語句になる。探偵は気にした様子もなく、食べ終わったリンゴの芯をゴミ箱に放った。


 ――まだ、ダメだ。

 あくまでそれは状況証拠である。探偵が俺を犯人と断じた推理と大差ない。なんなら犯行に及ぶための条件では俺が負けている。冤罪を(くつがえ)す根拠としては、明らかに弱い。


「……なぁ探偵。逆になんか見なかったのか?」

「何をです?」

「ほら、あの路地って結構特殊な構造で、自販機の先は猫ならともかく人間は通れねぇ。つまり行き止まりって訳だ。だから犯人が出る時もあそこから出てきたと思うんだが」

「ふむ……」

 探偵は考える仕草を見せる。心当たりがあるのだろうか、俺は一縷(いちる)の望みに(すが)る思いで矢継ぎ早に情報を述べた。


「フードもそうだが真夏のくせに妙に厚着だったし、あんなやつ居たら嫌でも目に付くはずだ。どうだ」

「……いえ、申し訳ない話ですが、私はあの時櫻木との面会予約を行っていまして。ほとんどあの路地など見ていなかったのですよ。だからこそ、最初貴方が逃げてしまったのかと慌てたわけで」

 さしもの探偵も申し訳無さそうな表情を浮かべる。だが俺だって犯人に対する情報という観点では似たようなものだったわけで、そこで声を荒らげるというのも大人気ない話であった。


「そうか、なら仕方ねぇ」

「ですから、ぶっちゃけ貴方が倒れているの見た時ちょっとホッとしましたよ。あぁ良かった逃げてなかったーって」

「テメェな……」

 サイコパス診断の模範解答みたいな探偵の言葉に、大人な対応を後悔しつつ俺は頬をヒクつかせる。ついでに一言くらい苦言を呈してやろうかと口を開くが、なんだかこの男にムキになるだけ馬鹿馬鹿しくすら思えてやめておく事にした。流血したお陰で、血の気が少しだけ減ったのかもしれない。


 一方、当の探偵は俺のことなどどこ吹く風で、また編み(かご)からひとつリンゴを取り出す。しかしそれを何故かクルクルと指先で回したところ、失敗してリンゴは真下の床へと落下した。


 コロコロコロとシュールに白い床を転がる赤を、沈黙の中二人は眺める。


「……食べます?」

「冗談だろお前」

「ええまぁ、冗談ですが」

 真顔で言いながら探偵はリンゴを拾い、胸元から折りたたみナイフを取り出す。それからナイフをリンゴの側面へ当てると、軽やかな鼻歌と共に初っ端からミスって親指へ刃を滑らせた。


「いたたたた」

「冗談だろお前……」

 ぴゅーぴゅー噴水のごとく指から血を流す探偵。この調子で皮剥きを任せるとこいつまで患者になる気がして、俺は思わず彼からナイフとリンゴを奪い取った。


「ヘッタクソだな。リンゴを皮剥きなんざ、そんな難しいことじゃねぇだろ」

「すみませんねぇ、自炊はしないもので」

「俺だってしねぇよ」

 おいおいとわざとらしい泣き声を上げて探偵はコートから今度は絆創膏を取り出す。四次元ポケットみたいな光景だな、と俺は妙に感心した。


 カッコ付けて奪い取ったはいいものの、出来上がったソレは随分デコボコしたものになった。しかし、特に探偵は不満げを言うことも無く紙皿のそれをひとつ、爪楊枝(つまようじ)で刺して口へ放り込む。


「先程のは青森産でしたが、こちらの山形産も負けてはいませんね。美味しい」

「……なぁ、今更だがこの果物、誰が持ってきたんだ?」

 俺も一切れかじりつつ、探偵に尋ねる。俺のそばに置かれたその詰め合わせはカゴの体積の割にもう半分程しか残っていない。なんならその半分もメロンだとか洋梨だとか、総じて包丁の必要なものばかりであった。桃だとかブドウだとか、空いた空間にあったであろう包丁の要らない果物は探偵がほとんど食い尽くしたらしい。


「あぁ。私がそこの売店で買ってきたんですよ」

「そっか、ならいいけど」

 俺宛に誰かが持ってきたものだったのならば、流石にぶん殴っていたところである。というか、随分とこの病院の売店は品揃えいいな。普通果物の詰め合わせなんか置いてないと思うのだが。


 もっしゃもっしゃと、俺達は無言で果実を口に運ぶ。ある程度わかっていたことではあるが、二十後半の男性二人がリンゴを争うように食っている様は中々シュールだったらしい。途中若いナースが俺の様子を見に扉を開けたが、目視で起きていることだけ確認して一歩も入ることなく扉を閉めて去っていった。


「……おや、着信ですね」

「お前な。この部屋精密機械は無いっぽいけど、それでも一応病院なんだから携帯は切っとけよ」

 突如、探偵のポッケから音楽が流れたことに俺は苦い表情を見せる。探偵は失礼とそれに手で応じながら、しかし俺の文句は無視して最後の一切れを口に放り込んだ。


「困りました、手がベタベタで出られない」

「がっつき過ぎだ。なんのための爪楊枝なんだよ、飼い始めた直後の金魚みたいな食い意地しやがって」

「絶妙に分かりにくい(たと)えですね、それ」

 俺は呆れながらも、手近にあったティッシュを投げて寄越すと探偵はそれを肘で器用に受け取る。その間も着信は止まないままであった。


「――はいもしもし。こちら服部です……はい、はい」

 彼にも一応病院内で電話を使うことには抵抗があったらしい。探偵は窓を開け、そこから身を乗り出して電話に出た。病院からしてみればなんとも屁理屈のような対応であるが、まぁバレなきゃセーフという言葉もある。ここまでされるともはや、咎める気にもならなかった。


「はい……それはいくつ? なるほど」

 言いながら、探偵は何故か俺をちらと見る。気分としては学校から電話がかかってきた時に親が受話器片手にこちらを見るアレに近い。背筋にヒヤリと嫌な気配がしたが、しかし俺は神妙な顔で彼の電話が終わるのを待つことしか出来なかった。


「……分かりました。それでは」

 ややあって、探偵は携帯を片手で閉じる。それから俺の元へつかつか歩み寄ると、何故か立ったままこちらをじっと見下ろした。


 視線が交錯する。逸らそうにも、今の探偵にはそれを許さない覇気のようなものがあった。


「な、なんだよ」

「……ふぅ」

 突如、糸が切れたように探偵は椅子へ座り込む。残念がるような、悲しがるような、惜しむような。彼の様子はそんな雰囲気であった。



 それから俺の方へ腕をずいと突き出すと、彼は二本の指を出す。


「良いニュースと、悪いニュースがあります。どちらから聞きますか?」

 その言葉は小説の中でこそ何度も見てきたが、現実で聞くのは初めてのセリフであった。俺も探偵の真剣な気配に恐る恐る、セオリー通りの受け答えを見せる。


「良いニュースから、かな」

「……強盗事件の、大きな手掛かりが見つかりました」

「そうか。で、悪いニュースは?」

 汗が流れる。部屋に掛けられた時計は天海館のそれと比べれば遥かに小さなものであったが、しかし俺達が沈黙している今、カチカチとその音は大きく響いていた。



 たっぷり間を置いて彼は口を開く。

 そんな探偵の表情は、俺に一切の感情を読み取らせなかった。



「――その手掛かりが、天海館で貴方の部屋から見つかった拳銃と二千万円であることです」

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― 新着の感想 ―
[良い点] あっ、拳銃と2000万円くんの存在が明らかになっちゃったねぇ……。 しかし、こうやって毎度毎度うまい引きを入れてくるのが本当にすげぇなって思います……。
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