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冤罪探偵  作者: 篠崎京一郎


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19/36

19.乾坤一擲、大博打

 探偵に連れられた先は、いつぞやの取調室であった。


 目の前では昨日と同じ警部が、(にび)色の机に両腕を置いて座っている。唯一あの日と違うことがあるならば、今日は何故か探偵がこちら側に座っているということであった。


 警部はアタッシュケースを取り出すと、机に置いて中を開くことなく俺に尋ねる。


「島村さん。これに見覚えは」

「……無い、ですね」

 ケツで触った覚えはあるけどな、と心の中で付け加えながら俺は神妙に答える。警部は呆れるように首を振りながら、探偵の目をちらりと見た。

 俺の視界から探偵の顔は見えない。ただ、気配を感じるのみである。


「これね、天海館の貴方の部屋から出てきたんですよ」

「俺の部屋では無いですよ。あの日、たまたま割り当てられてただけで――」

「……そういう話が聞きたいんじゃないんだわ」

 語調が変わり、苛立つように警部は指で机を数度叩く。普段は温厚に見える恰幅(かっぷく)の良い体型が、今は貫禄のそれに変わっていた。


「あんた昨日言ったよな? 証拠はあるんですか、って。コレ見てまだ言うつもりか?」

「……すみません、マジで知りません。きっと真犯人が、俺に罪をなすり付けるために――」

 言い終わる前に、俺は()()()()()()()

 胸倉一点を掴まれ、机越しに物凄い勢いで引き寄せられる。百七十五ある俺の身長も、机に寝そべるようなその姿勢では百六十少し程度の警部を見上げる形になった。


「島村ァ、警察(ポリ)舐めてんじゃねぇぞオイ!」

「知らねぇつってんだろうがよ!」

 ヤニ臭い恫喝(どうかつ)に、俺は思わず反駁(はんばく)する。互いに警察と容疑者という肩書きだけが最後の理性となっていたが、それでも次の一秒後には殴り合いが始まってもおかしくないほどに俺達はヒートアップしていた。


「知らん分からん、俺はやってねぇってんなこたァ誰でも言えるんだよ。それで誤魔化せると思ってんのか? ええ?」

「知らねぇもんは知らねぇとしか言えねぇだろうがよ。大体なんだ、だったら俺は誰に頭殴られたってんだ?」

「はん、そんなもんいくらでも自作自演出来るだろうが」

 鼻で笑われ、体がカッと熱くなる。頭に巻いた包帯に血が滲んだ気がした。

 胸倉を掴む手を振りほどき、俺は立ったまま警部にガンを飛ばす。まさに一触即発、危険な空気が部屋の中には漂っていた。


 それから数分続いた睨み合いは、呆れたように諸手を挙げる警部の仕草で終わる。


「もういい、証拠も充分だろ。逮捕だ。えー、十八時十三分――」

「待て、待てよ」

 手錠を取り出し、机を回ってこちらに来ようとする警部に俺は声を震わせつつ逃げる。警部が右に動けば俺は左、左に動けば右とグルグルグルグル、鬼ごっこが始まった。


「くっ、ちょこまかと……おい待て島村、今後ろで天海夫人が喪服着たままブレイクダンスしてるぞ!」

「えっマジ……? ってその手には乗らねぇよ!」

 大の大人二人が、真剣に足踏みしながら左右に反復横跳びしてフェイントを掛け合う。謎の心理戦まで始まりハタから見るとそれは随分と滑稽な様であったが、当の俺達は大真面目であった。


「このっ、クソが!」

 なかなか捕まらない俺、加えて言うならば座ったまま動く気配のない探偵にも、警部はやがて痺れを切らしたのだろう。荒い声で悪態を吐きつつ、彼はポケットから携帯を取りだし、素早くどこかへと電話を繋いだ。


「俺だ……あぁ、息が荒いのは気にしないでくれ。それより頼みがあるんだが、ちょっと二階の取調室まで応援に――ん?」

 警部は電話の相手の声に集中したまま、パタリとそこで直立不動の姿勢に変わる。しめた、と俺は膝に手を置き、つかの間の体力回復に努めようと息を整えた。



「……本当か?」

 瞬間、警部の空気が変わる。

 と同時に彼は俺をちらりと見た。この光景は見覚えがあるぞ、と嫌な予感と共に俺の額からは疲労とは別の汗が流れる。

 探偵もその違和感には気付いたのだろう。鬼ごっこの中ですら微動だにする様子を見せなかった彼も、腕組みのまま片目を(すが)めて警部を見る。


「――あぁ。分かった」

 はぁ、とため息を吐いて彼は携帯を閉じた。

 それから先程までとは打って変わって、一切の怒りを孕んでいない……いやむしろ、そこには憐憫(れんびん)の感情すら感じさせる、悲しい目で机越しの俺を真っ直ぐと見詰めた。


「おい、島村」

 声音は優しい。静かに、警部は言う。

 探偵に動きは無い。そして俺もまた、動くことは出来なかった。


「もう、やめろ。な?」

「だから違――」

「櫻木は罪を認めたぞ」

「……は?」

 瞬間、体が凍る。

 ゆっくりと警部が俺に向かって歩いてくるのに、俺はその場から動けなくなった。


 あぁ、この感覚は。

 中学校の朝礼で、校長のクソ長い話を聞いて貧血になった時以来か。

 ぐにゃり、視界が歪む。立っていられなくなり俺はその場にへたりこんだ。そうして目の前の整然と並ぶタイルに、革靴がひとつ現れる。


「探偵がお前を犯人とニラんでいる話は俺が既に伝えていたんだがな……さっきその証拠が見つかったと部下が伝えたところ、その場で自白を始めたらしい。お前のお陰だ、ありがとうな」

 皮肉満載で、彼は感謝するような口ぶりを見せる。呼吸が浅くなり、次の瞬間にも意識を失いそうな程に俺の体は混乱していた。


 それでもやっとの思いで、俺は声を振り絞る。


「……違う」

「もういい、もう諦めろ島村。お前も罪を認めて楽になれ」

 警部は言った。多分、そう言ったのだと思う。音は聞き取れたが、意味を脳が咀嚼(そしゃく)し切れなかった。


 そんな言葉なぞ理解する余裕が無いほどに、俺は今別の思考に集中していた。


 違う。

 落ち着いて考えてみろ。俺の逮捕と櫻木が冤罪を認めることに、何の因果関係がある。

 そりゃあ、仮に櫻木が真犯人ならば友人の逮捕も諦めの要因の一つとなり得るだろう。けれど真実は違うのだ。俺が真犯人であり、彼は無実の人間である。俺が捕まったとて、それが罪を認める理由になるはずがない。ましてや探偵が絡んでいることまで櫻木が知っているのだとすれば、俺の逮捕まで冤罪だと騒ぎ立ててもおかしくないくらいなのだ。


「やっぱり、違う」

 その自白には、何か他の理由がある。

 俺の呟きに反応してまた警部が何か言った、と思う。もはや音すら認識出来なかった。


 思考は、やがて最悪の結論を導き出す。


 ――もしかして、強盗事件は櫻木が?

 筋は通る。金が見つかった以上、もはや釈放された所で二千万円は手に入らない。となれば真相が明かされないように――すなわち俺が強盗犯で彼が殺人犯であるという、警察の下したこの結論が動かぬよう――そのために、苦肉の策で自白をした。こんなところだ。


 だが、それだって疑問はある。

 だったら、俺の頭を殴ったのは誰なのか。櫻木はどうやって、春日商事の内情や金庫の番号を知ったのか。


 いくらでも疑問は残っていた。推理とはもはや呼べない、妄想の如き考えであった。

 しかし同時に、その仮説はとてつもなく腑に落ちるものでもあった。櫻木の自白という予想だにしなかった事象が起きたこと……そして何より、それが気持ち悪いほど俺を陥れるのにドンピシャなタイミングであることの説明として。


 無論、櫻木が犯人では無いかもしれない。その可能性の方がよっぽど高いのだ。妥当に考えれば、春日商事の事件と俺の襲撃両方にアリバイのない田辺なんかの方が遥かに怪しいはずなのだ。


 だが、それを理解した上でも。あまりにも櫻木の自白は、俺にとって不可解すぎるのである。


 ――俺は、クズなのかもしれない。

 唐突に、濁流の如き思考の中に自己嫌悪の陰が差す。


 自分が捕まりたくないから。だから、違和感なんて無茶苦茶な理由で友人でさえも真犯人に仕立てあげようと。俺は推理などとほざいて、ただ自分が助かるためだけにそんな最低なことをしようとしているクズなのかもしれない。


 分からない。

 優等生だった櫻木と違って、俺は天海と同じバカだから。元々こんな探偵の真似事なんて、犯人探しなんてガラじゃないのだ。


 ぐちゃぐちゃの頭のまま、俺は吐き出すように声を出す。


「……警部さん」

「何だ」

 顔は見えない。俺が俯いたままだからだ。

 ゆっくりと頭を上げると、そこには心配そうに俺を見下ろす警部の姿があった。視界の端には、未だ微動だにせず虚空を見つめる探偵の姿もある。


 もはや、なりふり構ってはいられなかった。


「櫻木は天海殺しの犯人じゃないし、俺は春日商事を襲っちゃいない。だって――」


 これは、もしかすると贖罪(しょくざい)なのだろうか。探偵は前に俺達をメロスに喩えていたが、まさにセリヌンティウスが友人を疑ってしまい、自分を罰したように。俺が一度友を疑い、そして今なお疑っていしまっていることに対する、(つぐな)いであるのだろうか。


 俺には、何も分かっていなかった。

 櫻木の考えも、真犯人も、俺自身が今何をしようとしているのかさえも。


 だけど、いやだからこそ。ただ、全身全霊で。

 俺は俺の持つ唯一の真実を、警部の顔面へと静かに叩き付けた。


「――だって、天海を殺したのは俺なんだからよ」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 櫻木ーーーーッ!! 島村ーーーーッ!! 自白しちまったな!!あーあ!!自白!!しちまったな!!
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