16.昼のカフェテラス
探偵はなかなか帰ってこなかった。
てっきりすぐにまた戻ってくるものだと思っていたのだが、さてはどこかへ飯でも食いに行っているのか。
俺は、社長室に寝そべったまま探偵の帰りを待っていた。さっさと起き上がっても良かったのであるが、社長室の絨毯の上に寝転ぶこの状況、中々に背徳感があるものである。よくよく考えればここには社長の血が染み込んでいるのであろうが、元々の色が黒なせいかそれもあまり気にならない。加えてその柔らかさや俺自身寝不足なのもあってか、俺はそこから起き上がる気力があまり湧かなかった。
しかし、寝そべる姿勢はは足音にも敏感になるものである。うつらうつらとしかけていた俺も、やがて一つの足音が迫ってくるのに気付く。探偵が部屋を出てからはおよそ数分後のことであった。
「やぁ、まだ寝転んでいたんですか」
「……遅かったな、どこ行ってたんだ」
「なに、喉が渇きましてね。外の自販機まで」
ブラブラとココアの缶を揺らしつつ、彼は言う。喫茶店の時からなんとなく感じては居たが、どうやら彼は甘党らしい。
俺が起き上がると同時に彼はプルタブを開けた。匂いだけでわかる甘ったるさに、腹がきゅるりと音を鳴らす。豪勢な朝食からまださほど経っていないと思い込んでいたが、携帯を見れば時計は既に昼を指そうとしていた。バカげた強盗ごっこで妙に体力を使ったのもあり、胃が訴える空腹感はかなりのものであった。
「探偵」
「そうですね、そろそろお昼にしましょう」
まだ何も言っていないのだが。おそらく先程の腹の音で推測したのだろう。こういう妙なところでだけ推理力を発揮するというのは、それはそれでなんというか。
缶を呷って、探偵は再度外へ歩き出す。その確固たる足取りに俺は問いを投げた。
「で、何食いに行くんだ」
「それは着いてからのお楽しみってことで。なぁに、すぐですよ」
「……高ぇとこは勘弁してくれよ」
昨日お前に奢ったからな、と心の中で付け加える。外車乗り回すほどに稼いでいるのなら、探偵だって俺に飯くらい奢ってくれても良いのだが。
「なに、心配はいりません。貴方だって訪れたことがある店です」
「……はぁ」
春日商事周辺の飯屋はほぼコンプリートしているから、俺にとってその言葉は実質ノーヒントである。俺はすっかり軽い財布を覗きつつ、せめて時たまの贅沢に訪れたあの店やあの店じゃないことを祈りながら探偵を追った。
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「――あぁ、なるほどな。確かに来たことはある」
「そうでしょう、そうでしょう」
それはあの時とは、真逆であった。
余裕の態度の探偵に、やや当惑気味の俺。
そんな俺達二人が座っているのは、昨日と同じ春日商事の向かいにある喫茶プレリュードの屋外席であった。
「……ここ、飯食う所ではねぇよな」
「そうでもありません。最近はカフェ飯という文化もありましてね、ほらこのように」
探偵が開いて見せるメニューには、なるほど色鮮やかなパスタやらピザやらが映っていた。もっともカフェだけあって、ファミレスと比較するとやや割高に感じるが。
「ま、食えりゃなんでもいいけどよ……そうだな、俺はカルボナーラでいいや」
「そうですか。私はニョッキで」
ニョッキとはこれまた随分とお洒落なセレクトである。選んだ探偵も、置いてる店もだ。
昨日訪れた時とは違い、今は真昼である。それだけ屋外席に照りつける太陽も厳しいものであり、コートの探偵はもちろんのことTシャツ姿の俺までもが汗をダラダラ流していた。
「さて店員さんを……と、今日は神原さんは居ないようですね」
「流石にまだ葬式の最中だろ。というか、もし居たら俺達追い返されてると思う」
「あ、でも見てください。今日の店員さんも嫌そうな顔してますよ、ハハハ」
「ハハハじゃねぇよ」
妙にSっ気の強いノリで探偵は笑う。根性か性格か、何かしらやはりこいつは腐っているらしい。
探偵が注文を済ませると、店員の兄ちゃんは復唱もせずにまたエアコンの効いた室内へ早足で戻っていく。
「それで、これからは?」
「思った以上に春日商事に何も無かったからな。ここはもう切り上げようと思う」
「ほう。となると次はどこへ」
せめてダイイングメッセージのひとつでも残っていればと思ったものの、特にそんなこともなく。春日商事の捜査ははっきりいって空振りと言う他無いものであった。
そして天海館、春日商事と二つの舞台を捜査を終えた今、俺に残る情報源はあとひとつしかない。
「留置所だよ。森本や田辺達の事情聴取は終わったんだから、残る最後の容疑者に会いにいくって訳だ」
「ん、彼も容疑者に含めているのですか?」
「え、あぁ……いやまぁ容疑者ってのは違ったな。目撃証言とかもあるかもしれないし、重要参考人? みたいな」
しまった。櫻木は現状天海殺しの犯人とされているのだから、強盗事件の犯人からは外れているはずなのである。訝しむ探偵にしどろもどろな説明をすると、探偵はさして気に留めた様子もなく頷いた。
「ふむ、そういう事ですか。では警部にひとつ連絡を」
「あぁ……頼む」
直射日光を浴びながらも、シャツの下は冷や汗にまみれていた。
大きなガラス越しに、中を伺う。
スパゲティはまだしばらく来ないようだ。昼というのもあって、腰からエプロンを提げた店員があくせく駆け回っている様子が見える。
その様子を見ながら、俺は櫻木の顔を思い浮かべていた。
――自分から言っておいて何だが正直、櫻木と会うのは非常に気が重い。留置所にぶち込んだ遠因で、しかも主因を引き連れてなのだから当然である。
ふと、反対側の春日商事へ振り返る。
夏風は吹いていない。どこまでも凪いでいる。
そうして席から見える街路樹は、微動だにせず静かに緑を輝かせていた。
――全くもってどこまでも呑気で、平和な景色である。
ただ、俺にはそれが嵐の予兆に思えて仕方がなかった。