10月編 第10話 ヒツヨウなコト
ついに秋祭り開催の日、俺は早くこの日が来て欲しかった。
ずっと笑いたくて……笑顔になりたくてうずうずしている。
玲衣だって同じ気持ちだろう。
笑顔を取り戻して欲しいと願っているはずだ。
この願いは絶対に叶えてあげたい。
同じ病院の患者として、玲衣の彼氏として。
「お二人とも準備はいいですか?」
いつもとはまた違う、華やかな私服で俺たちを呼んだ遼子は何か楽しそうだ。
玲衣もあの夏祭りの日に着ていた浴衣を着ている。
俺だけ簡素な私服。
「準備……できてます」
内心ウキウキしているはずなのに、笑顔ができない。
悔しい。
自然と涙が出てくる。
自分の気持ちに素直になりたいだけなのに、どうして笑うことができないんだろう。
まだどこかで恐怖心がある?
玲衣や遼子に忘れられるのが怖い?
「洋一くん?」
玲衣が俺を覗き込む。
無意識に震える体。
本来ならこんな状態じゃ外出なんてできないだろう。
自信をなくしそうだ。
「ああ、行くか」
玲衣に腕を引っ張られ、数日ぶりに病院の外に出る。
ここで楽しむんだ。
会場である病院の広場には出店が並べられ、中心には大きな櫓が建っている。
櫓には和太鼓が一台置かれており、法被を来た男性がリズムに合わせて太鼓を叩いている。
櫓の周りでも法被を着た男女が踊りを踊っている。
老若男女問わず皆楽しそうにしている。
「じゃあ、今日は楽しんじゃってください!」
遼子が楽しそうにジャンプする。
「はいっ!」
玲衣も遼子に続いてジャンプをして腕を天高く上げる。
「は、はい」
俺もやってみるが動きがぎこちない。
やはりここでも笑顔は取り戻せないのか?
まだ秋祭りは始まったばかりだ。
今から楽しめばいいのだ。
「洋一くん、一緒に行こう」
玲衣に手招きされ、促されるままに玲衣の隣につく。
玲衣と手を繋ぎ広場内を散策することにした。
「これ見て!」
移動動物園か。
ふれあいコーナーの看板があるのでまずはそこに行くことにした。
ふれあいコーナーではモルモットやウサギを膝の上に乗せてふれあうというものだ。
俺は小動物には目がない。
すげえ可愛い。
なのにやっぱり笑えない。
「可愛いね」
玲衣はニコニコしているが、俺はまだ笑えない。
笑いたいんだよ?
なのにできない。
俺だって可愛いねぇって言って動物たちとふれあいたいのに……。
「ああ、可愛いな」
ウサギを撫でる手は震えている。
好きだった動物でさえも怖いと言うのか?
もう早く忘れたいのに……。
どうして忘れさせてくれないんだ。
父さんの記憶みたいに早く消してよ!
……父さん?
父さんって誰のことなんだ?
俺は生まれてからずっと母さんが育ててくれた。
だから俺に父さんはいない。
なんで父さんって思ったんだろう。
俺の中に父さんの記憶があるから?
思い出そうとすると頭が痛くなる。
「洋一くん、大丈夫?」
いつのまにか頭を抱えていた。
玲衣が心配そうに見ている。
「だ、大丈夫だ。ちょっと頭痛がしただけだから」
目の前のウサギが俺の心を読んだかのように俺の膝から飛び降りた。
「なら次行こう」
玲衣が手を差し伸べてくれた。
「ああ」
玲衣の手をしっかり握る。
立ち上がって屋台の方に歩き出す。
ここにもあったか……。
たません。
祭の定番メニュー。
「あれ食べよう」
たませんの屋台を指差す。
「うん、いいよ」
二人で一緒に並んでたませんを二つ頼む。
「はいたません2つね。ありがとさん」
「ありがとうございます」
俺も軽く会釈をしてたませんを受け取る。
座るところを見つけて、そこでたませんを頬張る。
やっぱりうめぇ。
語彙力を失うほどの美味しさだ。
なのに笑顔になれない。
これだけ楽しいのに……楽しいはずなのに心の底から笑うことができない。
どうして?
仲間がいないから?
違う。玲衣がいるじゃないか。
なのに仲間がいないと思うのはおかしい。
じゃあどうしてなんだ?
あの幻覚が全て本物だったらと思うとゾッとするから?
そうだ。
そうに決まってる。
でなければ今恐怖で怯える必要がない。
いや違う。
この幻覚が未来で起きないか不安になるんだ。
だから怖い。
笑えない。
『洋一くんは、あの幻覚が本当に起きると思うの?』
葉月……。
『私は思わないかな。だって洋一くんのこと、みんなずっと覚えていてくれるって信じてるから』
信じる?
『そうだよ。信じる気持ちがなければこの先に不安しか残らない。だから未来であんなことが起きるって錯覚しちゃってるんじゃないかな?私は洋一くんが見た幻覚を知らない。だけどそれが本物だって誰が決めつけたの?』
わからない。
『洋一くんだよ。もう一回あの日のことを思い出してみて。そしたら何かが見えてくるから。必然的に信じられない理由が分かるはずだから』
幻覚のことを思い出す。
怖い。夢であって欲しい。
夢じゃないと嫌だ。
玲衣や遼子に危害を加えてしまった。
でも、二人は笑って許してくれた。
自暴自棄になって暴れてしまったと言うのに、勇気を出して俺を止めてくれた。
絶望の淵から救ってくれた。
なのにどうして俺は怖いと感じてしまうんだ。
幻覚のことが起きて欲しくないと願っているから。
そうならないと信じられていないから。
『じゃあ、信じようよ。洋一くんの未来を』
俺の……未来。
玲衣と一緒に笑える未来。
遼子さんに助けられながら残りの人生を謳歌する未来。
『やっとわかった?』
ああ。
絶望の未来なんか考えるから他の未来が信じられないんだ。
だから恐怖感に負けてしまったんだ。
『もう大丈夫だね。あとはこの祭りを楽しんで!』
言われなくてもそのつもりだ。
ありがとな、葉月。
『こんなこと私にかかれば簡単なことよ!』
なんだ、照れ隠しか?
『そ、そんなんじゃないわよ。うふふ』
なんでそこで笑うんだ。
『やっと元の洋一くんに戻ったから』
今の俺は笑顔になれているのか?
『それは玲衣さんを見たら分かるよ』
「洋一くんが笑ってくれた……」
玲衣が嬉しそうにしている。
今にも泣き出しそうだ。
俺、笑えたんだ。
笑顔になれたんだ。
『じゃあ、また大きな転機があったときに会おう』
ああ、またな。
「よし、真ん中で踊ろうぜ!」
「うん!」
櫓の周りをぐるぐる回りながら遅めの盆踊りを楽しんだ。
この地方ではポップな楽曲も盆踊りで踊る。
知ってる曲が流れるたびに笑顔で歌いながら踊った。
最高に楽しい。
秋祭りが終わったあと、スーツを着た男性の人が俺に近づいてきた。
「こんばんは、片瀬洋一くん」
どこかで会った?
誰だ?
「こ、こんばんは」
とりあえず挨拶を返す。
隣にいるのは……。
中村聖理奈……ということは。
「あ、あなたは──」
涼しい風が俺たちの周りに流れ込んだ。




