10月編 第1話 終末期病棟
10月に入ると、少しずつ暑さも引いてきた。
「おはようございます。洋一さんはカウンセリングに行ってください」
遼子に促され、俺は病室を出る。
そして、これは玲衣の物語だ。
私は未だに勇気が振り絞れない。
だから洋一くんみたいになりたい。
だけど、それは一生をかけても成し遂げられないもの。
「私の取り柄ってなんですか?」
洋一が出て行ったあと、その場に残った遼子にそう聞いた。
遼子が少し考えてから答える。
「それはね、玲衣さんが一番知ってると思います。私も洋一さんも……あなたのその取り柄が救ってくれたこと、成長させてくれたんです」
「遼子さんも?」
「そうです。私も洋一さんも玲衣さんが入ってくるまでは弱かったんです。洋一さんは余命宣告のせいで、私は今までの死亡していった患者さんへの責任感から押し潰されそうになっていました」
それは意外だと感じる。遼子はいちも明るく振る舞ってくれるし、洋一に至っては私を救ってくれるのだ。
「そんな時期が……あったんですか?」
「ええ、どうせならお話ししますよ? 洋一さんが入院してきた頃のことを」
純粋に興味はあった。だけど、それは知ってはいけないもの。そんな気がする。
「聞いても……いいんですか?」
「もちろん。ですが、このことは洋一さんには内緒ですよ?」
そうして遼子は、入院当初の数日間の出来事を私に話してくれた。
洋一が余命宣告のショックから自ら命を絶とうとしたこと。そのせいでメンタルがボロボロになってカウンセリングを受けていたこと。そして、つい最近になって自分の病気が進行し、記憶障害に悩まされていることまで。
「ですが、最後に言ったことは本来なら誰にも言ってはいけないことなんです。パニックになるからって。でも、ニュースでも取り上げられて……他言無用のことをペラペラと話されて……」
大変だったんだ……。
洋一は隠さなければならないこととずっと闘ってきたんだ。
面会の時だってそうだ。本当ならもう助からないものなのに、それだけは絶対に話してはならない。そう言われているから、嘘をつかなくてはならない。それは私も同じ。
面会にやってきた友人にいつごろ退院できるかを聞かれたことがあった。
1年後くらいになるだろうってその時は答えた。でも、それは本当に私の全てが終わる頃。
私にとって退院とはすなわち死を連想していた。だから、そう答えたのだ。
でも、その友人はなぜか暗い顔をしていた。
その表情を見た時、私の愚かさが少しだけ分かったような気がする。
もしかしたら、病気のことを知っているのかもしれない。でも、話したらそれで終わりだと思っていた。
もうそんなの嫌だ。心配されたくないから嘘をつかなくちゃいけないのにどうして心配そうに私を見るの?
どうして……どうして?
「遼子さん、答えてください。どうして面会に来る人が暗い顔をしているんですか?」
遼子は驚いたように目を丸くさせた。
「そ、それは……」
「言っちゃいけないことなんですか?」
「《終末期病棟》……これがこの病棟の名前です」
私はその名前を聞いた時、なにがなんだかわからず、きょとんとしてしまった。
「名前の通り、この病棟にいる患者さんは全員余命宣告を受け、もう助からないと言われた人の最期の人生を歩む病棟なんです。ですから、この病棟の管理体制は厳重なものになっており、面会者には病棟の名前を患者さんに言わないようにお願いしています。それこそ、患者さんがパニックになってしまうから……」
(そんな……最期の人生を歩む!? だからみんな暗い顔をしていたというの!?)
「矛盾……してませんか?」
私は遼子が言っていることに疑念を抱いた。病気のことは絶対に言いたくない。なのに、病棟の名前で面会者は私たちの運命がどんなものなのか、見当がついてしまう。
「矛盾してますよ。私だって患者さんの意思を尊重したいです。ですが、この病院の上層部がこの病棟の名前をつけました。そのせいで、面会者の方もみんな暗い顔でこの病棟を出ていくようになってしまいました」
「なんとか、この病棟の名前だけでも変えられないんですか?」
遼子は俯いてしまった。
「私だってできるならそうしたいですよ……でも、上層部はなにも聞き入れてくれないんです。だから、仕方なく従うしかないんです」
私の中で、少しだけ怒りが出てきた気がする。
「仕方なくって……それでもこの病院の看護師なんですか!?」
「そうです……それでもこの病院の看護師なんです……」
遼子は今にも泣き出しそうだ。
少し言いすぎた。
「すみません……言いすぎました」
遼子はかぶりを振る。
「いえ、私もこの病棟の認識を改めることができましたし……」
そんな話をしていると洋一が病室に戻ってきた。
「戻りました」
「お疲れ様でした。私はこれで……」
遼子は一礼をしてから病室を出ていった。
その瞬間に私の気持ちは爆発した。
「え、玲衣!?」
私は無意識に抱きついていた。そして、耳元で囁いた。
「ありがとう。そしてごめんね……」
そう言って私は病室を出ていった。そして、ある決意をした。
(もうみんなには迷惑がかけられない!)
私は病棟の廊下をただひたすらに走った。




