緑の姫君
ここから、それぞれの精霊たちの話をしたいと思います。
魔女をとりまく、優しい精霊達の物語。
過去、現在、未来。
彼らは、ずっと見守り続ける。たとえ、愛した者が朽ちたとしても。
その精霊は、森で生まれた。彩で最も古き精霊の血縁として。
炎の魔女を主とし、けして短くない時間を過ごすこととなった。そんな彼女…精霊・翠の物語。
生まれた時、オジジ様の木から生まれたから『緑の姫君』なんてアダ名をつけられました。精霊は、名前なんて無くても気にしません。好きに呼びます。
紅様のことは、オジジ様の契約者ですから、よく存じ上げていました。とても愛らしい笑顔の少女でした。
オジジ様は紅様を孫みたいに可愛がっておりました。私もよく解る気がします。素直で明るく、屈託のない笑顔の彼女に、私も少なからず好感を持っていましたから。
でも、まさか私が紅様の精霊になるなんて思っていませんでした。紅様が死ぬまで、オジジ様が紅様の精霊でいると思っていましたから。
貴方さえ良ければ、昔話をしましょうか。
炎の魔女と、私の物語。
あれは、大変な騒ぎでした。何者かが…確か綱の民でしたね。森に火を放ったのです。樹木の精霊は、本体である樹木が枯れれば死に至ります。
しかし、恐らく彩の王子・紫苑が呼んだとおぼしき雷雲から雨が降り、すぐに鎮火され、精霊に被害はありませんでした。
私は、唯一の身内であるオジジ様を探し、見つけました。
あかい、あかい光景の中に、オジジ様は悲しい瞳で立っていました。
「オジジ様?ご無事だったのですね!」
私を優しく抱きしめるオジジ様ですが、その瞳はどこか虚ろでした。
「守れなかった」
ポタッ。
オジジ様はそれだけ呟くと、涙を流しました。
「紅様に何か?」
不安に思い、私はオジジ様に尋ねました。オジジ様の瞳は、どこまでも悲しみに満ちていて、私まで悲しくなってしまいました。
「紫苑殿が、死んだ」
「!?」
全く予想していなかった言葉に、私は愕然としました。オジジ様は更に言葉を続けました。
「ワシの嬢ちゃんは、それ故に壊れた」
「それは、どういう…」
私は言われた意味が解らず、オジジ様に尋ねました。しかし、オジジ様は私の質問には答えず、私にたった1つ、頼みごとをしました。
「嬢ちゃんを頼む。支えてくれ。ワシは、しなければならん事がある。ワシの代わりに、嬢ちゃんを守ってくれ」
必死のオジジ様の頼みに、私は頷くしかありませんでした。
「解りました。オジジ様の分まで、紅様を守ります」
「ああ、ありがとう」
私の返答に満足したのか、オジジ様は優しい笑顔を見せると、城の方に向かって行った。
それが、オジジ様との最後になろうとは、私は思っていませんでした。私は約束を果たすため、紅様を探しました。
私は、紅様を探しあてました。
無造作に切られた、短い髪。彩の最強と言われる精霊を連れて、私を見るその瞳には…彼女の面影は無かったのです。
『壊れた』
私の中で、オジジ様の台詞が蘇りました。
そして、納得しました。彼女の心は、紫苑様の喪失と共に、文字通り『壊れた』のだと。守れなかったとオジジ様が嘆くのも頷けるほどに、彼女の面影はありませんでした。
「紅様、私も紅様の精霊にしてください」
オジジ様との約束を守り、彼女の側に在るには1番手っ取り早い方法。紅様は私を受け入れてくれました。紅蓮は文句を言っていましたが、知らないふりをしました。
そして、それから紅様は炎の魔女となりました。私は何度も諌めましたが、紅様は聞き入れてくださいませんでした。
その瞳は、変わらず悲しみをたたえ、何年経とうとも変わることはありませんでした。
彩周辺の敵対国を滅ぼし、綱に住まうことになっても、紅様の傷は癒えないまま。
紅様の瞳が、紫苑様の死後明らかに揺れたのは、雪白様に会った時。
心優しき雪白様は、紅様が年を取っていないこと、あの日と変わらず傷ついた瞳のままでいることに、酷く心を痛めておりました。
そして、雪白様の葬儀の折りに、紅様から一粒涙が零れました。
皮肉にも、雪白様の死が、紅様に再び感情を戻すきっかけになったように思います。
「はじめまして。雪白おばあ様のお友だちですよね。私は、白妙。雪白おばあ様の孫です」
雪白様にそっくりの、愛らしい姫。白妙様は、優しい姫でありました。
500年。永きを生きる私たちにとっても、けして少なくない時間。私は紅様の側にいました。
そして、沢山の人に出会い、別れ…紅様の変化を見守り続けたのです。
紅様は少しずつ、変化をしていきました。青銀の姫君達、朱蓮様のお子様方も、紅様の側に寄り添い…紅様は少しずつ、笑顔を取り戻してゆきました。
紅様がぎこちなく微笑むようになるまでに長い時間がかかりました。大きな変化を与えたのは、1人の子供でした。
事故により記憶を失い、たった1人になった少年。
既に朱里様、朱花様を引き取っていた紅様は、少年を引き取り『茶希』という名をあげました。
少年は賢かったですが、まるでなつかない猫のようでした。毎日のようにケンカをし、物を壊す日々。しかし、紅様は少年を大切にしました。
私は、紅様に何故そんなに優しくするのか聞きました。紅様は少し考えると、困ったように微笑み、言いました。
「いきなり1人ぼっちになって、記憶も無いのでは不安なのは当たり前だわ。私が味方だってわかってもらわないとね」
いつしか、紅様は柔らかく微笑むようになりました。少年も、いつの間にか紅様を母さんと呼び、慕うようになりました。
茶希様のおかげなのか、紅様は以前より寂しげな表情をすることが少なくなり、笑顔が増えました。
未だに、悪いクセ。悲しみを内に溜め込むクセは治らなかったけれど。
茶希様達は、紅様にとって子供だから仕方ないのかもしれないけれど、いつしか私は願っていました。
紅様が、幸せになってくれるようにと。
遠い昔に無くした、あの笑顔をもう1度みせてくれますようにと。
それから更に月日は巡り、紅様は運命的な出会いをします。
針王・シオン。
奇しくも紫苑様と同じ名前と空気を持つ青年の存在に、紅 様の感情は激しく揺れました。
きっと誰より側にいた、私だからこそ解る。紅様は少しずつ、シオン様に惹かれていきました。
そして、紅様は紫苑様に伝えられなかった想いを告げることでやっと、長い長い初恋を終え、シオン様に向き合ったのです。
後で紅様から紫苑様の話を聞いた私は、オジジ様が禁呪を使ってまで紅様を救おうとしたことに驚きました。でも、自分が同じ立場にあったなら、きっと同じことをしただろうと思います。
いつか、新たな精霊にも会えることでしょう。再会を楽しみに、紅様と待とうと思います。
本当は、もう紅様は私の支えなんか無くても歩いていける。紅様は、いつか願った以上の笑顔で笑っているから。
今は約束なんかじゃなくて、私は私自身が望んでここにいる。
ずっと、ずっと側にいよう。正しい時間が流れるようになったから、貴女はきっといつか朽ちてしまうけど。
始まりは、約束だった。
今は、自分で望んでいる。
私は、紅=ランフォードの精霊で、在り続けよう。
そして、貴女が朽ちてもきっと、貴女の子供達を見守っていこう。…正直、私は水都を愚かだと思っていました。限りある存在と共にあれば、別れは必至であるのに、主が変わるごとに嘆く、王家に仕える変わり者。
今なら、その気持ちが解る。いかに愚かでも、繰り返しても、愛しいから側にいたい。
私も、永く側にいた紅様が大切になってしまったから。もう、離れられない。
だから、限りある日々を大切に。
いつか、無くしても誇れるように生きていく。
私は、今日も幸せです。
紅様が、笑っているから。昔々の笑顔より、人を惹き付ける素敵な笑顔を見せてくれるから。
私は幸せに、生きていける。




