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14/27

14話 消えた搬送者

 02時17分。


 深夜の東京は、昼間とは違う音を立てる。


 救急車のサイレン。


 遠くの首都高を走るトラック。


 コンビニの自動ドア。


 眠らない街の中でも、病院の周辺だけは別の緊張を持っている。


 人が運ばれてくる場所。


 命が戻る場所。


 そして、時には、命を消そうとする者が紛れ込む場所。


 事件は、文京区にある架空の総合病院、東都医療センターで起きた。


 02時04分。


 救急外来へ、男性患者が搬送された。


 年齢は30代後半。


 氏名不詳。


 意識は混濁。


 搬送時、路上で倒れていたところを通行人が発見したという。


 外傷は少ない。


 だが、右腕に注射痕。


 血圧低下。


 呼吸抑制。


 薬物中毒の疑い。


 救急医が処置に入った直後、付き添いを名乗る男が現れた。


「弟なんです。俺が手続きします」


 男はそう言った。


 しかし、救急外来の看護師は違和感を覚えた。


 家族にしては、患者の名前を言わない。


 年齢も曖昧。


 保険証も持っていない。


 そして、男の視線は患者の顔ではなく、患者の衣服に向いていた。


 数分後。


 処置室の前で小さな騒ぎが起きた。


 付き添いの男が、患者の上着を持ち出そうとした。


 看護師が止める。


 男は笑ってごまかした。


 その直後、病院の非常ベルが鳴った。


 救急外来とは別のフロアで、酸素ボンベが倒れたという通報。


 職員が一瞬そちらへ動く。


 その間に、患者が消えた。


 ベッドごとではない。


 患者本人だけが、処置室からいなくなっていた。


 点滴チューブは抜かれ、床に血が落ちていた。


 防犯カメラには、患者を支えるように歩く医療スタッフ姿の人物が映っている。


 だが、その人物は病院職員ではなかった。


 救急外来に運ばれた身元不明者。


 消えた患者。


 付き添いを名乗る男。


 偽の医療スタッフ。


 そして、患者の衣服に残された血のついた小さな封筒。


 病院は警察へ通報した。


 所轄が到着するより早く、警視庁の鑑識経由で警察庁へ連絡が上がった。


 封筒の内側に、細かい金属片と、焦げた紙片が入っていた。


 何かの事件現場から持ち出された証拠品の可能性がある。


 患者は、ただの被害者ではないかもしれない。


 あるいは、証拠を持って逃げていた人物かもしれない。


 02時36分。


 SERTの車両は、春日通りを抜け、東都医療センターの裏手に入った。


 今回は黒の戦闘服ではない。


 濃紺のジャケットに、目立たない防弾ベスト。


 病院内で特殊部隊の装備を見せれば、患者も家族も動揺する。


 救急外来では、普通の警察官でさえ目立つ。


 SERTはさらに目立ってはいけなかった。


 上原が車を降りる。


 戸張、吉田、片桐、水瀬、真壁、梶原。


 そして今回は、準レギュラーの鑑識・科捜研連携担当、望月透子も同行していた。


 望月は白い手袋をはめながら、病院の裏口を見た。


「病院は、証拠に向いていません」


 戸張が聞く。


「どういう意味ですか」


「人が多い。清掃される。血も薬品も日常的にある。触った人間も多い。証拠がすぐ混ざります」


 上原は頷いた。


「だから呼んだ」


「でしょうね」


 望月は淡々としていた。


 鑑識の人間らしく、感情より先に現場を見る。


 吉田は患者情報を確認している。


「搬送された男性は身元不明。処置中に一時的に意識が戻り、“燃えた部屋”、“青い袋”、“渡すな”と呟いたそうです」


 片桐が反応した。


「燃えた部屋」


 梶原が端末を見る。


「過去24時間以内の火災情報を検索しています。都内で小規模火災が3件。うち1件、江東区の古い雑居ビルで不審火。けが人なしで処理されていますが、現場から1人逃げたという未確認情報があります」


 水瀬が言う。


「右腕の注射痕。薬物で口封じされかけた可能性があります」


 真壁が低く続ける。


「処置中の患者を連れ出すのは危険です。まだ遠くへは行けない」


 上原は病院の搬送導線図を見た。


「病院から外へ出したとは限らない」


 戸張が眉を寄せる。


「院内に隠した?」


「病院は広い。深夜は閉まっている区画も多い。患者を一時的に隠し、証拠だけ回収するつもりかもしれない」


 望月が静かに言った。


「患者を殺すなら、見つかりにくい場所で十分です。証拠を探しているなら、生かして聞き出す必要がある」


 吉田が頷いた。


「まだ生きている可能性が高い」


 上原は短く指示した。


「捜索と証拠保全を同時にやる。患者を探す。封筒の意味を読む。犯人を追う。順番を間違えるな」


 02時42分。


 SERTは救急外来に入った。


 消毒液の匂い。


 床を転がるストレッチャーの音。


 待合の椅子に座る患者家族。


 眠そうな職員。


 そこに事件の気配はほとんどない。


 だからこそ危険だった。


 騒げば病院機能が止まる。


 止まれば、関係のない患者の命に関わる。


 上原は病院責任者と短く話した。


「院内放送は使いません。職員への連絡は内線と個別連絡で」


 病院責任者が頷く。


「患者さんには」


「通常通りに見せてください。救急外来は止めない」


 望月は処置室に入った。


 床の血。


 抜かれた点滴。


 患者が横たわっていたベッド。


 触れられた上着。


 望月は動かす前に写真を撮る。


 角度を変え、距離を変え、床の血の滴り方を見る。


「自分で立った可能性は低いです。足元の血が乱れていません。誰かに支えられたか、半ば運ばれた」


 真壁が床を見る。


「体重をかけた跡が片側に寄っています。右側から支えていますね」


 望月は頷いた。


「偽スタッフは右利きかもしれない。あるいは、患者の左側に何かを隠したかった」


 戸張が上着を見る。


「封筒はどこに」


 望月が示す。


「内ポケットです。犯人は上着を持ち出そうとした。つまり、証拠が服にあると知っていた」


 上原が聞く。


「封筒以外にも何かあるか」


 望月は上着の縫い目を指でなぞった。


「あります」


 全員の視線が集まる。


 望月は内側の裏地の一部を見せた。


 わずかに不自然な膨らみ。


 縫い目が一度ほどかれ、また縫われている。


「急いで隠した感じですね」


 片桐が言った。


「中身は」


 望月は慎重に糸を切った。


 中から出てきたのは、薄いメモリーカードだった。


 梶原が小さく息を吐く。


「データか」


 上原は短く言った。


「梶原、隔離環境で見る。外部接続するな」


「了解」


 その時、吉田が処置室の扉近くで足を止めた。


「声がしました」


 戸張が振り返る。


「どこから」


「廊下の奥。怒鳴り声ではありません。抑えた声です」


 病院の廊下は音が反響する。


 吉田は少し目を閉じ、音の方向を探った。


「職員用エレベーター側」


 上原が頷く。


「行く」


 廊下の奥。


 職員用エレベーターの前に、清掃用カートが置かれていた。


 深夜でも清掃はある。


 不自然ではない。


 だが、真壁が足を止めた。


「カートの車輪跡が新しい。濡れています」


 水瀬が床を見る。


「地下から来た?」


 病院の地下。


 霊安室。


 薬品庫。


 機械室。


 搬入口。


 いくらでも隠れられる。


 梶原が端末で院内カメラを確認する。


「職員用エレベーター、5分前に地下2階へ降りています。映像は……切られています」


 戸張が低く言う。


「また地下か」


 上原は静かに言った。


「今回は逃走じゃない。病院内で処理するつもりだ」


 02時51分。


 地下2階。


 病院の地下は、地上の静けさとは違う。


 機械の低い音。


 換気の風。


 白い蛍光灯。


 人の気配が薄い廊下。


 SERTは二手に分かれた。


 上原、戸張、吉田、真壁が患者の捜索。


 片桐、水瀬、望月、梶原は証拠と設備確認。


 地下2階には、廃棄物保管室、機械室、リネン室、薬品保管庫、非常用搬入口がある。


 水瀬が言った。


「薬品保管庫には入らせないでください。薬剤を使われると厄介です」


 片桐は機械室側を見る。


「非常電源や酸素配管もあります。病院は、爆発物を持ち込まなくても危険なものが多い」


 望月が清掃カートの車輪跡を追う。


「こちらです。血の跡が少し混じっています」


 梶原がメモリーカードを隔離端末に挿した。


「中身、映像ファイルです。暗い部屋。火災前の映像……人がいます」


 上原が無線で聞く。


「何が映っている」


「江東区の雑居ビルと思われます。男が数人、黒いケースを運んでいます。1人がそれを撮影している。撮影者が今回の患者かもしれません」


 戸張が言う。


「黒いケース。またか」


 梶原が続ける。


「映像の最後、火が出ています。誰かが証拠隠滅のために火をつけたように見えます」


 上原は廊下を進みながら言った。


「患者はそれを持って逃げた。だから消されかけた」


 吉田が低く言う。


「でも、犯人はまだデータがあると知らない。服を探していた」


 望月の声が無線に入る。


「その通りです。上着からカードを回収できなかったから、本人から聞き出す必要がある」


 その時、地下奥のリネン室から物音がした。


 何かが倒れる音。


 戸張が前に出る。


 上原が手で合図する。


 急がない。


 騒がない。


 扉の横に立つ。


 中から低い声が聞こえた。


「どこに隠した」


 別の声。


 弱い。


「知らない……」


 患者だ。


 吉田の目が変わる。


 戸張が扉の隙間から中を見る。


 リネン室。


 棚。


 白いシーツ。


 床に座らされた男性患者。


 顔色は悪い。


 右腕から血が滲んでいる。


 その前に、偽医療スタッフの男。


 もう1人、付き添いを名乗った男。


 片方は刃物。


 片方は注射器のようなものを持っている。


 戸張が小声で言う。


「2人。患者は生存。注射器あり」


 水瀬が無線で即座に言った。


「中身不明。打たせないでください」


 上原は短く指示した。


「吉田、声。龍一、刃物。真壁、患者確保。俺が注射器」


 吉田が扉の外から声をかけた。


「そこまでです」


 中の男たちが振り向く。


 偽スタッフが患者の首元へ注射器を向ける。


「入ってくるな!」


 吉田は扉の前に立つ。


 手は見える位置。


 声は落ち着いている。


「薬を打てば、彼は話せなくなります」


「黙れ」


「あなたたちが知りたいことも聞けなくなる」


 男の手が止まる。


 吉田は続ける。


「あなたたちの目的は殺すことではなく、何を持ち出したかを聞くことです」


 付き添い役の男が怒鳴る。


「警察か」


「そうです」


「なら終わりだ」


「まだ終わっていません。あなたたちは、データを持っていません」


 その一言で、2人の表情が変わった。


 図星だった。


 吉田がさらに踏み込む。


「上着を探した。でも見つからなかった。だから本人を連れ出した。違いますか」


「黙れ!」


 付き添い役の男が刃物を振り上げる。


 その瞬間、戸張が入った。


 刃物の腕を真正面から受けない。


 棚の影を使い、横から手首を押さえる。


 男が振り返るより早く、肘を畳み、壁へ押さえる。


 刃物が床に落ちる。


 同時に、偽スタッフが注射器を患者へ向ける。


 上原が一歩で距離を詰めた。


 注射器を持つ手の外側へ入り、親指の付け根を押さえる。


 強く握れなくなる。


 針先が患者から外れる。


 真壁が患者の体を引き寄せ、シーツの山を盾にするように間へ入った。


 偽スタッフが抵抗する。


 上原は表情を変えず、手首を落とし、肩を押さえた。


 男は膝から崩れた。


「確保」


 数秒だった。


 病院の地下に、派手な音は残らない。


 ただ、床に落ちた注射器が小さく転がった。


 水瀬が駆け込む。


「注射器、触らないで」


 片桐が周囲を確認する。


「追加の仕掛けはなし」


 真壁は患者を支えた。


「聞こえますか。もう大丈夫です」


 患者はかすかに目を開けた。


「燃えた……部屋……」


 上原がしゃがむ。


「映像は見つけた。もう話さなくていい」


 患者の目から、緊張が少し抜けた。


「渡すな……」


「渡さない」


 吉田はその言葉を聞いて、静かに頷いた。


 03時08分。


 患者は救急処置に戻された。


 今度は警察官が処置室の外に立ち、病院職員の確認も徹底された。


 逮捕された2人は、江東区の不審火に関与している可能性が高い。


 患者は、事件現場に居合わせた協力者か、内部から逃げた人物か。


 まだ分からない。


 だが、彼が持っていたメモリーカードには、黒いケースの搬出と、火災直前の映像が残っていた。


 望月は封筒の金属片を確認していた。


「焦げた紙片に印字があります。輸送ラベルの一部です。黒いケースの出所につながる可能性があります」


 梶原が映像を止める。


「黒いケースの側面、拡大します」


 画面に、かすかな文字が見えた。


L-07


 NOISEとは書かれていない。


 だが、港で見つかった黒いケースと形状が似ている。


 片桐が低く言った。


「前回の通信機材とは別型です。でもケース規格は近い」


 水瀬が注射器の簡易検査結果を持ってきた。


「強い鎮静剤です。追加で打たれていたら、呼吸停止の危険がありました」


 真壁が眉を寄せる。


「間に合ってよかったです」


 戸張は処置室の方を見た。


「今回は、犯人より先に証拠を見つけられたのが大きいな」


 望月が淡々と答える。


「証拠は喋ります。扱いを間違えなければ」


 戸張が少し笑う。


「望月さんらしい」


「褒め言葉として受け取ります」


 吉田は患者の呟きを思い返していた。


「“渡すな”と言えるくらいには、意識が残っていた。かなり必死だったんでしょうね」


 上原は映像の黒いケースを見ていた。


「この患者は、何かを止めようとした」


 梶原が言う。


「ただ、本人の身元はまだ不明です。指紋照合にも時間がかかります」


 望月が封筒を見た。


「身元より先に、証拠が道を示すかもしれません」


 その時、上原の端末が鳴った。


 岡野からだった。


「上原です」


「病院の件、収束したそうね」


 岡野の声は、深夜でも変わらない。


「患者を保護。実行犯2名を確保。メモリーカードと金属片を回収しました」


「患者は」


「生存しています。状態は不安定ですが、処置中です」


「よかったわ」


 短い言葉だった。


 だが、岡野の声にわずかな安堵があった。


「ノイズとの関連は」


「直接の文字はありません。ただ、黒いケースの規格が港の件と近い。映像にL-07の表記があります」


「分析を急がせます」


「はい」


「望月は」


「証拠保全が早かったです。彼女がいなければ、メモリーカードを見落としていた可能性があります」


「伝えておいて。証拠を救うことも、人を救うことにつながると」


「了解しました」


 岡野は少し間を置いた。


「上原」


「はい」


「病院は戦場にしてはいけない場所よ。静かに終わらせたのは正しい」


「全員が抑えました」


「ええ。撤収も静かに。報道には、病院内での傷害事件として処理されます。SERTの名前は出しません」


「了解しました、岡野室長」


 通話が切れる。


 03時27分。


 SERTは病院の裏口から撤収した。


 救急外来は、何事もなかったように動いている。


 新しい患者が運ばれてくる。


 看護師が走る。


 医師が指示を出す。


 命の現場は止まらない。


 その片隅で、ひとりの患者が消されかけ、ひとつの証拠が奪われかけた。


 だが、どちらも残った。


 車内で、戸張が肩を回した。


「病院の地下って、やりにくいな」


 真壁が頷く。


「走れない、騒げない、壊せない」


 片桐が言う。


「しかも危険物が多い」


 水瀬が淡々と続ける。


「患者が多い場所では、こちらの行動自体がリスクになります」


 梶原は端末を見ながら言った。


「でも、映像はかなり重要そうです。黒いケースの搬出、火災、L-07。前回とは違う線ですが、つながるかもしれません」


 吉田が窓の外を見る。


「今回の患者、自分が助かるためだけじゃなく、誰かに渡したくなかったんでしょうね」


 望月は手袋を外しながら言った。


「証拠を持って逃げる人間は、だいたい恐怖と後悔の両方を持っています」


 戸張が聞く。


「経験則ですか」


「ええ」


 望月は表情を変えない。


「証拠品には、その人の最後の判断が残ることがあります」


 車内が少し静かになった。


 上原は前を見ていた。


 病院の明かりが遠ざかる。


 事件は終わった。


 だが、黒いケースはまだ終わっていない。


 港。


 ドローン。


 空港。


 そして、燃えた部屋。


 点は増えている。


 まだ線にはしない。


 決めつければ、見落とす。


 だから、読む。


 撃つ前に読む。


 突入する前に救う。


 それでも止められないなら、制圧する。


 そして、証拠が命をつなぐなら、その証拠も救う。


 黒い車両は、深夜の東京を静かに走り抜けた。

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