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第二話(1)


 転入して二週間。九月に入ったフィリピンでの新しいスクールライフに慣れたのは、わりとすぐのことだった。

 授業一コマあたりの時間は長いうえに、基本は英語。体育がない代わりにキリスト教カトリックの宗教の時間があって──それにとにかく、暑い。僕が知っている日本の学校生活とは、やっぱり違うところだらけだ。が、それでも不思議と早く馴染めたのは、ひとえに仁科がそばにいてくれたおかげだった。学校のことでわからないことがあれば教えてくれて、困ったことがあれば相談にも乗ってくれる。理由を聞けば、「お前は馬鹿でドジだから、見ててヒヤヒヤすんだよ」とのことらしいが、どう考えてもそれだけではないだろう。わざわざ下校の時間まで合わせてくれるあたり、彼にはどうしようもなく世話焼きなところがあった。


(まあ、正直な話、また襲われでもしたら嫌だから、仁科がそばにいてくれるのは助かるけど)


 話によれば、彼はヤンキー、しかも少年ギャングのトップらしい。とはいえ、それらしい姿を見たのは、転入初日にカツアゲ犯と遭遇した時くらいだった。普段一緒に過ごしている限り、仁科は驚くほど静かで大人しかった。授業中は黙々とペンを走らせ、休み時間には本を読む。不良のくせに、根はわりと真面目なのかもしれなかった。矛盾しているように思えなくもないが……それでも、僕はそんな彼が、この学校での初めての友達で良かったと思うようになっていた。


「──ごめん、遅くなった。それじゃ行こうか、仁科」


 いつものように授業が終わり、下校の時間を迎える。帰り支度を済ませた僕は、前の席に座る彼へ声をかけた。既に準備を整え、読書に目を落としていた彼は、本をパタンと閉じては「行くぞ」と席を立つ。僕はそれに頷くと、さっさと歩いていくその背中をとことこと付いていった。そうして校門をくぐっては帰路へ──だが、そのまま下校するわけではない。

 今日は土曜日。平日より早く終業するこの日は、普段の放課後よりも少しだけ時間に余裕があった。だから今日は事前に予定を立てていて、これから二人でフィリピン最大級の露店市場「バクララン・マーケット」へ寄り道するつもりだった。


「付き合わせてごめんね」

「別に。またヘンなことに巻き込まれても気分悪ぃし」


 そもそものきっかけは、僕が「フィリピンらしいVLOGを撮りたい」と言い出したことだった。動画作りの趣味のかたわら、観光もしたいと相談したところ、仁科が提案してくれたのがそのマーケットだったのだ。曰く、食品から雑貨まで何でも揃い、アジアンテイストただよう活気ある景観が広がっている、とのこと。パサイ・シティの中央からすぐのところで、帰り道から少し足を伸ばすだけで行けることもあり、僕たちは迷わずそこへ寄り道を決めたのだった。


「バクラランへは……とりあえず、ジープニーでいいか?」


 横目でこちらの反応を窺う仁科に、僕は大きく頷く。実はジープニーに乗るのはこれが初めてだったのだが、知らずと目が輝いていたらしい。ふっと口元を歪めた彼に「ガキくせえ」とからかわれれば、僕は膨れっ面して拗ねてみせた。


「距離はあるが、別にいつもみたいに歩いて行ってもいいんだぞ?」

「仁科がどうしても歩きたい、っていうならいいぜ?」

「よし。じゃあ歩きで」

「ちょ、ちょっと待てよ!……君さあ、そういうところだぞ、って言われないか!?」


 彼の意地悪な物言いを前に、僕はつい取り乱す。するとそれを見た彼は、おかしさを堪えつつも「悪い悪い」と形だけの謝罪を口にしてみせた。腹を抱えつつ、くつくつと押し殺すように笑う彼の姿は、まるで愉快痛快と言わんばかり。「そんな面白いかよ?」と再び僕がむくれた面を見せれば、仁科は「ああ」と自身の目尻に浮かんだ涙を拭った。


「だってすげームキになるから。ジープニー、そんな乗りたかったのかよ?」

「そ、それは……まあ……ずっと乗ってみたかったし……」


 もごもご口籠もりつつ、僕は仕方なく事情を明かす。曰く、フィリピンでは定番の移動手段ということもあり、一度は乗ってみたかったこと。しかしローカルな乗り物すぎて、今までなかなか乗れなかったこと。仁科がいれば、初めてでも安心して乗れそうなこと──それらを伝えれば、彼はキョトンと目を丸くしては、「そうか……」と顎に手を遣り、考える仕草を見せた。


「たしかにお前、今もバスとか乗らないで徒歩通学のままだもんな……」


 仁科はそう言うと、ある方向に指を差す。車道の傍ら、少し開けた場所。「あそこ」と言って表わすと、そこでジープニーを拾うのだと教えてくれた。


「感覚的には、タクシーを捕まえるのと同じ感じだ。パサイの方面、つまり南に行きたいならあそこで合図を出す。逆に北へ行きたいなら、向かいのところで合図を出す」


 マスクの紐を耳にかけると、仁科はその場所へと向かう。僕もそれに付いていけば、ちょうどジープニーが来るところだった。中古の四輪車両には鮮やかなカラーリングが施されており、非常に目に付く。彼はそれを止めると、運転手に行き先を告げ、僕を乗るように促した。


「早く席に座れ。待ってくれないぞ」


 言っているそばからジープニーは走り出す。空いている席に慌てて座れば、その隣にどかりと仁科が腰を降ろした。エンジンの響く音、それに伴ってぶるぶると揺れる座席。そして肌を切る、ひどく爽やかな風。

 僕はその顔を綻ばせると、静かに視線を仁科の方に向けた。


「……初めて乗った」

「簡単だろ。慣れればなんてことねえし、安いし、速いんだから、通学はこっちにすればいい」


 仁科の提案に、しかし僕はゆっくりと首を振る。たしかに普段、僕は登下校の道のりを歩きで通っていた。しかしそれはジープニーに乗ったことがないからだとか、公共交通機関を避けているからだとか、そういうわけではなかった。強いて言えば、仁科に倣って、という理由が大きいだろう。

 彼は普段、移動に交通機関を利用することはあまりなかった。「良い運動になるから」と言っていたが、それは一番の理由ではない。


 ──パサイじゃ、俺は悪い意味で顔が知られてるんだ。


 以前、仁科が言っていたそれは、「パサイ・ウェストサイド」という不良グループの頭としての意。パサイはマニラの交通の要所として知られ、学校があるエルミタへはあらゆる手段でアクセスできる。だが、学生が利用しやすいジープニーや市内バスは、その悪名ゆえに乗車を拒否されることがままあるらしかった。だから彼は基本的に徒歩通学だった。パサイから離れたエルミタの高校に通っているのもまた、同様の事情だという。けれど学校が遠いからといって、そして歩きだからといって、悪いことばかりではなかった。

 それは僕が歩きで通学している理由にも通じるが──街中を歩くことは、新鮮な世界を体験するもっとも手っ取り早い方法だった。僕の場合は、このマニラのエキゾチックな光景を楽しむため、仁科の場合は、街にはびこる他ギャングの勢力を窺うため、と方向性の違いこそはあれど、「街を通じて世界を知る」という意味においては共通していた。だから歩いて学校を通うことに苦はなくて、むしろ充実しているくらいで。


「仁科と歩きたいから、徒歩のままで良いよ」

「……ふん」


 顔を隠すようにマスクで口を覆った彼の表情は、いまいち読みづらい。けれどため息交じりのその反応には、彼らしい面倒見の良さが表われているように感じられた。

 青の眩しい晴れ空の下。汗ばむ陽気の中、「風があって涼しい方だね」と語らいつつ、車で三十分ほどの距離を行く。パサイの方角へ真っ直ぐ南下していけば、周囲はエルミタの近代的な繁華街から、東南アジアの陽気な空気を感じる下町へと変遷していった。

 立ち並ぶ建物が変わるとともに、生活する人々が変わる。すると場所の雰囲気、活気も同様に変化が見られた。エルミタ周辺に比べ、熱気がありつつもどこか心安らかに感じられるのは、すれ違う人たちが皆、よく喋り、よく笑っているからだろうか。


(なんか……懐かしい? みたいな)


 仁科には何度か「スリに注意しろよ」と忠告されたりもしたが、カツアゲに遭った以上はさすがに緊張感を持つようになった。彼のように現地人らしく振る舞うことが一番の防犯なのだろうが、そこまではなかなか難しい。定期的に辺りを見渡しては、財布やスマートフォンが入ったサブバッグを大事に抱えることぐらいが、僕にできるせいぜいだった。


「そうしてると、なんかお前の方が変質者に見えるな」

「なっ、何だとぉ……!」


 時にくだらない諍いを挟みつつ、さらに南へ。パサイの巨大バスターミナルを越え、バクララン駅に到着すれば、マーケットはすぐそこだった。


「降りるぞ」


 そう言うと、仁科は身近な手すりを硬貨で軽く叩く。こんこんと金属音が鳴れば、それが降車のサインだった。近場に停車したところでドライバーに運賃を支払い、ステップを降りると、ジープニーは次の停車地にむかってさっさと走り去ってしまう。


「あれ、今いくら払った?」

「お前の分もまとめて払っといた。どうせ代金わかんねえだろ」

「いくらか教えろよ、払うから」

「いい。大した額じゃねえし、初乗りってことでもらっとけ」


 仁科はそう言い捨てると、「それより早く」と僕を急かす。マーケットが近いせいか、この一帯は人の流れが激しかった。立ち止まっているだけでも肩がぶつかりそうで、油断すれば人波に押し流されてしまうだろう。盛況が予感される中、道を埋め尽くす車の渋滞を尻目に、僕は先を行く彼の背中を追うことにした。

 マーケットへ続く道にはカラフルなパラソルが咲き、頭上にはフラッグガーランドが風に揺れる。目指すはメインストリート、マニラを南北に縦断する列車が走る高架橋の足元。その余剰空間には、無数の店が軒を連ねているらしい。周囲が徐々に活況を呈し始めるにつれ、僕の胸は興奮と緊張でドキドキと脈打った。


「行くぞ。離れるなよ」


 仁科が僕の手を握った瞬間、慣れない雑踏の不安がすっと薄れる。微笑んでは「うん」と頷き、その手を握り返す。そうして踏み込んだのは、僕のまだ知らない世界──……目抜き通りへの入り口。


「うわ……すごい……」


 道を埋め尽くす人、人、人。そして隙間なく並ぶ露店の数々。バクララン・マーケット──国内最大規模のバザールと呼ばれるだけあって、その賑わいは圧倒的だった。

 通りの両脇にはいくつもの屋台が並び、様々な商品の山に鮮烈な色彩がぎゅっと一つに詰めこまれている。布屋の店先にはカラフルな布が風にはためき、果物の甘い匂いとスパイスの香りがふわりふわりと流れてきた。バイクのエンジン音、店先の呼び込み、子どもたちの笑い声。全部がごちゃ混ぜになったその空間は、まるでマーケットそのものが息づいているかのようで。


「おい、大丈夫か?」


 はたと意識を目の前に戻す。そこにはこちらを振り返った仁科が、首を傾げて僕の様子を窺っていた。僕はふっと笑みをこぼすと、「大丈夫だよ」としっかり言葉にしてみせる。


「ただ……すごいな、って感動? しちゃって」


 昼下がりの陽射しが、街全体を燦然と照らし出す。そのせいもあってか、僕にはこの光景がいたく眩しくてたまらなかった。


「それにしても、色んなのが売ってるなぁ」


「何でも揃う」という話に聞いた通り、ここでは何もかもが幅広く、そして安価に売られていた。こんがり焦げ目の焼き豚に、緻密な刺繍が縫われた柄物のドレス、幅広いスポーツ用品まで、何でもだ。しかしその雑多さは決して無秩序ではなく、人々の生活がそのまま表に溢れ出たようだった。生命力と明るさに満ちた開放的な風土はひどく新鮮で、刺激的で。……舗装の緩い道を進むせいで、靴に砂埃が付くことすら気づかないほどで。


「何か食うか」


 仁科の提案に、僕は首を竦める。人酔いしたわけではないが、今はさほど食べたい気分ではなかった。「仁科は?」と尋ね返せば「……喉が渇いた」とのこと。


「暑いもんな~。仁科なんてマスクしてるし! あ、じゃああれは?」


 指差した先、そこに見えるのはカットフルーツの露店だった。バナナやパイナップルといった色々な果物が串に刺さって陳列されており、どれもジューシーで美味しそうだ。中でも一番目を惹くのは、真っ赤な果肉が眩しいスイカだろうか。


「スイカ……うまそうだな」

「仁科、スイカ好きなの? じゃあ決まりだな。スイカなら水分補給にもなるし」


 僕はぐいぐい彼を引っぱっては店の前に連れ出す。どれが一番大きいだろうか、といくつかあるスイカバーを真剣に見比べていれば、その横で「これ一つ」と彼はあっさり支払いを済ませてしまう。思わずギョッとして彼を凝視すれば、仁科は「何か文句あんのか」と眉をひそめた。


「……別に。せっかく運賃払ってもらったから、今度は僕が買ってやろうって思ってたとか、そんなことないし」

「気にすんなって言ったろ」


 そう言うと、仁科はマスクを外してスイカを咥え、さくりと音を立てて頬張る。じわりと赤い果汁溶け、濡れた唇を舌舐めずる様はどこか生々しかった。「甘い?」と尋ねれば、曰く「それほどでもない」とのこと。この店のスイカは楕円形のもので、甘みよりも食感に重きが置かれているようだ。言われてみればたしかに、見ているだけでシャクシャクという軽やかな歯ごたえが口の中に広がりそうだった。


「うまい」


 ぼそりと呟いては満足そうにする仁科に、僕もまた釣られて笑う。それは良かった、と内心で安堵していれば、ふと僕はいまだに彼と手を繋いでいることに気づいた。スイカに気を取られていたのもあるかもしれないが、まるで気にする素振りを見せない彼に、僕はそっとその手を離す。


「…………」


 はたと、仁科の視線がこちらを向く。彼の反応にビクリと肩を震わせれば、その場には突如として沈黙が降りた。……いや、静かだったわけではない。むしろ相変わらず周囲は騒がしいくらいで、けれどそんな中、相手との距離を測りかねる僕たちだけが浮いているかのようだったのだ。ただ手を繋いでいただけ──それだというのに、ヘンに意識してしまって。


「に、仁科……」


 たちどころに彼の名前を呼びかける。が、それを遮るかのように突然、「そこのお兄ちゃん、」と露店の店主に話しかけられれば、僕らは二人してそちらを振り向いた。老婆は器用にフルーツの皮を剥きつつ、強い訛りの伴った英語で「その顔、」と指摘する。


「ずいぶん暗い顔をしているね」

「……え?」

「こんな天気の良い日にシケたツラだよ。もっと笑った方が良いんじゃないかい?」


 店主の言葉に、僕たちはお互いを見つめ合う。が、次の瞬間、揃ってブッと噴き出すと、ぷるぷる震えて笑い始めた。


「シ、シケたツラだって……! もっと笑えよ、仁科!」

「お前こそ笑えよ! このばーちゃんが言ってんのはお前のことだぞ」

「はあ? 僕なわけないだろ! 君がずーんって顰めっ面してんのが良くないんだ!」

「してねえし、それはない。俺、顔は良いから。ここまで整ってりゃ、どんな顔してても『シケてる』とか言われるはずがねえ」

「だ、断言するじゃん……。というか、イケメンって自覚してるのかよ! すごい自信だな……」


 やり取りがヒートアップしていくのもつかの間、結局それも口喧嘩にはならず、最後にはくだらなさへの一笑で終わる。いったい僕のどこがシケたツラだというのか。こんな他愛もないことで笑えるくらいには、僕たちは和やかにやっているというのに……。


(……嘘だ。さっきはちょっと気まずかった)


 もしや店主は気を利かせてくれたのだろうか。そっと視線を送れば、老婆はこちらを見向きもせず、丁寧に果物を串で刺している最中だった。仕事に集中しているのか、僕たちにはまるで目もくれない。と、その折、「……悪い」と仁科の謝罪が耳に入れば、僕はそれに瞠目した。どうして彼が謝るのか、その理由が思い当たらなかったからだ。


「僕が迷子にならないようにしてくれたんだろ? だからここは……僕が感謝する方じゃない?」


 世話を焼く彼と、焼かれる僕。その関係における、もう何度目かのお礼の表明は、決まってどこか照れくさいものだった。ああ、「ありがとう」を言うことは、どうしてこんな気恥ずかしいのだろうか。それも相手が彼だと余計に──だが、伝えるべきだと直感したことは、きっと伝えるべきに違いなくて。


「ありがとう、仁科。助かった」

「……おう」


 彼は気まぐれにスイカを囓る。赤い乱切りが彼の口元を隠し、見えなくしてしまうが、僕は何となく、その向こうで彼がほくそ笑んでいるのではないかと思った。卑屈なやつだから、きっと彼はそう笑うに違いない。そのせいで、周りの人から「もっと笑った方が良い」と言われていることも気づかずに。


「そうだ、VLOGは?」

「VLOG?……あ、」


 仁科の問いに、僕はハッと本来の目的を思い出す。つい失念していたのは、このマーケットの雰囲気にすっかり飲まれていたから。僕は正直に「忘れてた」と答えると、彼に今からでも動画を撮りたいことを重ねて伝えた。


「どういうのが撮りたいんだ? 定点? それとも、歩きながら?」


 頭の中で自分が映像にしたい内容を振り返る。VLOGである以上、動画はなるべく自然な内容であるべきだった。それなら歩きながら撮る方が適切だろう。「歩きたい」と答えれば、仁科は気軽に了解してくれた。

 露店から通りへ出ると、スマートフォンを取り出し、カメラアプリを起動する。画面の中、そこにはもちろんノイズは見られず、画角に仁科を入れたところで彼の顔は鮮明に映った。やはり前回のあれは偶然だったのだろうか、と思いつつ、雑踏の中で撮影を開始すれば、その四角いスクリーンにはたちまち彩りが花開いて。

 色とりどりのパラソルに、日用品や衣類、山盛りの食べ物。和気藹々としたコミュニケーション、人々の笑顔。市場の熱気が、レンズを通してそのまま映像に流れ込んでくるようで、僕は知らずと顔が緩んだ。


「ちゃんと撮れてるか?」

「あたぼうよ! 撮るのはプロレベルって前言ったろ」

「あんなブレブレ撮ってたくせに」


 軽口を交わしながら、僕はスマートフォンを胸の高さで構え、ゆっくりと歩きながら撮影を続ける。人混みの中、はぐれないようにと仁科に注意を向けていれば、それは彼も同じだった。「どっか行くなよ」と母親のようなことを言う彼に、僕は気まぐれにレンズを向ける。すると彼は、四角い枠の中でスイカと一緒に得意げにピースしてみせた。綺麗な顔立ちを存分に活かした、いかにも格好つけた笑み。盛況なマーケットと青空をバックにしたそれは、なかなか悪くない画だった。……が、よくよく目を凝らせば、その端には灰色の雲がひとかたまり浮かんでいるのが見えて。


(げ……まさか、スコール?)


 嫌な予感に、僕はその場で立ち止まる。録画ボタンを止め、仁科に「あれ」と雲の方向を指差せば、彼もまたほぼ同じ反応を見せた。「だいぶマズいな」と顔が険しくなるのも当然、その雲はみるみるうちに広がり、空を暗く覆い始めていたからだ。

 フィリピンのスコールは予期しづらいうえに、その勢いがかなり激しい。今回もまったく予定外で、雨具は持っていない以上、本格的に降り出す前にどこかへ避難する必要があった。


「すぐ近くの教会に行くぞ。そこなら雨を凌げる」


 仁科の指が、マーケットの向かい側を示す。今から急げば十分間に合う距離だという。即座に首を縦に振ると、僕は仁科の案内に従って教会に向かうことにした。


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